崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

コーランを講義

2008年04月19日 06時47分56秒 | エッセイ
 この大学にきて私に負荷された科目の一つが西アジア文化である。イスラム教を中心に講義してきたが今学期にはコーランを講義している。全国の大学でコーランを講義するところは無いだろう。学生たちも熱心に聴講している。先週は「慈悲深きアラー」を80分解釈しながら講義して、昨日は万有の主について「主」とは何かについて講義した。主は従の上のもの、「従う」ことの意味はただ非民主主義的な発想ではない。個人主義を自分が最高の個体と思うのは高慢である。制度によって従うことの意味とは別に、人間は絶対唯一神を崇めることによって自分が本当の僕になる。主に対する僕とは愛情と崇拝に基づいて従う僕になることである。キリスト教会の牧師たちの中にはよく神の僕だと言いながら人の上に君臨する人がいる。礼儀作法で僕を装い、心では主や神になっている人は政治家に多いが、聖職者にも多い。

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