崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「民団新聞」新年号に寄稿

2011年12月31日 06時51分19秒 | エッセイ
 2010年の新年号にウサギ年について寄稿したが、2011年新年号(2012,1,1)には「辰年」について寄稿した。長文を読んでくれる人がいるかな…。エッセイとはいえとも私の研究をまとめたような文である。辰年は「龍の歳」という民俗、民間信仰が現在民衆に生き残っていることを強調した。一読を願う。

「登龍」
韓国に‘小川から龍が登る(개천에서 용나다)'ということわざがある。つまり悪い状況から大きく成功した人を比喩して言う言葉である。泥臭い庶民的なところから偉い人物が出たという意味である。それは急流をさかのぼることのできる鯉が竜になるという立身出世の「登龍門」を通るということである。龍は元々中国の想像動物として蛇やトカゲに似ていて角と4つの足に爪をもっていて口から火を噴きだしながら空を飛ぶように描かれている。龍の信仰は韓国の民間に強く土着している。新年の干支は壬辰であり、辰年生まれの人はもちろん、将来のために努力と訓練した人がかならず龍のように跳躍する年になることを期待したい。
近代以前の伝統的な身分社会では身分や職業などの世襲が一般的であり、親族や背景になる人脈などを持つ人だけが立身出世できる仕組みになっていた。賎民でなければという制限がないわけではないが、庶民でも「科挙」(試験)に合格して高級官吏になれる「登龍門」があった。現在、その伝統は名門大学を通して高級官僚になれるという学歴中心主義として引き継がれている。
龍が昇る「登龍」の場所は特定なる名所「明堂」だという。全国的に「龍池」という地名が多い。鯉や蛇などが暗陰な水の中で潜伏してから時期を見て龍になって昇天する。そして龍神として河、湖、海などに住みながら時々宇宙を飛び回り、人間の五穀豊穣、吉福を管理し、「四海龍王」の神となっている。西洋のドラゴンが悪神的な存在であることとは異なる。韓国では各処には龍を祀る龍神堂などがある。現代には「登龍」はどこにでもあり、誰にでも可能な時代である。

『鄭鑑録』
英雄は「明堂」の地から出るという易學や信仰があり、それが風水信仰の要といえる。風水とは伝統的な地理学か環境学ともいえるが、龍と結びついている国家や人間の運が決まるという信仰である。新羅時代に風水が中国から伝来し、高麗王朝時代には仏教と密着して、道詵や無學大師のような高僧によって風水地理学として定立し、国家政策にかかわる信仰となった。無學大師などによって、風水をもとにして李王朝の遷都が決まり、今のソウル(漢陽)に景福宮が建てられた。
風水地理によって英雄が現れるという信仰は危険なものでもあった。つまり風水に基づいてそれぞれの地域から群雄が続出し、父系制の王統を混乱させるということで李王朝は儒教を受け入れ、風水を危険な迷信として禁じた。しかし民衆のなかには風水信仰が生き続け、王朝の滅びを予言する禁書の『鄭鑑録』が密かにブームを呼んだ。つまり李氏王朝が500年を支配して滅びて鄭王朝が新しく執権し、鷄龍山に都を決めるという、いわば民衆の「易姓革命」(李氏父系制を変える)への念願があったのである。王権を永遠に持ちたい王家の希望と民衆の変革の夢が対置していた。変革はなかなか達成できず結局日本によって滅ぼされることによって成し遂げられたといえる。
日帝は李王朝の象徴的な王宮である景福宮の前に植民地の威勢を見せる朝鮮総督府の庁舎を建てた。それは朝鮮王朝の象徴的な王宮を制圧する植民地建築であった。民衆の抵抗感があったのは当然である。それを風水的に説明する人もいた。一部の学者は日本植民地政府が風水信仰を知って朝鮮の龍脈を切るためにそこに庁舎を建てたと疑似科学的に説明をした。
「首都の主山である北岳の精気を奪っている」「明堂に供給される精気を遮断しており、日帝による風水侵略の象徴である」と反日ナショナリズムと風水を結びつけ、かつての日本の朝鮮半島における政策を「風水侵略」だとして非難した。そして日帝残滓を清算するという社会的な風潮を煽り、金泳三大統領は1995年に光復50周年記念として朝鮮総督府の庁舎を解体破壊したのは記憶にも新しい。

「明堂」
英雄は「明堂」から出るという信仰は強い。地中には気が流れる。その地の気に活気を与えるのが地龍である。白頭山を頂点として精氣が韓半島の山脈に流れている、その流れに気が集まるところの穴處が「明堂」になる。そこに都邑,住宅、墓を造ることによって人が繁栄するという信仰である。特に良い墓地によって繁栄するという陰宅信仰が盛んである。日帝は早期に墓地規制を作り、共同墓地などを実行させようとしたが大失策で、すぐ撤回したことある。それは韓国人の墓地に対する信仰を知らなかったからであろう。朝鮮総督府は村山知順によって『朝鮮の風水』(1931)を出したのはその背景があったからであろう。
先祖の墓はただの遺骨のためのものではなく、その遺骨は龍脈に乗っ取って子孫にダイナミックに影響しうるという。悪い影響は早いが、良い影響は永く徐々に大きく出る。その影響とは主に子孫の繁栄、官運、財運の三つである。墓をめぐる風水信仰は親孝行とは直接関係なく、物理的に行われるという風水地理、そのものである。その意味では孝行ではない、反倫理的と非難されたこともあった。
『朝鮮の風水』では「天地の生気」として「墓地風水(陰宅)」,「住居風水(陽基)」があるといいながら主に墓地風水に焦点を置いている。この本は眠っていたが1990年に私が韓国語訳をし、民音社から出版された。反日的な民族主義者の批判を受けながらもベストセラーになり私はかなり驚いた。それは風水信仰が韓国にいかに強く生き残っているかを再認識する機会になった。それは良い地に関する執着と信仰の表れである。

「龍脈」
龍は想像の動物でありながら天地万物を支配する神、王権を象徴し、地脈に乗り龍脈として人間の吉福を統御してくれる。一見、このような神話や風水信仰は迷信とされがちではあるが、注視すべき点がある。実は地には精気の風水が流れるという生命体として動的に認識されている。地理的には「地脈」「山脈」でありながらそこに墓を造り、地脈が龍脈となり、より近い生活圏として認識されているのである。龍になるために泥池に潜伏する期間を要して跳躍するメカニズムは世を生きる知恵を暗示してくれる。見えないところで準備してから跳躍する。
私ごとではあるが、故郷には父母の墓がある。その墓は故郷と私の唯一の繋がりで心の寄りところである。それなのに最近山を開発してゴルフ場にしようとして墓の移転を勧められているが私は固く断っている。風水は私にとって研究だけではなく、信仰の一つになっているような気がする。