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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

泣きの入った男たちが放つ光芒~木村一基新王位、そしてマニック・ストリート・プリーチャーズ

2019-09-28 23:48:35 | 音楽
 竜王挑戦者決定三番勝負、王位戦七番勝負……。豊島将之名人と木村一基九段が相まみえた3カ月にわたる「真夏の十番勝負」は26日、木村の王位獲得で大団円を迎えた。銀河戦決勝(24日オンエア)で渡辺明3冠を下すなど、鋭さを増した豊島の優位は動かないと予測していたが、〝千駄ケ谷の受け師〟が初タイトルを戴冠に輝いた。

 午後4時前後、AI、棋士ともに木村有利の見立てだったが、辛酸を舐めてきた木村ゆえ、一抹の不安を覚えた。後ろ髪を引かれる思いで、マニック・ストリート・プリーチャーズのライブ(Zeppダイバーシティ)に向かう。マニックスもまた、木村と同じく〝泣きが入った〟男たちだ。

 公演の感想は以下に記すが、帰宅して結果を確認し、木村のインタビューに心が潤んだ。46歳は将棋界では〝老いの入り口〟だ。羽生善治九段でさえタイトル通算100期目前で喘いでいる。今回の木村戴冠には、〝中高年の星〟を応援するファンの願いが後押しした。勝負の世界では空気が結果を左右することがしばしばある。敗れた豊島には来月、広瀬章人竜王との頂上決戦が控えている。

 マニックスは俺にとって人生と重なるバンドだ。今回のライブは5th「ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ」(98年)20周年を記念したツアーの一貫で、サポートアクトはアジアン・カンフー・ジェネレーションが務めた。初めて聴くバンドだったが、開放感あるギターサウンドに和みを覚える。

 アジカンは25分ほどでステージを去ったが、自身が主催したフェスに出演してくれたマニックスへの敬意を語っていた。興味深かったのは「洋楽のライブに人が集まらなくなっている」とMCしていたこと。<内向きの日本>と<国際標準>の乖離を前々稿、前稿で記してきたが、ロック界でも同様のことが起きている。

 「ディス・イズ゙――」はヴァーヴ「アーバン・ヒムズ」(97年)、マンサン「SIX」(98年)、トラヴィス「ザ・マン・フー」(99年)とともに、オアシスとレディオヘッドが失速した後、UKロックを牽引した一枚だ。前半はほぼ「ディス・イズ゙――」の曲順通り、後半は代表曲が次々に演奏される。

 ラグビーW杯開催中でもあり、来日中のウェーズ人が多く詰め掛けていた。小規模のハコでマニックスを聴けたことは僥倖だったはずだ。客席とのやりとりでホーム感を覚えたのか、2時間弱の気合の入ったショーになった。齢を重ねてソリッドかつシャープになっており、ジェームスの声にも艶があった。13th「レジスタンス・イズ・フュータイル」(18年)は「ディス・イズ――」に迫る傑作だったが、収録作「インターナショナル・ブルー」を後半に演奏した。

 「ディス・イズ――」セットのラストは、スペイン市民戦争時の詩に着想を得た「輝ける世代のために」だ。<これを黙認すれば、おまえの子供たちは苦しみに耐え続けなければならない>というフレーズが3・11直後、若年層の体内被曝を憂えた俺の脳裏に鳴り響く。再び政治に関わるきっかけになった曲だった。

 妹が翌年召された時、「エヴリシング・マスト・ゴー」を毎日のように口ずさんでいた。リッチー・エドワーズの失踪(08年に死亡宣告)を経て作られた同曲の歌詞は、<全ては過ぎ去っていく>という諦念、無常観に近い。妹の死が、リッチー不在に打ちひしがれたバンドと重なり、喪失の哀しみを共有したことでマニックスとの縁はさらに深まった。

 ラストの「享楽都市の孤独」のPVは日本で制作された。イントロが流れた時、あやうく涙腺が決壊しそうになり、沈黙のまま唱和する。

 ♪文化は言語を破壊する 君の嫌悪を具象化し 頬に微笑を誘う 民族戦争を企て 他人種に致命傷を与え ゲットーを支配する 毎日が偽善の中で過ぎ去り 人命は安売りされていく 永遠に……

 四半世紀前、マニックスは反資本主義を歌詞に織り込んでいた。ジェームス、ニッキー、それにリッチーの3人の詩人が、マニックスの知性と世界観を支えている。アンテナが錆び付いて新規開拓は難しいが、馴染みのバンドやアーティスト――マニックス、そして前稿で紹介した頭脳警察etc――とともに老いていきたい。

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今こそ乱破者に~頭脳警察の知性と世界観に心を撃たれる

2019-09-25 22:22:37 | 音楽
 前稿の枕で<内向きの日本>と<国際標準>の乖離について記したが、ラグビーW杯では<タトゥー>が物議を醸す。タトゥーは〝反社〟の象徴と見做され、ある温泉地で日本人観光客にアンケートしたところ、90%弱が解禁反対だった。タトゥーが伝統や文化に根差し、敬意の表現であることを受け入れる時機に来ている。

 先週20日、全世界で「グローバル気候マーチ」が開催され、数百万の若者がパレードした。日本でも5000人以上が街角でアピールする。グレタ・トゥーンベリさん(16歳)の訴えはスウェーデンから瞬く間に世界に広がった。<気候正義>の奔流が、環境やエネルギー問題を一貫して訴えてきた「グリーンズジャパン(2012年結成)の認知度を高めるきっかけになることを、会員のひとりとして切に願っている。

 さて、本題。ロックを聴いて半世紀……、レジェンドを3人挙げるならピート・タウンゼント(フー)、ロバート・スミス(キュアー)、そしてPANTA(頭脳警察)になる。頭脳警察はギター(PANTA)とパーカッション(TOSHI)の2人組で、1969年にデビューした。Tレックスに触発されたのか同じ編成だった。発売禁止が続き、〝叛逆〟のパブリックイメージが付き纏う。音楽的にはフォーク色が濃いが、実験性と攻撃性はパンクの魁だった。

 PANTA&HAL名義で発表した「マラッカ」と「1980X」は当時のUKニューウェーヴを凌駕する最先端で、40年後を照射する預言がちりばめられている。ホロコーストへの転換をテーマにしたソロ作品「クリスタルナハト(水晶の夜)」、パレスチナに視点を定め重信房子氏(元日本赤軍最高幹部)と共作した響名義の「オリーブの樹の下で」など傑作を次々に世に問うてきた。

 頭脳警察の新作「乱破」のお披露目公演となる「頭脳警察50周年2ndライブ」(21日、渋谷・マウントレーニア)に足を運んだ。「50周年1stライブ」(4月、花園神社水族館劇場)以来、今年2度目の頭脳警察である。劇団Nachlebenの「揺れる大地」公演のテーマ曲も収録されていた。

 第1部は「乱破」を曲順通り、第2部ではHPで募集したリクエストのベストテンを演奏し、4人の若者によるサポートで分厚いサウンドが奏でられた。愛嬌とサービス精神に溢れたTOSHIの一挙手一投足にも目を奪われる。アンコールでは冒頭に登場した尺八奏者がフィーチャーされ、「コミック雑誌なんていらない」でライブを締めくくった。

 和のテイストが濃い♯1「乱破者」、エッジが利いた♯2「ダダリオを探せ」、切々と訴えかける♯3「戦士のバラード」、1930年代の満州と80年後の東京を行き来した芝居が甦る♯4と♯5「揺れる大地Ⅰ・Ⅱ」、俺の心に最も染みた♯6「紫のプリズムにのって」、自嘲とユーモアを込められた♯7「俺は笑っている」、PANTAの恋を想像させる♯8「アウトロ」……。予測を遥かに超える濃密なアルバムだった。

 以降はアルバム未収録曲もしくはセルフカバーで、何曲かはセットリストに入っていた。♪革命(Revolution)、進化(Evolution)、退化(Devolution)」のリフレインが印象的な♯9「R★E★D」では歌詞を変え、♪香港からSOSと歌っていた。人気アーティストの幇間に堕した音楽メディアが頭脳警察を取り上げることはないが、現在の日本を穿つ傑作を多くの人に聴いてほしい。

 PANTA自身、順位は意外と話していたが、「ふざけるんじゃないよ」、「銃をとれ」、「さようなら世界夫人よ」、「赤軍兵士の歌」など定番曲がベストテンに含まれていた。1位は90年、16年ぶりに発表した「頭脳警察7」の掉尾を飾った「万物流転」で、PANTAは納得の様子だった。「何も変わらなかったことに絶望して作った」とあるステージで話していたを聞いた記憶がある。

 密かにランクインに期待していたのは「時代はサーカスの象にのって」(作詞/寺山修司&高取英)と、「狂った一頁」(衣笠貞之助監督)の幻のサントラ収録曲だ。ともに頭脳警察名義で発表されているが、コアのファンの間でも知られていないようだ。とりわけ後者はライブ音源(限定発売)だったから仕方ないか。

 50周年イベントは今後も準備されており、来春にはドキュメンタリーも公開される。動員力も飛躍的に増加し、今回は立ち見の人もいた。PANTAは「抹殺寸前だった頭脳警察が、なぜか生き残っている」とMCしていたが、知性と世界観が彼らを生き永らえさせている。頭脳警察は今、フレッシュなのだ。


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「武器と市民社会研究会」に参加して、混沌と狂気の根源を垣間見た

2019-09-21 22:58:32 | 社会、政治
 前稿で<この国は狂気に覆われている>と記した。最たるものが一昨日(19日)の判決で、津波対策の必要を説いた報告書を握り潰した東電経営陣に無罪判決が下された。故郷を奪われた人々、これから明らかになる若い世代の体内被曝……。誤った国策に協力した〝上級国民〟は何があっても免罪される。司法もまた正気をなくしている。

 俺にとって死刑は〝狂気の徽〟だが、戦争法、辺野古移設、憲法改悪に反対するリベラル・左派の多くが肯定派だ。来日するフランシスコ法王は、再審請求中の袴田巌死刑囚との面会を調整中という。実現すれば、日本社会が<内向きの狂気>に気付くきっかけになるかもしれない。

 <内向きの狂気>といえば、OECD加盟35カ国で例を見ない高額な供託金制度を違憲と訴えた裁判で原告側が敗訴した。1925年、治安維持法とセットで成立した普通選挙法を継承している日本は、民主国家に向けてのスタートラインにさえ立っていない。<世界標準¬=死刑廃止、供託金ゼロ>とこの国の溝が埋まる気配はない。

 世界も狂気に覆われている。国連は紛争を解決するどころか、常任理事国から流出する武器が大量虐殺を可能にし、途上国の飢餓と貧困を加速させている。国連を牛耳っているのは<グローバル企業=資源メジャー=兵器産業>の連合体で、<権威ある狂人>が人々の正気を蝕んでいる。

 第51回「武器と市民社会研究会」(拓大・文京キャンパス)に足を運んだ。登壇者は佐藤丙午拓大教授、榎本珠良明大准教授、吉田真衣テラ・ルネッサンス理事で、司会進行は知人の杉原浩司氏が務めた。

 杉原氏は武器取引反対ネットワーク(NAJAT)代表で、日本とイスラエルによる「武器・技術に関する秘密情報保護の覚書」、日英連携武器見本市(DS EI JAPAN)への抗議活動を中心になって取り組んでいる。アクティブで熱いという予想と異なり、大学教員、研究者、メディア、NGO活動家、自衛隊員らがこれまでの経緯を踏まえて集った研究会は、アカデミックかつクールに進行した。

 佐藤教授は先月、「特定通常兵器使用禁止制限条約」(CCW)の枠組みでの会議(ジュネーブ)に参加した。メインテーマは「自動型致死兵器システム」(LAWS)、即ちAI兵器である。開発先進国であるアメリカ、イスラエルとの距離感が背景に、会議は混乱しながら長時間にわたったという。後半の質疑応答では英語の資料に質問が相次ぐなど、会のレベルの高さに圧倒された。

 国際的な会議は本音と建前が交錯しダブルスタンダードになりやすく、正義が語られるケースは少ないという。<人間がAI兵器のボタンを押すことの是非>が世界中で議論されているが、羽生善治九段は著書「人工知能の核心」でAIの親和力に感嘆し、いずれ倫理や良心を備え、人知を超える可能性に言及していた。

 榎本氏と吉田氏は視点を変え、武器貿易条約(ATT)第5回締約国会議(CSPS)について報告する。サウジアラビアの油田への攻撃が世界を揺るがせているが、英米から同国に輸出された武器が、人類史上最も非人道的といわれるイエメン空爆に用いられていることが背景にある。俯瞰すれば<テロ国家VSテログループ>の構図だが、英米への抗議の声がATTで主流になることはない。

 CSPSのメインテーマは<ジェンダー>だった。榎本氏のレジュメを抜粋すれば<女性、男性として課せられる責任、負うべき活動、資金・資源へのアクセス、意思決定の機会において、性差における不平等が存在する>……。俺なりに解釈すれば、女性が被害者になりやすい戦争と暴力を考える際、武器問題に取り組む組織は、まず<ジェンダー>について原則を設けなければ前へ進まないということか。

 古田氏はCSPS内における歪みを強調していた。先進国(北)と比べ、途上国(南)のNGOは軽視される傾向が強い。むろん、南の資金不足、ビジョン提示能力不足も理由にある。テラ・ルネッサンスの課題として、南、アジアのNGOとの連携と情報共有を挙げていた。

 俺にはハードルが高い会だったが、武器の流れを知ることも、世界を解く鍵のひとつだ。混沌と狂気の根源にあるものを知るきっかけになったと考えている。
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正気を保つため「さようなら原発全国集会」

2019-09-17 22:37:17 | 社会、政治
 対米貿易戦争、香港と台湾への圧力、経済成長が耳目を集める中国だが、塗炭の苦しみを味わう3億人の農民工、来日した出稼ぎ労働者の低賃金が報じられている。<大企業を優遇し、富裕層を潤わせることで経済が活性化し、富はいずれ中下流層に滴り落ちる>……。現実は鄧小平が提唱したトリクルダウンと真逆で、凄まじい勢いで格差が進行している。

 「アメリカVS中国」をNHK・BSで見た(3度目の再放送)。「情報・金融覇権に挑む中国」、「ハイテク覇権をめぐる攻防」の前後編から成っている。中国はブロックチェーンを浸透させ、アメリカから基軸通貨(ドル)の地位と軍事的優越を奪うことを目指している。背景にあるのはAIなどハイテク技術だ。超アナログ人間の俺にはハードルが高い内容だったが、「米中ハイテク覇権のゆくえ」(同番組取材班著、NHK出版新書)を読み、当ブログで紹介したい。

 これから20日余り、所用が立て込み、老骨に鞭打つ日々が続きそうだ。昨日(16日)は「さようなら原発全国集会」(代々木公園)にブーススタッフ(オルタナプロジェクト&パワーシフト杉並)として参加した。早朝からの雨は次第に小降りになり、午後に上がったのは幸いだった。

 今回はパワーシフトの認知度を高めるべくパンフを配布し、「グローバル気候マーチ」、「どうする?東京の水~映画上映&トーク」(高円寺グレイン)、年末恒例ライブ「友川カズキ」の告知に加え、グリーンズジャパン会員が栽培した有機野菜を販売した。

 開会直前、ステージに立ったジンタらムータを観賞するためブースを離れた。ロマのテイストを取り込んだジンタらムータは、知性と反骨、自由の精神と遊び心を表現する無国籍音楽集団だ。ブレヒトの詩に音を重ねた曲、世界最古の抵抗歌、遠藤ミチロウへのオマージュを込めた相馬節、沖縄の民謡を披露した。フジロックのフィールド・オブ・ヘヴンが、スケール感と世界観を併せ持つ彼らに最も似つかわしい場所だと思う。

 世紀が変わった頃から〝反原発の三聖人〟小出裕章、広瀬隆、広河隆一各氏の講演や著作に触れてきた。3・11から2週間後の「緊急報告会」(早稲田奉仕園/広瀬、広河氏)、翌月の「終焉に向かう原子力」(明大アカデミーホール/小出、広瀬氏)はともに歴史的イベントで、三者の熱く、そして自身の無力さを穿つ真摯な言葉に感銘を覚えた。

 広河氏は個人的な問題を抱えているが、心を揺さぶる小出、広瀬両氏の声を大集会で聞けないのは残念だ。東電と記者クラブ追及の急先鋒だった上杉隆氏は今、N国幹事長である。スピーカーから流れてくる知識人や活動家からのアピールはステレオタイプと化し、俺の錆びた心に届かなかった。

 二つ先は「高校生平和大使」のブースで、3人の女子高生が演壇でもアピールしていた。彼らの頑張りは素晴らしいが、香港、そして台湾や韓国で抗議の先頭に立つ中高生と比べると、若者の姿が少な過ぎた。中高年が自身の思想信条に体を張らず、職場や地域で〝お上に唯々諾々〟と従って、<抵抗>の意味を正しく伝えなかったのだ。

 この国は今、狂気に覆われている。私利私欲に塗れ、情報の偽装と隠蔽が常態化した。腐敗した権力の下、沖縄の民意は無視され続けている。別稿(8月30日)に記した「脱成長ミーティング」で報告者を務めた大沼淳一氏は<東芝は米原発事業を巡る巨額損失で躓き、日立は英国、三菱重工はトルコで原発輸出に失敗した。利に敏感な財界人まで状況を見誤るなんてあり得ない>と語っていた。狂気の舌は大企業をも舐めているのだ。

 効率最優先の<中国共産党=企業体>は太陽光電池など自然エネルギー関連で軒並み世界トップを占め、かつて先進国だった日本は大きく後退した。<原発は安い>とデータを偽装する政官財の狂気に対峙し、人々は闘い続ける。社会が正気を保ち、日本を崩壊させないために……。
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血の赤に紡がれた「岬」~中上健次は<路地>から世界を俯瞰する

2019-09-14 15:07:27 | 読書
 〝国壊議員〟が闊歩する〝貴族院〟内閣の改造名簿には愕然とする。政治の停滞を生んでいる最大の理由は、中下流層の立候補を拒む供託金制度だと当ブログで記してきた。<永田町の地図>周辺でおこぼれに与る〝準貴族〟ことメディアの利害は〝国壊議員〟と一致しているから、供託金制度に言及しない。

 同郷(和歌山県)の辻原登を〝マジックリアリズムの使い手〟と称揚してきたが、新宮出身の中上健次を紹介したことは一度もない。学生時代、短編集を1冊読んだが、面白いと感じなかったからである。初級の読者だった俺にはハードルが高かったのだろう。中上は紀州の地下水脈で辻原と繋がっているはずだ。

 星野智幸に触発され、40年ぶりに「岬」(文春文庫)を手にした。星野は中上を<体を張って文学を存在させようとしていたわずかな作家のひとり。力関係で弱い側に置かれた者に対してはてしなく共感する受容力に感銘を覚えた>(趣旨)と述べている。上記した〝貴族〟たちと対極に位置する中上は、被差別(路地)、そしてその周辺に暮らす朝鮮人の声を聞こうと現場に身を置き、作品に反映させる。

 格差と貧困が拡大し、弱者の声が政治に届かない。ヘイトスピーチが吹き荒れ、その延長線上で日韓の亀裂が深刻になっている。そんな時機だからこそ、中上は読まれるべき……。これが星野のメッセージだ。

 本稿では薄っぺらな印象、イメージを書き連ねることになるが、2作、3作と読み進めるうち、中上の輪郭と本質に迫っていけるかもしれない。「岬」収録作は情念に紡がれ、裏地には血の赤が織り込まれていた。

 ♯1「黄金比の朝」の主人公は、東京で予備校に通う19歳の福善だ。1970年前後が舞台で、福善の目を通した東京の風景は76年に上京した俺の記憶と重なっていた。部屋に飾られたゲバラの写真に思想信条が窺えるが、一時期、影響を受けた異母兄が福善の部屋を潜伏先に選んだことで波紋が生じる。

 福善の母は故郷で仲居(時に売春も)をしている。底辺に喘ぐ者にとって、兄の説く革命なんて空理空論……。そんな福善の直観の正しさは、閉塞した日本の現状が証明している。闖入してきた女とともに、兄弟と友人は街をさすらう。タイトルの謎は解けなかった。

 中上について語る時、複雑な家庭環境、「岬」で芥川賞を受賞するまでの修業時代、従事した肉体労働が前振りになっている。♯2「火宅」は自伝的作品で、とりわけ兄との関係が軸になっていた。4編に共通するのは淫蕩と純潔のアンビバレンツで、兄や父は淫蕩、「黄金比の朝」の福善、「岬」の秋幸は純潔を志向している。

 ♯3「浄徳寺ツアー」の主人公は20代のツアー添乗員で、淫蕩と暴力的傾向を併せ持っている。企画を持ち込んだのは母を亡くした愛人で、老婆、そして白痴の娘を持つ中年男が参加する。糾弾闘争が吹き荒れていた発表当時を勘案すると興味深いが、路地出身であることを宣言していた中上は、差別的表現を抑制しない。生と死、そして性と血、聖と俗に彩られた作品だった。

 ♯4「岬」には♯1~3の全てを凝縮されており、芥川賞受賞も納得出来る傑作だ。中上の作品は〝紀州サーガ〟と評される。サーガとは<一族の物語を壮大に描く叙事小説>の意味で、「岬」のスケールは決して大きくないが、密度と濃度には息をのむほどで、狂気、孤独、絶望が絡まり合って殺人事件まで起こる。ラストで迸るのは鮮血というより濁った一族の血だ。路地から神話の域に立ち上り、世界を俯瞰する奇跡を起こした。

 中上は書くことで自身を浄化しようと試みたのか。血を吐くリトマス紙として選んだのは原稿用紙ではなく計算用紙だったという。フリージャズ愛好者だった中上は、文体にも影響を受けたと語っている。多くの作品が残されているが、「岬」の続編とされる「枯木灘」を早速購入した。
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「浮雲」と重ねつつ「帰れない二人」を見た

2019-09-10 23:05:09 | 映画、ドラマ
 木村一基九段が王位戦第6局を制した。豊島将之王位(名人)との〝真夏の炎の十番勝負〟は今月下旬、決着の時を迎える。〝不屈の男〟が46歳で初タイトルを取ればきっと泣くだろう。その姿を見て、俺ももらい泣きするはずだ。

 バルカン半島はかつて〝欧州の火薬庫〟と呼ばれたが、この70年、一貫して〝世界の火薬庫〟だったのは中近東である。「デモクラシーNOW!」は先月末のイスラエルによるレバノン、シリア、イラクへの空爆について、<その攻撃性が危険な段階にエスカレートしている>と批判した。核保有国イスラエルは米国を後ろ盾に制御不能になっている。

 東アジアにも煙が燻っている。香港と台湾に中国が牙を剥き、日本と朝鮮半島の関係は最悪だ。そんな折、五輪組織委が旭日旗の会場持ち込みを容認した。日本は旭日旗の下、アジア全域を蹂躙した。ハーケンクロイツは禁止されていることに、五輪委はなぜ思い至らないのだろう。
 
 17年にわたり7700㌔を彷徨う男女を描いた中国映画「帰れない二人」(18年、ジャ・ジャンクー監督)を公開初日、新宿武蔵野館で見た。同監督作は「山河ノスタルジア」(15年)に続き2作目で、チャオ・タイが本名と同じチャオ役で続けてヒロインを演じ、W主演のビン役は「薄氷の殺人」で孤独と狂気を表現したリャオ・ファンだった。

 中国とは多面体で、映画を数本見たぐらいで全体像が把握出来ない。軍事力や最先端技術がクローズアップされる一方、「苦い銭」(ワン・ビン監督)には3億人ともいわれる農民工のどん詰まりの状況が描かれていた。「牡蠣工場」(15年、想田和弘監督)には日本に出稼ぎにやってくる中国人労働者が登場する。

 文革を背景に愛の深淵に迫った「妻への家路」(14年、チャン・イーモウ監督)に感銘を覚えたが、「山河ノスタルジア」は別稿(16年5月)に記した通り、不満を覚えた。さほど期待せず観賞した「帰れない二人」は緊張が途切れることはなかったが、ショート寸前といったところか。

 封切り直後なので、背景と感想を中心に綴りたい。イマイチ乗れなかったのは、チャオとビンに「浮雲」(成瀬巳喜男監督)のゆき子(高峰秀子)と富岡(森雅之)が重なったからだ。「浮雲」は邦画史に輝く傑作、「帰れない二人」も世界各国で高い評価を受けている。外れ者、拗ね者の感想などかすんでしまうが、〝三分の理〟程度の理屈はある。

 チャオとゆき子の清冽な生き様と対照的に、富岡とビンがあまりに薄い。本作の台詞を借りれば、俺も覚悟のない「渡世人」だが、それゆえスクリーンの男たちには決然と生きてほしい。物語の始まりは2001年、山西省・大同で、ビンは一目置かれる顔役、チャオは姐さんだった。仁義を重んじない新興グループの台頭し、チャオは自身を犠牲にしてビンを救う。

 日本の任侠映画や香港ノワールなら、ビンはチャオに尽くすだろう。同作を試写会で見た中国通の女性は「ビンを許せない」と語っていた。男の弱さを多少なりともわかってほしいが、俺の感想は「ビンみたいに生きたら恥ずかしい」。本作を<ロマンチックな悲劇>と称揚する世界のメディアに違和感を覚えた。

「浮雲」の原作者である林芙美子は時代と対峙し、奔放に生きた。映画化された作品の幾つかで高峰秀子は凜とした存在感を放っている。男たちは総じてだらしない。本作は恋愛映画というより、<意志と気概で世を渡る女性の映画>と見るべきか。

 チャオとビンが大同火山群を眺める2度のシーンが、本作の肝といっていい。チャオは前半、「あの山は活火山、それとも死火山」とビンに問う。チャオは一貫して活火山だったが、ラスト近くでビンは死火山の如くだった。ビンは、自分が、そして中国の多くの男が流されて生きていることを自覚していた。

 この17年、中国はドラスチックに変容した。三峡ダム完成間近の奉節、新疆へとチャオは放浪し、中国はこの間、万博や五輪を経て繁栄を享受する。拝金主義に溺れ、価値観を失った男たちも描かれていた。

 チャオの生き様は清々しく哀しい。屁理屈で否定的に評したが、世界で絶賛された本作を自らの心と目で確認してほしい。時間があればレンタルショップで高峰秀子主演作を借りてほしい。一押しは「あらくれ」だ。
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香港、ベイスターズ、将棋etc~硬軟取り混ぜ初秋の雑感

2019-09-06 12:13:32 | 戯れ言
 京急線の快速電車が踏切に進入したトラックと衝突した。ケガをされた方々の一日も早い回復を祈りたい。俺が運転や輸送の仕事に就いていたら、注意力欠如で確実に事故を起こしていた。〝きちんと〟が求められる公務員や教師を生業にしていたら、ストレスを爆発させ不祥事(暴力沙汰や痴漢)でお縄についていただろう。職業選択は間違っていなかった。

 ようやく秋の気配が忍び寄ってきたが、残暑は当分続くという。今回は硬軟取り混ぜ初秋の雑感を記したい。まずは〝硬〟から。

 雨傘運動のリーダーだった黄之鋒氏が台湾を訪れ連携を呼び掛けた。蔡英文総統も一定の理解を示したという。香港と台湾が<反中国>で結集する……、こんな事態を避けたい中国共産党の指令を受けたのか、林鄭月娥行政長官が「逃亡犯条例」の完全撤回を発表した。中国が策謀を巡らせていることは明らかで、第二の天安門事件を防ぐためには国際世論の注視が必要だ。

 EU離脱に向け、英国が混乱している。女王を政治利用するなど横暴な議会運営を非難された〝ミニトランプ〟ジョンソン首相は、野党が提出した「合意なき離脱」阻止法案が可決され、解散に打って出ようとしたものの頓挫する。米国のサンダース議員同様、左翼を自任するコービン労働党党首が首相の座に就く日が来るかもしれない。

 韓国の文在寅大統領が法相に任命した側近の曺氏に、数々の疑惑が浮上する。メディアを含め嫌韓派は盛り上がっているが、身びいきという点で安倍首相も負けていない。身内に便宜を図った森友・加計問題は追及を逃れ、親しいジャーナリストはレイプを免罪される。倫理や道徳はこの国で死語になった。

 続いて〝軟〟へ。NFL、欧州サッカーをメインに様々なスポーツに関心を持っていた時期があったが、今はベイスターズの試合と競馬があればいい。火曜は横浜スタジアムに足を運んだが開始早々、落雷でノーゲームになり、その直後に降り出した篠突く雨で濡れ鼠になる。半世紀近く前、阪神-中日戦(西京極球場)以来、野球では2度目の雨中だった。

 翌日は中華街から山下公園、大さん橋、赤レンガと定番の観光を楽しんだ。中華街で人だかりが出来ていたが、輪の中心に長身の松重豊がいた。松重を発見したのはVシネマ「闘牌伝アカギ」(1995年)の矢木役、21世紀の邦画史に燦然と輝く「EUREKA」(2001年)での刑事役、連続ドラマW「悪党~加害者追跡調査~」での探偵事務所所長役が印象に残っている。個性的なバイプレーヤー、いや主演級の俳優として今後も活躍を続けるだろう。

 昨年度のPOGはロジャーバローズのダービー制覇で帳尻を合わせたが、今年度も骨折、肺炎とアクシデントに見舞われる指名馬が続出している。エース格のダーリントンホールは連対を確信していた札幌2歳Sでよもやの3着。重厚な欧州血統ゆえ、スピード勝負になるクラシックは厳しそうだ。馬場の荒れたホープフルSが晴れ舞台ではないか。

 POGで競馬への知識は深まったが、古馬になっても指名馬から馬券を買ってしまう。もちろん、当たらない。愛はギャンブルに不要なのだ。POGを再開して11年、ジョッキー地図も大きく塗り変わった。真剣にレースに接するPOG参加者の間でルメール以上の支持を得ているのが川田将雅だ。もしダーリントンホールに川田が騎乗していたら連を外さなかったと思う。

 竜王戦挑戦者決定3番勝負は豊島将之名人が木村一基九段を2勝1敗で下し、広瀬章人竜王に挑む。まさに棋界頂上決戦だ。第3局は互角の戦いが続き、AIの判断は78手目の8七角を指した時点で木村優位だった。ところが79手目の7七金で形勢は一変し、豊島が一方的に押し切った。木村は「急ぎ過ぎた」と悔いていたが、将棋というゲームの恐ろしさを実感させられた。

木村にも雪辱を晴らす機会は残されている。豊島との〝炎の十番勝負〟最終章である王位戦で連勝し初タイトル獲得……、そんなドラマを切に願っている。45歳の壁を越えた木村は棋界の常識を覆した。<記憶に残る名棋士>として、既にファンの心に刻まれている。
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ルメートル著「監禁面接」~獲得と喪失の意味を問う超絶エンターテインメント

2019-09-02 22:20:59 | 読書
 ボクシング史上最高傑作と謳われる〝奔放な天才〟ワシル・ロマチェンコが〝オーソドックスな秀才〟ルーク・キャンベルを大差の判定で破り、ライト級3団体統一王者になった。研究の深さと謙虚さで知られるロマチェンコは、秀才の要素も兼ね備えている。

 ボクシングで時折起こるアップセットは、現実の社会では皆無だ。香港市民の身を賭した闘いに、過激な方針を諫める声も上がっているが、それは日本人らしい腑抜けた理屈だ。いずれが正義で、いずれが悪か……。中国と香港はイスラエルとパレスチナが置かれている構図と変わらない。立ち位置を明確にして世界を眺めないと、結果として〝不正義の強者〟に与することになる。
 
 ページを繰りながら血が滾る小説を読了した。ピエール・ルメートル著「監禁面接」(文藝春秋)で、原題は「黒い管理職」だ。当ブログでは「その女アレックス」、「天国でまた会おう」とルメートルの作品を紹介してきたが、主人公は精緻かつドラスティックなストーリーに翻弄され、心身の痛みと格闘しながら喘いでいた。

 本作の主人公アラン・デランブルは57歳で、人事部長を務めていた服飾関連企業が買収され、リストラの憂き目に遭う。4年間、ハローワークに通いながら低賃金のアルバイトで収入を得ていたが、主任のトルコ人によるパワハラは凄まじい。社会復帰が叶わぬ状況に憤懣を爆発させ、仕事先で暴力沙汰を起こしたアランは、無収入になっただけでなく、賠償金を要求されるのは確実だ。

 アランは共働きの妻ニコルと安定した家庭生活を送り、長女マチルドは教師、次女リュシーは弁護士として活躍している。だが、築いてきたものは全て砂上の楼閣であったかのように崩壊寸前で、家庭でもトラブルメーカーになる。「希望とは人間が罹る最後の病」とのアンドレ・マルローの至言通り、アランはどん底から大勝負に打って出た。

 アランにとって〝希望〟とは採用試験だった。コンサルティング会社に応募したアランは面接に進み、社長から謎めいた条件を聞かされる。同社が担当する某社の幹部たちを尋問し、リストラを決定するという設定だ。採用とリストラが偽装テロ事件の下、同時進行する異様な状況だ。軍事のプロであるフォンタナが部下と俳優を使い、集まった全員を人質にしたロールプレイングゲームが展開する。

 映画化(恐らく)された暁にはご覧になる方も多いはずなので、興趣を削がぬようストーリーの紹介は最小限にとどめたい。本作は語り手を変えることで厚みを増している。第1部「そのまえ」、第3部「そのあと」はアラン、第2部「そのとき」はフォンタナが務めており、絡まった主観の糸がラストで収斂する。

 アナログ系の熱い男に思えたアランの変容に、「ダイ・ハード」でブルース・ウィルスが演じたマクレーン刑事が重なった。緻密な計算と周到な準備に裏打ちされた暴走の影に、心強い味方がいた。いずれも理不尽な評価に甘んじており、最たる者はバイト先の同僚シャルルだ。車中生活者のジャンキーだが、ネットを駆使して重要な情報を集めてくれた。自己犠牲を厭わぬ高邁な精神の持ち主である。

 獄中で本を著したアランは、メディアで「弱者の代表」と持ち上げられるようになる。本作は2009年発表だったが、昨年5月に始まったイエローベスト運動はフランス中で吹き荒れた。政府の税制政策への抗議、格差拡大、失業への怨嗟が背景にある。アランの言葉にも高額のサラリーを得ながらリストラに走る経営陣への怒りが込められていた。だが、読了された方は額面通りに受け取れないだろう。

 重層的に組み立てられた本作にはアイロニーが込められている。ニコルとの安穏な生活を取り戻し、娘たちの信頼を回復することがアランの目的だった。人生で最大の価値といえる愛のために突き進んだ結末は……。獲得と喪失の意味を問う超絶エンターテインメントだった。

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