酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「愛に乱暴」~冷んやりする余韻

2024-09-17 22:21:02 | 映画、ドラマ

 少子高齢化が進み、この20年で円の価値が大きく低下したことを考えれば、成長なんて言葉にリアリティーはない。俺が考える日本の問題点は、格差と貧困、ジェンダー(≒人権)、エネルギー(脱原発)で、<みんな仲良く、のんびりやっていこうよ>と生き方の転換を掲げる政治家がいてもいいと思うが、自民党総裁選に立候補した9人の中にはもちろんいない。

 有力候補のひとりは小泉進次郎氏だが、兄である孝太郎がイメージチェンジした映画「愛に乱暴」(2024年、森ガキ侑大監督)を新宿ピカデリーで見た。原作は吉田修一で、当ブログでは小説を7作、映画を2本紹介してきた。今稿で計10回目になる。吉田の作品は多岐にわたり、青春小説からサスペンスまで、純文学とエンターテインメントの境界を疾走する。描写は丁寧かつオーソドックスで、行間には濃密な気配が漂っている。映画「愛に乱暴」ではスクリーンから異様な緊張感がこぼれ落ちていた。

 主人公は主婦の桃子(江口のりこ)で、以前勤めていた会社が経営するカルチャーセンターで石鹸教室の講師を務めている。桃子の仏頂面が作品の主音で、はなれでともに生活する夫の真守(まもる)を演じるのは、誰かと思えば前髪を垂らした小泉孝太郎だ。ドラマで熱血漢を演じる際とは大違いで、桃子の言葉にまともに答えることもない。セックスレスの仮面夫婦といった雰囲気だ。

 母屋で暮らしているのは姑の照子(風吹ジュン)だ。本作には冒頭から不穏な気配が漂っている。照子と桃子は親しく会話しているが、笑顔の影にある底意が表情に滲んでいる。近所のゴミ集積所で火事が頻発し、桃子が餌を与えている野良猫のぴーちゃんが、鳴き声は聞こえるのに姿を見せなくなった。ちなみに、家庭菜園を営む照子は、畑を荒らす猫を嫌っている。酷い生理痛に婦人科を受診した桃子の日課は妊活する女性のツイッター(X)だった。

 石鹸教室の存続が怪しくなってきて、桃子は元上司に直談判するがはぐらかされる。出張から帰ってきた真守のキャリーケースをチェックしてみたら、ワイシャツは奇麗に畳まれていた。実家にも居場所はなく、真守に決定的な事実を告げられる。<付き合っている女性が妊娠したから、別れてほしい>と……。真守の交際相手は教師の奈央(馬場ふみか)だった。

 桃子の仏頂面がストレス顔へ、そして狂気の色を湛えるようになる。工具店でチェーンソーを購入したあたりから、想定外のホラーに突入したかと思ったが、桃子は猫の鳴き声がする床下を掘り、泥まみれの顔でうずくまる。床下とは桃子の孤独のメタファーだったのか。ネタバレになるから書かないが、照子と真守の会話から、桃子と真守の結婚の経緯がわかり、桃子がチェックしているツイッターの書き手が判明する。女性にとって子供の意味がいかに大きいかが本作から読み取れた。

 照子が栽培したスイカを持って、桃子は奈央の元を訪れる。部屋を出た時に聞こえた音も何かを暗示していた。真守は「君が楽しそうにすればするほど、俺は楽しくない」と桃子に言う。愛を乱暴にぶち壊す残酷な台詞だが、桃子にとって救いの言葉は工具店店員の「いつもゴミ集積所を奇麗にしてくれてありがとう」だった。愛について大上段に語りがちだが、そんな些細な気遣いが紡いでいるのだろう。

 ラストで桃子は、母屋の縁側でソーダアイスを囓っている。照子は「母屋は売って出ていくから、はなれはしたいようにして」と話していた。桃子が見ていたのははなれの解体だから、違和感を覚えた。桃子は解き放たれた表情をしていた。解体の轟音とチェーンソーの騒音が脳内でシンクロし、冷んやりする余韻が込み上げてきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「死亡通知書」~世界を震撼させた華文ミステリー

2024-09-13 20:48:16 | 読書
 10日ほど前、BS世界のドキュメンタリー枠で「嘘もヘイトも金になる ネット自動広告取引の闇」(2024年、フランス・スペイン制作)が放送された。既に中身は抜け落ちているが、示唆に富む内容だった。フェイスブックやYouTubeを利用している方は多いと思うが、フェイスブックでは掲載された広告が偏り、YouTubeでは自分が頻繁にチェックしている動画に傾向が近いものが並んでいる。

 効率的な収益を図る広告アルゴリズムを利用しているのがトランプ支持派で、社会の<タコツボ化>により、人々の分断は進行する。米大統領選に向けてのテレビ討論会で、トランプは<移民は犬や猫を食べている>、<あなた(ハリス)はマルクス主義者>といった愚かしい発言を繰り返した。だが、トランプに一票を投じる人々は〝常識〟と捉えたに相違ない。アメリカだけでなく、フェイク、ヘイト、陰謀論が蔓延する社会に恐怖さえ覚える。

 さて、本題……。当ブログで中国の小説を紹介したのは「心経」(閻連科著、2021年12月27日の稿)のみだ。一党独裁、硬直した官僚機構、都市と地方の格差、はびこる拝金主義を穿ち、発禁処分を受ける。中国での文化活動は常に共産党との距離が問題になるのだ。2作目に選んだのは「犯罪通知書 暗黒者」(周浩暉著、稲村文吾訳/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)だ。

 ネット上での連載で人気を博し、ネットドラマ化された作品は驚異的な再生数を記録しているという。<刊行物を読む>というアナログ活字世代の俺とは依拠する基盤が異なるかもしれないが、夏バテした脳にも言葉はくっきり印字された。<犯罪は普遍的なテーマだから、推理小説は、それが中国のような権威主義的な政治体制下で書かれたものでも文化の違いを乗り越えられる>(要旨)と作者がインタビューで答えていた通り、本作は欧米でも絶賛された。

 中国で刑事は公安局所属という括りになっているようで、日本での公安とは異なる。2002年10月、ネットカフェの情報をチェックしていたA市公安局の鄭郝明刑事が殺される。現場に姿を現したのは龍州刑事隊長の羅飛で、管轄外でありながら鋭い分析力で周囲の称賛を得る。奇妙な動きに訝しさを感じたのは捜査本部を仕切る韓灝で、俺も怪しさを感じたが、羅飛こそ周浩暉作品のメインキャラクターで、高村薫作品における合田雄一郎のような存在だ。

 捜査本部の主要メンバーには、韓灝と助手的な存在である尹剣刑事、特殊警察部隊隊長の熊原とその部下の柳松、技術顧問でIT専門家の曾日華、警察学校で犯罪心理学を教える女性の慕剣雲と個性的な面々が揃っている。羅飛にとって本件は1884年に繋がっていた。警察学校でともに学んだ恋人の孟芸と親友の袁志邦の爆殺事件と深く関わっているからだ。エウメニデスによる殺人予告が警察の警戒を嘲笑うように実行されていく。

 ミステリーだからネタバレは抑えたい。描写は稠密で、様々な切り口から真相に近づいていく。エウメニデスには復讐の女神と慈愛の女神の二つの意味があり、物語の展開にも即している。羅飛と韓灝が抱える懊悩がストーリーの回転軸になっていた。キーパーソンである黄少平の五感が鄧小平に似ていると思ったが、大した意味はなさそうだ。

 本作は3部作の序章で、第2部「宿命」、第3部「離別曲」と続く。充実した本作に感嘆するだけでなく、続編の邦訳を待ち望んでいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ポライト・ソサエティ」~超絶エンタメで暑気払い

2024-09-09 22:30:05 | 映画、ドラマ
 NFLが開幕した。スーパーボウル進出が期待されるチーフスとレイヴンズの対決はQBマホームズの安定したプレーが光り、チーフスが3連覇に向けて好スタートを切った。俺の中で<NFLファンの大半は保守的な共和党支持者>の図式が出来上がっているが、今季は大統領選との絡みで語られることが多い。

 テイラー・スウィフトの恋人はチーフスTEケルシーで、初戦も観戦に訪れていた。テイラーは民主党支持者で、いずれハリス支持を表明するだろうが、トランプ陣営は脅しをかけてくるだろう。メディアを巻き込む空騒ぎにインテリ層は辟易しているはずで、前稿で紹介したポール・オースターに限らず、アメリカの作家でNFLファンを探すのは難しい。オースターの小説では頻繁に野球について語られる。

 老人施設に暮らす母と面会するため日帰りで京都に向かうなど、睡眠不足の日々が続いた。暑さも衰えず、脳も溶けそうな状態では込み入った映画を敬遠するしかない。友人が<「キック・アス」に匹敵する超絶エンターテインメント>と評価していた「ポライト・ソサエティ」(2023年、ニダ・マンズール監督)を新宿ピカデリーで見た。パンキッシュでスピード感溢れるコメディーに、屁理屈好きの俺の脳も、タイトルの〝ポライト=礼儀正しい〟とは対極のバチバチはじける展開に踊っていた。

 舞台はロンドンのパキスタン人コミュニティーだ。リア・カーン(プリヤ・カンサラ)は自称〝怒りの権化〟の高校生で、スタントウーマンを目指して武道の修行に励んでいる。練習相手の姉リーナ(リトゥ・アリヤ)は画家志望だったが挫折した。カンフーと空手がごっちゃになっている感じもするが、本作を観賞する際には些細なことにこだわってはいけない。男女別学がイスラム社会の基本なのかは知らないが、リアが通うのは女子高だ。親友のクララ、アルバに加え、組み手で圧倒されるボスキャラのコヴァックスも同級生だ。

 スナク前首相はインド系だったが、移民というより富裕層に与したことで国民の支持を得られなかった。それはともかく、南アジア系が英国社会に根付いていることは本作からも窺えた。その象徴というべきは上流階級の女帝でゴージャスな装いのラヒーラ(ニムラ・ブチャ)だ。カーン一家は夜会に招かれたが、リーナはラヒーラが溺愛する息子のサリム(アクシャイ・カンナ)の目に留まり、交際することになる。サリムはハンサムな医者で、結婚には申し分のない条件を揃えていた。

 この流れに異議を唱えたのはリアだった。姉は自分と同じ変わり者で、上流階級の妻の座に収まるはずがないと考え、婚約を破棄させるため、クララやアルバの力を借りて策略を巡らせるがうまくいかない。周囲は〝仲の良い姉と離れたくないから拗ねているだけ〟と見ていたが、暴走するうち、サリムがラヒーラのために恐るべき実験をしていることを知ったのだ。

 遺伝子組み換えやクローン人間作製といったシリアスなテーマを扱いながら、本作は歌って踊るボリウッド的要素を強めていく。とはいえ、ボリウッドに詳しい映画通によれば、貧困や差別など社会性を追求した作品も多いというから、アンビバレントというのも俺の偏見だろう。結婚式でリアが踊るシーンやラヒーラとの対決など、フィジカルな〝軋み感〟が暑気を払ってくれた。予定調和的なラストにも安堵する。

 面白かったのは、いかにもボリウッド的なサントラに、ケミカル・ブラザーズや浅川マキの「ちっちゃな時から」が混じっていたことだ。ニダ・マンズール監督はイスラム系のガールズパンクバンドが活躍するドラマで人気を博したという。本作は長編映画デビュー作というが、多様性を志向する作品が期待出来そうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポール・オースター著「幻影の書」~無と終焉が織り込まれたラスト

2024-09-05 17:23:47 | 読書
 王座戦第1局は後手の藤井聡太王座(七冠)が挑戦者の永瀬拓矢九段を破り、防衛に向けて好スタートを切った。プロ棋士も攻防に隙のない完勝に感嘆していた。両者はVS(一対一の練習将棋)で互いを高め合っており、終局後は和やかに感想戦を行っていた。〝将棋学徒〟はさらなる高みを見据えている。

 ポール・オースターの死を知ったのはゴールデンウイーク明けだった。遅ればせながら、希有のストーリーテラーの死を心から悼みたい。紀伊國屋書店で訃報を伝えるポップの下に代表作が並んでいて、「幻影の書」(2002年、柴田元幸訳/新潮文庫)を手にした。オースターは1980年代から活躍していたが、なぜか縁がなく、読んだのは「ブルックリン・フォリーズ」、「ムーン・パレス」、「幽霊たち」に次いで「幻影の書」が4作目である。

 併せてWOWOWで放映された「スモーク」(1995年、ウェイン・ワン監督)見た。ハーヴェイ・カイテルとウィレム・ハートの共演で、ブルックリンのたばこ屋を舞台に、人々の絆が優しく紡がれていた。原作は「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」で脚本もオースターが担当している。オースターは90年代、複数の映画製作に関わったが、その成果の表れというべきが「幻影の書」だ。

 大学教員のデイヴィッド・ジンマ-は飛行機事故で妻子を亡くした。孤独と絶望の淵で喘ぎ、漂流するのがオースター作品の主人公の常だが、他者との扉を閉ざしていたデイヴィッドの再生のきっかけになったのは、サイレント時代の映画だった。監督のへクター・マンは12本を撮り終えた後、姿を消している。デイヴィッドは国内だけでなくヨーロッパにも足を延ばし、映画のコピーを入手する。

 オースターの小説を20作以上翻訳している柴田元幸氏は、本作におけるヘクター作品の分析の巧みさを、オースター自身が関わった映画製作の精華と綴っている。へクターの作品は全て短編のドタバタコメディーで、主演も務めている。へクターはラテン系の色男で、業界ではプレーボーイとして鳴らしていた。失踪後のへクターについて手掛かりがなかったデイヴィッドの元に、へクターの妻を名乗る女性から手紙が届く。そして、へクター夫人の使いとして訪れたアルマとの数奇な出会いが物語を加速させていく。

 アルマはヘクター監督作で撮影を担当した男の娘で、へクター夫妻とは旧知の関係にあるだけでなく、同じ農園で暮らしている。サイレント以降、へクターが撮った映画には母親が出演しており、へクター夫妻とは強い縁で結ばれていた。出会った夜に恋人になったアルマに誘われ、デイヴィッドは死の床に伏すヘクターの元に向かう。失踪の理由とその後の人生が、伝記を綴っているアルマに、そしてヘクターの一人称で語られる。へクター・マンとは、デイヴィッドとアルマを紡ぐ糸のような存在だったのだ。

 映画を含めオースターの作品には5作しか接していないから、全容を語るのは無理がある。〝ストーリーを積み上げて予定調和的なカタルシスに至る〟というイメージを抱いていたが、本作は当てはまらない。ラストで全ては崩壊し、へクターの記憶も記録も灰の中に埋もれていくのだ。無と終焉が滲んでいたが、デイヴィッドは希望を捨てていない。

 オースターを読んでいると、言葉の塊が脳内で破裂し、溶け落ちてくるような感触を覚える。読書の愉楽に痺れ、ページを繰る指が止まらなくなるのだ。膨大な数の未読の小説を、折を見て読んでいきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「縄文号とパクール号の航海」~時間の意味を問う4700㌔

2024-08-31 20:31:29 | 映画、ドラマ
 もっともらしく自然や環境について論じることがあるが、自分に資格があるとは思っていない。幼い頃、京都の田舎町で過ごしたが、郊外のベッドタウンに引っ越した6歳の時、家の裏手に立ち並ぶ団地群を見て、〝これが自分の未来〟と衝撃を受けた。コンクリートジャングルへの憧憬がインプットされたのだ。

 一貫して怠け者だった俺だが、上京してからも時間に追いまくられ、効率に縛られてきた。今さら手遅れだが、感性や価値観を変えるきっかけになるようなドキュメンタリー映画「縄文号とパクール号の航海」(2015年、水本博之監督)を見た。〝自然と暮らす〟をモットーに全世界を旅してきた冒険家・関野吉晴の初監督作品「うんこと死体の復権」公開に合わせてのアンコール上映である。

 武蔵野美術大でゼミを開講していた関野は、<手作りの工具や材料を使って造った丸木船で航海する>というプランを掲げ、学生たちに参加を呼び掛ける。応じたのは次郎と洋平で、監督の水本も教え子のひとりだった。そこに加わったのが安全管理を担当する冒険家の渡部純一郎である。スタート地点に選んだのはマンダール人が暮らすインドネシア・スラウェシ島だ。イスラム教と精霊を信仰するマンダール人は漁師を生業にしている。関野らは当地で切った大木から縄文号を造り、マンダール伝統の帆船パクール号とともに石垣島を目指して出港する。日本人4人、現地で募った6人の計10人のクルーで、撮影船が同行した。

 様々な伝統と風習を守り続けるマンダール人には、関野の試みが奇異に映った。〝日本は技術大国で新幹線も走っている。どうしてこんなにまどろっこしい計画を立てたのか不思議〟と問いかけた。縄文号は風が吹けば前に進まず、手漕ぎと合わせても1日10㌔も進まないことがある。関野の時間の捉え方は独特で、効率や進歩に一切意味を求めない。4700㌔の航海も台風や海流に阻まれて中断を余儀なくされ、3年の日々を費やすことになるが、〝何とかなるさ〟〝自然には勝てないよ〟と悠然と構えている関野に、マンダール人たちも絶大なる信頼を寄せている。

 時に感情的になる次郎とマンダール人たちの間に軋轢が生じることもあった。異文化コミュニケーションは簡単ではなく、食事など習慣の違いから口を利なくなることもあった。本作にはいったん壊れかけたチームが一つになる経緯も描かれている。水本は計800時間フィルムを回し、編集に3年かかったという。いつも歌っている再年長のザイヌディン、驚異的な視力で船を操るグスマン、普段は無口だが危機に陥ると体を張る大男のイルサンら、マンダール人クルーは個性的な面々が揃っていた。航海が終わりに近づく頃には、日本人スタッフと下ネタのジョークを交わすほど打ち解けていた。

 3年目の再々スタートを控えた2011年3月11日、スラウェシ島と日本で事件が起きる。ザイヌディンが精霊に誘われたように行方不明になった。船にはランチが残されていたから、突然の事故(発病?)で海に落ちたと考えられている。その一報の直後に発生した東日本大震災により東北は津波に襲われ、原発事故で人々は避難を強いられる。医師でもある関野は現地で医療活動を展開し、次郎と洋平も救援活動に加わった。

 本作は3・11と重なったことで、テーマに厚みが増した。加工してきたはずの自然だが、猛威を振るうと立ち尽くすしかなく、人間は自らの無力を思い知らされる。航海でも同様だった。進歩とは何かを再度、突き付けられるドキュメンタリーだった。マンダール人たちが信仰と仕事で自立している一方、次郎と洋平は生き急がされる日本で宙に浮いていたが、友人である水本監督によると、現在は立脚点を見つけて暮らしている。それを聞いて安心した。余韻が去らないドキュメンタリーだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする