中国政府の操り人形である林鄭行政長官は「親中派と協力して進める」と、区議選で8割超の議席を獲得した民主派に〝ゼロ回答〟を示した。思い出したのは<ここがオカシイ!日本の選挙!>にパネリストとして参加した李小牧氏のコメントだ(8月1日の稿)。香港に思いを馳せる李氏は、中国共産党のストッパーとしてトランプ大統領に期待せざるを得ない複雑な心境を吐露していた。
新疆ウイグル自治区にある収容施設で、中国政府がイスラム教徒のウイグル人を組織的に洗脳していることが、流出した文書で明らかになった。人権弾圧大国を変える方法のひとつは、自由と民主主義を標榜する大統領がアメリカに誕生することだと思う。
フランシスコ教皇の来日で、日本が抱える問題が露呈した。<核の傘の下で語る平和は欺瞞。唯一の被爆国としてぜひ核兵器禁止条約への批准を>と語り、<経済成長より格差解消>と訴えた。東京ドームで開催されたミサには袴田巌さんが招かれた。面会こそなかったが、教皇、ローマカトリックの死刑廃止の思いは伝わった。
新宿シネマカリテで先日、「夕陽のあと」(2019年、越川道夫監督)を見た。舞台は幾つかの島から成る鹿児島県長島町で、漁業(養殖ブリ、アオサ)を主産業に、島みかんや焼酎の産地としても知られている。自治体支援制度の一環で、移住と転職を推奨している風光明媚な町に、佐藤茜(貫地谷しほり)がやって来た。
漁師御用達の食堂でマドンナになった茜の視線は、7歳の豊和(とわ=松原豊和)に注がれていた。豊和は里親の日野優一(永井大)、五月(山田真歩)夫妻、祖母のミエ(木内みどり)に育てられている。豊和を巡る事実が明らかになり、波紋が広がった。全国で順次公開の予定なので、興趣を削がぬようストーリーの紹介は最小限にとどめたい。
スタッフ、キャストの力量、心象風景を映すような長島町の移ろいが育んだ心和むヒューマンドラマといえる。軋みそうな歯車を滑らかに回していたのがミエ役の木内みどりだった。反原発集会でオルタナミーティングのブースを訪ねた際は洋装の貴婦人風だったが、本作で実年齢より上の老いを表現していた木内は、是枝裕和監督の作品での樹木希林に匹敵する存在感を示していた。遺作だと思うと残念でならない。
「夕陽のあと」というタイトルから、悲劇的結末を予感していた。夕陽→闇……の短絡的発想だったが、夕陽が沈む海を望みながら茜と五月が語り合うシーンが最も印象的なシーンだった。「海はね、夕陽のあとが一番凪いで暖かいんだよ」という五月の台詞に穏やかな予定調和の予感を覚えた。
茜に心を寄せる町役場職員の新見(川口覚)とともに、五月は東京を訪ね、茜の苦しみを追体験する。貧困、孤独、絶望に苛まれた者は、救いを正しく求めることは出来ない……。茜を知る関係者の言葉に五月は感応する。豊和の言葉に紡がれ、心の棘が抜かれた二つの魂が相寄っていく。
茜も五月は、ともに〝あらかじめ失った者〟だった。男の俺には十全な理解は出来ないが、暗黙のルールが、女性たちを苦しめていることは想像に難くない。結婚、出産をアプリオリに要求される女性たちは、明治時代を理想する改憲が現実になれば、さらに生きづらくなるだろう。茜と五月は欠落した部分を補い合えることに気付いたのだ。
最近ではウェブドラマ「ミス・シャーロック」の和都役でコメディエンヌぶりを発揮している貫地谷だが、本作では屈曲した薄幸の女性を演じていた。茜が碇を下ろす日は来るだろうか。エンドマークの先の茜に思いを馳せ、心が痛んだ。孤独ほど人を苦しめる病はないのだから……。
数時間後に起き、修善寺で紅葉を楽しむ。週末も行事が立て込んでいるので、次稿のアップは早くて来月1日になるだろう。
新疆ウイグル自治区にある収容施設で、中国政府がイスラム教徒のウイグル人を組織的に洗脳していることが、流出した文書で明らかになった。人権弾圧大国を変える方法のひとつは、自由と民主主義を標榜する大統領がアメリカに誕生することだと思う。
フランシスコ教皇の来日で、日本が抱える問題が露呈した。<核の傘の下で語る平和は欺瞞。唯一の被爆国としてぜひ核兵器禁止条約への批准を>と語り、<経済成長より格差解消>と訴えた。東京ドームで開催されたミサには袴田巌さんが招かれた。面会こそなかったが、教皇、ローマカトリックの死刑廃止の思いは伝わった。
新宿シネマカリテで先日、「夕陽のあと」(2019年、越川道夫監督)を見た。舞台は幾つかの島から成る鹿児島県長島町で、漁業(養殖ブリ、アオサ)を主産業に、島みかんや焼酎の産地としても知られている。自治体支援制度の一環で、移住と転職を推奨している風光明媚な町に、佐藤茜(貫地谷しほり)がやって来た。
漁師御用達の食堂でマドンナになった茜の視線は、7歳の豊和(とわ=松原豊和)に注がれていた。豊和は里親の日野優一(永井大)、五月(山田真歩)夫妻、祖母のミエ(木内みどり)に育てられている。豊和を巡る事実が明らかになり、波紋が広がった。全国で順次公開の予定なので、興趣を削がぬようストーリーの紹介は最小限にとどめたい。
スタッフ、キャストの力量、心象風景を映すような長島町の移ろいが育んだ心和むヒューマンドラマといえる。軋みそうな歯車を滑らかに回していたのがミエ役の木内みどりだった。反原発集会でオルタナミーティングのブースを訪ねた際は洋装の貴婦人風だったが、本作で実年齢より上の老いを表現していた木内は、是枝裕和監督の作品での樹木希林に匹敵する存在感を示していた。遺作だと思うと残念でならない。
「夕陽のあと」というタイトルから、悲劇的結末を予感していた。夕陽→闇……の短絡的発想だったが、夕陽が沈む海を望みながら茜と五月が語り合うシーンが最も印象的なシーンだった。「海はね、夕陽のあとが一番凪いで暖かいんだよ」という五月の台詞に穏やかな予定調和の予感を覚えた。
茜に心を寄せる町役場職員の新見(川口覚)とともに、五月は東京を訪ね、茜の苦しみを追体験する。貧困、孤独、絶望に苛まれた者は、救いを正しく求めることは出来ない……。茜を知る関係者の言葉に五月は感応する。豊和の言葉に紡がれ、心の棘が抜かれた二つの魂が相寄っていく。
茜も五月は、ともに〝あらかじめ失った者〟だった。男の俺には十全な理解は出来ないが、暗黙のルールが、女性たちを苦しめていることは想像に難くない。結婚、出産をアプリオリに要求される女性たちは、明治時代を理想する改憲が現実になれば、さらに生きづらくなるだろう。茜と五月は欠落した部分を補い合えることに気付いたのだ。
最近ではウェブドラマ「ミス・シャーロック」の和都役でコメディエンヌぶりを発揮している貫地谷だが、本作では屈曲した薄幸の女性を演じていた。茜が碇を下ろす日は来るだろうか。エンドマークの先の茜に思いを馳せ、心が痛んだ。孤独ほど人を苦しめる病はないのだから……。
数時間後に起き、修善寺で紅葉を楽しむ。週末も行事が立て込んでいるので、次稿のアップは早くて来月1日になるだろう。