26日水曜日夕方になって、父の付き添いが続きあまりに疲れが出てしまった僕は、しばらく外に出ていた妹と交代で病院からすぐ近くにあるビジネスホテルをとって、少しだけ休憩をとらせてもらうことになりました。
早めの夕食をとり、部屋に入ったもののなんとなく落ち着かず、ロビーで過ごしたりしていました。
夜9時ごろ、父に付き添ってくれている妹に確認のメールをしたところ、「大丈夫だよ!!」と返信があり、少し安心して夜10時くらいから仮眠をとることに。
翌日の早朝に病院へ戻り、父の付き添いを妹と交代することになっていました。
ずいぶん眠ったように感じましたが、妹からの電話でめざめたのが夜10時50分。
わずか50分の睡眠、でもそんなに短く感じませんでした。
電話に出ると、妹が「お父さんの呼吸がとまった!」ということで、すぐに身支度してホテルをチェックアウト、病院に車を走らせました。
病院に着くと、父はすでに呼吸も脈もほとんどなく、午後11時14分、静かに旅立ちました。
亡くなる少し前に、口を動かしてなにか言っているようだったそうです。
ほんの少し前まで、一所懸命に呼吸していた父の身体の動きはすべて、とまっています。
21年前の母のときと同様、あっというまの旅立ちでした。
その直後から、まさに戦いがはじまります。
呼吸も心拍も止まってしまった父と向き合っている暇もありません。
何かを考えてる余裕もありません。
すぐに葬儀屋に連絡して自宅に父を運んでください、と病院に言われ。
120%、回復だけを信じて父のサポートをしてきた僕らは、当然ながら葬儀屋の連絡先など確認もしていません。
たしか実家に父が契約していたところの連絡先があるはず・・と、車で30分以上かかる実家まで車を走らせました。
実家につくと、意外にすぐ連絡先をみつけ、連絡・・・
すぐに、父を迎えに病院に行ってくれるということになりました。
実家を、父が安置できるよう手早く片付け、ふたたび病院へ。
父は、2ヶ月入院した病院をあとに、40年住んだ自宅へと戻っていきました。
不思議なことに、父の旅立ちが12月26日。
僕の誕生日が10月26日。息子の誕生日が7月26日。
こんなこともあるんだ・・と想いながら、僕も、父が向かう実家に向かいました。
早めの夕食をとり、部屋に入ったもののなんとなく落ち着かず、ロビーで過ごしたりしていました。
夜9時ごろ、父に付き添ってくれている妹に確認のメールをしたところ、「大丈夫だよ!!」と返信があり、少し安心して夜10時くらいから仮眠をとることに。
翌日の早朝に病院へ戻り、父の付き添いを妹と交代することになっていました。
ずいぶん眠ったように感じましたが、妹からの電話でめざめたのが夜10時50分。
わずか50分の睡眠、でもそんなに短く感じませんでした。
電話に出ると、妹が「お父さんの呼吸がとまった!」ということで、すぐに身支度してホテルをチェックアウト、病院に車を走らせました。
病院に着くと、父はすでに呼吸も脈もほとんどなく、午後11時14分、静かに旅立ちました。
亡くなる少し前に、口を動かしてなにか言っているようだったそうです。
ほんの少し前まで、一所懸命に呼吸していた父の身体の動きはすべて、とまっています。
21年前の母のときと同様、あっというまの旅立ちでした。
その直後から、まさに戦いがはじまります。
呼吸も心拍も止まってしまった父と向き合っている暇もありません。
何かを考えてる余裕もありません。
すぐに葬儀屋に連絡して自宅に父を運んでください、と病院に言われ。
120%、回復だけを信じて父のサポートをしてきた僕らは、当然ながら葬儀屋の連絡先など確認もしていません。
たしか実家に父が契約していたところの連絡先があるはず・・と、車で30分以上かかる実家まで車を走らせました。
実家につくと、意外にすぐ連絡先をみつけ、連絡・・・
すぐに、父を迎えに病院に行ってくれるということになりました。
実家を、父が安置できるよう手早く片付け、ふたたび病院へ。
父は、2ヶ月入院した病院をあとに、40年住んだ自宅へと戻っていきました。
不思議なことに、父の旅立ちが12月26日。
僕の誕生日が10月26日。息子の誕生日が7月26日。
こんなこともあるんだ・・と想いながら、僕も、父が向かう実家に向かいました。