3年前の戦争法反対集会で、識者のアピールに違和感を覚えていた。「子供たちを戦場に送るな」と主張しつつ、沖縄が一貫して戦場である事実を捨象していたからである。今世紀になって戦争の質は変わり、武器とセキュリティーが不即不離の関係になった。東京五輪を控えた日本政府は、両分野で最先端の技術を誇るイスラエルに接近している。
今日から2日間、川崎市で開催中の「イスラエル軍事見本市」に対し、<非人道的な戦争犯罪で得たノウハウ導入は許さない>と市民グループが抗議活動を展開している。呼び掛け人は知人でもある杉原浩司さん(武器輸出反対ネットワーク代表)で、NHKの夕方のニュース(関東版)でも、パレスチナ弾圧の映像とともにインタビューされていた。
川崎市は頑なだが、ソフトバンク本体は出展を取りやめた。BDS(イスラエルボイコット運動)が欧州で広がり、映画界、音楽界にも浸透している。商機に敏い孫正義氏は世界を俯瞰し開催直前、メインスポンサーから下りたのだろう。市民の抗議と憲法の効力が褪せていないことを実感した。
ゲーム感覚の戦争が当たり前になりつつあるが、100年前は敵の息遣いが聞こえてくる白兵戦だった。第1次大戦の独仏戦線から始まる「天国でまた会おう」上下巻(2013年、ピエール・ルメートル著/ハヤカワ文庫)を読了した。ルメートルの作品は「その女アレックス」を別稿(16年10月30日)で紹介している。絶望と喪失に喘ぐ〝シリアルキラー〟アレックスに感情移入した俺は、愛に似た思いを彼女に寄せていた。
ルメートルは「天国でまた会おう」でゴングール賞を受賞した。ミステリーから純文学への移行(一時的かもしれないが)は高村薫を彷彿させる。濃密な筆致(翻訳者・平岡敦氏の貢献大)、優れた人物造形に感嘆させられる。本作では、アレックスが体験した生き地獄に2人のフランス兵、アルベール・マイヤールとエドゥアールが放り込まれた。
小心なアルベールは銀行の経理係、奔放なエドゥアールはアーティスト……。対照的な2人だが、前者は支配者然と振る舞う母を嫌い、後者は父との相克を抱えていた。家族の軛からの解放の場でもあった戦地で、悪魔の化身というべきプラデル中尉が立ちはだかった。心に傷を負ったアルベールは復員後、顎を失い、戸籍の上で死者になったエドゥアールを庇護する。生き埋めから救われた恩を、パリで返すことになったのだ。
アルベールとエドゥアール、プラデル、エドゥアールの父で実業家のマルセル・ベリクール、プラデルと結婚したエドゥアールの姉マドレーヌが形成する五角形が、ゴツゴツ回転しながらストーリーは進行する。主人公のアルベールは〝受容体〟で、他の4人が放つ刺激に反応しながら流されていく。
戦場での傷痕に加え、戦後処理が本作の軸になっていた。薬物依存で底に沈んだエドゥアールだが、天賦の画才が甦り、趣向を凝らした仮面を作り始める。アルベールとともに戦死した兵士の追悼事業(父がスポンサー)で詐欺を企んだ。ブラデルも遺体埋葬事業に関わり、犯罪に手を染める。読む側まで窒息しそうになるアルベールの生き埋めシーンが、後半への伏線になっていた。
金儲けと上昇志向に憑かれたプラデルの悪魔性は次第にペラペラになっていく。危機に瀕したプラデルの前に、公務員でジプシー風のいでたちのメルランが現れる。永田町の官僚たちと真逆に、金や出世より正義を重んじるメルランは、プラデルの目に融通が利かない〝真の悪魔〟と映ったことだろう。
エドゥアールとマルセルの父子関係に重心が移っていく。ゲイを思わせる息子の振る舞い、教会や世間を冒瀆する絵の数々を忌み嫌ったマルセルだが、戦死の報(偽装)が届いた後、息子の記憶が鮮明に膨らんでいく。別人名義でエドゥアールが作製したデザインを目にしたマルセルの心にケミストリーが生じ、息子への思いは一層強まっていた。
宿命に彩られたラストは衝撃的だった。本作は心に突き刺さる矢であり、物語から神話の領域に飛翔している。ルメートルは法を超えた正義を志向し、読者と共犯関係を結ぶ希有な作家といえる。読後にカタルシスを味わえるのもいい。機会があれば、他の作品を読んでみたい。
ルメートルは来日した際、作品を覆う空気が近い中村文則と対談している。中村はアメリカで最も人気のある日本人作家で、ミステリーにカテゴライズされている。俺は純文学とミステリーのジャンルにこだわり過ぎているのかもしれない。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」だって、ミステリーの要素はたっぷりなのだから……。
今日から2日間、川崎市で開催中の「イスラエル軍事見本市」に対し、<非人道的な戦争犯罪で得たノウハウ導入は許さない>と市民グループが抗議活動を展開している。呼び掛け人は知人でもある杉原浩司さん(武器輸出反対ネットワーク代表)で、NHKの夕方のニュース(関東版)でも、パレスチナ弾圧の映像とともにインタビューされていた。
川崎市は頑なだが、ソフトバンク本体は出展を取りやめた。BDS(イスラエルボイコット運動)が欧州で広がり、映画界、音楽界にも浸透している。商機に敏い孫正義氏は世界を俯瞰し開催直前、メインスポンサーから下りたのだろう。市民の抗議と憲法の効力が褪せていないことを実感した。
ゲーム感覚の戦争が当たり前になりつつあるが、100年前は敵の息遣いが聞こえてくる白兵戦だった。第1次大戦の独仏戦線から始まる「天国でまた会おう」上下巻(2013年、ピエール・ルメートル著/ハヤカワ文庫)を読了した。ルメートルの作品は「その女アレックス」を別稿(16年10月30日)で紹介している。絶望と喪失に喘ぐ〝シリアルキラー〟アレックスに感情移入した俺は、愛に似た思いを彼女に寄せていた。
ルメートルは「天国でまた会おう」でゴングール賞を受賞した。ミステリーから純文学への移行(一時的かもしれないが)は高村薫を彷彿させる。濃密な筆致(翻訳者・平岡敦氏の貢献大)、優れた人物造形に感嘆させられる。本作では、アレックスが体験した生き地獄に2人のフランス兵、アルベール・マイヤールとエドゥアールが放り込まれた。
小心なアルベールは銀行の経理係、奔放なエドゥアールはアーティスト……。対照的な2人だが、前者は支配者然と振る舞う母を嫌い、後者は父との相克を抱えていた。家族の軛からの解放の場でもあった戦地で、悪魔の化身というべきプラデル中尉が立ちはだかった。心に傷を負ったアルベールは復員後、顎を失い、戸籍の上で死者になったエドゥアールを庇護する。生き埋めから救われた恩を、パリで返すことになったのだ。
アルベールとエドゥアール、プラデル、エドゥアールの父で実業家のマルセル・ベリクール、プラデルと結婚したエドゥアールの姉マドレーヌが形成する五角形が、ゴツゴツ回転しながらストーリーは進行する。主人公のアルベールは〝受容体〟で、他の4人が放つ刺激に反応しながら流されていく。
戦場での傷痕に加え、戦後処理が本作の軸になっていた。薬物依存で底に沈んだエドゥアールだが、天賦の画才が甦り、趣向を凝らした仮面を作り始める。アルベールとともに戦死した兵士の追悼事業(父がスポンサー)で詐欺を企んだ。ブラデルも遺体埋葬事業に関わり、犯罪に手を染める。読む側まで窒息しそうになるアルベールの生き埋めシーンが、後半への伏線になっていた。
金儲けと上昇志向に憑かれたプラデルの悪魔性は次第にペラペラになっていく。危機に瀕したプラデルの前に、公務員でジプシー風のいでたちのメルランが現れる。永田町の官僚たちと真逆に、金や出世より正義を重んじるメルランは、プラデルの目に融通が利かない〝真の悪魔〟と映ったことだろう。
エドゥアールとマルセルの父子関係に重心が移っていく。ゲイを思わせる息子の振る舞い、教会や世間を冒瀆する絵の数々を忌み嫌ったマルセルだが、戦死の報(偽装)が届いた後、息子の記憶が鮮明に膨らんでいく。別人名義でエドゥアールが作製したデザインを目にしたマルセルの心にケミストリーが生じ、息子への思いは一層強まっていた。
宿命に彩られたラストは衝撃的だった。本作は心に突き刺さる矢であり、物語から神話の領域に飛翔している。ルメートルは法を超えた正義を志向し、読者と共犯関係を結ぶ希有な作家といえる。読後にカタルシスを味わえるのもいい。機会があれば、他の作品を読んでみたい。
ルメートルは来日した際、作品を覆う空気が近い中村文則と対談している。中村はアメリカで最も人気のある日本人作家で、ミステリーにカテゴライズされている。俺は純文学とミステリーのジャンルにこだわり過ぎているのかもしれない。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」だって、ミステリーの要素はたっぷりなのだから……。