![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/cd/3bb5e62f28a41529502464600f42a597.jpg)
朝、ラーメン二郎の三田本店を通りかかったらジロリアンが並んでいた。まだ9時にもならないというのに
旺盛な食欲の人たち。でもぼくはラーメンを食べにきたわけじゃないので素通り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a0/d6575b16ccdfc71ba637d229cdec48df.jpg)
寺へ・・・ (というか墓へ・・・)
二郎のあたり、やたら寺が多い。二郎には入ったことがあるけど、寺は素通りしてばかり。そこでたまには
寺寺を巡ろうと発心したでござる。二郎の向かいといっても、あながち間違いでない場所にある大松寺へ。
お掃除してる人に会釈して墓地に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/f7/36f359fea24d8fa74a4b3939248d525b.jpg)
曽根吉正墓……これかな
サド奉行として寛文11年(1671)から延宝8年(1680)まで在任中、洪水によって停止していた佐渡金山
の復興や、生産増加など幕政に尽くしたとか、尽くさなかったとか。このあたり、寺も多いけど江戸の立派な
人の墓も多い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/8a/666fa2deba93472a0d914558102fd46d.jpg)
マンションと一体
となりの長延寺はマンションの1階というのか、半地下というのか、ビルと一体になっている。都会だけに
不動産経営もなさっているのか、いないのか。それはわからない。次の寺へ……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/65/76096dcad7fc39c46d88b4e8a16da6c9.jpg)
象の像かわいい
石像につられて足を踏み入れた慈眼寺。お庭にいろいろ石像があって楽しい。奥のほうにはミニ五重塔まで
ある。もっとも、じつのところミニというつもりでないかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b7/be2bed31a36f75b798fc31aa7665bd89.jpg)
立派な五重塔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/71/f889c2c61bed40a8d5713e04d6fb6aa6.jpg)
天上天下唯我独尊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/da/2157eb5d2ff6109d9e2203af1980c936.jpg)
これも象の石像
慈眼寺の手前、願海寺との間の坂を上り、つきあたりを右へずーっと歩いていくと左手に常林寺があるはず。
……あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/6f/d07c1824b8cc3f6647a9568458a9cfef.jpg)
丘の上の常林寺
そしてまた墓地に入り、「円理」の研究や「三斜三円術」など、直線と円の接触関係図形の研究をしたとか、
しなかったとかいう安島直円の墓を探す。直円って名前、研究内容そのもの。
「どちらへお参りですか?」
「あの、その、安島直円さん……」
お寺の方に声かけられて、しどろもどろに来意を説明したらお墓の場所を教えてくれた。教えてもらわないと
わからなかったかも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/48/a631103d2fd22b84d3c5f386e588e8a2.jpg)
安島直円墓
墓石の横に、花のようにも見えるし、直線と円の図形にも見える、浮彫がしてあった。常林寺から下りてきて
左にずーっと歩いていくと、つきあたりが玉鳳寺。そこには……!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/0c/920b6505351f975ff7819ab97b60c176.jpg)
御化粧延命地蔵尊
「更なる美人へ導いてください」「肌をきれいに!」といった美容系の願いや、「母の足がよくなりますように」
といった健康関連の願いなど、たくさん書き込まれたノートが横にあったので熟読。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/a7/750392aef590bc1602e1fde09a719021.jpg)
私の心の傷も体の傷も
なおしてくださいお願い
します
ノートを読み終わったところで、玉鳳寺を出て左の細くて長い坂を下る。この坂もまた実に……いやなんでも
ない。(全力坂の見すぎ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/f7/1428190de5097b16c46c1e0a5ccbb2b8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/05/1d2f8f7a08951f1229f56918540a22da.jpg)
幽霊坂っていう名前だったのか
お寺ばっかりだから幽霊が出そうってことで、幽霊坂になったみたい。有礼坂の説もあるなんて木の立て札に
書いてあるけど、こじつけすぎるwww! 幽霊坂が都内に七つあるそうで、江戸の町は淋しかったっぽい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/c5/94ab9358d7a8c31d8924d5ed490cec34.jpg)
こんどは上り坂
幽霊坂を下って左に歩いていくと、長松寺へ上る坂がある。曽根吉正も、安島直円も、正直よく知らないけど
長松寺に眠る荻生徂徠はそれなりに有名だから、なんとなく聞いたことあるかも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/34/3d5c75ec98c9c1c97fa8eedd1bef7445.jpg)
……この古そうなやつかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/b3/e3036c977e98c434893a6a5031c05c0b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/15/5fc7076abb65fa7c26012aed46a6d2fe.jpg)
なにやら墓碑を整理したようなこと書いてある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/76/19fb372a0e25c5df5c333076700a26b7.jpg)
このあたりに十数基あったのを
三基にまとめたとか、そういうことらしい。荻生徂徠くらい有名な人になると、一族の墓がずらっと並んでいた
ということか。ふーん……と感心していると、また別の表示に何か?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/91/83b76bcb682dbdd6a698b85b261a347a.jpg)
さっきのはご令室のお墓みたい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b4/f6abef76484895e17565a59454e849d9.jpg)
荻生徂徠墓こっち
柳沢吉保に用いられ、将軍綱吉にもしばしば儒学を講義……臨終に際し枕頭の人に、「聖人が死ぬときは
5色の雲が出るから早く表へ出てみろ」といったとか、いわなかったとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/e0/a7f09647daeb5214cfddfbdfd318490f.jpg)
三味線を初めて作った人?
長松寺から下りて左、魚籃坂を少し上ると大信寺。ここに三味線の始祖とされる石橋近江が眠るときいて、
やってきました。三絃、琵琶、三線、蛇皮線……いろいろあって三味線になった、その始祖?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/49/1275a54420a8ac955fcba3355b547193.jpg)
立派な顕彰碑が!
なんか今日いちばん立派かも……これは墓石ではなく新しい顕彰碑だから、墓地に入って墓碑を探さねば。
( 探さなくてもいいんだけど )
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/13/1aa6fc8f9cd740c6e76831a5d1e8e3cc.jpg)
本堂の裏かな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/10/4d63cb78a2cb7492fc2a416c3d963d97.jpg)
愛猫塚しかない
これって皮を剥がれて三味線になった猫たちの塚? 石橋近江の墓を探し、見つからないのであきらめて
戻ると、さっきの顕彰碑のわきに墓石が移してあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/68/8f4b61a53e23b9eb1b40f27259b1103e.jpg)
これだったのか
そういえば……立派な顕彰碑の写真の右側に小さく写り込んでいる。そろそろお墓にも飽きてきたけれど、
最後にもうひとつ大久保彦左衛門の墓だけ見たい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/17/1f8dc2db87cc4e36f0afd6b018c28cd8.jpg)
大信寺の向かいはピーコック
魚籃坂を下り、白金高輪駅のほうへ歩いて、陸橋を渡り、松秀寺に寄る。そこで一遍上人の銅像を眺める。
時宗の開祖。鎌倉時代の人だけど知り合いに似てる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/42/d2fda2944aca3eb49121f338a6416676.jpg)
リアルだからか
松秀寺のすぐ先に、大久保彦左衛門の眠る立行寺……不遇をかこつ老人のイメージがある彦左衛門だけど、
お寺はずいぶん派手!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/d0/7f728c2ad5296502cd47d2bbae79a621.jpg)
うるさ型のご意見番にしては
どちらかというと栄達してる感じ。荻生徂徠どころじゃなく、三味線の始祖より大々的に顕彰されてるかも。
昭和二年に建てられた石碑、でかい!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/0f/e03750262a73e0782718400b74c1c999.jpg)
手前に一心太助
昭和の初めに講談で人気が爆発したのかな? 一心太助と大久保彦左衛門……講談あまり聞いたことない
から、よく知らないけど。そして大久保彦左衛門の墓、探すの大変かと思ったらとんでもない!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/20/af95ef02ade81c0657cf26d8a8d8945f.jpg)
一目瞭然の立派さ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/e4/9ff38691b10d53204d87d863d12218e3.jpg)
この奥に違いない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/04/9e83b9051ba91d3737a6afb5bd75130e.jpg)
もしかして土葬?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/71/4f0907d11958a58bf055547f2b253ffc.jpg)
一族と一緒に眠っている……
旺盛な食欲の人たち。でもぼくはラーメンを食べにきたわけじゃないので素通り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a0/d6575b16ccdfc71ba637d229cdec48df.jpg)
寺へ・・・ (というか墓へ・・・)
二郎のあたり、やたら寺が多い。二郎には入ったことがあるけど、寺は素通りしてばかり。そこでたまには
寺寺を巡ろうと発心したでござる。二郎の向かいといっても、あながち間違いでない場所にある大松寺へ。
お掃除してる人に会釈して墓地に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/f7/36f359fea24d8fa74a4b3939248d525b.jpg)
曽根吉正墓……これかな
サド奉行として寛文11年(1671)から延宝8年(1680)まで在任中、洪水によって停止していた佐渡金山
の復興や、生産増加など幕政に尽くしたとか、尽くさなかったとか。このあたり、寺も多いけど江戸の立派な
人の墓も多い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/8a/666fa2deba93472a0d914558102fd46d.jpg)
マンションと一体
となりの長延寺はマンションの1階というのか、半地下というのか、ビルと一体になっている。都会だけに
不動産経営もなさっているのか、いないのか。それはわからない。次の寺へ……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/65/76096dcad7fc39c46d88b4e8a16da6c9.jpg)
象の像かわいい
石像につられて足を踏み入れた慈眼寺。お庭にいろいろ石像があって楽しい。奥のほうにはミニ五重塔まで
ある。もっとも、じつのところミニというつもりでないかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b7/be2bed31a36f75b798fc31aa7665bd89.jpg)
立派な五重塔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/71/f889c2c61bed40a8d5713e04d6fb6aa6.jpg)
天上天下唯我独尊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/da/2157eb5d2ff6109d9e2203af1980c936.jpg)
これも象の石像
慈眼寺の手前、願海寺との間の坂を上り、つきあたりを右へずーっと歩いていくと左手に常林寺があるはず。
……あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/6f/d07c1824b8cc3f6647a9568458a9cfef.jpg)
丘の上の常林寺
そしてまた墓地に入り、「円理」の研究や「三斜三円術」など、直線と円の接触関係図形の研究をしたとか、
しなかったとかいう安島直円の墓を探す。直円って名前、研究内容そのもの。
「どちらへお参りですか?」
「あの、その、安島直円さん……」
お寺の方に声かけられて、しどろもどろに来意を説明したらお墓の場所を教えてくれた。教えてもらわないと
わからなかったかも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/48/a631103d2fd22b84d3c5f386e588e8a2.jpg)
安島直円墓
墓石の横に、花のようにも見えるし、直線と円の図形にも見える、浮彫がしてあった。常林寺から下りてきて
左にずーっと歩いていくと、つきあたりが玉鳳寺。そこには……!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/0c/920b6505351f975ff7819ab97b60c176.jpg)
御化粧延命地蔵尊
「更なる美人へ導いてください」「肌をきれいに!」といった美容系の願いや、「母の足がよくなりますように」
といった健康関連の願いなど、たくさん書き込まれたノートが横にあったので熟読。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/a7/750392aef590bc1602e1fde09a719021.jpg)
私の心の傷も体の傷も
なおしてくださいお願い
します
ノートを読み終わったところで、玉鳳寺を出て左の細くて長い坂を下る。この坂もまた実に……いやなんでも
ない。(全力坂の見すぎ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/f7/1428190de5097b16c46c1e0a5ccbb2b8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/05/1d2f8f7a08951f1229f56918540a22da.jpg)
幽霊坂っていう名前だったのか
お寺ばっかりだから幽霊が出そうってことで、幽霊坂になったみたい。有礼坂の説もあるなんて木の立て札に
書いてあるけど、こじつけすぎるwww! 幽霊坂が都内に七つあるそうで、江戸の町は淋しかったっぽい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/c5/94ab9358d7a8c31d8924d5ed490cec34.jpg)
こんどは上り坂
幽霊坂を下って左に歩いていくと、長松寺へ上る坂がある。曽根吉正も、安島直円も、正直よく知らないけど
長松寺に眠る荻生徂徠はそれなりに有名だから、なんとなく聞いたことあるかも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/34/3d5c75ec98c9c1c97fa8eedd1bef7445.jpg)
……この古そうなやつかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/b3/e3036c977e98c434893a6a5031c05c0b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/15/5fc7076abb65fa7c26012aed46a6d2fe.jpg)
なにやら墓碑を整理したようなこと書いてある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/76/19fb372a0e25c5df5c333076700a26b7.jpg)
このあたりに十数基あったのを
三基にまとめたとか、そういうことらしい。荻生徂徠くらい有名な人になると、一族の墓がずらっと並んでいた
ということか。ふーん……と感心していると、また別の表示に何か?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/91/83b76bcb682dbdd6a698b85b261a347a.jpg)
さっきのはご令室のお墓みたい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b4/f6abef76484895e17565a59454e849d9.jpg)
荻生徂徠墓こっち
柳沢吉保に用いられ、将軍綱吉にもしばしば儒学を講義……臨終に際し枕頭の人に、「聖人が死ぬときは
5色の雲が出るから早く表へ出てみろ」といったとか、いわなかったとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/e0/a7f09647daeb5214cfddfbdfd318490f.jpg)
三味線を初めて作った人?
長松寺から下りて左、魚籃坂を少し上ると大信寺。ここに三味線の始祖とされる石橋近江が眠るときいて、
やってきました。三絃、琵琶、三線、蛇皮線……いろいろあって三味線になった、その始祖?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/49/1275a54420a8ac955fcba3355b547193.jpg)
立派な顕彰碑が!
なんか今日いちばん立派かも……これは墓石ではなく新しい顕彰碑だから、墓地に入って墓碑を探さねば。
( 探さなくてもいいんだけど )
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/13/1aa6fc8f9cd740c6e76831a5d1e8e3cc.jpg)
本堂の裏かな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/10/4d63cb78a2cb7492fc2a416c3d963d97.jpg)
愛猫塚しかない
これって皮を剥がれて三味線になった猫たちの塚? 石橋近江の墓を探し、見つからないのであきらめて
戻ると、さっきの顕彰碑のわきに墓石が移してあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/68/8f4b61a53e23b9eb1b40f27259b1103e.jpg)
これだったのか
そういえば……立派な顕彰碑の写真の右側に小さく写り込んでいる。そろそろお墓にも飽きてきたけれど、
最後にもうひとつ大久保彦左衛門の墓だけ見たい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/17/1f8dc2db87cc4e36f0afd6b018c28cd8.jpg)
大信寺の向かいはピーコック
魚籃坂を下り、白金高輪駅のほうへ歩いて、陸橋を渡り、松秀寺に寄る。そこで一遍上人の銅像を眺める。
時宗の開祖。鎌倉時代の人だけど知り合いに似てる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/42/d2fda2944aca3eb49121f338a6416676.jpg)
リアルだからか
松秀寺のすぐ先に、大久保彦左衛門の眠る立行寺……不遇をかこつ老人のイメージがある彦左衛門だけど、
お寺はずいぶん派手!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/d0/7f728c2ad5296502cd47d2bbae79a621.jpg)
うるさ型のご意見番にしては
どちらかというと栄達してる感じ。荻生徂徠どころじゃなく、三味線の始祖より大々的に顕彰されてるかも。
昭和二年に建てられた石碑、でかい!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/0f/e03750262a73e0782718400b74c1c999.jpg)
手前に一心太助
昭和の初めに講談で人気が爆発したのかな? 一心太助と大久保彦左衛門……講談あまり聞いたことない
から、よく知らないけど。そして大久保彦左衛門の墓、探すの大変かと思ったらとんでもない!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/20/af95ef02ade81c0657cf26d8a8d8945f.jpg)
一目瞭然の立派さ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/e4/9ff38691b10d53204d87d863d12218e3.jpg)
この奥に違いない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/04/9e83b9051ba91d3737a6afb5bd75130e.jpg)
もしかして土葬?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/71/4f0907d11958a58bf055547f2b253ffc.jpg)
一族と一緒に眠っている……
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