酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

シンポジウム「日本の政治と社会を立て直す」に参加して~キーワードは<普遍性と特異性>

2018-11-28 21:05:57 | 社会、政治
 アーモンドアイに愛は届いた。仕事先の夕刊紙記者とカメラマンはレース直後、涙目になったという。俺もそうだった。なぜ彼女は人々を感動させるのか? 強いから、それとも可愛いから? 最大の理由が関係者の声で浮き彫りになる。

 パドックでは活気に溢れるアーモンドアイだが、口取り式では脱水状態で、息が入らないほど消耗している。力を出し切り、精根尽き果てているのだ。俺を含め〝寸止め〟で生きている人間が彼女に魅せられるのは当然だ。来秋の凱旋門賞でエネイブルとの対決を心待ちにしている。
 
 移民拡大のための入管法改正、伊高級ブランド「ドルチェ&ガッバーナ(D&G)」の広告動画を巡る中国での大騒動……。これらを読み解く際のキーワードは<普遍性と特異性>で、ゴーン問題を論じる切り口のひとつでもある。

 ゴーンはグローバリズムという普遍性を日本に持ち込んだ。労働者を奴隷化する成果主義を導入し、リストラや非効率部門の整理で見かけ上の実績を挙げたが、「国内シェア5位転落は明らかな失敗」との声もある。トマ・ピケティは<リーダーが全部決める仕組みと、上限設定のない報酬制度の結果がこれ>とコメントしたが、フランスでは日本の司法制度を疑問視する報道が目立っている。

 俺は<死刑制度と供託金制度が日本の民主主義を阻む壁>と記してきた。「先進国標準と逸脱しているから廃止すべき」と語っても反響は小さい。戦争法を批判する人の多くも死刑肯定だった。莫大な供託金が政治の安定をもたらしていると主張する保守派もいる。普遍性と特異性をバランス良く浸潤させることが、日本が抱える課題だと思う。

 先週末、研究所テオリア第7回総会記念シンポジウム「日本の政治と社会を立て直す」(文京区シビックセンター)に参加した。1部は杉田敦法大教授、2部は木村真豊中市議の講演。所用があったため第3部の両者の対談前に退席したのは残念だった。

 朝日新聞紙上での長谷部恭男東大名誉教授との対談でもお馴染みの杉田氏は、安倍政権に至る道筋と現状と緻密に分析する。立憲主義、自由主義、民主主義の定義を的確に示す杉田氏に、学生時代(40年前)で受けた講義を思い出した。<安倍政権は唐突に現れたわけではなく理論的背景があった>との言葉に説得力を覚えた。

 民主党が掲げた<政治主導>の失敗を反面教師に、安倍政権は官邸主導を確立し、霞が関を屈服させた。独裁的手法を政治学者たちが結果的にバックアップしてきたことを詳らかにする。丸山真男が戦前の日本を<無責任の体系>と論じた影響で、政治学の分野では<一元化>を志向する流れがあったことを例示していた。

 第1は新自由主義、第2は国家社会主義、第3は排外主義、第4は内閣中心主義……。杉田氏は安倍政権を様々な要素の混淆と見做している。奇妙なことに、移民拡大に対して、安倍政権の強固な支持基盤の右派から表立った批判が起きていない。各論反対も不支持に繋がらず、内閣支持率も50%に復帰した。

 日本社会を最も深く洞察している星野智幸が2004年に発表した「ロンリー・ハーツ・キラー」第3部に、その名前からして安倍首相をイメージさせる岸首相が登場する。治安強化を主張して権力の座に就いた岸は、民主主義否定の政策を着々と実行する。発刊後14年経った今、日本の状況は決して特異ではない。独裁的手法、排外主義、弱者への冷酷さは、世界の普遍になった。

 第2部の講演者である木村氏に接したのは緑の党総会以来、9カ月ぶりだ。パネルディスカッションに顔を揃えた緑の党会員、サポーターの自治体議員のひとりが木村氏だった。木村氏は自転車で市内を駆け回り、苦情や要望をキャッチする。欧米では普遍的な光景だが、日本では特異になりつつある草の根民主主義の実践だ。

 日常の活動の過程で森友疑惑を〝発見〟する。木村氏は「たまたまだった」と謙遜するが、各メディアに連絡しても当初、梨のつぶてだった。世間が騒ぎ始めた頃には、木村氏の手を離れていたという。「華氏119」(マイケル・ムーア監督)ではアメリカにおける社会主義の浸透が描かれていた。左翼を自任する木村氏が緑の党総会で「脱成長≒反資本主義こそ緑の党に期待すること」と語っていたのと重なった。

 戦後史を俯瞰する学究派、アクティブにネットワークを構築する活動家……。日本の政治と社会を立て直すための両輪、静と動の鮮やかなコントラストを実感したシンポジウムだった。
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還暦男の横恋慕~アーモンドアイに愛は届くか

2018-11-24 19:50:07 | 競馬
 ゴーン問題の余波は収まりそうにない。強欲ぶりを伝える日本メディアと対照的に、欧州メディアは擁護に回り、英フィナンシャルタイムズは「ゴーンはハメられた」といった論調だ。フランスでは「経済事案の容疑者を勾留するのは異常」と日本の司法制度を疑問視する報道もある。

 切り口は様々だが、この件について感じていることを次稿の枕で記すつもりでいる。キーワードは<普遍性と特異性>だ。フランス側の交渉を受け持つ経済相の名にビビッとくる。JRA移籍後、すっかり日本に馴染んだフランス人騎手と同じ名前だ。

 国立新美術館で「生誕110年~東山魁夷展」を鑑賞した。チラシに記された<情感にみちた静謐な風景画>のみインプットして会場入りするや、魁夷の世界が感応し、皮膚の内側に染み込んできた。<風景画≒リアリティー>と考えていたが、東山は風景を心の裡にいったん閉じ込め、濾過した後、キャンバスに向かったように思える。

 <リアルとシュールの境界に聳える蜃気楼>が俺の感想だ。人の姿は一枚のみ、それも窓際に佇む頭だった。描き込んだ人と自身の主観が交錯することを、忌避したのかもしれない。それによって、作意が鑑賞する側に直に伝わってくる。白馬をモチーフにした連作(1972年)について東山は、<白馬は祈りの表現>と語っていたという。

 美術館を出て六本木を歩いていると、ミッドタウン周辺に人だかりが出来ていた。恒例のクリスマスイルミネーションだが、幽玄の極致を堪能した後だけに感興は覚えなかった。東山の崇高さと無縁な俺も、実は一頭の馬に祈りに似た思いを寄せている。

 ジャパンカップの枠順が確定し、1番人気確実のアーモンドアイが1枠①番に入った。鞍上は上記のルメールで、日仏友好の象徴といえるコンビだ。惨敗でもしたら、両国の軋みの始まりなんて声が上がりそうだ。最内枠は追い込み馬に不利だし、ルメールも53㌔への減量は大変だろう。古馬との初対戦、父ロードカナロアの距離の壁と、中穴党にとって消す材料は揃っているが、俺はひたすらアーモンドアイの勝利を願っている。

 理由は簡単、ペーパーオーナーゲーム(POG)の指名馬だからである。POGは競馬を楽しむ最高のツールだが、陥穽もある。ギャンブルに愛情の要素が加わるからだ。幾許かのやりとりがあるから愛は欲とリンクしている。愛が試されるのはゲームの期間(俺のグループはダービー以降もGⅠのみ適用)が終わってからだ。

 アーモンドアイのみならず、POGで人気薄だった昨年の指名馬、ダノンプレミアム、タワーオブロンドン、エタリオウが好結果を残してくれた。〝いいことは続かない〟という人生訓から、今年は方針を変え、有力厩舎が管理する良血馬を多く選んだが、現状はイマイチだ。

 凱旋門賞とBCターフを連勝したエネイブル、さらにウィンクス、アルファセントーリと牝馬が世界の競馬界を席巻している。アーモンドアイがJCを制し、凱旋門賞へ……なんて夢は見ていない。一戦必勝タイプの同馬の海外遠征は難しいと思う。シルクレーシング(馬主)もノーザンファーム(生産者)も繁殖入りまで射程に入れ、冒険はしないはずだ。

 中央登録を抹消され、地方で細々と走っているかつての指名馬のその後も気になる。牝馬には繁殖入りの目もあるが、消息不明になった牡馬の多くは馬肉になっているはずだ。勝ち目は全くない馬の単勝馬券を、愛ゆえ買うこともたびたびだ。

 転落馬の筆頭がティルナローグ(騸、6歳)だ。新馬→500万下を圧勝し、ダービー候補と目される。通過点のはずの京都2歳Sで圧倒的1番人気に推されたが7着惨敗。その後は1勝のみで4年後の今、1200~1400㍍を中心に使われている。人気薄だからオッズもつく。素質馬はなぜ、復調しなかったのか気になっている。

 俺は常々、格差と貧困の是正こそ最重要の課題と記している。だが、世間に先んじて格差社会になったのは競馬界で、今じゃ社台系の独裁だ。情や絆が入り込む余地は少ない冷酷な仕組みで、明らかに普段の俺の言動と矛盾している。言い訳っぽいが、愛を育むPOGに参加している限り、競馬から離れられないだろう。
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「邪宗門」再読~<言葉の身体性>を突き付ける壮大な叙事詩

2018-11-21 20:41:14 | 読書
 〝労働者の生き血を吸う醜いコウモリ〟ことカルロス・ゴーン日産会長が逮捕された。莫大な広告宣伝費を鑑み、メディアはゴーン個人を悪者にして、日産本体は叩けないだろう。1%の〝ゴーンもどき〟と安倍政権が手を携え、99%は奴隷になりつつある。

 老い先短い今こそ、来し方を振り返る時機と考え、福永の「死の島」に続き、40年ぶりに高橋和己の「邪宗門」(河出文庫、上下1200㌻)を再読した。記憶を遥かに超える重厚な作品で、初めて読んだ時、全体像を理解出来るレベルになかったことを痛感した。

 本作の舞台は京都北部(神部)を拠点にする宗教団体「ひのもと救霊会」だ。教団を興したのは行徳まさで、2代目教主の行徳仁二郎は人間的魅力に溢れている。大本教をモデルにスケールアップさせたことは明らかだ。救霊会はコミューン的志向が強く、天皇制とも距離を置いていた。農民一揆、大塩平八郎の乱を連想させ、足尾鉱毒事件などの反体制運動の水脈を受け継いでいる。武装化した宗教団体として、「オウム真理教に影響を与えたのではないか」と本作を分析する識者もいた。

 昭和初期、100万人の信者を誇り、製糸工場、新聞社、病院を経営する救霊会はファシズムの嵐に耐えていた。神殿は破壊され、教主も獄中にいる。そんなある日、7歳の少年、千葉潔が本部に流れ着いた。既に地獄を体験していた千葉は出奔後、テロ、放浪、三高、応召を経て本部に帰還し。20年後、自ら餓死を選択する。

 高橋和己は<日本のドストエフスキー>と称されたが、千葉も「悪霊」のスタヴローギンのように明晰な頭脳と魔性を併せ持っている。第3代教主になった千葉の計画――地方の農村共同体を基盤に叛乱を起こし、全国に波及させる――はナロードニキの理念に重なる。

 戦後の混乱期で「邪宗門」は終わるが、戦争法、秘密保護法、共謀罪法が成立し、憲法改悪が射程に入ってきた今、本作は刺激的でフレッシュなままだ。千葉は山口に赴き、<(日本は敗戦で)混乱していても、身体を支える神経はくずれていない。中央から末端まで、財政の機構、通信電話の連絡網がばしっと通っている>と新興宗教の開祖に語り掛けた。<第二の敗戦>といわれた3・11を経ても、日本の構造は変わらなかった。

 「悲の器」(62年)でデビューしてから9年、高橋は心身を切り刻みながら膨大な数の小説と評論を著す。39歳での死は〝時代に殉じた〟というべきで、生き長らえていたら世界で高評価を獲得したに違いない。解説の佐藤優氏は<日本が世界に誇る知識人による世界文学>と評している。

 森友問題で安倍首相を守った佐川宣寿前国税庁長官は学生時代、高橋の愛読者だった。作品の主人公の多くは自壊する。反安倍サイドは佐川氏が〝初心〟に帰り、真実をぶちまけることを期待したが、叶わなかった。佐川氏にとって、高橋は〝通過儀礼〟だったのか。

 「邪宗門」の背景にあるのは、1920年代から敗戦直後に至るまでの抵抗する側から描いた日本の政治思想史、精神史だ。弾圧された宗教団体と左派、満州や南方戦線で棄てられた兵士や移民の塗炭の苦しみを高橋は詳述している。骨太の魂だけでなく精緻な筆致に、高橋の卓越した力量を再認識した。

 千葉を巡る仁二郎の娘阿礼と阿貴姉妹との愛の形が、崩壊にひた走る壮大な叙事詩を彩っている。反逆の意志を抱く登場人物が配されていたが、千葉と一対を成すのが植田文麿だ。植田は陸軍尉官としてテロに関与し、その後、九州で炭鉱夫として働く。強制連行された朝鮮人労働者の悲惨な実態もその目を通して描かれていた。戦後、労働運動のリーダー格になった植田は引き寄せられるように神部に戻る。

 仁二郎には2通の遺書があった。安寧と融和を説くものではなく、反抗を説くもう一通の遺書が教団を動かす。3代目教主に就いた千葉、三高時代の友人、救霊会に加わっていた左派活動家、厭世的な阿礼、そして植田……。彼らの意志が坩堝の中でケミストリーを起こし、救霊会は警察、そして進駐軍と対峙する。

 本作の連載はベトナム反戦、全共闘が種火の時期だった1965年、「朝日ジャーナル」で始まった。高橋は自らの死後の停滞を予感していたのではないか……。俺はそう感じている。中学2年時の11月、自衛隊市ケ谷駐屯地で三島由紀夫が自決し、半年後、高橋和己が病に斃れた。高橋は全共闘に寄り添い、三島は「血が涸れるまで闘うぞ」といった全共闘のアジテーションに危機感を募らせた。

 立ち位置は真逆の両者だが、雑誌での対談から互いに敬意を抱いていたことは明らかだ。両者の共通点は<言葉の身体性>を実践したこと。薄っぺらい言葉がフワフワ舞う今、言葉の身体性が問われている。
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シャーベッツ20周年記念ライブでロックの極北を体感する

2018-11-17 20:50:06 | 音楽
 ノーベル文学賞発表の時期になると、〝今年こそ村上春樹〟と大騒ぎになるが、日本人作家の本命は多和田葉子かもしれない。別稿(16年11月)で<フィールドワークから生まれたリアルなデストピア>と評した「献灯使」(14年)が全米図書賞(翻訳部門)に輝いた。ドイツ語で執筆した多くの作品は既に欧州で高い評価を受けている。英訳された本作での受賞で、機は熟したか。

 当ブログでも紹介したが、ケン・ローチ、アキ・カウリスマキ両監督ら多くの映画人がイスラエル政府後援の映画祭(今年5月、ロンドン)をボイコットするよう呼び掛けた。事の成否は確認出来ていないが、パレスチナへのジェノサイドに抗議するイスラエルボイコット(BDS)が広がっている。

 世界の流れに逆行するイベントが今月6日、オペラシティで開催された。「イスラエル建国70周年記念コンサート」に知人の杉原浩司さん(武器輸出反対ネットワーク代表)は十数人の仲間とオペラシティで抗議活動を行う。武器とセキュリティーを巡って防衛装備庁と連携するイスラエルは、トランプ大統領の庇護の下、国連でも歯止めが利かないテロ国家になっている。

 EXILEのメンバーがイスラエルの人気歌手と「イマジン」をデュエットしたという。平和、平等、反戦の思いが込められた同曲は湾岸戦争の折、英国で放送禁止になったプロテストソングで、ガザでこそ歌われるべきだ。当夜の行為はジョンの貴い魂を冒瀆するものといえる。

 ロッキング・オン誌HPで、日本のガールズバンド「CHAI」の存在を知る。ボン・イヴェールのジャスティンが、NYで初ライブを行ったCHAIのインタビューに、<CHAIみたいな人たちが世界をよりよい場所にしてくれる>とリツイートした。世間が決めた<美>に縛られた女性の解放を目指すCHAIに、女性の権利を訴えてきたジャスティンが感応したのだろう。

 「20th Anniversary Tour 2018~8色目の虹」と題されたシャーベッツのツアーファイナル(14日、TSUTAYA O-EAST)に足を運んだ。シャーベッツ、いや、浅井健一(ベンジー)のライブを見るのは赤坂BLITZ(2011年7月)以来、7年ぶりで、当時もシャーベッツだった。

 シャーベッツのライブに予習は不要だ。皮膚に染みついた音の欠片が進行とともに溶け出し、表面に滲みてくる。アンコール2回で2時間10分、心も体も冷たく焦がされた。10周年ライブ(08年、東京ドームシティホール)は照明や映像をフルに用いた壮大なメランコリアだったが、今回は演出は控えめで、前半から「カミソリソング」などエッジが利いた曲が多かった。

 オープニングの「トカゲの赤ちゃん」、「グレープジュース」、「タクシードライバー」「フクロウ」、「水」、「ジョーンジェットの犬」、「わらのバッグ」とお馴染みの曲が続く。画家でもあるベンジーは水彩画、童話の挿絵を描くように、脳裏に映る光景に詩とメロディーを重ねて曲作りしているのだろう。絵本化される「ベイビーレボリューション」(奈良美智)もセットリストに含まれていた。

 3~4年おきの新作発表はツアー&フェスのスケジュールに織り込まれ、代理店、メディア、SNSが後押しする……。ベンジーは内外のバンドが従っている<システム>と異次元の存在だ。ブランキー・ジェット・シティ(BJC)でデビュー以降、シャーベッツ、YUDEなど複数のユニットでフロントマン(ボーカル&ギター)、作詞・作曲を担当し、27年で30枚前後のアルバムを発表したギネス級の〝ロック体力〟を奇跡的に保ち、53歳の今もザ・インターチェンジキルズでツアーを展開中だ。

 キュアーの大ファンである俺が、異質と思えるベンジーになぜ魅せられたのか。BJC初期は暴力的、不良といったイメージだったベンジーと、言霊ならぬ〝音魂〟に導かれて出合ったのだ。

 ベンジーは好きなギタリストを問われ、「スージー&バンシーズのギタリスト」と答えていた。バンシーズ来日時のギタリストはロバート・スミス(キュアー)である。“Last Dance”はBJCのファイナルライブを収録した作品のタイトルだが、キュアーの“Disintegration”に同名の曲がある。シャーベッツの「ナチュラル」のジャケットは、“Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me ”の裏ジャケと酷似していた。

 キュアーへの傾倒が何より窺えるのはベンジーの歌詞だ。絵を描くようにイメージの連なりを紡ぐ手法を確立したのはロバート・スミスである。ベンジーはオーロラのような蒼い焰を放射しながら独楽のように回り続け、ファンを<ロックの極北>に導く。今回のセットリストから漏れた名曲の数々を聴くためにも、シャーベッツのライブに足を運びたい。
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「しあわせの経済 世界フォーラム イン 東京」に感じた変化の兆し

2018-11-13 18:46:57 | 社会、政治
 映画「Search サーチ」(18年、アニーシュ・チャガンティ監督)をメインで紹介するつもりだったが、枕に変更した。理由? 百点満点のエンターテインメントゆえ、あれこれ書いて興趣を削ぎたくないからである。

 斬新な手法に「アイ・イン・ザ・スカイ」が重なった。「サーチ」は全編、PC画面上で進行するからだ。前々稿で日本版「十年」を紹介した際、♯3「DATA」について、<(SNS上の)全データを蓄積すれば、個々の全体像に行き着くのか>と自問した。「サーチ」では失踪した娘マーゴット(ミシェル・ラー)の消息を追うITエンジニアの父デビッド(ジョン・チョー)が、SNSをフル活用し事件の顛末に辿り着く。

 二転三転するサスペンスで、面白さなら「去年の冬、きみと別れ」(今年3月公開)に匹敵する。アメリカで人気の中村文則原作でもあり、「去年の冬――」の配給はワーナー・ブラザーズだった。「サーチ」は監督、主なキャストはアジア系で、ハリウッドの懐の深さを感じさせる。

 「しあわせの経済 世界フォーラム イン 東京」(11日、明治学院大)に参加し、マルシェ出展者として緑の党会員が作った無農薬野菜とビーガンマフィンを販売する。その傍ら、緑の党の活動を告知するチラシを配った。反原発集会同様、緑の党の認知度は極めて高く、野菜とマフィンはソールドアウトの活況だった。

 講演会場には足を運ばなかったが、語られたことは想像がつく。基調報告を行ったのは 第25回「ソシアルシネマクラブすぎなみ」で上映された「幸せの経済学」のヘレナ・ノーバーグ=ホッジ監督(環境運動家)で、同作を配給したユナイテッドピープル(UP)もマルシェに出展していた。

 緑の党会員発のプロジェクト「ソシアルシネマ――」はUPと連携し、数多くの作品を高円寺グレインで上映してきた。「幸せの経済学」以外に「ダム・ネーション」、「バレンタイン一揆」、「0円キッチン」、「第4の革命」などをブログで紹介するたび、ローカリゼーション、持続可能な社会、自然との調和、地産地消、脱成長、ミニマリズム、分散型社会、ダウンシフトといった言葉をちりばめ、作品を評してきた。

 フォーラム参加者とパネラーの立ち位置は共通している。競争より共生、対立より調和、独占よりシェアをいう柔らかな志向だ。若者、女性の姿が目立つ会場には温かな空気が流れていた。「反グローバリズム!」と拳を振り上げるのではなく、<反>ではない価値観を自然体で追求していることを感じた。

 隣の出展者は無農薬野菜栽培に取り組む「マイラブファーム」(千葉市)だった。パートナーと菜園を経営するマイケルやもさんはかなりの有名人で、写真撮影に応じていた。彼はマイケル・ジャクソンのいでたちで、環境保護を訴える日本中のイベントに参加し、パフォーマンスを披露している。NHKに取り上げられたことがあったらしい。

 マイケルやもさんは5反(70㍍四方)の農園で50種ほどの野菜を栽培しているという。<生産物=自分自身>とのアイデンティティーは明確だから、大変な作業も苦にならない。共通の友人は匝瑳で活動する高坂勝さん(緑の党元代表)で、閉店した池袋のバーも訪れたことがあるという。来年の開催も決まっているので、出展者としての再会が楽しみだ。

 <常軌を逸したトランプがアメリカの覚醒と胎動をもたらした>と記した。今回のフォーラムで変化の兆しを感じたが、吸収すべき組織がない。社会主義を公然と掲げる米民主党進歩派と対照的に、永田町の地図は手垢で汚れている。メディアが報じる<小沢一郎-橋下徹-前原誠司>の野合など胎動と無関係で、自公の補完物に過ぎない。


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「華氏119」~ムーアが写すアメリカの覚醒と胎動

2018-11-09 10:27:18 | 映画、ドラマ
 中学生の頃、総選挙の投票先を巡って両親が話していた。父は社会党、母は民社党……。意見の相違ゆえ穏やかなトーンだったが、立ち位置が異なるとそうはいかない。そのことをアメリカ人は今、痛感しているはずだ。福音派は民主党を悪魔と罵り、リベラルにとってトランプ大統領は狂人だ。分断が第二の南北戦争に至ることを心配する識者もいる。

 米中間選挙の開票が進んだ7日朝(日本時間)、新宿で「華氏119」(18年、マイケル・ムーア監督)を観賞する。多くの人が終映後、スマホで速報をチェックしていたのが印象的だった。本作の謳い文句は<トランプ政権への一撃>だ。ムーアはトランプをヒトラーに重ねていたが、<トランプを育んだのは堕落した民主党>との思いを作品にちりばめていた。

 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは2000年と08年の7月、民主党大会会場近くで演奏し、虚妄の2大政党制に〝ノー〟を突き付けた。レイジがウォール街で決行したゲリラライブを撮影し、「スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイアー」のMVを制作したのがムーアだった。俺は同曲をアラームに設定している。

 虚妄の2大政党制の終焉近しを予感させた今回の選挙は、いずれターニングポイントと評価されるはずだ。<成熟した資本主義を経て社会主義へ>のマルクスの理論が、アメリカで初めて実現する……なんて書くと、一笑に付されるだろうが、俺は幾許かのリアリティーを感じている。

 本作で「18~29歳の若者の51%が社会主義を信じている」と問いかけた青年に、民主党院内総務はあきれ顔を浮かべた。だが、「国際報道」(NHK・BS1)では民主党支持者の57%が社会主義を肯定しているというデータを示していた。10代が支えた反組合法ムーブメント→「ウォール街を占拠せよ」→サンダース旋風……。この流れの延長線上に今回の中間選挙がある。

 火に油を注いだのがトランプだ。女性、黒人、移民、ムスリム、ネイティブアメリカン、性的マイノリティー、貧困層……。喘ぎ苦しむ者たちがレーゾンデートル(存在理由)を懸けて投票所に赴く。全体、若者(18~29歳)の投票率はそれぞれ10%ずつ上がり、47・3%、31%を記録した。出口調査によれば、若者の3分の2は民主党支持である。

〝民主党の善戦は想定内〟が主要メディアの分析だが、地殻変動は遠からず明らかになる。社会主義者を自任するサンダースの影響を受けた民主党プログレッシブ(進歩派)の台頭を恐れているのは、党内守旧派、政治資金で金縛りにしようと試みる大企業、体制維持を願うNYタイムズら〝自称〟リベラルだ。

 冒頭、ヒラリー・クリントンを大統領候補に指名した民主党大会が映し出される。ムーアは投票結果の改竄を白日の下にさらし、サンダースは候補の座を奪われた。今回の下院選でも同様で、予備選に立候補した進歩派を恫喝する民主党幹部の声が公開されていた。

 最も印象的なエピソードは、ミシガン州スナイダー知事(共和党)の非人道的な政策だ。水源地の入れ替えにより、同州フリントに暮らす黒人の貧困家族は鉱毒が大量に含まれる水道水を飲むことを余儀なくされる。知事は関連部署に健康被害データ改竄を命じた。製品劣化を抗議したGM工場のみ水源を戻したことで、住民の怒りは爆発する。

 救世主として登場したのがオバマ大統領(当時)だ。住民集会に参加したオバマは壇上でフリントの水道水を飲むふりをするが、ムーアの目はごまかせない。手の動きを追ったカメラは、グラスに口をつけただけで一滴も飲んでいない事実を写していた。〝浄水器を使えば大丈夫〟という知事の意向に従ったオバマの茶番に、住民たちは失望した。

 俺は当ブログで〝聖人オバマ〟の歪んだ素顔を暴いてきた。〝史上最悪の武器商人〟の座をオバマから引き継いだのがトランプだ。ムーアはオバマの悪行の数々を本作で示していた。

 抵抗する側に寄り添うムーアは、低賃金に喘ぐウェストバージニア州の教師たちのベースアップ要求、企業寄りの新保険制度拒否の運動を追う。解雇を覚悟した教師たちのストは全州に広がり、住民を味方につけて勝利する。日本ではお目にかかれない自由の発露に感銘を覚えた。

 銃規制を求めるティーンエイジャーの運動は、反組合法以上の広がりを見せる。日本では内向きのタコ壷形成のツールになったSNSによって、10万人規模のデモが全米各地で開催される。校長の静止を振り切って「みんな退学になるの」と笑っている少女たち、自らの意思を明確に語る11歳の少年の姿……。沈黙が世の習いになった日本の現状が浮かんで、絶望的な気分になった。

 本作に登場した女性たちの多くが下院議員になり、ニュースで大きく紹介されている。州議会レベルでは変化はさらに大きいという。常軌を逸したトランプがアメリカの覚醒と胎動もたらしたことを実感している。
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是枝裕和監修「十年」~気鋭の映像作家5人の挑戦

2018-11-05 22:26:17 | 映画、ドラマ
 仕事先の夕刊紙は最近、年金と福祉の後退、非正規&外国人労働者の深刻な状況など見据え、<日本は民主国家ではない>と主張している。右派の小林節慶大教授も「特権階級が闊歩する国会が、広範な層に配慮するはずはない」(論旨)と記していた。

 1%が99%を支配する構図を変えるためには、中間層や弱者の政治参加を拒む供託金制度(衆参地方区で300万円)の廃止が最も効果的と当ブログで主張してきた。第10回供託金違憲訴訟裁判(2日、東京地裁)では、原告の近藤さんが尋問に立ち、言論の自由を保障する憲法と供託金制度の矛盾を訴えた。

 韓国で供託金違憲判決が出たため、OECD加盟35カ国で日本が唯一、<先進国標準>逸脱することになる。1925年、治安維持法とセットで成立した普選法は、中下流層を国政から排除することが目的だった。戦後も受け継がれ、お上に逆らわず沈黙することが世の常になる。

 別稿(昨年8月24日)で香港映画「十年~TEN YEARS」(15年)を紹介した。5作からなるオムニバスで、2025年の香港を見据えた近未来のポリティカルフィクションは、<非情な抑圧者(中国)VS存在を懸けて抗議する者>の対立項が明らかだった。同作の精神に倣い、アジア各国で「十年」製作プロジェクトが進行する。公開初日、テアトル新宿で日本版を観賞した。

 <未来とは、今を生きること>が全作を貫くテーマで、是枝裕和監督が総合監修を担当した。ドキュメンタリー畑でキャリアを磨いた是枝を意識したのか、気鋭の映像作家5人は今を直視し、10年後の日本に思いを馳せる。各作品の感想を以下に記したい。

 「PLAN75」(早川千絵監督)のテーマは少子高齢化社会で、則介(川口覚)は<75歳以上の老人を安楽死させるプロジェクト=PLAN75>を担当する公務員だ。則介は出産を控えた妻、痴呆症で徘徊する義母を抱えている。公私で生と死に直面しているのだ。

 老人たちは生き長らえていることに罪障感を抱いている。国家的洗脳が21世紀の姥捨て山を可能にしているのだ。別稿(今年9月18日)で紹介した星野智幸著「焰」収録作「何が俺をそうさせたか」(11年発表)にも人口制限が描かれている。ラストの夫妻の明るい表情の裏側で、命の価値が崩壊していた。

 「いたずら同盟」(木下雄介監督)は学校現場におけるAI(プロミス)導入がモチーフだった。AIは各児童の言動に加え目標までも管理する。人間的感情の発露にブレーキをかけ、右額にセットされた小型通信機に警告を発する。解き放たれて山野を駆ける馬、追う児童たちを映し出す幻想的な映像の先に、言い様のない恐怖を覚えた。

 「DATA」(津野愛監督)は個人情報の意味を追う。女子高生の舞花(杉咲花)はデータ分析に強い隼人(前田旺志郎)の協力で、亡き母の生前のデータを収集し、実像に迫っていく。好きだった花、服、食べ物を知り、恋人らしき男の存在に行き着いた。データを蓄積すれば、個々の全体像に行き着くのか……。SNS時代の問題点を突く作品だった。

 「その空気は見えない」(藤村明世監督)は原発事故で放射能汚染が広がり、人間が暮らせなくなった地上を避け、地下で暮らす人々を描いている。ミズキは母(池脇千鶴)に逆らって、地上を生き生きと語るカエデの話に魅せられる。シェルターからの脱出は自由のメタファーなのか。一歩踏み出したミズキに、いかなる未来が待ち受けているのだろう。

 「美しい国」(石川慶監督)は安倍首相が第1次政権時に掲げたスローガンを下敷きにしている。広告代理店社員の渡邊(太賀)は防衛省の依頼を受け、徴兵制の広報を担当している。防衛省は天達(木野花)の抽象的なポスターにダメ出しし、渡邊が伝える役回りになる。

 天達方を訪れた渡邊は肝心なことを言いそびれ、ともに戦争ゲームに興じ、食事までご馳走になる。天達は自らの思いを明かし、継承してくれるよう渡邊に頼む。渡邊の背中に、天達は何を重ねていたのだろう。新しいポスターでは、AKB風の女の子のイラストが、<美しい国を守ろう>と直截的に訴えていた。

いずれ劣らぬ力作に共通していたのはペシミスティックなトーンだ。〝結〟がオブスキュアなラストは、「あなたは今、何をしますか」と観客に問い掛けている。供託金に違憲判決が出たら、自由な空気が横溢し、閉塞状況に風穴が空くかもしれない。10年後が少しでも明るくなることを切に願っている。
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デビュー20年、平野啓一郎の到達点を示す「ある男」

2018-11-01 23:03:41 | 読書
 邦題につられ、仏映画「負け犬の美学」(17年、サミュエル・ジュイ監督)を見た。枕で感想を簡単に記す。

 主人公のスティーブ(マチュー・カソヴィッツ)は13勝3分け32敗のプロボクサーで、日本なら強制的に引退させられる戦績と年齢(45歳)だ。スティーブをスパーリングパートナーに雇った元欧州王者タレムとの友情、娘オロールとの絆がストーリーの軸になっていく。ちなみにタレムを演じたのは元世界チャンピオンのムバイエだ。リアルさと寓意を併せ持つ佳作というべきか。

 家族との絆とは、自身の存在証明とは……。「負け犬の美学」が追求したテーマは、本題ともリンクしている。読了した平野啓一郎の新作「ある男」(文藝春秋)にも元ボクサーが登場した。

 平野関連のニュースといえば、前作「マチネの終わりに」の映画化で、福山雅治と石田ゆり子が主演を務める。連載終了時、「マチネロス症候群」に陥った女性が続出した至高のラブストーリーの謳い文句は「20万部のベストセラー」だ。〝20万〟という数字が、この国の純文学が置かれている状況を示している。

 私(作者)が紹介する形で弁護士の城戸が登場する。平野→城戸→谷口大祐→Xのベクトルは、実は一方通行ではなく、遡行している。ピースの欠けたジグソーパズルがプリズムで乱反射し、城戸、谷口、X、そして平野自身の虚実をも映し出しているように感じた。

 城戸は数年前、離婚調停に関わった里枝から連絡を受ける。死別した再婚相手の谷口大祐は戸籍上、別人だったことが判明したのだ。Xは誰で、いつ谷口と入れ代わったのか……。城戸がXの実体、そして谷口の現在に迫る経緯に「火車」(宮部みゆき)が重なった。

 話は逸れるが、渋谷はハロウィーンで大騒ぎだった。ハロウィーンが日本で根付いたのは、日本古来のハレ(非日常)とケ(日常)>の世界観に重なるからだろう。厳しい規律の下で暮らす者たちは、祭礼の場で羽目を外すことを許された。いわば無礼講である。

 マルクス・ガブリエルは来日時、<静寂が叫んでいるようだ>と東京を評していた。ハロウィーンは若者にとって内なる叫びを爆発させる機会なのだろう。「ある男」に登場する男たちが囚われているのは、変身願望といった生易しいものではない。絶望と慟哭、自身の痕跡を抹消したいという願いに根差している。

 城戸が谷口とXの調査に没頭するのは、自身の状況とシンクロしているからだ。城戸は離婚も射程に入るほど、妻との関係に悩んでいる。サイドストーリーとして、原発事故によって生じた自主避難者、死刑廃止に向けた議論が織り込まれている点に共感を覚えた。

 平野と辺見庸は<3・11以降、文学は以前と同じであってはいけない>(要旨)と記していた。辺見は実行したが、平野は本作で答えを出す。城戸は在日三世という設定だが、いじめを経験することなく学校生活を送り、結婚する際も相手家族の反対はなかった。3・11の衝撃で、城戸の脳裏に、関東大震災時の朝鮮人虐殺の史実が甦る。〝民族の悲劇〟が現実味を増したのはヘイトスピートの横行だった。

 平野のみならず、日本文学のトップランナーたちは他者への寛容、多様性の尊重を作品に織り込んでいる。平野は星野智幸とともに「新潮45」騒動で批判の先鋒となった。本作は日本、そして世界における憎悪の拡大に警鐘を鳴らしながら、刃を反転させ、個々のアイデンティティーを深く抉る。 

 平野は「決壊」以降、<分人主義>に基づいて小説を著してきた。<他者とのコミュニケーションの過程で、人格は相手ごとに分化せざるを得ない(=分人)。個人とはその分人の集合体>と規定している。「決壊」の主人公は<分人>が整合性を失くして破滅した。

 「ある男」では<分人主義>に社会性が色濃くペイストされていた。相手ごとに性格を分化するのではなく、谷口やXは別人格を獲得し、コミュニティーに浸透していく。過去は上書き可能なのか……。心が揺れた城戸だが、ビーズの糸を辛うじて繋ぎ留める。

 本作には平野の鋭い考察がちりばめられていた。興味深かったのは、〝問題意識の共有が夫婦や恋人間でも重要ではないか〟と城戸が自問する場面である。俺の答えは「イエス」だが、社会への関心が薄れつつある日本において、城戸の懊悩はリアルなのだろうか。

 平野は前衛的な手法を駆使し、初期からSNSの功罪を追求してきた。<分人主義>を掲げ、政治的なメッセージを発信することも多い。そんな平野だが、真骨頂は愛を描くことである。里枝一家の丁寧な絆の描き方に感銘を覚えた。「ある男」は20年の試行錯誤を凝縮した集大成といっていい。
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