東日本大地震から2カ月以上が経過した。現在感じていることを記すことにする。まとまりを欠くこと、原発に偏ってしまうことはご容赦願いたい。
若者に囲まれて新宿や渋谷を歩いていると、寂寥感が込み上げてくる。白河の関が国境線かと思える被災地の光景が脳裏をよぎるが、生きるために仕事をする身に出来ることは、贖罪としての寄付ぐらいだ。
<俺みたいな〝東京砂漠のゴキブリ〟はどんな死に方をしても構わないが、未来を担う子供たちは放射能から守らなければならない>……。当ブログでこんな風に記してきたが、この表現の底に猛毒が潜んでいることを辺見庸が教えてくれた。「瓦礫の中から言葉を」(NHK教育)で、辺見は以下のように語っている。
<ホスピスにいる私の母は「死にたい」と言う。でも、それは違う。老人、病人、失業者、障害者ら非生産的と目されている者こそ、生きなければならない>(論旨)……。
人間を生産性や価値(民族)によってカテゴライズした典型例はナチスドイツだが、日本のアジア侵略も〝優れた我々が劣った輩を導く〟という差別意識に支えられていた。この〝欺瞞の相対性〟が世紀を超えて生き延びていたことに愕然とする。<日米両政府がモンゴルを候補地に廃棄物処理施設建設を協議>のニュースに、石井細菌部隊が重なった。
莫大な時間と金を消費する核燃料リサイクルが頓挫した今、日本だけでも毎年数万㌧の廃棄物が蓄積される。都会は駄目だけど、田舎なら……。日本(アメリカ)は駄目だけど、外国なら……。広島と長崎の被爆者をモルモットにした日米<棄民>政府は、人道上許されない計画を実行に移そうとしている。俺が恐れているのは、福島の事故を経てもなお、日本人があっさり受け入れてしまうことだ。
〝欺瞞の相対性〟は今も付け入る隙を狙っている。放射能汚染が確実に国境を超える以上、「がんばれ、日本」に埋没するのではなく、各自がグローバルな視点で人間の尊厳について考える時機に来ている。
上杉隆、平野啓一郎らが絶賛するツイッターでは、原発に関する様々な真実、集会やデモの予定など桁違いの情報が迅速にアップされているらしい。「計画停電は原発維持のための政府の目くらまし」と話した時、失笑する者もいたが、俺の直感はその時既にツイッターでは常識で、1カ月後には仕事先の夕刊紙にも掲載されていた。
〝意識が高い者のツール〟としてツイッターは十分機能しているが、毒まんじゅう(原発マネー)を食った朝日や毎日は、「浜岡原発を止めることで深刻な電力不足が起きる」と垂れ流し、世論を誘導している。このギャップを埋める術はあるだろうか。
原発事故の賠償問題が議論されているが、菅内閣はJALと異なり、東電と株主に優しい対応を考えているようだ。政府が主犯で、東電が共犯である以上、ズブズブになる可能性は大きいが、4兆円という数字の根拠さえ明確ではない。〝刑事上の罪〟だけでなく、〝民事上の過ち〟も深刻だ。仕分け作業が再開されるなら、暴力団の資金源にもなっている原発関連団体のダーティーな金の流れを詳らかにする必要がある。
原発が日本において巨大な暴力装置であり、憲法に保障された言論の自由の侵害することで成立したことも検証されるべきだ。小出裕章氏らへの尾行や盗聴、反対派住民に対する脅し、メディアのおける言論封殺などを明らかにすることも、脱原発への道筋といえる。
手前みそになるが、俺は早い時期(3月16日)に<オルタナティヴにフレキシブルに~脱原発は地方分権から>をテーマに掲げていた。統一型、集中型の構造では原発依存から脱却できない。風土と気候に適した地産地消型エネルギーを志向する動きは、民主主義の醸成にもプラスになると思う。
若者に囲まれて新宿や渋谷を歩いていると、寂寥感が込み上げてくる。白河の関が国境線かと思える被災地の光景が脳裏をよぎるが、生きるために仕事をする身に出来ることは、贖罪としての寄付ぐらいだ。
<俺みたいな〝東京砂漠のゴキブリ〟はどんな死に方をしても構わないが、未来を担う子供たちは放射能から守らなければならない>……。当ブログでこんな風に記してきたが、この表現の底に猛毒が潜んでいることを辺見庸が教えてくれた。「瓦礫の中から言葉を」(NHK教育)で、辺見は以下のように語っている。
<ホスピスにいる私の母は「死にたい」と言う。でも、それは違う。老人、病人、失業者、障害者ら非生産的と目されている者こそ、生きなければならない>(論旨)……。
人間を生産性や価値(民族)によってカテゴライズした典型例はナチスドイツだが、日本のアジア侵略も〝優れた我々が劣った輩を導く〟という差別意識に支えられていた。この〝欺瞞の相対性〟が世紀を超えて生き延びていたことに愕然とする。<日米両政府がモンゴルを候補地に廃棄物処理施設建設を協議>のニュースに、石井細菌部隊が重なった。
莫大な時間と金を消費する核燃料リサイクルが頓挫した今、日本だけでも毎年数万㌧の廃棄物が蓄積される。都会は駄目だけど、田舎なら……。日本(アメリカ)は駄目だけど、外国なら……。広島と長崎の被爆者をモルモットにした日米<棄民>政府は、人道上許されない計画を実行に移そうとしている。俺が恐れているのは、福島の事故を経てもなお、日本人があっさり受け入れてしまうことだ。
〝欺瞞の相対性〟は今も付け入る隙を狙っている。放射能汚染が確実に国境を超える以上、「がんばれ、日本」に埋没するのではなく、各自がグローバルな視点で人間の尊厳について考える時機に来ている。
上杉隆、平野啓一郎らが絶賛するツイッターでは、原発に関する様々な真実、集会やデモの予定など桁違いの情報が迅速にアップされているらしい。「計画停電は原発維持のための政府の目くらまし」と話した時、失笑する者もいたが、俺の直感はその時既にツイッターでは常識で、1カ月後には仕事先の夕刊紙にも掲載されていた。
〝意識が高い者のツール〟としてツイッターは十分機能しているが、毒まんじゅう(原発マネー)を食った朝日や毎日は、「浜岡原発を止めることで深刻な電力不足が起きる」と垂れ流し、世論を誘導している。このギャップを埋める術はあるだろうか。
原発事故の賠償問題が議論されているが、菅内閣はJALと異なり、東電と株主に優しい対応を考えているようだ。政府が主犯で、東電が共犯である以上、ズブズブになる可能性は大きいが、4兆円という数字の根拠さえ明確ではない。〝刑事上の罪〟だけでなく、〝民事上の過ち〟も深刻だ。仕分け作業が再開されるなら、暴力団の資金源にもなっている原発関連団体のダーティーな金の流れを詳らかにする必要がある。
原発が日本において巨大な暴力装置であり、憲法に保障された言論の自由の侵害することで成立したことも検証されるべきだ。小出裕章氏らへの尾行や盗聴、反対派住民に対する脅し、メディアのおける言論封殺などを明らかにすることも、脱原発への道筋といえる。
手前みそになるが、俺は早い時期(3月16日)に<オルタナティヴにフレキシブルに~脱原発は地方分権から>をテーマに掲げていた。統一型、集中型の構造では原発依存から脱却できない。風土と気候に適した地産地消型エネルギーを志向する動きは、民主主義の醸成にもプラスになると思う。
総理が 浜岡を止めるという一報を聞いた時には すごい、と感銘を受けましたが、ぬかよろこびに終わり、落胆しました。
今や まわりもテレビのニュースも 原発の事 騒いでいるものも少なくて これからどうなるのか ますます怯えるばかりです
風力とかバイオマスとか、潮流を利用したエネルギーとか。あれこれ組み合わせて、近隣の自治体と補い合うというのがベストだと思います。
ハスノハナノユメさんへ。
東京新聞や「週刊現代」のように頑張っているメディアもあり、少しずつ意識は変わっていると思います。保守派やかつて原発を推進した人の中にも、原発はもう終わりと話している人は多いですし。