英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

電王戦……スポーツマンシップ、棋士のプライド……ルール内であれば“正々堂々”と言えるのか? 【1】

2015-04-13 20:07:33 | 将棋
まず、下記の文章から……
 これは、『糸谷竜王の離席問題に関して、いろいろ、いろいろ……』というタイトルで、2月下旬に書き始めて中断してしまった文章です。

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 このテーマについて書き始めると収拾がつかなくなるような気がして、書くのを躊躇っていました。
 対局中に席を離れることは禁止されていません。用を足しに行く場合もありますし、気分転換で盤を離れることも許されています。
 もちろん、席を離れて他人に助言を求めたり、PC機器や棋書などを用いるカンニング行為は許されません(と言っても、明文化はされていないようです。詳しくは「『週刊将棋』驚きの記事」にて)。

 この「離席問題」の根底にある疑問……「よりよいコンディションで思考するための行為はどこまで許されるか?」が、ここ数か月の私の頭の片隅で浮遊していた。
 と、その前に、もっと大きな命題を考えてしまうのが私の悪い癖。その大きな命題とは「勝つためには何をしても良いのか?」である。

 このテーマについては、一度は思索したことがある方が多いのではないだろうか。
 ……「相撲の張り手」「ドーピング」「シミュレーション(サッカー)」「卓球の雄叫び」など、いろいろな事象が浮かぶ。その中でも「甲子園 ~勝利至上主義~」の件は、当時、社会問題にもなった。
 今回は、まず「反則にまつわる考察」から考えていくが、反則(ルール)という点から考えると、松井選手への敬遠は全くクリーンで問題はないが、つい思い浮かべてしまう出来事だった(以前の記事で、クタクタになるほど考えたので、今回は触れることはほとんどないと思います)。
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 一度書き始めてあっさり放り投げてしまったのですが、今回の電王戦の事件によって、上記のような諸々のケース、さらに、今回タイトルに挙げた「スポーツマンシップ」、「棋士のプライド」、「ルール内」、「正々堂々」などの概念が、私の頭の中でぐるぐる彷徨うという困った状況になってしまいました。
 そこで、全然、整理できていないのですが、とにかく、少しでもモヤモヤしたものを取り払うため、思いついたことから書き始めることにしました。もともと、まとまりのない私の文章ですが、今回さらに読み難いものになると予想されますが、どうかご了解ください。


Ⅰ.「ルール内」ということ
①松井選手に対する4打席連続敬遠

 「ルール内」と言えば、やはり頭に浮かぶのは、「明徳義塾の松井(星稜)に対して4打席連続敬遠策」である。
 論点は、「徹底した勝利至上主義」対「ルール内で戦う正当な戦術」となる(「勝利至上主義」という言葉が適正かどうかは今回は問題にしないでください)。
 私は2012年8月に「甲子園 ~勝利至上主義~」で、かなり批判的に書いている。しかし、その後、スポーツや将棋において、そういった思想に関係する出来事に遭遇し思考を重ねた結果、ほんの少し容認寄りになっている。
 その理由は「野球が“チーム対チーム”の戦い」であること。松井を敬遠することで星稜の攻撃力を押さえた明徳義塾のチームとしての戦術を採った。「戦術面を含めた明徳義塾のチーム力」>「松井を擁した星稜高校のチーム力」の結果、明徳義塾が勝利したと言える。
 とは言え、両チームの選手の心に負ったモノを考えると、「そこまで勝利にこだわっていいものなのか?」という批判は心に持っている。
 話が脱線するが、一昔前の選手宣誓は「スポーツマンシップに則り、正々堂々と戦うことを誓います」が決まり文句だった。まあ、これは儀式的なもので、「スポーツマンシップ」や「正々堂々」を誓うというより、「よ~し、これから戦うぞ!」という気分盛り上げみたいな意義が強いと思う。この松井敬遠の時の選手宣誓がどのようなものだったかは不明だが、明徳義塾の馬淵監督に「スポーツマンシップに則り、正々堂々と戦ったのか?」と問えば、「スポーツマンシップに則り、正々堂々と戦った」と答えるであろう。

 で、容認寄りになった理由がもう一つある。
 それは「アマチュアだからいいんじゃない?(許される)」ということ。(これについては後述

②相撲の張り手
 相撲は「相手を土俵の外に出す」か「足の裏以外を土俵につける」ことで勝利を得るスポーツ(格闘技)である。「土俵の外に出す」ために「寄る」「押す」「突く(突っ張る)」「吊る」、「土俵に体をつける」ために「投げる」「引く」「足を掛ける」のである。
 では、「張り手」はどうなのだろう?「張り手」は、「相手の出鼻をくじく」のが目的でボクシングのパンチのように「ダメージを与えて倒す」ものではない。張り手が偶発的にまともに入って、相手の意識がなくなり、土俵に崩れ落ちることはある。
 これに類する技として、「猫だまし(立ち合い直後、相手の目の前でパチンと拍手する)」、「のど輪」、「いなし」がある。これらは、相手の気を削いだり、体勢を崩すなどして、優位を築くというものである。
 しかし、最近の張り手は、相手にダメージを与える威力のあるモノ。手のひらで叩くという違いだけで、ボクシングのフックとほとんど変わりはない。そもそも、ボクシングのようにガードしたりスウェーしたりして相手のパンチをかわす格闘技ではない。立ち合い時など、頭からぶつかるので、ほぼ無防備。しかも、自らぶつかりに行くのでカウンターとなり威力は倍増。意識が飛んだり、平衡感覚がおかしくしても不思議ではない。「出鼻をくじく」というより、肉体的にもダメージを与えるのが目的と言ってよい。そのうえほぼ無防備なので、“手っ取り早く優位に立てる技”なのである。
 そんな張り手を、第一人者である横綱が多用する。特に、日馬富士は二次攻撃でも乱用する。しかも、最初の攻めが受け止められて、焦って、あるいは、怒って、張り手(パンチ)を何度も繰り出すのである。(もともと、星勘定が苦しくなると、安易に変化技を使う横綱の品位に欠ける力士である)
 力と力の激突が相撲の醍醐味であるが、第一人者自らがその醍醐味を損なう“手っ取り早い二次的技”を繰り出していいのだろうか?(白鳳には自重しようという意識は見られる)

③卓球の雄叫び
 女子のM選手の奇声、男子のJ選手の雄叫びはどうなのだろう。
 卓球のルールでは
「わざと大きな音を立てる事」
「相手選手を威嚇、挑発するような大声やガッツポーズ」
「不快感を与えるほどの大声で叫ぶこと」
などは禁止
されている。
 しかし、「自分を鼓舞する為に声を発する」「会心のプレーで思わず声やガッツポーズが出る」という解釈も成り立ち、違反行為の線引きが難しい(大声を出すことは、能力を十分に発揮するために有効な手段であると考えられている)。
 M選手の場合、1プレーごとに5回くらい繰り返しており、限度を超えているし、「意識的行為」と取られても仕方がない。J選手もかなりのオーバーアクションで、声も大きく、やはり、≪意図的ではないか≫と勘ぐりたくなるほどであった。私は不快以上のモノを感じたが、文句を言わない対戦相手は偉いと思った。
 卓球には、先に挙げた禁止行為の規定があるのだから、審判がイエローカード(レッドカード)を出すべきであろう。

 そもそも、禁止規定がなくても、相手プレーヤーを思いやって奇声や雄叫びは慎むべきであろう。
 少年相撲大会(中学生大会か小学生大会かは失念した)で、勝った選手が喜びのあまりガッツポーズを取ってしまい、「敗者を思いやる精神がない」と審判から注意を受けていたことがあった。なかなか、よい指導であったが、マイクを使ってのアナウンスはちょっと思いやりがないのではないだろうか。

 さて、ここで、問題に感じるのは、威嚇や大声に関する規定がない競技の場合である。
 その競技に大声・奇声の規定がなければ、奇声や大声を頻繁に発して、自分のパフォーマンスを高めるのは、正当で有効な手段となる。
 雄叫びを咎める規定がない場合、自分も負けずに雄叫びを上げるのが手っ取り早い対抗法だが、そうなると、試合そのものは品がないものとなるだろう。

 で、なぜ、わざわざ、そういった規定がない場合の合法的パフォーマンス発揮法を仮定したかというと、「糸谷竜王の離席問題」が頭に浮かんだからである。
 先の引用文(自分の文章だが)でも書いたように、盤から離れること自体は問題はない。しかし、糸谷竜王はその回数が多く、延べ時間が長いのである。その端的な例が昼食休憩の5分前に退席し帝国に戻ってこず昼食休憩になってしまったこと。定刻少し過ぎてから戻ってきたが、森内竜王(当時)がすれ違うように退席していた。その際、糸谷挑戦者が声を掛けるのは可能であったが、無言のままだった(声を掛けそびれた可能性もある)。
 また、離席とは違うが、自分の着手の時に歪めてしまった駒を放置し続けたこともあった。

 ≪対局相手に失礼ではないか?≫と思われるくらいの離席回数だが、ルール上は問題はない。糸谷竜王にしてみれば、将棋は盤上で争うもので、相手の前で座っているより、席を離れて考えた方が疲れもしないし足がしびれることもない。より深く考えることができるという考え方なのであろう。
 しかし、“非礼”だと感じる相手にしてみれば、相当なストレスで、しかも竜王位のタイトル戦は持ち時間8時間の2日に渡る長丁場なのである。“盤上の勝負”と割り切っている糸谷挑戦者だったが、図らずも強烈な盤外戦術となってしまったのだ。

 この離席問題と雄叫び問題はよく似ている。自分のパフォーマンスをより発揮するための行為が、相手を苛立たせる。しかも、ルール違反ではなく(卓球の場合は微妙)、マナーの問題。
 両対局者(選手)がベストの状態で最高の将棋(試合)を繰り広げるのが理想であるが、勝利優先で考えれば自分のパフォーマンス発揮が優先で、対戦相手のことなどお構いなし。
意図的ではないが、相手の調子が崩れれば儲けものなのだろう。


 勝利によって得られるものは大きい。特にオリンピックのメダルともなれば、それによって得られるものは計り知れない。(実際は人気競技かどうかで、メダルの効果は大きく違うらしい)
 実際、電王戦の第5局の阿久津八段の勝利について、NHKの午後のニュースでは速報的にプロ棋士がコンピュータソフトを破ったことを伝え、夜7時のニュースでは映像つきで報じていた。共に、勝った手法には触れず、手数と対局時間と阿久津八段の勝利、棋士が勝ち越したという事実のみを報じていた。
 こういうのを見ると、やはり「勝ったという事実」は非常に大きなものだと感じる。

 しかし、私は両対局者(両選手)が最高のパフォーマンスを発揮し、最高の試合を観たい。私は我儘なのである。
【続く】
コメント (20)
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