酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「夕陽のあと」~心和むヒューマンドラマ

2019-11-27 01:22:47 | 映画、ドラマ
 中国政府の操り人形である林鄭行政長官は「親中派と協力して進める」と、区議選で8割超の議席を獲得した民主派に〝ゼロ回答〟を示した。思い出したのは<ここがオカシイ!日本の選挙!>にパネリストとして参加した李小牧氏のコメントだ(8月1日の稿)。香港に思いを馳せる李氏は、中国共産党のストッパーとしてトランプ大統領に期待せざるを得ない複雑な心境を吐露していた。

 新疆ウイグル自治区にある収容施設で、中国政府がイスラム教徒のウイグル人を組織的に洗脳していることが、流出した文書で明らかになった。人権弾圧大国を変える方法のひとつは、自由と民主主義を標榜する大統領がアメリカに誕生することだと思う。

 フランシスコ教皇の来日で、日本が抱える問題が露呈した。<核の傘の下で語る平和は欺瞞。唯一の被爆国としてぜひ核兵器禁止条約への批准を>と語り、<経済成長より格差解消>と訴えた。東京ドームで開催されたミサには袴田巌さんが招かれた。面会こそなかったが、教皇、ローマカトリックの死刑廃止の思いは伝わった。

 新宿シネマカリテで先日、「夕陽のあと」(2019年、越川道夫監督)を見た。舞台は幾つかの島から成る鹿児島県長島町で、漁業(養殖ブリ、アオサ)を主産業に、島みかんや焼酎の産地としても知られている。自治体支援制度の一環で、移住と転職を推奨している風光明媚な町に、佐藤茜(貫地谷しほり)がやって来た。

 漁師御用達の食堂でマドンナになった茜の視線は、7歳の豊和(とわ=松原豊和)に注がれていた。豊和は里親の日野優一(永井大)、五月(山田真歩)夫妻、祖母のミエ(木内みどり)に育てられている。豊和を巡る事実が明らかになり、波紋が広がった。全国で順次公開の予定なので、興趣を削がぬようストーリーの紹介は最小限にとどめたい。

 スタッフ、キャストの力量、心象風景を映すような長島町の移ろいが育んだ心和むヒューマンドラマといえる。軋みそうな歯車を滑らかに回していたのがミエ役の木内みどりだった。反原発集会でオルタナミーティングのブースを訪ねた際は洋装の貴婦人風だったが、本作で実年齢より上の老いを表現していた木内は、是枝裕和監督の作品での樹木希林に匹敵する存在感を示していた。遺作だと思うと残念でならない。
 
 「夕陽のあと」というタイトルから、悲劇的結末を予感していた。夕陽→闇……の短絡的発想だったが、夕陽が沈む海を望みながら茜と五月が語り合うシーンが最も印象的なシーンだった。「海はね、夕陽のあとが一番凪いで暖かいんだよ」という五月の台詞に穏やかな予定調和の予感を覚えた。

 茜に心を寄せる町役場職員の新見(川口覚)とともに、五月は東京を訪ね、茜の苦しみを追体験する。貧困、孤独、絶望に苛まれた者は、救いを正しく求めることは出来ない……。茜を知る関係者の言葉に五月は感応する。豊和の言葉に紡がれ、心の棘が抜かれた二つの魂が相寄っていく。

 茜も五月は、ともに〝あらかじめ失った者〟だった。男の俺には十全な理解は出来ないが、暗黙のルールが、女性たちを苦しめていることは想像に難くない。結婚、出産をアプリオリに要求される女性たちは、明治時代を理想する改憲が現実になれば、さらに生きづらくなるだろう。茜と五月は欠落した部分を補い合えることに気付いたのだ。

 最近ではウェブドラマ「ミス・シャーロック」の和都役でコメディエンヌぶりを発揮している貫地谷だが、本作では屈曲した薄幸の女性を演じていた。茜が碇を下ろす日は来るだろうか。エンドマークの先の茜に思いを馳せ、心が痛んだ。孤独ほど人を苦しめる病はないのだから……。

 数時間後に起き、修善寺で紅葉を楽しむ。週末も行事が立て込んでいるので、次稿のアップは早くて来月1日になるだろう。
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「i-新聞記者」~屹立する意志が希望の灯

2019-11-23 21:34:26 | 映画、ドラマ
 木内みどりさんが亡くなった。様々なイベントで司会を務める姿を、遠目で何度も拝見した。木内さんが脱原発集会でオルタナプロジェクトのブースに立ち寄られた際、美しさと内面から零れ出るオーラに圧倒された記憶がある。享年69、気骨ある女優の死を惜しみたい。

 巻頭特集に<気候クライシス>を掲げた「世界」12月号に、知人である武器取引反対ネットワーク(NAJAT)杉原浩司さんの論考「武器見本市という憲法的不祥事」が掲載されている。4年前の結成時には〝武器輸出〟だったが、安倍政権がトランプ大統領の意に沿って武器を爆買いする現実に沿って、〝武器取引〟と名称を変更した。

 NAJATは幕張メッセで開催された日本初の総合武器見本市「DSEI JAPAN」(18~20日)への抗議活動を行った。NAJATがこの間、追及していたのは<日本とイスラエルの軍事・セキュリティー面での連携>だ。「NEW23」(TBS系)はイスラエル大手軍需産業担当者から、<我々の武器は戦場で実証済み>との発言を引き出している。〝戦場〟とは即ちガザ地区である。

 新宿ピカデリーで先日、森達也監督が望月衣塑子東京新聞記者に密着したドキュメンタリー「i-新聞記者」(19年)を見た。以降、この2人については敬称略で記す。タイトルの〝i〟は私の意味で、ケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」の原題にも含まれている。一人称で語ることを憚る空気に覆われた日本で屹立する望月に相応しいタイトルだ。皆さんにぜひご覧になってほしいので、背景と感想を簡潔に記したい。

 東京新聞は「DSEI JAPAN」も大きなスペースを割いていた。望月の〝自由〟を許容しているのは東京新聞の度量だろう。上記の杉原さんとの共著もある望月は、NAJAT結成集会、主催集会「許さない!イスラエルとの軍用無人機(ドローン)共同研究」でもパネリスト、報告者として壇上に立っていた。

 望月が辺野古、森友・加計、首相の友人である記者によるレイプ事件を徹底取材する姿を森は追っていた。望月の知名度を飛躍的にアップさせたのは、日々の官房長官の会見の席だ。望月の舌鋒鋭い質問を微妙な表情で受け止め、いや、受け流す菅をアップで映し出す。

 そのシーンに重なったのが、上杉隆氏(元自由報道協会代表)の証言だ。本作でも電話音声のみで登場する。上杉氏らフリージャーナリストは3・11後、東電の記者会見場で質問すると、飼い犬(記者クラブ所属記者)から妨害の怒声が飛んだ。本作では〝安倍機関〟である読売、産経、文春の記事が提示されていたが、マスメディアとフリーランスとの壁は決定的で、森をもってしても越えがたいことが本作で描かれていた。

 当ブログでは多くのドキュメンタリーを紹介してきた。監督にはそれぞれの個性があるが、森には独特の距離感がある。映画では冷たい視線を浴びているオウム真理教、佐村河内守氏と対峙し、エスパーやミゼットレスラーに焦点を当てたテレビドキュメンタリーを制作した。死刑反対を繰り返し著書で表明している。

 森は日本の集団化、自主規制、同調圧力に抗い、少数派、禁忌とされる存在と寄り添ってきた。〝灰色〟が森の得意とする範疇だが、望月はキリッとカラフルだ。迷いも衒いもなく、ターゲットに一直線で突き進む。森にとって〝ツッコミどころ〟がなく、軽いフットワークを追いかけるのに息が切れているようだ。

 常にキャリーケースを引きずってガタガタ音を立てせわしない。方向音痴で喧嘩っ早く、おにぎりやサンドイッチをパクついているが、しっかり身繕いする望月に、森は惹かれていたのかもしれない。ラストのカットなど、映画女優みたいに煌めいていた。

 ハイライトは、菅と望月の接近遭遇、そして質問を妨害する官邸に対する抗議集会だ。参加者のアピールと声援に、普段は怒りを湛えていた望月の目から一筋の涙が零れていた。望月は権力を当たり前のようにチェックするジャーナリストなのに、誰も望月に続かない。メディアの沈黙こそが、長年の森のテーマなのだ。会場が明るくなった時、会場から拍手が起きた。安倍政権に疑義を抱く側にとって、望月は微かな希望の灯なのだ。
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「アルカロイド・ラヴァーズ」~星野智幸が希求する至高の愛と無限の自由

2019-11-20 23:10:33 | 読書
 2004年秋にブログを立ち上げて以来、社会についても綴ってきたが、行動を伴わぬ政治談議ほど空しいものはないと実感した。3・11でも構造は変わらず、翌年には病魔と闘いながら前向きに生きていた妹が召された。この二つが、俺を行動に駆り立て、〝立脚点〟を探し始める。緑の党(グリーンズジャパン)を発見し、事務所のドアを叩いた。入会理由を尋ねられ、以下のように答えた。

 <読書が趣味で、多様性とアイデンティティーに価値を置く星野智幸の作品に感銘を覚えてきました。志向するものが緑の党と重なると確信し、ここに来ました>……。

 担当者は「?」だったが、今も変わらぬ本音である。その星野の旧作で、「星野智幸コレクションⅢ~リンク」に収録された「アルカロイド・ラヴァーズ」(05年発表)を読了した。星野ワールドの<核>というべき作品である。

 星野には二つの貌がある。一つは<社会派>で、星野がデビュー以来、誰よりも深く日本を洞察してきたことは「未来は記憶の繭のなかで作られる」(岩波書店)からも明らかだ。98年から2014年までに発表した論考が、時系列を遡る形で掲載されていた。慧眼はもちろん小説にも反映されている。「ロンリー・ハーツ・キラー」(04年)には安倍首相に似たキャラクターが登場し、現在日本の集団化と閉塞を先取りしていた。

 星野は貧困、LGBT、あらゆる差別、パレスチナ、沖縄に言及してきた。関東大震災時の朝鮮人虐殺、社会の狂いと感応した異常気象も小説に取り込んでいるが、〝広告塔〟として集会等で壇上に立つことはない(俺の知る限り)。個として参加したデモや集会の感想をブログで報告してきた。単純化しがちな〝政治の言葉〟に距離を置いているのだろう。

 もう一つの貌は<小説界のファンタジシスタ>だ。「アルカロイド・ラヴァーズ」もその典型だが、<時空の循環>、<アイデンティティーの浸潤>、<死と転生>が星野を読み解くキーワードといえる。実験的かつ前衛的で、「アルカロイド・ラヴァーズ」で初めて作品に触れた方は、ページを繰る指を止めるかもしれない。

 主人公の咲子(=サキコ)は、他の8人(種=植物)とともに楽園(パラディソ)で暮らしていた。凄絶な恋愛ゲームと、その結果として生じた嫉妬による殺戮が繰り返されるが、<一人を独占してはいけない>という不文律を破った咲子は、失楽園(人間界)に追放される。同じく種(犬)から生まれた地方公務員の陽一と出会って結婚した。

 などと書くと、荒唐無稽のSFに思えるだろう。楽園と人間界における時空がカットバックし、誰しもがアプリオリに受け入れているルールが倒立する。結婚して子をなし、次世代に橋渡しすることが幸せなのか。楽園時代の記憶をとどめている咲子にとって、人間への転生は罰でしかない。

 星野は2度にわたるメキシコ遊学で文学の根幹をつくった。同調圧力が強い日本と対照的に、多人種が混在するメキシコでは文化、慣習にバリエーションがあり、祝祭的なムードが漂っている。楽園=メキシコ、失楽園=日本と置き換えるのは乱暴だが、メキシコへの憧憬は星野の小説の隅々にまで行き渡っている。咲子のモノローグと語り手のユキの主観が混在しているが、両者が出会ったのはメキシコという設定だ。

 楽園で再生への起点になっていた骸骨の木(ベンジャミン)が、陽一と咲子が暮らす部屋にも飾られている。咲子が愛したサユリが転生したのがベンジャミンだ。咲子は陽一に毒性のアルカロイドを調法し、自らも飲用する。咲子、陽一、ベンジャミンの三角関係を見守るのはユキだった。

 咲子が目指したのは、失楽園を楽園に変えること。庭にはベンジャミンと植物に転生した陽一の骸骨の木が並び、遠い未来に咲子の木も育っていく。カフカに通底するシュールな迷宮に閉じ込められていた俺だが、読み終えて涙腺が緩んだ。至高の愛、そして無限の自由を希求する星野の高邁な意志に感銘を覚えたからだ。
 
 <小説とは、何かに成り代わりたいという幸福な意識と、何かに成り代わることは不可能なのだという不幸な意識とのあわいに、陽炎のように立ち昇る芸術であると思う>……。

 これは短編「紙女」で星野が披瀝した小説論だ。星野は今後も多くの傑作群を世に問うていくはずだ。読売新聞夕刊に連載中の「だまされ屋さん」も単行本になり次第、購入し、感想を記したい。
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「国家が破産する日」~20年後に続く物語

2019-11-17 22:46:51 | 映画、ドラマ
 安倍政権の推進する<右傾化>、<隷米化>、<集団化>の下、日本は完全に壊れてしまった。森友・加計、そして「桜を見る会」で政権最大のベクトルが<国家私物化>であることが露呈した。この国を支配しているのは、良心、倫理、矜持、恥の意識を欠片も持ち合わせていない者たちなのだ。

 株価を支えているのは、日銀によるETFの投入だ。株式市場が公的マネーで歪められている現状に、不測の事態が重なれば株価暴落もあり得ると警鐘を鳴らす識者もいる。株価高騰で1%は潤っているが、中間層、そして俺のような下級国民には何のお零れもない。鄧小平が掲げた<先富論>の二番煎じといえるアベノミクスのトリクルダウンなどマヤカシに過ぎないのだ。

 韓国は1997年、経済危機に陥り、国際通貨基金(IMF)の介入を許した。〝IMFによる救済〟あるいは〝IMFによる支配〟……。捉え方に違いはあるが、後者にポイントを置く映画をシネマート新宿で見た。当時の動きに追った「国家が破産する日」(18年、チェ・グクヒ監督)だ。

 本作同様、史実に基づいた作品が近年、韓国で多く製作されている。「タクシー運転手 約束は海を越えて」、「1987、ある闘いの真実」、「工作 黒金星と呼ばれた男」はいずれも緊迫感あふれるドキュメンタリータッチの傑作で、超弩級のエンターテインメントだった。公開直後なので、背景と感想を簡潔に記したい。

 OECDに前年加入した韓国は、見かけの好景気に浮かれ、国民の85%が自身を中間層と見做していた。だが、裏側では恐るべき事態が進行していた。中小企業の倒産が相次ぎ、庶民の多くは生活苦に喘いでいる。韓国銀行・通貨政策チーム長のハン・シヒョン(キム・ヘス)は状況を的確に分析し、リポートを財務局に提出したが無視される。国家破産が囁かれるようになって初めて上層部は動き出す。ハン役のキムは石田ゆり子似の魅力的な熟女だった。

 物語は3つの流れをカットバックしながら進行する。対IMF交渉を巡る動きが太い軸で、ハンはIMF介入が国民生活を破壊すると主張して孤立する。対照的に金融アナリストのユン(ユ・アイン)は、国家破産→IMF介入にチャンスを見いだす。食器工場経営者のガプス(ホ・ジュノ)が庶民代表だ。3人の名優がそれぞれの立場を体現していた。

 本作は現在の日韓両国とリンクしている。〝板子一枚下は地獄〟の日本以上に、韓国も経済危機にある。とりわけ正社員になれず、貯金もないから結婚出来ないロスジェネ世代は文在寅大統領から離れ、政治への失望感を味わっている。本作で政府上層部が「この国は大企業が支えている。中小企業がいくら瞑れても大丈夫」と語る場面があった。両国の経済格差は、中小企業の実力に基づいている。

 ジャック・アタリの「21世紀の歴史」(06年)は、称揚したリーマン・ブラザーズら投資銀行が2年後に破綻したことで名著の座から転がり落ちた。同書で興味深かったのは、<次世代の東アジアの盟主>として韓国を挙げていたこと。理由は民主度で、韓国社会には自由の反抗の気風が溢れている。

 重層的に練られた脚本をベースに、スピーディーな展開でストーリーは進行する。ハンはIMF関係者が宿泊するホテルに米国高官が滞在していることを知る。グローバル経済、新自由主義、規制緩和の名の下に進む非正規労働者の増加とリストラ、そして格差拡大……。20年前に顔をもたげた魔物が、今も世界を席巻している。

 ハンがIMFとの交渉の席でパク財務省次官に「あなたはどこの国の人」と詰め寄るシーンが印象的だった。パクはIMFの介入をきっかけに国の形を変え、「労働者や学生が抗議出来ないような国にする」と嘯いていた。孤立無援のハンは権力に忖度したメディアに無視され敗北したが、初心は忘れていない。20年後のハン、ユン、そしてパクの姿も描かれ、闘いの気配が漂ったところでエンドマークとなる。

 「プレミア12」決勝で日本が韓国を破った「世界一」を絶叫するアナウンサーに鼻白んでしまう。俺はシーズン後半、MLBにチャンネルを合わせ、スケールの大きさとスピードに圧倒された。ラグビーW杯でグローバルなスポーツ観を培った人には「世界一」は空しく響いたはずだ。

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「しあわせの経済」に感じた大転換期の予兆

2019-11-14 21:12:18 | 社会、政治
 マイケル・ブルームバーグ前ニューヨーク市長が大統領選の指名争いに名乗りを上げた。左派の伸張を恐れる民主党幹部との阿吽の呼吸だろうが、バーニー・サンダースは「またも大富豪(推定資産6兆円弱)が金で社会を動かそうとしている」と批判した。

 シアトルの市議選で最低賃金引き上げなど様々な変革に貢献してきた社会主義者クシャマ・サウンドが再選を果たし、サンダースの支持を受けた候補がサンフランシスコ検事選で勝利する。地殻変動が起きているアメリカから吉報が届いた。期間限定(恐らく)でレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが復活し、コーチェラでヘッドライナーを務める。

 ハーバード大首席卒業のトム・モレロ、サパティスタ活動家のザックが結成したレイジは、ノーマ・チョムスキー、ナオミ・クライン、マイケル・ムーアらと親交が深い。来年の大統領選では反トランプを掲げ、サンダースやウォーレンへの支持を訴えるだろう。

 日本のメディアでは扱いは小さいが、世界は今、大転換期を迎えている。メインテーマは気候危機と格差拡大だ。気候危機ではグレタ・トゥーンベリさんの発信が世界を揺るがしている。アメリカでは民主党支持者の64%が社会主義に好意的で、マルクス復権の兆しがある。

 環境問題を前面に、欧州で勢力を拡大しているのが緑の党で、俺が所属する〝親戚〟のグリーンズジャパンは2012年結成以来、環境問題と格差是正を繋ぐ脱成長を提唱してきた。脱成長とはGDPや株価から指標を転じ、ローカリゼーション、地産地消、持続可能な社会、ミニマリズム、ダウンシフトを志向する。当ブログでも上記の言葉を頻繁に刻んできた。

 昨年に続き先週末、「しあわせの経済 国際フォーラム」(明治学院大横浜キャンパス)に足を運んだ。まず驚いたのはキャンパスの広さ。会場は江の電バス終点の南門前が近かったのだが、3つ前の正門前で降りたので数百㍍歩く羽目になる。昔日の感とはこのことで、大学を訪れるたび立派な佇まいに圧倒される。〝清潔な温室〟といった趣だ。

 講演会、パネルディスカッション、上映会には、蓄積してきた以上のものを期待出来ないので参加せず、緑の党のブーススタッフとして広報に専念した。駅前や街頭でビラやニュースレターを配布しても、反応は芳しくない。ところが今回を含め、反原発や護憲の集会では進んで受け取ってくれる。「緑の党、ヨーロッパじゃ凄いですね。日本でも頑張って」と若い女性に励まされて舞い上がってしまった。

 ブースでは会員が栽培した有機野菜が飛ぶように売れる。「オーストラリアのヤンググリーンズに友達がいるんですよ」と声を掛けられた。味噌と梅干しが並ぶブースを覗くと、出展者は匝瑳の農園だった。当地で農業プロジェクトを立ち上げた高坂勝さんは、緑の党初代共同代表で、「脱成長ミーティング」主宰者である。「高坂さん、知ってますか」と聞くと、「近いうちに会いますよ」と返ってきた。縁を感じて梅干しを買う。

 「世界」12月号の特集は<気候クライシス>だ。勉強不足なので、付け焼き刃で知識を得ていきたい。自然エネルギーの先進国ドイツでも、二酸化炭素排出量はこの10年、減ってないという。気候学者によれば、地球は崖っ縁状態にある。弥縫策ではなく、根本的なシフトチェンジを掲げるグレダさんの発言に重なるのが、先月末に朝日新聞に掲載された斎藤幸平氏(大阪市大准教授)の論考だ。

 タイトルは<再びマルクスに学ぶ>で、「気候変動と格差を資本主義の代償と捉える若者たちが、世界中で声を上げている」と分析している。制度のみならず。生き方を含め、脱成長に則って社会を見直す時機に来ている。世に先駆けて主張し、実践しているのが上記の高坂さんだ。

 緑の党に入会して5年9カ月。魅力ある人たちと出会い、実りある人生の第4コーナーを過ごしている。
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「閉鎖病棟」~相寄る孤独な魂たち

2019-11-10 21:35:37 | 映画、ドラマ
 旧聞に属するが、井上尚弥が激闘の末、ノニト・ドネアを下し、WBSSトーナメントを制した。パッキャオ同様、フィリピンの老雄のボクシングには芯が入っている。勝敗を決したのは10R以降の井上の攻勢だ。試合後も互いへの敬意を窺わせた両者に拍手を送りたい。

 竜王戦第3局は豊島将之名人が広瀬章人竜王を下し、3連勝で2冠復帰に王手を掛けた。囲碁将棋チャンネルの解説者は藤井猛九段で、自虐的ユーモアで聞き手の上田初美女流四段にツッコまれていた。豊島勝勢と思いきや広瀬の勝負手が炸裂する。息詰まる熱戦を大逆転で制したのは豊島だった。ボクシングほど派手ではないが、将棋はまさに魂の格闘技である。

 今稿のテーマは<正常と狂いの狭間>だ。狂いとまでいわないが、歪みを自覚している人は少なくない。俺はこの40年、一貫して社会的不適応者だが、病理といえるものがあるとしたら解離性人格障害だ。記憶がポッカリ消失したり、デジャヴのように現実感が曖昧になったり……。時折〝酔生夢死〟状態に陥るが、それが仕事中だったら困った結果になる。

 新宿で先日、「閉鎖病棟――それぞれの朝――」(平山秀幸監督)を見た。原作者は前稿で紹介した「三たびの海峡」の帚木蓬生で、舞台は精神科医でもある帚木にとってホームグラウンドというべき精神病院だ。99年に続く2度目の映画化である。いずれご覧になる方も多いはずなので、興趣を削がぬよう登場人物の紹介と感想を以下に記すことにする。

 梶木秀丸(笑福亭鶴瓶)は死刑執行後に蘇生し、〝存在してはいけない者〟として精神病院をたらい回しにされる。絞首刑の後遺症で脊椎を痛め、車椅子で生活している秀丸が行き着いた先は、長野の六王寺病院だった。患者の中には、家族から厄介払いされた者もいる。幻聴に苦しみ、妹夫婦との折り合いが悪くなった塚本中弥(綾野剛)もそのひとりで、院では庭の整備を担当している。

 18歳の島崎由紀(小松菜奈)は入院早々、飛び降り自殺を試みる、塚本が集積した枝葉の山に落ち、軽症ですんだが、義父のDVによって孕んだ子は死産した。塚本と由紀は秀丸の含蓄ある言葉、陶器作りに没頭する姿に感銘を覚え、孤独な魂が紡がれていく、レンズを通してしか外部と接することが出来ない昭八(坂東龍汰)も〝チーム〟に加わった。4人揃って外出許可を取り、公園で食事をするシーンが印象的だった。

 根岸季衣、ベンガル、高橋和也、渋川清彦、小林聡美ら錚々たる面々が物語を支えている。サナエさん(木野花)のエピソードが心に染みた。着飾った彼女は子供たちに会うことを口実に頻繁に外泊するが、実際には家族はいない。サナエさんは故郷の海辺から遺体になって院に搬送されてきた。孤独と老いは、俺とも決して無縁ではない。

 塚本は「ここにいる人たちはそれぞれ事情を抱えている」と由紀に語る。最たる者が秀丸で、3人の事情が進行に応じてテカットバックされていく。「帰る場所がないから、ずっとここにいようかな」と話す由紀に、秀丸は「そんなことしたら、患者以外でいられなくなる」と諭した。

 このシーンに重なったのは、帰省時に従兄宅で見た「鶴瓶の家族に乾杯」(10月21日放送)だ。当日のゲストは小松菜奈で、高知県いの町を訪ね、少年相撲大会で家族の絆に触れる。「閉鎖病棟」は真逆で、自ら家族との縁を絶った秀丸、家族に棄てられた塚本と由紀が、血の繋がりのない、仮初めであっても温かい家族を志向する。試みはある事件によって頓挫し、3人は離れ離れになる。

 「ディア・ドクター」での演技に入り込めなかったこともあり、〝俳優・鶴瓶〟に期待していなかったが、本作では沈黙と激情のアンビバレント、そして抑揚の利いた演技で贖罪の思いを表現していた。綾野はいつもより柔らかく、小松の硬さは最後にほどける。〝気配りの人〟平山の演出が、3人の名演を引き出したのだろう。

 後半のドラマチックな展開に引き込まれ、エンドマークの先の物語に思いを馳せている。傷ついた者同士だからこそ、愛を育むことが出来るのだろう。余韻が去らない佳作だった。

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「三たびの海峡」~ボタ山の彼方に懸かる愛の虹

2019-11-06 23:00:49 | 読書
 当ブログでは米国における社会主義の浸透について記してきた。共同通信も3日、シンクタンクの調査結果として<社会主義に好意的と答えた民主党支持者は64%に上り、資本主義の45%を上回った>と報じている。貧困と格差に喘ぐ弱者が公正と公平を求め、社会主義に傾くのは当然の帰結だ。

 日本映画専門チャンネルで<日韓から「家族」を描く 是枝裕和×ポン・ジュノ>がオンエアされた。2018年は「万引き家族」、19年は「パラサイト 半地下の家族」で東アジアに連続でパルムドールをもたらした両監督の友情が窺える対談には奥深い洞察、樹木希林へのオマージュに溢れていた。

 「KAWASAKIしんゆり映画祭」は歴史修正主義者の圧力に屈し、「主戦場」の上映を中止にした。是枝監督は自身の作品が上映された同映画祭の舞台挨拶で、<今回の決定は映画祭の死で、志のある作り手は参加しなくなる。自ら危機的状況を招いたことを猛省すべき>(趣旨)と批判した。多くの映画人、市民の抗議を受け「主戦場」は上映されたが、この国の言論の自由は死の危機に瀕している。

 別稿(9月22日)で記した「韓国緑の党スピーキングツアー」で杉原浩司さん(武器取引反対ネットワーク代表)から帚木蓬生著「三たびの海峡」(新潮文庫)を薦められた。帚木の作品を読むのは初めてで、他にも〝未発見〟の良質な作家は無数に存在するはずだ。

 前稿末、<パラレルワールドといえば、今の日本もそうではないか>と記した。本作発表時(1992年)に史実だったあれこれが30年かけて掻き消されつつある。堀田善衛、武田泰淳は中国で目の当たりにした南京大虐殺、日本軍の蛮行を作品で描いた。帚木は朝鮮人強制連行、従軍慰安婦を「三たびの海峡」のメインに据えている。

 主人公の河時根(ハー・シグン、日本名=河本)は17歳で徴用され、九州の高辻炭坑に連行される。大日本帝国の朝鮮半島における苛烈な収奪、河が徴用された炭坑における非人道的な環境が綿密な歴史検証に基づいて描かれていた。地獄を仕切るのは山本三次で、その意を受けて朝鮮人たちを虐待するのは康(日本名=青木)ら同胞の労務たちだった。

 身を賭した反抗が繰り返されるが、リーダー的存在だった金東仁は人間としての尊厳を奪われ惨殺された。決死の覚悟で逃亡した河は朝鮮人集落に匿われ、張り巡らされたネットワークにより、朝鮮人の頭領が差配する護岸工事の現場で働くようになる。河はそこで、徐鎮徹(日本名=吉田)と戦争で夫を亡くした千鶴に出会う。

 本作には歴史修正主義者が〝反日的〟とまなじりを決する描写に溢れている。高辻炭坑、そして護岸工事の利益を吸い取っているのは、朝鮮人の犠牲の上に富を築いた麻生一族だ。麻生氏が差別的な失言(本音)を繰り返す理由は、本作を読めば明らかだ。

 河と千鶴の間に生まれた時郞を軸に、正しい歴史認識に基づいた日韓の架け橋が提示されている。話は逸れるが、橋下徹氏は日韓の溝が深まった際、<自治体から観光客が来なくなったと言われた時に、国会議員が耐えられるだろうか>と危惧していた。日韓は映画界、政財界、芸能界、スポーツ界で強い絆を紡いできた。

 日本に強制連行された河は、千鶴と幼子の時郎とともに対馬海峡を渡るが、河が勾留中に母子は日本に連れ戻される。河はその後、日本に渡ることはなく、従軍慰安婦として塗炭の苦しみを味わった女性と結婚する。実業家として成功した河は徐の手紙で三たび海峡を渡り、時郎と再会する。炭坑の構図は45年後も変わらなかった。市長を務める山本は康と私腹を肥やしている。

 本作は贖罪と慟哭に根差した驚愕の復讐譚だ。映像が目に浮かぶように記述は精細で、エンターテインメント性も高い。作品を通して表象であり心象風景になっていたのは、朝鮮人だけでなく、日本人の鉱夫の血と汗と涙が築くボタ山の彼方に、愛の虹が懸かっている。河と千鶴の至高の愛に感銘を覚えた。
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「イエスタデイ」~心潤むパラレルワールド

2019-11-02 16:59:04 | 映画、ドラマ
 チリでは地下鉄運賃値上げ、レバノンではスマホ無料アプリへの課金がきっかけで、反政府デモが燎原の火のように広がる。両国とも格差と貧困が深刻だ。アルゼンチンでは反エリート主義、労働者重視を掲げた左派政権が誕生した。世界はダイナミックに動いている。

 トランプ大統領は正義面でIS指導者アル・バグダディの殺害を報告したが、作家の冷泉彰彦氏は4年前、<ISはアメリカの軍事政策のぶれが育んだ>とバグダディの来し方を分析した上で記していた。ソ連のアフガニスタン侵攻に対抗するため、CIAとサウジアラビアが提供した資金でアルカイダの勢力が伸張したのと同じ構図だ。

 <世界最凶のテロ国家>がテロの連鎖を生む。この循環にストップをかける一番手と期待しているバーニー・サンダースの復活は前稿の枕で紹介した。英国ではジェレミー・コービン労働党党首が首相に就任する目が出てきた。反グローバリズム、パレスチナとの連帯、人権擁護、格差是正、反戦・反核を主張するコービンはサンダースに近く、トランプとは真逆だ。来月12日の総選挙の結果に注目している。

 「イエスタデイ」(2019年、ダニー・ボイル監督)を新宿で見た。「トレインスポッティング」、「28日後……」、「スラムドック$ミリオネア」、「127時間」に感銘を覚えたが、「イエスタデイ」も上記に匹敵するファンタジーの傑作だった。ネタバレはご容赦願いたい。

 「トレインスポッティング」と続編T2、シガー・ロスの「フェスティバル」を「127時間」のハイライトシーンで用いるなどボイルはロックに精通している。ロンドン五輪の開閉開式もロック色が濃い演出だった。「スラムドック――」で舞台にした縁なのか、「イエスタデイ」の主人公ジャック(ヒメーシュ・パテル)はインド系という設定だ。

 英国の海辺の街で育ったジャックは冴えないフォークシンガーだ。幼馴染みでマネジャーを務めるエリー(リリー・ジェイムズ)がサマーフェス出演契約を取ってきたが、会場は小テントで客はいない。限界を感じ、夢を諦めようとした刹那、時空が歪む。12秒間の世界同時停電の狭間、事故に遭って昏倒したジャックに奇跡が起きた。

 退院祝いで披露した「イエスタデイ」に家族、そしてフェスで再会した悪友ロッキー(ジョエル・フライ)までも聴き入っている。「レット・イット・ビー」もジャック以外にとって新曲だ。パラレルワールドではビートルズをネットで検索しても<カブトムシ>しかヒットしない。

 ビートルズの曲をパブで演奏したり、自主制作盤を無料配布したり、SNSで公開したり……。ジャックの知名度が上がっていくのと反比例して、エリーとの距離は遠ざかっていく。俺にとって音楽事始めは、小学校低学年の頃、ラジオから流れてきた「シー・ラブズ・ユー」の魔法のような旋律だった。ノルタルジックな気分に浸って涙腺が潤み、少年の心に帰っていた。

 ジャックに目を付けたのは敏腕マネジャーのデブラ(ケイト・マッキノン)と本人役で出演したエド・シーランだ。エドはツアーの前座にジャックを帯同させるが、「俺はサリエリ、ジャック(=ビートルズ)はモーツァルト」と才能の差を認める。デブラの「エドは所詮、使い捨て」なんて台詞に傷ついたかもしれないが、友情は続く。ハイライトシーンは、数万の観衆が集ったエド自身のウェンブリー公演だ。

 本作は<人間にとって一番大切なものは何か>を問い掛ける。〝神の声〟を伝える〝シャーマン〟というべき自分が富を得るのは良心に反する。そして、名声よりも重要なのはエリーとの愛だ。ジャックが葛藤を爆発させるのは「ヘルプ」を歌う場面だ。

 海辺に隠遁するジョン・レノン(ロバート・カーライル)を訪ねるシーンも印象的だった。商業的成功と無縁だったジョンは実父同様、船乗りとして世界を旅し、安らぎとともに終着点を迎えた。ジャックは伝道師としてビートルズの楽曲を広めることに、人生の意味を見いだす。

 パラレルワールドといえば、今の日本もそうではないか。この30年、徐々に消された史実――朝鮮人強制連行、従軍慰安婦――を背景に描かれた帚木蓬生著「三たびの海峡」(1992年発表)を次稿で紹介したい。
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