10連休の前半は京都に帰省し、従兄宅(寺)に泊まって、近くのケアハウスに母を訪ねるという〝お約束〟の日々だ。冷春というべきか、土日は暖房が必要なほど寒かった。
時節柄、平成振り返りが流行っている。次稿で俺なりの感想を記すつもりだが、文学に限るなら豊饒な30年だったと思う。当ブログで頻繁に紹介している作家たちで、辻原登、池澤夏樹、島田雅彦、奧泉光らとともに1990年代前半から活躍しているのが小川洋子だ。「ミーナの行進」と「猫を抱いて象と泳ぐ」がとりわけ印象に残っているが、両作に匹敵する「琥珀のまたたき」(2015年発表、講談社文庫)を読了した。
桐野夏生、川上弘美、川上未映子と、今年に入って女流作家の作品を紹介してきたが、女性の生理と心理に疎いので、感想が的外れになるのは致し方ない。<現実と幻想の境界を精緻な筆致で描き、物語を寓話に飛翔させる魔法使い>というのが小川のイメージだ。まあ、俺にとって大抵の女性は魔法使いなのだけど……。
二つの時空をカットバックしつつ進行する。メインはある家族の、外部と遮断された6年に及ぶ物語だ。3歳の末妹の死をきっかけに家族は別荘の跡地に移り住む。三姉弟はママによって壁の内側に閉じ込められ、鉱物図鑑からオパール、琥珀、瑪瑙と新たな名をもらう。外出だけでなく、大声で話すことも禁じられた子供たちは、狭い空間で様々な遊びを考え出す。不自由な状況での自由の追求は、作者が少女時代に愛読した「アンネの日記」が下敷きになっているという。
外界は魔犬が彷徨う危険な場所……。ママはこう主張し、仕事先(保養施設)に向かう時、ツルハシを手にする。そんなママにも密かな息抜きがあった。公園のベンチに腰を下ろし、演目が終わった頃、近くの小劇場に足を運ぶ。ママは女優に間違われてサインを求められるほどの美貌を誇る。別の下りにも芝居に関する記述があるから、女優がママの見果てぬ夢だったのか。父が経営する出版社の図鑑のモデルに採用されたことが、両親の馴れ初めだった。
メインストーリーの語り手は琥珀で、サイドストーリーは数十年後の琥珀、すなわちアンバー氏と私との交流だ。ちなみに、アンバーとは琥珀の英訳である。「芸術の館」で余生を過ごすアンバー氏は、今も小さな声でしか話せず、心は少年時代のままだ。職員(介護士?)である私は、恋慕、母性愛、敬意が入り混じった感情で寄り添っている。
琥珀だけでなく、オパールと瑪瑙も地中で時間をかけて結晶を凝縮し、掘り当てられた時、その燦めきで人の心を魅了する。琥珀の片方の瞳は琥珀色で、心象風景に映る亡き妹の姿を図鑑の余白に描き込む。まさにパラパラ漫画で、アンバー氏は今も6年間の記憶に住み続けている。
前々作に当たる「ことり」と重なる部分も大きい。社会との繋がりを最小限にとどめ、兄さんを守っていた小鳥の小父さんは、琥珀(アンバー氏)に通じる。本作で喪失の痛みを体現するのはママだ。ラストに近づくにつれ、決着の仕方が気になってきた。
「モスキート・コースト」(ポール・セロー著)のアリーのように、ママは狂気に憑かれてしまうのか、「イン・トゥ・ザ・ワイルド」(07年、ショーン・ペン監督)のクリストファーのように、子供たちは外界への通路を完全に遮断されてしまうのか……。本作には、家族の緩やかな崩壊が描かれていた。
母の支配力の低下ではなく、思春期の子供たちの外界への好奇心と憧れが、壁を内側から侵食していく。聡明なオパールはママへの不満を秘めているし、瑪瑙は自由奔放だ。オパールにとってジョーとの絆が決定的になり、実在か幻かはともかく、瑪瑙はシグナル先生と猫のカエサルによって外と繋がっていた。ひとり琥珀はママの思いに寄り添い、家族の親和性を保とうとする。
本作は寂寥と孤独に温かく紡がれていた。四季折々の移ろいを精緻に表現するのも小川作品の特徴だ。私の寂寥と孤独は、アンバー氏に映っているのだろうか。私はアンバー氏、いや、時空を溯り、琥珀の描く内面の光景に入り込んでいく。そこではママと三姉弟が幸せそうにくつろいでいた。老いが心身に染み込んだ俺にとって、平成の読書納めに相応しい作品だった。
時節柄、平成振り返りが流行っている。次稿で俺なりの感想を記すつもりだが、文学に限るなら豊饒な30年だったと思う。当ブログで頻繁に紹介している作家たちで、辻原登、池澤夏樹、島田雅彦、奧泉光らとともに1990年代前半から活躍しているのが小川洋子だ。「ミーナの行進」と「猫を抱いて象と泳ぐ」がとりわけ印象に残っているが、両作に匹敵する「琥珀のまたたき」(2015年発表、講談社文庫)を読了した。
桐野夏生、川上弘美、川上未映子と、今年に入って女流作家の作品を紹介してきたが、女性の生理と心理に疎いので、感想が的外れになるのは致し方ない。<現実と幻想の境界を精緻な筆致で描き、物語を寓話に飛翔させる魔法使い>というのが小川のイメージだ。まあ、俺にとって大抵の女性は魔法使いなのだけど……。
二つの時空をカットバックしつつ進行する。メインはある家族の、外部と遮断された6年に及ぶ物語だ。3歳の末妹の死をきっかけに家族は別荘の跡地に移り住む。三姉弟はママによって壁の内側に閉じ込められ、鉱物図鑑からオパール、琥珀、瑪瑙と新たな名をもらう。外出だけでなく、大声で話すことも禁じられた子供たちは、狭い空間で様々な遊びを考え出す。不自由な状況での自由の追求は、作者が少女時代に愛読した「アンネの日記」が下敷きになっているという。
外界は魔犬が彷徨う危険な場所……。ママはこう主張し、仕事先(保養施設)に向かう時、ツルハシを手にする。そんなママにも密かな息抜きがあった。公園のベンチに腰を下ろし、演目が終わった頃、近くの小劇場に足を運ぶ。ママは女優に間違われてサインを求められるほどの美貌を誇る。別の下りにも芝居に関する記述があるから、女優がママの見果てぬ夢だったのか。父が経営する出版社の図鑑のモデルに採用されたことが、両親の馴れ初めだった。
メインストーリーの語り手は琥珀で、サイドストーリーは数十年後の琥珀、すなわちアンバー氏と私との交流だ。ちなみに、アンバーとは琥珀の英訳である。「芸術の館」で余生を過ごすアンバー氏は、今も小さな声でしか話せず、心は少年時代のままだ。職員(介護士?)である私は、恋慕、母性愛、敬意が入り混じった感情で寄り添っている。
琥珀だけでなく、オパールと瑪瑙も地中で時間をかけて結晶を凝縮し、掘り当てられた時、その燦めきで人の心を魅了する。琥珀の片方の瞳は琥珀色で、心象風景に映る亡き妹の姿を図鑑の余白に描き込む。まさにパラパラ漫画で、アンバー氏は今も6年間の記憶に住み続けている。
前々作に当たる「ことり」と重なる部分も大きい。社会との繋がりを最小限にとどめ、兄さんを守っていた小鳥の小父さんは、琥珀(アンバー氏)に通じる。本作で喪失の痛みを体現するのはママだ。ラストに近づくにつれ、決着の仕方が気になってきた。
「モスキート・コースト」(ポール・セロー著)のアリーのように、ママは狂気に憑かれてしまうのか、「イン・トゥ・ザ・ワイルド」(07年、ショーン・ペン監督)のクリストファーのように、子供たちは外界への通路を完全に遮断されてしまうのか……。本作には、家族の緩やかな崩壊が描かれていた。
母の支配力の低下ではなく、思春期の子供たちの外界への好奇心と憧れが、壁を内側から侵食していく。聡明なオパールはママへの不満を秘めているし、瑪瑙は自由奔放だ。オパールにとってジョーとの絆が決定的になり、実在か幻かはともかく、瑪瑙はシグナル先生と猫のカエサルによって外と繋がっていた。ひとり琥珀はママの思いに寄り添い、家族の親和性を保とうとする。
本作は寂寥と孤独に温かく紡がれていた。四季折々の移ろいを精緻に表現するのも小川作品の特徴だ。私の寂寥と孤独は、アンバー氏に映っているのだろうか。私はアンバー氏、いや、時空を溯り、琥珀の描く内面の光景に入り込んでいく。そこではママと三姉弟が幸せそうにくつろいでいた。老いが心身に染み込んだ俺にとって、平成の読書納めに相応しい作品だった。