酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「サーチ2」~母への思いがサイバー空間を疾走する

2023-04-28 22:19:17 | 映画、ドラマ
 将棋の名人戦第2局は先手の藤井聡太6冠が渡辺明名人を破り、2連勝と好スタートを切った。中盤はねじり合いが続いたが、終盤は藤井が怒濤の寄せを見せる。叡王戦では完敗したが、短期間でショックを払拭していた。若い王者の心身のタフネスさは驚嘆に値する。

 他者や社会といかに繋がっていくべきか……。この問いの前提にある<繋がっていくことに意味がある>という価値観は間違ってはいないが、受け止め方に個人差はある。亡き妹は父系の商売人の気質を受け継いでおり、多くの人と繋がっていた。葬儀には普通の主婦では考えられない数の人か参列し、涙の洪水状態になる。母系はというと、名を成した祖父だけでなく祖母、母、母の2人の姉も晩年は繋がりから遠ざかった。

 俺は母系のDNAが濃いが、それでも社会の扉を叩くことがある。グリーンズジャパン(緑の党)での活動に加え、自殺防止のボランティアに関心を持っている。何の資格もなく、経験といえば数え切れない失敗だけだから無理筋だが、万が一ビフレンター(相談員)に採用されたら、「あなたは誰かに必要とされている。しっかり繋がってますよ」と電話の向こうの人に話すかもしれない。

 2023年現在の繋がり方について考えさせられる映画「サーチ2」(23年、アニーシュ・チャガンティ監督)を新宿で見た。「サーチ」(18年)の続編で、原題は“Missing”(行方不明)だ。<全画面伏線アリ。デジタルプラットホーム上で展開する第一級のサスペンスホラー>の謳い文句に偽りなく、アナログ人間の俺はハイテンポについていくのが精いっぱいだった。

 前作監督のチャガンティは原案と製作に回り、編集を担当したウィル・メリックとニック・ジョンソンが共同監督を務めている。主要キャストも前作同様、マイノリティーが占めていた。主人公ジューン(ストーム・リード)はアフリカ系の女子高生で、あれこれ干渉してくる母グレイス(ニア・ロング)と折り合いが悪い。グレイスはアジア系の恋人ケヴィン(ケン・レオン)とコロンビアに旅行に出掛ける。

 ジューンは帰国した2人を空港に迎えにいくが、姿が見当たらない。パソコンとスマホを駆使し、サイバー空間を疾走する。出した答えは<行方不明>だ。ジューンの協力者は親友でインド系のヴィーナ(ミーガン・スリ)、アジア系のパーク捜査官(ダニエル・へニー)、そしてコロンビア在住の便利屋ハビ(ヨアキム・デ・アルメイダ)だ。

 本題から逸れるが、80億人の一挙手一投足がチェックされている。マルクス・ガブリエルは<SNSをツールにした消費資本主義が蔓延し、自らの意志はコントロールされている>と警鐘を鳴らしていた。岸博幸慶大教授(小泉政権で安全保障担当)は「仮面の下に〝皆殺しの発想〟を隠しながらアメリカの一元化に寄与している」とグーグルと情報機関との癒着を批判していた。

 閑話休題。ジューンは瞬間の判断力と分析によって母の痕跡に迫っていく。人間にとって普遍かつ不変の母娘の絆が、サイバー空間で新たな形を見せる。謳い文句の<全画面伏線アリ>の意味が冒頭とラストでショートし、グレイスの、そしてジューンの人生を上書きする。ベースにあるのは身を賭すに相応しい愛だ。

 ぜひ映画館で、それが無理ならDVDかテレビでご覧になってほしい。前もって前作をチェックするのもお勧めだ。刺激的でエキサイティングな時間を過ごせること請け合いだ。
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陽春の候の雑感~杉並区議選、チャンピオンリーグ、活字離れ、将棋と囲碁の格差

2023-04-24 18:34:46 | 独り言
 杉並区議選でブランシャー明日香さんが当選を果たした。新人ながら19位(定数48)だから大健闘といえるだろう。俺が所属するグリーンズジャパン公認候補でもあり告示前と告示後に合わせて4回、街宣に足を運んだ。岸本聡子区長が何度も応援に訪れたこともあり、駅頭では多くの人が足を止めていた。

 「ゼロカーボンシティ杉並」共同代表として進行役を務めたイベントで岸本区長と対談した斎藤幸平東大大学院准教授からも応援のメッセージが送られてきた。岸本区長とともにミニシュパリズム(対話と参加の住民自治)を進め、ジェンダー平等と多様性尊重、ゼロカーボンを日本、いや世界に発信してほしい。

 最近は欧州チャンピオンズリーグ(CL)をチェックしている。今季はセリエA勢が躍進した。ベスト8にナポリ、ACミラン、インテルが進出したが、リーグで独走するナポリが耳目を集めた。準々決勝では躍動感あるボール回しを見せながらミランに屈する。準決勝はミラノダービーだ。

 30年以上も前、開局したばかりのWOWOWがセリエAを放送したことで欧州サッカーに興味を持った。〝オランダサポーター〟の俺は当然、フリット、ファンバステン、ライカールトのオランダトリオを擁するミランを応援した。ライバルのインテルの主力はマテウス、クリンスマン、ブレーメの憎っくきドイツ勢だったから、ミラノダービーには力が入った。

 当時はスポーツ紙、その後は夕刊紙で校閲を担当していたから、活字離れを心配している。2022年下半期のデータ(日本ABC協会)によると、全国紙の発行部数は軒並み大幅減だ。1000万部を誇った読売は663万部で、中部地区で夕刊を廃止した朝日は397万部。毎日は185万部、産経は遂に100万部を切った。電車の中で新聞を読んでいる人はまれで、大抵はスマホを触っている。

 大学生の新聞購読者は5%という統計もあるが、あの長谷川幸洋氏(元東京新聞副主幹)まで「行きがかり上、数紙は取っているが殆ど読まない」とネットの番組で話していた。アメリカでは世紀が変わった頃から地方紙の廃刊が続き、投票率低下に繋がる。要約されたニュースをネットでチェックすることは思考の単純化をもたらし、フェイクニュースにつけ込まれやすくなる。

 新聞の発行部数減が囲碁界を直撃した。主催の毎日新聞社が経営難に陥り、本因坊戦の規模を来期から大幅に縮小する。7番勝負から5番勝負になり、2日制から1日制に。優勝賞金も2800万円から850万円になり、挑戦者決定リーグは廃止されトーナメントに移行する。他のタイトル戦に波及する可能性も大きい。

 タイトル数8の将棋界は特別協賛7社、協賛15社。タイトル数7の囲碁界は特別協賛と協賛が1社ずつだ。<囲碁は旦那衆のたしなみで、将棋は庶民の娯楽>といわれたが、藤井聡太5冠の登場で決定的な格差が生まれた。将棋人口は現在500万、囲碁は150万といわれるが、将棋の場合、多くの小学生が教室に通うようになり、女性を中心に〝見る将〟が増えている。

 〝見る将〟を楽しませているのが2017年度からタイトル戦に昇格した叡王戦だ。昨日の第2局は藤井叡王が菅井竜也八段に完敗し、1勝1敗のタイになった。叡王戦主催は不二家で、一日2回のおやつが注目の的だ。公式戦ではないが、ヤマダ電機、サントリー、アベマが棋戦をバックアップしている。女流タイトル戦では、ヒューリック、大成建設、マイナビ、リコー、霧島酒造が主催者に名を連ねている。すべて藤井による経済効果だ。

 藤井も人間ゆえ壊れるかもしれないし、独り勝ちが続けば飽きられる可能性もある。そんな折、羽生善治九段が次期将棋連盟会長に内定した。研究者や文化人との共著も多い羽生は「人工知能の核心」の著書がある。AI関連のNHKスペシャルで対話したことがきっかけで、孫正義氏主宰の財団で評議員を務めている。会長に就任したらソフトバンク、かつてCMに出演した明治乳業、キリンビール、ネスレ日本、サントリーが棋戦のスポンサーとして名乗りを上げるかもしれない。

 将棋界はAIと巧みに付き合っている。対局番組ではAIの評価や候補手が提示され、「藤井のAI超え」が話題になり、「これは人間には無理」、「人間的にはこれがベスト」とAIと人間の個性を見据えてトップ棋士が分析している。藤井を脅かしそうな奨励会員も多く、ルッキズムと批判されることは覚悟の上だが、人気の出そうな女流棋士もいる。

 木村一基九段を筆頭に、ユーモアある解説者が〝見る将〟を喜ばせている。佐藤天彦九段は名人戦の大盤解説会での手厚く丁寧な対応でファンを感激させていた。〝鉄のメンタル〟というイメージを抱いていた渡辺明名人だが、妻・伊奈めぐみ著の漫画「将棋の渡辺くん」でツッコミどころ満載の素顔が明かされた。渡辺は気さくでファンサービスにも熱心という。

 指すことはないが将棋対局番組を楽しんでいる俺も、〝見る将〟のひとりだ。とはいえ囲碁界の衰退は気になっている。<囲碁・将棋>は日本文化を長年支えてきた〝家族〟だ。将棋は藤井で持ち直したが、囲碁に秘策は? それはきっとグローバルな展開だ。現在は後塵を拝しているが、中韓トップを破る棋士が現れたら、囲碁人気も急上昇するのではないか。
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「生きる LIVING」~原作に加味された若者への希望

2023-04-20 18:50:13 | 映画、ドラマ
 内閣支持率は上昇傾向で、調子に乗った麻生元首相は防衛力強化を推進する岸田首相を持ち上げつつ、「戦える自衛隊に変えていくべき」と発言した。日本は敵基地攻撃能力保有に突き進み、平和憲法の精神は風前の灯だ。統一地方選の結果に、暗澹たる気分になる。世界の流れと真逆のネオリベラリズム(緊縮、民営化)を説く維新が躍進した。

 いいこともある。白内障の手術が両目とも終わり、視力が0・04から0・5にアップした。50年以上ぶりになる〝ノー眼鏡〟での字幕の見え方を確認しようと新宿で「生きる LIVING」(2022年、オリヴァー・ハーマナス監督)を見た。黒澤明の「生きる」をカズオ・イシグロの脚本で同時代のイギリスに置き換えた作品だ。

 傑作のリメイクは簡単に受け入れられないが、「生きる LIVING」は世界中の映画祭で高評価を得た。黒澤版に忠実に、若者への引き継ぎという新しいペーストを加味したイシグロの力量が大きかったと思う。ノーベル賞作家のイシグロには日本人の感性がインプットされている。原作の持つ普遍性は舞台を変えても70年を経ても褪せることはない。
 
 原作の渡辺(志村喬)同様、本作の主人公ウィリアムズ(ビル・ナイ)も市役所の市民課に勤めている。いかにも庶民風の渡辺と対照的に、ピンストライプの背広に山高帽を被ったウィリアムズは絵に描いたような英国紳士だ。息子マイケルとクリケットについて話しているあたり、市役所職員もエリート層に分類されているのだろう。新しく配属されたピーター(アレックス・シャープ)は、少年たちのために公園造成を陳情に訪ねていた女性たちが、たらい回しにペンディングという〝お役所仕事〟に苛立つ様子を目の当たりにする。

 ウィリアムズはがんで余命宣告される。まずは息子と思い、男手ひとつで育てたマイケルに伝えようとするが、父子はよそよそしくなっていて切り出せない。腹を割って話せる同僚や部下もいない。期限を切られた今、来し方を振り返り、生きる意味を考えるため無断欠勤したウィリアムズは、劇作家のサザーランド(トム・バーク)と知り合う。原作で伊藤雄之助が演じた役柄で、既成の道徳や倫理が崩壊した後、奔放に振る舞うアプレゲール(戦後派)として描かれている。

 原作で渡辺は部下のとよ(小田切みき)の明るさに惹かれた。渡辺が下りる階段をとよが上っていくシーンや音楽の使い方など、黒澤明が山中貞雄の影響を受けたことが窺える。本作でとよの役割を果たすのが、転職を広言するマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)だ。〝老いらくの恋〟と誤解されるが、ウィリアムズはマーガレットとの触れ合いで生きた証しを遺すことを決める。

 復帰するやウィリアムズは豪雨の中、部下を引き連れて公園造成予定地に向かう。いきなりウィリアムズの葬儀シーンになるが、時間が遡行する形で奮闘ぶりが明かされ、部下たちは思い出を語る。ささやかな人生でのささやかな足跡は他者の功績にされたが、人々の記憶に刻まれた。市民課は以前と同じく怠惰な空気が流れていたが、ウィリアムズから遺言を託されたピーターは一歩を踏み出す。

 原作でも本作でも効果的に音楽が用いられていた。渡辺がブランコに揺られながら「ゴンドラの唄」を口ずさむ映画史に残る名シーンも受け継がれていた。スコットランド出身のウィリアムズが幼い頃に聞いた「ナナカマドの木」を歌いながら雪の中で息絶えた。

 66歳の俺は、死ぬまでに誰かの役に立ちたいと考えることがある。ボランティアを始めようと問い合わせたこともあるが、踏ん切りはつかない。本作を見て、改めて人生や幸せの意味、そして老人が若い世代に果たすべき責任について考えてしまう。召される前に答えを出せるだろうか。
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「面影と連れて」~魂が時空を超えて交流する目取真俊の世界

2023-04-16 12:35:14 | 読書
 最終回は今夜なので未見だが、連続ドラマW「フェンス」はテーマ性とエンターテインメント性を兼ね備えた秀逸な作品だ。復帰50年を迎えた沖縄で起きたレイプ事件の真相に、元キャバ嬢のキー(松岡茉優)とカフェバー経営者の桜(宮本エリアナ)が迫る。キーは日本人とアジア系、桜は日本人とアフリカ系米国人のミックスバディで、キーと旧知で警官の伊佐(青木祟高)が協力する。

 地上波ではタブーになっている日米地位協定、珊瑚礁破壊、辺野古移設問題、沖縄を食いものにする癒着に加え、福島原発による子供たちの被曝まで言及している。WOWOWだからこそで、野木亜紀子の脚本はジェンダーや女性の繊細な心理まで踏み込んでいた。別稿(2022年6月14日)の冒頭で紹介したドキュメンタリー「サンマデモクラシー」でナビゲーターを務めた志ぃさーが骨のある伊佐の上司役だった。

 沖縄を描いた作家といえば目取真俊だ。現在は辺野古移設反対闘争など政治活動に軸足を移しているが、目取真を知ったきっかけは辺見庸との対談集「沖縄と国家」だった。目取真を〝究極レベルの表現者〟と評価する辺見の言葉は正鵠を射ている。当ブログで紹介した短篇小説選集1「魚群記」、2「赤い椰子の葉」、長編「虹の鳥」は、いずれも沖縄の苦難の歴史を背景に、寓話、神話の領域に到達する作品だった。今回紹介するのは短篇小説選集3「面影と連れて(うむかじとぅちりてぃ)」(影書房)だ。

 上記した「フェンス」の台詞にもあったが、本作にも<魂(まぶい)>という表現が繰り返し現れる。沖縄特有の死生観に基づき、生きる者と死せる者の魂が、時空を超越して交流する様を描いた作品が多い。別稿(3月24日)で紹介した「ダブリナーズ」は<エピファニー文学>と呼ばれる。<エピファニー>とは、<物事を観察するうち事物の「魂」が突如として意識されその本質を露呈する瞬間>というが、本作にとって「魂」とはまさに<魂>だと思う。以下に、作品ごとの感想を記したい。

 ♯1「内海」では、母、父、祖母、源吉おじいと幾つもの死が連鎖する。繰り返し現れるのは幼い頃の家、通っていた喫茶店、そして祖母の死体の横に現れる魚や熱帯魚だ。絶望を知っているからこそ優しい女と知り合った主人公は、性的に彼女を愛することが出来ない。表象するイメージが混淆していた。

 ♯2の表題作「面影と連れて」では死者との魂の会話が描かれている。彷徨っていた魂たちは主人公のうちを見つけ、思い出を語る。うちは皇太子訪沖反対を闘うあの人と結ばれず、レイプ事件を経て自らも魂になることを選ぶ。♯6「帰郷」にも沖縄特有の風葬が描かれ、霊媒師のユタが現れる。民俗信仰とシャーマニズムが受け継がれる沖縄の土壌が窺えた。

 全12作の中で異質といえるのが♯7「署名」だ。目取真の作品は沖縄色が濃いのだが、一読すると別の場所でも成立するように思える。補充教員をしながら教師を目指している新城は、野良猫駆除の署名協力を座間味に頼まれる。だが、猫を鼠捕り器にかけたり、殺した猫を吊るしたりと常軌を逸した座間味を拒絶するようになると、アパート住人は新城を〝犯人〟と疑うようになる。沖縄の構図が後景に聳えるホラーだ。

 ♯8「群蝶の木」は白眉の一編だ。豊年祭で久しぶりに部落(しま)に里帰りした義明と、村八分状態の老女ゴゼイの2人の主観が連なって、沖縄戦の地獄、残酷な差別の実態が綴られる。戦時中は日本兵、戦後は米兵の慰安婦として生きざるを得なかったゴゼイの人生で唯一燦めいた昭正(ショーセイ)との恋が胸を打つ。ゴゼイ、昭正、義明の一瞬の邂逅が鮮やかな愛の神話だった。

 ♯9「伝令兵」ではバーを経営する友利がシンクロする二つの死に心を惑わせる。亡き父が取り憑かれた伝令兵の亡霊と、自身の娘の死だ。戦争と死者の記憶、贖罪の意識が描かれる目取真ワールドの真骨頂か。沖縄の闇を照らす♯10「ホタル火」、沖縄文化の流れを描いた♯12「浜千鳥」も記憶に残る。紹介しなかった作品を含め、濃密な空気に炙られた短編集だった。

 柔らかい話で最後を締める。3時間後に出走する皐月賞は混戦だからさっぱりわからない。ならば直感で◎は⑱マイネルラウレア、○⑧トップナイフ、▲⑪シャザーンとする。人気上位馬はいないし、ダメ元でレースを楽しみたい。
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「ロストケア」~救いと裁きのスリリングな狭間

2023-04-11 20:28:10 | 映画、ドラマ
 白内障の手術は右目の方は終わったが、近日中に左目の方を受ける。両目の見え方の差が大きいので映画は控えようと思っていたが、邦画なら大丈夫だろうと「ロストケア」(2023年、前田哲監督)を新宿で見た。原作は13年発表の葉真中顕著「ロスト・ケア」である。少子高齢化、格差拡大、福祉予算削減、弱者切り捨てと日本社会の闇を穿つ作品で、我が身に重なる部分が幾つもあった。

 公開後3週間足らずなのでストーリーは最小限に、感想と背景を記したい。斯波介護士役の松山ケンイチ、大友検事役の長澤まさみのダブル主演で、両者が対峙するシーンは緊迫感があった。閉ざされた空間における言葉のキャッチボールを描いた「対峙」(23年2月22日の稿)を紹介したが、「ロストケア」の濃密度も匹敵するレベルだった。

 訪問介護センターに勤めている斯波は、献身的な仕事ぶりで老人たちとその家族、同僚の猪口(峯村リエ)と新人ヘルパーの由紀(加藤菜津)にリスペクトされている。白髮が多い斯波について、猪口は「若いのに苦労したんだろうね」と由紀に話しかけていた。そんな折、介護対象の老人宅で、当の老人と団センター長(井上肇)の死体が発見され、団が借金で苦しんでいたことが明らかになる。

 盗みに入った団が犯行後、階段を踏み外して死亡……。一件落着かと思いきや、椎名検察事務官(鈴鹿央士)の調査で重大な事実が発覚する。数学科を出たばかりでデータ分析に長けている椎名は、同センターが介護していた老人が短期間で41人亡くなっていたことを大友に示す。日誌を点検し、斯波の休みの日に〝事故〟が起きていたことが明らかになる。

 検察取調室で数字を突き付けられた斯波は、「僕は42人を救いました」と切り出した。大友は憤然と「殺したのですね」と切り返す。<救い>と<裁き>の対極にある価値がメインに据えられた。キーワードは冒頭に提示されたマタイによる福音書7章12節<人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である>で、この新訳聖書の聖句は、斯波にとっても大友にとっても馴染みの深いものだった。

 41人ではなく42人……。プラス1は脳梗塞で倒れた斯波の父(柄本明)だった。俺自身も発症し入院したことがある脳梗塞で体の自由が利かず、認知症になった父の介護で疲れ果てた斯波は、生活保護を撥ねつけられる。ニコチン注射を打っての嘱託殺人は最後の手段だった。<社会の底から落ちたら終わりで、自助努力なんてまやかし。安全地帯にいるあなたにはわからない>と斯波に問われ、大友は表情を歪めながら<法の正義>を説く。

 斯波は自身の体験に基づき、高齢者と家族の重荷を取り除いたと主張する。それを斯波は「ロストケア(喪失の介護)」と呼んだ。<絆を断ち切ることで、当人を含めて家族を解放した>と語る斯波の〝殺人〟に、結果として感謝する家族もいる。介護に疲れ果てていたシングルマザーの羽村(坂井真紀)は母の死後、新しい一歩を踏み出す。同じく限界にまで追い詰められていた梅田(戸田菜穂)は解放感を上回る怒りをあらわにする。

 本作に重なったのは映画「PLAN75」(昨年6月28日の稿)だ。高齢者連続殺害事件をきっかけに<75歳に達した人間に自ら生死の選択を与える=安楽死>という法案が成立する。近未来ディストピアだが、日本で恵まれた老後を送っているのは一握りの勝ち組だ。「ロストケア」に登場する要介護の老人たちと家族もぎりぎりの生活を送っている。人が殺せば罪、国が殺せば? 死刑制度についても斯波は言及していた。

 松山は目の演技が秀逸で、優しさ、怒り、慟哭、諦念を表現していた。一方の長澤は2歳年下だが、ストーリーが進行するにつれ迷いと苦悩が刻まれ、年齢が逆転したように感じた。施設に入居している母(藤田弓子)も認知症を患っており、生き別れの父とのエピソードがラストで明かされる。<救い>と<裁き>で対峙する両者を凝った映像が浮き彫りにする。取調室で大友の顔が四つの窓に映り、拘置所では和解を仄めかすように両者の影像が重なった。

 聖句をキーワードに掲げた本作は社会的な矛盾を後景に、共生、絆、人間の尊厳、罪と罰といった重いテーマを問いかけてくる。繰り返しご覧になった方も多いという。<見えるものと見えないもの>ではなく、<見たいものと見たくないもの>が世の中を分けているという大友の台詞が印象的だった。大友は斯波によって<見たくないもの>に気付く。俺は施設で暮らす母に思いを馳せた。
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「死してなお踊れ 一遍上人伝」~アナキズムとは捨てること

2023-04-06 21:27:58 | 読書
 年金受給年齢の62歳から64歳への引き上げを巡って、フランスではデモやストライキが頻発し、先月下旬には2度、100万人前後が抗議運動に参加した。製油所と学校の閉鎖、交通網の混乱など影響はあったが、〝富裕層の代弁者〟マクロン大統領への批判の声はやまない。勤勉でおとなしい日本人はお上の言いなりだが、労働への執着が小さいフランス人は、「死ぬまで働かせやがって」と不満を隠せないのだ。

 「日本でこんなこと起きないかなあ」と羨望の眼差しを向けている不逞の輩もいるかもしれない。そのうちのひとりがアナキズム研究者、いやアナキストの栗原康著「死してなお踊れ 一遍上人伝」(河出文庫)を読了した。栗原を紹介するのは「村に火をつけ、白痴になれ~伊藤野枝伝」、「サボる哲学~労働の未来から逃散せよ」に次ぎ3作目になる。

 栗原が大杉栄のパートナーだった伊藤野枝をアナキズムの文脈で語るのは当然だが、一遍上人の生き様も〝理想のアナキスト〟と映ったようだ。ポップな筆致が弾けている。一遍については鎌倉中期の僧侶で時宗の開祖というぐらいの知識しかない。有力な御家人の一族だったが、承久の乱で後鳥羽上皇側についたことで、一遍が生まれた頃には没落していた。

 一時期、中世史にハマったことがある。中世とは自由と混乱のさなか、少しずつ人々の意識が固定化していく時代だった。農業の進歩で定着の価値が高まり、共同体から出て流浪する者を蔑んだ。更に、月経で血を流す女性、人の死に関わる者、動物の遺骸を扱う者、ハンセン病患者への差別が顕現化する。聖と穢れのアンビバレンツを体現したのが一遍で、被差別者に手を差し伸べ可視化したことは、「一遍聖絵」に描かれている通りだ。

 栗原は<一遍が学んだ浄土教は侠気の思想>と理解している。<自分の名を10回も唱えても浄土に生まれることが出来ないなら、俺は仏になんかならない。俺は衆生を、万人を救いたい>という阿弥陀(法蔵)の教えに一遍は倣っている。日常を打ち捨て、一遍は遊行の旅に出る。<南無阿弥陀仏>を唱えれば浄土に行けるという浄土宗開祖の法然の教えは、世間と軋轢を生むラディカルな発想だった。

 高僧は長年ストイックに修行し、悟りの境地に達する。だが、法然、親鸞、一遍は念仏を唱えれば誰でも救われると説く。とりわけ一遍が率いる時衆は裸に近い格好で踊り、歌い、叫んで全国を回る。社会からパージされていたハンセン病者も含まれていた。意図したわけではないが、反権力的な空気を醸し出す集団になる。

 栗原はギリシャ語の語源に遡りアナキズムを<無支配主義>と規定する。例えば、<支配-被支配>の構図を受け入れ権力に阿ねれば、必然的にヒエラルキーで下位の者に高圧的に振る舞うようになる。一遍は遊行する際、上下、左右、貴賤に囚われず、全てを捨て去るというルールを定めた。「村に火をつけ――」に感じたのは伊藤野枝の燃えるような色調の狂いだったが、一遍もまた狂いを纏い、自身から全てを捨て去るように踊る。<念仏とは捨ててこそ>と繰り返し語った。
 
 一遍は実体験で、形あるもの――富や地位――は必ず壊れることを知っていた。踊り念仏の精神とは、壊して、騒いで、燃やすことと説いているが、踊り方に特徴があった。遡ること300年、念仏信仰の先駆者とされる空也の影響で、一遍たちは反時計回りで踊った。時間を超越するという意味が込められていたのだろう。空也の場合は祈祷の色合いも濃かったが、一遍率いる時衆の踊り念仏はエンターテインメントの要素もあった。お札をまき、民衆の関心を惹きつけ、ステージまで用意する。

 名刹や高僧の多くに拒絶されたが、一遍は挫けない。一遍には壁を破る力があった。それは言葉である。歌を詠む能力が評価された時代、一遍は宗教者、教養人、武士のみならず、庶民の気持ちを惹きつけた。栗原はあとがきで、一遍を知るきっかけは大卒後、六波羅蜜寺で空也と出会ったことだという。栗原は空也と一遍に現代的な意味を見いだした。底の底まで落ちても、必ず道は開けるのだと……。

 新宿できょう、映画「ロストケア」を見た。社会にあいた穴から落ちた者にどのような選択肢はあるのかを問いかける作品だった。感想は次稿で記したい。
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プロ野球開幕~球春に溶ける60年の記憶

2023-04-02 22:34:55 | スポーツ
 まずは訃報を。坂本龍一さんが亡くなった。享年71、がん闘病の末に力尽きた。YMO、そして「戦場のメリークリスマス」や「ラストエンペラー」で手掛けた楽曲の記憶が鮮明に残っている。反原発集会でアピールするなど社会と向き合う姿勢も感銘を覚えた。時代を変えた革新的なアーティストの死を惜しみたい。

 藤浪(アスレチックス)の投球にがっかりした。いいスタートを切ったのに、ランナーをためると制球を乱し、集中打を浴びる姿は阪神時代そのままだ。11年前、センバツで投げ合った時は藤浪(大阪桐蔭)が大谷(花巻東)に投げ勝った。素質は互角だったはずだが、決定的な差が生じたのはなぜだろう。
 
 「春は嫌い。浮き浮きしている周りとそぐわないから」……。これが俺の口癖だ。20歳を過ぎて外れ者、すね者まっしぐらになった俺の偽らざる本音だが、10代の頃は春が待ち遠しかった。1960~70年代は桜の開花が今より遅く、満開になる頃、プロ野球が始まる。今年の開幕にこの60年の記憶が溶け出てきた。

 俺は巨人→広島→近鉄→横浜と贔屓チームを変えてきた。世紀が変わる頃からはベイスターズファンで年に数回、横浜スタジアムに観戦に向かう。〝一筋〟なんて似合わない浮気性ゆえだろう。スタートは全国中継が巨人戦だけだったから、巨人ファンになった。長嶋が好きだった母の影響も大きかった。ちなみに俺のヒーローは時を止める王だった。

 中高は男子校で阪神ファンと巨人ファンが拮抗していた。教室での話題の中心はもっぱら野球で、虎狂の同級生と丁々発止を楽しんでいた。解説者として記憶に残っているのは、後にタレントとして成功する板東英二、指導者や経営者として球界に貢献した根本陸夫である。板東はエンターテイナー、根本は<プレッシャー>を一般的に流布させた。

 個人的な「フィールド・オブ・ドリ-ムス」第1弾は1966年7月27日のボールパーク初体験だ。父と叔父に連れられ、甲子園で阪神対巨人を見た。白黒テレビを見ていた俺は、カラフルなグラウンドとざわめきが醸し出す「野球の匂い」に、たちまち胸がいっぱいになった。

 巨人の練習中、連係が乱れ、三塁側スタンドの俺の足元にボールが転がってきた。苦笑いした土井が、グラウンドでグラブを構えている。「エイッ」とボールを投げるとストライクでグラブに収まり、土井が笑顔で会釈してくれた。試合は巨人先発の悪童堀内が阪神に3点を先行されたが、赤手袋の柴田が塁上を駆け巡り、ONが夜空にアーチを懸ける。立ち直った堀内は、開幕13連勝の新人記録を達成した。

 上京するや、反骨精神が膨らんできたからか、アンチ巨人になる。「フィールド・オブ・ドリ-ムス」第2弾は伝説の「10・19」(88年)である。学生時代の先輩と川崎球場で、ロッテ対近鉄のダブルヘッダーを見た。近鉄は連勝が優勝の条件だったが、第2試合で引き分け、力尽きる。飄々とした仰木監督、ベンチで動けなくなった中西コーチ、美しい敗者だった阿波野、河内のあんちゃん風の野手たち……。魅力ある顔ぶれが揃っていた。その延長戦上で、当時在籍していた吉井が監督を、光山がコーチを務めるロッテを今季は応援するつもりだ。

 さて、ベイスターズは不可解な選手起用もあり、阪神に3連敗と出足は最悪だった。バウアーは早々に治療で帰国しそうだし、大貫とオースティンの一軍合流も早くて今月末か。7月以降、ジワジワと浮上してくれればいい。高望みはせず、楽しみたいと思っている。
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