酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

〝第二の青春〟を謳歌した年~2010年を振り返る

2010-12-30 15:27:38 | 戯れ言
 公私とも日々失敗の連続だが、この年末、二つのドジというか、超常現象?に遭遇した。

 防水スプレーを靴に吹き掛けている時、右手人さし指にシューとやってしまう。見た目に何の変化もないが、手を洗うとチクチク痛い。水をはじく〝防水指〟になってしまったようだ。嘘と思われる方は、お試しあれ。

 もう一つは、CD―Rの消失だ。強めに押し込んだのが悪かったのだろう。パソコン画面は無反応で、ボタンを押して取り出すとケースは空。実に奇妙な話である。

 底冷えする亀岡のネットカフェで、今年最後の稿を更新している。

 振り返ると2010年は、ロック、映画、そして読書と〝第二の青春〟を謳歌した年だった。CDを聴きながら小説を読む時、ささやかな幸せを感じる。細胞はクチクラ化しているから吸収力はないが、ミルクに浸されたパンのように心地いい。

 この国は明らかに傾きつつある。民主党は社民路線を放棄し、自民党同様、大企業に擦り寄っている。総下流化に歯止めが利かない時代、善根を施しているわけでもないテキトーな中年男が世を渡っているのは、運と情けのおかげと言うほかない。安穏に流れがちな日々、戒めになっているのは「ペスト」(カミュ)の登場人物の言葉である。

 主人公のリウー医師の元、志の高い者たちが集まってくる。自己犠牲に目覚めたランベールは、「自分ひとりが幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです」と語るのだ。

 現在の日本を穿つ言葉を噛み締めつつ、「おまえはどうする」と自らに問い掛けても情熱が湧いてこないのは、〝第一の青春〟期と違うところだ。

 今年は旧交を温めた一年でもあった。20代に交遊した女性とフジロックに行ったのもいい思い出だし、サークル仲間との再会は別稿(11月24日)に記した通りだ。U君の東京出張に合わせて12月にも一席設け、年明け早々に第3弾の予定が入っている。青い議論に夢中になっている五十路軍団は、周りの目に奇異に映るかもしれない。

 〝第二の青春〟とはいえ、青春に付きものの恋とは縁がない。「いいな、あの人」と思う女性はいないわけではないが……。40代半ばまでは男女限らず積極的にコンタクトを取るタイプだったが、ここ数年は他者と距離を保つようになった。それも老いるということだろう。孤独を第一の友に、淡々と晩年を過ごしていきたい。

 ともあれこの一年、世迷い言に付き合ってくれた寛大な読者の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいだ。ありがとうございます。いい年をお迎えください。


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「かたちだけの愛」~夫婦で書いたラブストーリー?

2010-12-28 00:28:28 | 読書
 有馬記念は当然のように外し、大学ラグビーでも俄かファンの天理大が完敗……。疫病神が肩入れすればロクでもない結果になる。気分を変えて、本題に。

 今年前半は「クーデタ」、「ロサリオの鋏」、「喪失の響き」など海外の小説に親しんだ。秋になると日本文学に回帰し、「無限カノン三部作」、「悪貨」(ともに島田雅彦)、「俺俺」(星野智幸)、「掏摸」(中村文則)、「本格小説」(水村美苗)を立て続けに読む。甲乙付け難い傑作たちだが、今年のベストブックを選ぶなら詩文集「生首」(辺見庸)だ。五臓六腑から吐き出される言葉の切っ先は、何より深く辺見自身を抉っている。

 平野啓一郎の新作「かたちだけの愛」(中央公論新社)を読んだ。平野自身が<分人主義シリーズ三部作の締めくくり>と位置付ける本作は、良質な恋愛小説であると同時に、「高瀬川」の発展形というべき精緻なポルノグラフィーでもある。

 平野は<分人>という概念を、<他者とのコミュニケーションの過程で、人格は相手ごとに分化せざるを得ない(=分人)。個人とはその分人の集合体>と規定している。「決壊」の主人公は<分人>が整合性を失くして崩壊したが、「かたちだけの愛」はベクトルが逆で、感動的な結末に至る。

 主人公の相良郁哉(あいら・いくや)はプロダクトデザイナーだ。聞き慣れない職種だが、椅子、ソファ、コップといった生活用品全般をデザインする仕事と知る。平野の小説には、作者自身のカルチャー志向が色濃く反映している。哲学、アート全般について深い理解に感嘆させられることが多いが、本作は新聞小説(読売新聞夕刊に連載)ゆえ、ペタンティックは控えめだった。

 事務所近くで交通事故が起き、相良は現場に駆けつける。車の下から〝美脚の女王〟叶世久美子を救い出したが、チャームポイントの左脚を切断する重傷だった。相良が久美子の義足をデザインすることで、両者の関係は深まっていく。

 久美子の〝ふしだらな女〟というパブリックイメージは、相良の母に重なっていた。嫉妬から久美子を愛するようになった相良は、彼女の中に<素晴らしい分人>を見いだす過程で、自分を捨てた亡き母と心の中で和解していく。〝母の喪失〟を短編で繰り返し描いてきた平野は、結婚を機に、赦しの境地に達したのかもしれない。

 紫づ香(病院経営者)、三笠(実業家)、曾我(久美子の所属事務所社長)、淡谷(装具士)といった個性的な登場人物が歯車になって、予定調和的な結末へ突き進む。相良と接する時の紫づ香は<理想的な母という分人>、暴力的な三笠は<仲間を束ねるボスという分人>、久美子と接する時の曾我は<性を超越した父としての分人>を与えられている。

 俯瞰の目でシーンを繋げていくと、濃淡と陰翳に彩られたグランドデザインが浮き上がってくるが、挑発的なタイトルが意味するものを、まだ読み解けていない。

 平野は2年前、ファッションモデルでデザイナーでもある春香さんと結婚した。モード界に身を置く者しか知りえない空気が織り込まれた本作は、平野が奥さんと共に書いた、互いへのラブレターかもしれない。

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'10スポーツ回顧&有馬記念

2010-12-26 00:31:25 | スポーツ
 芸能ネタには疎い俺だが、ツイッターを介した大桃美代子と麻木久仁子の愛憎劇は興味深い。上杉隆氏をはじめツイッター時代の到来を説く識者は多いが、最新ツールが何であれ、それが人を成熟させるわけではないことを再認識させられた。山路徹氏の艶福家ぶりは羨ましい限りである。

 今回は2010年のスポーツ界で記憶に残る選手とチームを挙げてみる。6階級(実質10階級)制覇を成し遂げた不世出のマニー・パッキャオ、見る者を陶然とさせるバルセロナについては繰り返し紹介しているので割愛する。

 WWEではランディ・オートンが輝いていた。シナをもり立てる冷酷非情のヒールだったが、上層部の思惑と善悪の構図を超え、エースの座に就いた。所作と表情でファンの気持ちを鷲掴みするオートンは、オ-スチン級の表現者になる可能性を秘めている。

 NFL開幕前、躍進を期待する4チームを挙げたが、そのうちファルコンズが12勝2敗でNFCトップを走っている。次週のマンデーナイトで昨季王者セインツを倒したら、スーパーボウルへの視界が一気に開ける。大学ラグビー準々決勝では、この秋突然ファンになった天理大が東海大(リーグ戦1位)と相まみえる。第1列の安定感をベースにした展開力がどこまで通じるか楽しみだ。

 俺にとっての年間MVPはW杯南ア大会のオランダ代表だ。<美しく戦う>ことを要求するクライフは決勝のスペイン戦を酷評していたが、技術も熟成度も自分たちより高いチームと戦う時は、削りに出るしかない。醜い敗者となったファンマルバイク監督とイレブンの決意を称えたい。

 自縄自縛の美学を葬って一皮むけたのか、W杯後のオランダはテニスのイワン・レンドル(古い譬えですみません)のように機能的で隙がない。現状ではEURO'12のV候補筆頭だが、スリナム系の選手が減ったこともあり、硬質で醒めた感じがする。人間力に溢れたチームに足をすくわれるかもしれない。

 以前はGⅠ予想でネタ不足を解消していたが、あまりに当たらないので控えめにしている。締めくくりの有馬記念は逃げ馬不在で、調教評価が極端に分かれるケースも多く、迷い始めたらきりがない。最大のテーマはブエナビスタの扱いだが、ここ2週の調教の軽さに激戦の疲れも窺えるので絶対視は避けた。

 本命は逆転リーディングに向け勢いに乗る内田騎乗の⑩エイシンフラッシュ。以下、○⑭ペルーサ、▲⑤ルーラーシップ、注⑦ブエナビスタ、△④トーセンジョーダン。馬連、3連単とも⑩を軸に買うつもりだ。

 U局の競馬中継が有馬記念をもって終了し、同時間枠をBSイレブンが引き継ぐ。グリーンチャンネルを視聴している俺には関係ないとはいえ、一抹の寂しさを覚える。今日はU局にチャンネルを合わせ、柏木集保氏の解説に耳を傾けたい。


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<沈迷>の年の瀬、拗ね者が世を憂う

2010-12-23 03:27:56 | 社会、政治
 クリスマスで騒々しい時季、お薦めの映画は「奇跡の丘」(64年)だ。アナキスト、無神論者、同性愛者のパゾリーニが描くイエスの清冽さに心が洗われる。この映画一本で、キリスト教の原点と神髄に触れることができるのだ。さあ、TSUTAYAへ走れ!

 英国では秋以降、学費値上げに反対するデモが頻発した。法案が可決された日、皇太子夫妻が乗った車が学生たちに囲まれ、「おまえの母親(エリザベス女王)がサインした。恥知らずめ」と罵声を浴びせられた。王室を養っているのは国民という気概の表れである。

 フランスなど欧州各国、身近では韓国で、若者が自己主張する場面を目の当たりにする。羨ましい限りだが、翻って日本は……。若者の牙を抜いたのは、俺を含めた中高年層だ。だからこそ昨年夏、政権交代に一票を投じた。新自由主義→社民主義、官僚主導→政治のリーダーシップ、対米隷属→健全なナショナリズムに基づく自立……。テーマは幾つもあったが、俺が最も期待したのは閉塞感打破だった。あれから1年4カ月、状況は当時より悪化している。 

 1年で平均給与所得が30万円も減少するなど、<国民総下層化>に拍車が掛かった。かつて<上流確定のスタンプ>を押されていた医師、建築士、弁護士、会計士の多くも年収数百万円というから、夢がない世の中である。

 国民目線が求められているのに、民主党は<アメリカ=警察=官僚=大企業>の権力複合体に媚を売っている。法人税を5%引き下げ(いずれは25%まで?)、ジャスコ一族の岡田幹事長が企業献金解禁に舵を切った。官邸サイドは蓮舫氏をスターにした事業仕分けを形骸化し、基地問題を巡る仙谷発言は自民党政権時より酷い。

 マニフェストを次々破った民主党政権の最大の成果は、〝複合体共通の敵〟といえる小沢氏排除に一定の成果を挙げたことだ。俺のような拗ね者の目には、<善玉=菅首相、悪玉=小沢氏>という構図が逆さまに映るから困ったものだが……。

 今年を1字で表すなら「沈」もしくは「迷」だが、両方重ねて<沈迷の年>が俺の感想だ。

 日本の民主党は初心を忘れたが、初心があったかどうかさえ疑わしいのがアメリカのオバマ大統領だ。別稿(08年11月30日)で、就任前のオバマの不安点を以下のように記していた。

 <シカゴ民主党幹部の意を受け最低賃金引き上げに反対したこと、イラク撤退を訴えて予備選を勝ち抜いた民主党候補を応援しなかったこと、グローバル経済の推進者であるルービン氏(クリントン政権の財務長官)と繋がりが深いこと、集めた政治資金(300億円)のうちゴールドマンサックス、リーマンブラザーズ、シティーグループからの献金が目立つこと>……

 複数の識者の声をまとめただけだが、悪い予感は的中した。オバマ大統領が提案した医療保険改革法、金融規制法は、保険会社やウォール街に骨抜きにされており、成立したもののコアな支持者を失う結果となった。タニマチに配慮し、クリントン国務長官に監視されているオバマは既に〝民衆の大統領〟ではなく、前任者たち同様、操り人形に化している。

 日米で希望が色褪せた10年、政治の分野でMVPを選ぶならウィキリークスだ。健全な反骨精神は世界にネットワークを広げており、ジュリアン・アサンジを抹殺しても根が枯れることはない。新たな展開に期待を寄せている。 


 
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「冬の小鳥」~水彩画に光る少女の眼差し

2010-12-20 00:10:30 | 映画、ドラマ
 昨日(19日)はテレビ桟敷でスポーツを堪能した。まずはバルセロナ・ダービーから。

 至上最強との声も聞かれるバルサは、アウエーでエスパニョールを5―1と一蹴した。一矢報いたエスパニュールだが、熟成が醸し出すバルサの閃きに対応できない。メッシは無得点ながら、パスワークの冴えを見せつけていた。

 甲子園ボウルでは立命大が48―21と早大を圧倒する。3強がしのぎを削る関西の壁に早大は跳ね返されたが、ラグビーでは東高西低の構図が続いている。同志社の低迷で大学ラグビーに関心をなくしていたが、今季はひいきチームが出来た。展開力で勝負する天理大である。選手権初戦で大東大を101―0の驚愕のスコアで破った。準々決勝の東海大(リーグ戦王者)戦では、体格のハンディをスピードで克服してほしい。

 肝心の競馬は、POG指名馬が週末に4連敗。馬券もかすりもしなかったが、他のメンバーの持ち馬が朝日杯で連対を外したのが、不幸中の幸いだった。

 さて、本題。映画について書くのは今年最後なので、日本で10年に公開された作品からベスト5を。

 1位は年間ベストの枠を超えた韓国映画「息もできない」だ。21世紀に甦るシェイクスピアの相克、「勝手にしやがれ」以来の衝撃etc……。世界に衝撃を与えた本作は、不条理、罪と罰、宿命といった重いテーマを内包したラブストーリーでもある。百人百様の捉え方を許容するブラックホールに、狂おしいほどの親近感を覚えた。

 以下、2位「瞳の奥の秘密」、3位「告白」、4位「ペルシャ猫を誰も知らない」、5位「ミレニアム~ドラゴン・タトゥーの女」と続く。「義兄弟」、「フローズン・リバー」、「春との旅」も記憶のスクリーンに刻まれた作品だった。

 先週末(18日)、新宿武蔵野館で「冬の小鳥」(09年、ウニー・ルコルト監督)を見た。1975年のソウル近郊を舞台に、監督自身の実体験に基づいた作品で、一冬の少女の成長を描いた水彩画といった趣がある。

 ♪あなたは知らないでしょうね どれだけ愛していたか 時が流れれば きっと後悔するわ……

 9歳の少女ジニは父との〝最後の晩餐〟で愛らしく歌う。翌日の小旅行に心が躍ったが、行き先は教会が経営する孤児院だった。

 ジニは〝愛情の計算〟の結果、自らを捨てた父が忘れられない。癇性なジニに手を差し伸べたのは2歳年上のスッキだった。姉と慕うスッキだけでなく、院長、シスター、寮母の優しさに、ジニの心も少しずつ溶けていく。

 タイトルの「冬の小鳥」はジニのメタファーでもある。ジニはスッキとともに傷ついた小鳥を慈しみ、飛び立つ日を夢見てかいがいしく世話をする。孤独と絶望の淵から愛という感情に目覚めたジニだが、バンソウコウを引き剥がされる痛みに、傷口が開いた。心が血まみれになったジニは、ある行為を通して死と再生の意味を知る。

 本作の肝は、同年齢のジニを演じたキム・セロンの眼差しの力だ。悲しみ、激情、憂いを巧みに表現し、ラストの吹っ切れた笑みに心が和んだ。顔立ちとアンニュイな表情が田中裕子に似た少女は、いずれ韓国映画を背負って立つ女優になるかもしれない。
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ロックを聴いて四十余年~光を繋ぐ不思議な音魂

2010-12-17 02:06:25 | 音楽
 ロックについて記すのは今年最後だから、〝現役ファン〟復帰元年を振り返って、アルバムベスト5を記したい。

 圧倒的1位はレジーナ・スペクターの「ファー」だ。ビョークのエキセントリズムにフェアグランド・アトラクションの手作り感が融合したメランコリックな作品で、曲のクオリオティーは極めて高い。通称〝ブロンクスのビョーク〟に、〝当代一のソングライター〟の冠を捧げたい。

 2、3位はアーケイド・ファイアの「ザ・サバーブス」とフォールズの「トータル・ライフ・フォーエヴァー」だ。それぞれ別稿(5月31日、8月20日)に記したが、「ザ・サバーブス」が愛聴盤になったのはブログに記した後である。

 続くのはザ・ナショナルの「ハイ・ヴァイオレット」とハーツの「ハピネス」だ。ザ・ナショナルは〝沈んだ高揚感〟を覚えるバンドで、来年3月の来日公演を楽しみにしている。「ハピネス」に甦ったのは、ティアーズ・フォー・フィアーズとペイル・ファウンテンズ(ともに1st限定)の閃きだ。五十路男が口にするも恥ずかしいが、蒼くて切ない〝青春ど真ん中〟が詰まっている。

 ロックを長く聴いていて、不思議な巡り合わせを何度も経験した。無関係に煌めいているように思えたバンドが、同じ光源で結ばれ、<音魂>で繋がっていたのだ。

 マニック・ストリート・プリーチャーズの来日公演については別稿(11月29日)で記した。マニックスは〝パンクの正統な後継者〟と決めつけていたが、メンバーはエコー&ザ・バニーメンに敬意を払っていた。新作にイアン・マカロックが参加し、終演後のスタジオコーストにバニーズの名曲「キリング・ムーン」が流れていた。

 俺が知る限り、バニ-ズはノンポリで、ラディカルなマニックスと思想的な繋がりはなさそうだ。マニックスの抒情性とバニーズとの関係はわからないが、両バンドは言葉に表せない音魂で結ばれているに違いない。マニックスのメンバーは少年時代、バニーズの至高のライブに度肝を抜かれた可能性もある。何せバニーズは失速するまで〝80年代のドアーズ〟と謳われたバンドだったのだから……。

 最大の音魂空間を形成するのはキュアーだ。レッチリ、メタリカ、グリーンデイ、ナイン・インチ・ネイルズ、デフトーンズらが口々にキュアーから受けた多大なる影響を語っているが、ポストパンク/オルタナ勢とキュアーの絆を論理で説明するのは難しい。こんな時に便利なのが音魂という概念だ。

 キュアーの影響を最も強く感じるのが浅井健一(ベンジー)だ。キュアーの大ファンだった俺は、ブランキー・ジェット・シティに惹かれるようになる。タイプは大きく異なるように映るが、俺の中で妙に整合性が保たれていた。まさに音魂の成せる業である。

 ブランキー・ジェット・シティ、シャーベッツ、JUDE、ソロ、最近のポンティアックと、ベンジーの活動は多岐に渡るが、キュアー色が最も濃いのはシャーベッツだ。シャーベッツに限定すると、イメージを連ねた詞はロバート・スミスの手法に近い。JCBホールでの10周年記念ライブを収録したDVD「ゴースト・フラワーズ」(08年)は、キュアーファン必見のアイテムだ。

 ロックなら音魂、小説なら言魂に数多く出合えたのは幸いだった。女性たちも周りでキラキラ煌めいていたが、俺の方が光を放てなかったので、相手は気付かなかったのだろう。もっと自分を磨くべきだったと反省したって、今更どうにもならない。



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「本格小説」~情念と死に彩られた狂気の愛

2010-12-14 02:05:25 | 読書
 彼らより美しくて理にかなった表現者が、この世に存在するだろうか……。バルセロナはスポーツを超える奇跡と夢を何度も実現してきたが、バロンドール最終候補3人(メッシ、シャビ、イニエスタ)を抱える現チームも、閃きと煌めきで見る者を震撼させる。

 先週末もRソシエダを5対0と一蹴し、公式戦20試合無敗、ここ6戦の合計スコアが26対0……。だが、至高の瞬間はいずれ色褪せる。〝連続のダイナミズム〟を掲げるモウリーニョは、バルサの美学を粉砕せんと腕を撫しているはずだ。

 さて、本題。今回は久しぶりに小説の感想を。

 質量ともに濃い「無限カノン三部作」(島田雅彦、11月15日の稿)に浸った後、消化のいい小説を2冊読んで随分スッキリした。次なる〝課題〟を紀伊国屋で物色していると、奇妙なタイトルが目に飛び込んできた。「本格小説」(上下、水村美苗/新潮文庫)だ。

 〝幸せな出合い〟の直感は的中し、読み始めるやグイグイ引き込まれていく。「無限カノン三部作」を〝日本の「ドクトル・ジバゴ」〟と評したが、「本格小説」に二つの名作が重なった。上巻は「グレート・ギャツビー」で下巻は「嵐が丘」である。

 「本作はある青年によってもたらされた天からの贈り物」と記された序文の後、「本格小説の始まる前の長い長い話」と題されたプロローグが200㌻以上も続く。そこでの語り手は水村美苗、すなわち作者自身で、舞台は父が日本企業の駐在員を務める1960年代のニューヨークだ。美苗はアメリカ文化に馴染めず、日本の小説に熱中している。本作に漂うアナログは、青春期の読書体験に基づいているのだろう。

 プロローグに描かれる日本人コミュニティーに、東太郎という名の寡黙な若者が加わった。貨物船でやってきた太郎はお抱え運転手を経て、美苗の父が勤める企業に現地採用されるや、類まれな能力を発揮して上昇曲線を描いていく。孤独の影、正体不明の怪しさ、秘めた情熱、恵まれたルックス……。太郎に連想するのは「グレート・ギャツビー」の主人公だ

 太郎が立志伝中の人物になった十数年後、カリフォルニアに滞在していた美苗の前に元編集者の祐介が現れる。祐介が語る太郎の数奇な来し方に感銘を受けた美苗は、新作を書くことを決意する。

 主人公は太郎だが、当人の主観を記した部分はない。美苗→祐介に続き、本作の主たる語り手になるのはフミ子だ。太郎の不幸な少年時代、よう子と一卵性双生児のように過ごした少年期、超えられぬ階級の壁、渡米に至る経緯、アメリカンドリーム実現後のよう子との交情が、フミ子の口から祐介に語られた。フミ子が意識的に封印した部分は、後半で明らかになる。

 アメリカでの太郎は颯爽としているが、日本では押し黙った熊のようにどこか鈍重で、よう子とフミ子に支配されている。情念と恩讐に織り成された太郎とよう子の愛は狂気と紙一重で、死をも内包していた。

 本作は稠密でイメージを喚起する日本文学の伝統に則り、半世紀にわたる日米の文化や風俗を背景に壮大なスケールで描かれていた。<本格小説>に相応しい内容で、太郎が訥々と日本社会への失望を祐介に語る場面も興味深かった。夢の跡を実感させる寂寥としたラストに余韻は去らない。

 「無限カノン三部作」、そして「本格小説」……。至高の恋愛小説は痛くて重い。当分読むのはよそうと思っていたが、次に控えるのも恋愛小説だ。俺の一押し、平野啓一郎の新作が10日に発刊された。タイトルは「かたちだけの愛」で、著者によると〝分人主義三部作〟の掉尾を飾る作品という。感想は年内に記すつもりだ。


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「CSIトリロジー」~独自性と普遍性が共存する秀逸なドラマ

2010-12-11 06:24:59 | 映画、ドラマ
 務め人時代の後輩たちと新大久保でささやかな宴を開いた。笑いに満ちた楽しい時を過ごしたが、世知辛い年の瀬、負の感情が街に立ちこめている。

 俺にとって憤りの対象は、またしても石原慎太郎都知事の発言だ。「同性愛者は何か足らない」……。アホ抜かせ! 同性愛者であれ異性愛者であれ、金持ちであれ貧乏人であれ、すべての人間は何かが足らない。
 
 石原都知事に足らないものを挙げてみよう。第一は<他人を思いやる気持ち>だ。外国人、女性、自殺の誘惑に悩む少年、障害者、そして今回……。その発言(本音)で多くの人を侮辱してきた。第二は<自らを顧みる思考>だ。性描写規制条例案再提出で悦に入っているが、自らの小説が多くの婦女暴行事件を誘発し、<PTAの敵>として君臨した過去を失念しているようだ。

 挙げていったらきりがないので、本題に入る。「CSIトリロジー」をWOWOWで見た。スピンオフの「マイアミ」、「ニューヨーク」を経て本家「CSI科学捜査班」(ラスベガス)に舞台を移すクロスオーバー企画である。

 「CSI科学捜査班」と「ニューヨーク」は必須アイテムだが、「マイアミ」とは縁がなかった。時間には限りがあり、放映時期がNFL、欧州サッカーと重なるため諦めたのだが、今回見たマイアミ編は気候に相応しい熱とユーモアに溢れていた。マイアミで起きたバラバラ殺人をきっかけに、<人身売買―臓器移植―売春―代理母>の市場を支配する組織の存在が明るみに出る。3チームは頭脳と執念を結集し、全米を縦断するネットワークの実態に迫っていく。

 「CSIトリロジー」の主役は「CSI科学捜査班」のラングストン教授だった。絶対的存在だったグリッソムからリーダーを受け継いだラングストンの認知度を高めることも、今企画の目的だったのだろう。ニューヨーク編ではバイクで犯人を追いつめるなどアクティブな一面を披露し、締めくくりのラスベガス編では胸に染みるラストシーンを演じていた。

 <生々しい解剖シーン、ミイラ化した遺体、腐乱した内臓に巣食うウジ……。日本なら抗議殺到で放送中止に追い込まれる番組を、アメリカ人は家族揃ってピザを頬張りながら見ている(中略)。戦時の国(アメリカ)と銃後の国(日本)では、〝残酷さ〟〝清潔さ〟〝人間らしさ〟の捉え方が根本的に違っているのだろう>(09年6月23日の稿)

 別稿から1年半、俺は自分の勘違いに気付いた。「CSIシリーズ」は戦時であれ平和であれ、200を超える国と地域で放映されている。貧困と格差、度を超した欲望、薬物依存、銃が加速する暴力、拝金主義、狂気と倒錯といった「CSIシリーズ」が描くアメリカに現実に、他国の視聴者は、羨望や憧れではなく、親近感と共感を覚えている。独自性を追求しつつグローバルな普遍性を獲得し、俺のような<反米派>までいつの間にか懐柔(洗脳?)してしまった。

 グリッソムだけでなく、ウォリック、サラとスタート時のメンバーが降板するにつれ、「CSI科学捜査班」はダウナーさを増している。制作サイドは今夏、CBSと新たに4年の再契約を結んだ。ハリウッド映画が描けなくなった人間の深奥を浮き彫りにするドラマを、もうしばらく楽しみたい。
}

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「ドアーズ/まぼろしの世界」~蛹のまま蝶のように舞った男

2010-12-08 00:42:46 | 音楽
 今日はジョン・レノンの命日だ。最近は<愛と平和の啓蒙者>との捏造が甚だしいが、実際のジョンはIRAらと交流した左派だった。故に米当局から骨の髄まで憎まれ、「イマジン」は放送禁止歌のままである。FBIによる暗殺説が根強いのも当然だ。

 ビートルズはノンポリだったが、鋭敏なジョンは〝嵐の60年代〟のパトスに炙られ焦燥を覚えていた。67年1月、センセーショナルに現れたドアーズもまた、ジョンを痛く刺激したに違いない。

 新宿武蔵野館で先日、「ドアーズ/まぼろしの世界」(10年)を見た。ドアーズは革命と喪失を最もビビッドに体現したバンドである。ドキュメンタリーの軸に据えられたのは、虚実ないまぜで語られるフロントマンのジム・モリソンだ。

 モリソンの影響力は死後も衰えず、ロック以外にも伝播した。「地獄の黙示録」(79年)は「ジ・エンド」抜きに成立しない映画だし、マキャモンの「マイン」(90年、文春文庫)には〝生きているモリソン〟に憑かれた女が登場した。WWEのジョン・モリソンは、本家の華やかさを強調したコピーといえる。狂気、孤独、繊細、刹那的……。本作は形容詞が幾つあっても足らないモリソンの実像に迫っている。

 バンドTシャツを買い、カラオケ(随分行ってないな)で「ハートに火をつけて」を何度も歌った。俺は一応、ドアーズファンのつもりだが、本作では発見が幾つもあった。<モリソン=マンザレクがバンドの核>という固定観念をガラガラ崩される。モリソンをインスパイアした主要なソングライターは、ギタリストのロビー・クリーガーだった。

 妖しいルックスと悪魔憑きの声で寵児になったモリソンだが、詩人としては未完成だった。揺りカゴというべきドアーズという空間を、薬物と酒に溺れたモリソンは自らの手で歪めてしまう。惜しいというのは凡人の考えだろう。閃きと煌めきで壁を突き抜ける天才を、小さい物差しで測っても無意味なのだから……。
 
 本作で驚いたのは、ライブ会場での制服警官(私服は恐らく数倍)の多さだ。マイアミ公演での自慰行為もデッチ上げで、モリソンが私生活に至るまで監視されていたことを知る。アメリカは常に〝危険な連中〟を排除してきた。ロックでいえばウエストコーストパンク、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、そしてジョン・レノンもこの伝統に則って圧力を受けた。

 <蛹のまま高みを舞った蝶>……。これが本作を見終えた後の俺のモリソン像だ。傲慢さと自己顕示欲と背中合わせの不安とコンプレックスに、モリソンは苛まれていたのだろう。その資質と死にざまにカート・コバーンが重なる。短い活動期間で自らを焼き尽くし、ともに27歳で灰になった。

 先月末、WOWOWでクリームのフェアウェルコンサート(68年)がオンエアされた。ストイックなクリームはドアーズと対照的なバンドだが、ともに<ロックこそ新時代の音楽>という気概に満ちていた。ちなみにレノンはビートルズ時代、ジャズに対し過剰と思えるほど攻撃を繰り返していた。

 クラシック評論家の石井宏氏は「反音楽史」で、<現在最も才能に恵まれた者はポップスターを目指すだろう>(要旨)と記していた。クラシックとジャズが模倣と解釈の音楽に堕した時、表現と創造を志す天才たちが、可能性を希求してロックの旗の下に馳せ参じる。ドアーズ、そしてジム・モリソンもフォルムを作った先駆者だった。

 今も昔も、資本主義と権力者はロックを飼い慣らそうとする。檻に入ったバンドも少なくないが、今年に入って現役ロックファンに復帰した俺は、新たな息吹を感じている。何ものにも囚われないモリソンの魂は、世紀を超えて受け継がれているのだ。




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「10月突然大豆の如く」~シティボーイズの終わりなき青春

2010-12-05 03:51:56 | カルチャー
 ロシア、カタールと2大会のW杯開催地が決定した。日本は泡沫候補だったが、選ばれなくてよかったというのが正直な感想だ。W杯どころじゃないシビアな状況が、今後も続くと考えるからである。

 首都圏各駅では師走になって、人身事故を知らせるテロップが頻繁に流れるようになった。多くの人が苦しい年の瀬を迎えているのだろう。かつて姜尚中氏は、運転見合わせに舌打ちするサラリーマンの想像力の欠如を嘆いていたが、<総下層化>が進行する今、自殺の影は濃さと広がりを増し、背後に迫りつつある。

 反貧困ネットワークに時折カンパするだけの俺がご託を並べても仕方ないので、本題に入る。

 芝居や笑いに疎い俺だが、シティボーイズはWOWOWで20年近く見ている。「10月突然大豆のごとく」と題された今年の舞台はゴールデンウイークから10月にずれ込み、先月末にオンエアされた。

 大竹まこと、きたろう、斉木しげるの3人、準メンバーというべき中村有志に、ザ・ギース、ラバーガールの若手ユニットが加わった。ナンセンス、不条理をベースに時事問題や社会風刺をちりばめる手法は変わらないが、昨年の「そこで黄金のキッス」から明らかにトーンが変わってきた。エンターテインメント度がアップし、素直に笑えるステージになっている。

 中高年と青年が4人ずつ集ったことでコントの幅が広がり、カットバックする風変わりなキャラとイメージが、統一感を保つビーズになっていた。ブラックな日本人論をテーマにした「八つの窓」は、斬新なセットが目を引いた。中高年4人が赤い僧衣で語り踊る「コロス」は、今公演のハイライトといえるだろう。

 大竹には「怒りバー」、きたろうには「脳内チェック」、斉木には「日本の黒幕」のラストの踊り、中村には「年の差婚」と、それぞれ見せ場が用意されていた。新国立劇場に足を運んだファンは、強烈な個性が醸し出す〝和み〟を満喫したに違いない。大竹が終演後、きたろうと斉木の失敗をいじるのもお約束である。

 演出担当の細川徹によると、稽古から初日、そして公演を重ねるにつれ、台詞がどんどん変わっていくという。客席と間合いを測り、計算され尽くしたプランを膨らませ爆発させるのが斉木の役割だ。ザ・ギースの高佐一慈はインタビューで、「日本で一番面白い」と斉木を評していた。他の若手3人も斉木に受けた衝撃を口々に語っている。

 そんな斉木だが、他へ行くと萎縮するらしい。シティボーイズのステージは、斉木という稀有な表現者が、大竹ときたろうの寛容と友情に支えられ、唯一本領を発揮できる場所なのだ。結成30年、終わりなき青春を謳歌する還暦男たちの舞台を、いつか現場で楽しみたい。

 最後に、JCダートの予想を。先週のJCは、繰り上がりとはいえローズキングダムが勝ち、ローズ一族の悲願を達成した。ダートの方はスカーレット一族の②キングスエンブレムを軸に、⑬ダイシンオレンジ、⑱オーロマイスターあたりに流すつもりだ。

 取捨を迷っているのが①シルクメビウスだ。領家調教師は今年10勝の田中博に鞍上を託すが、大一番でトップジョッキーに騎乗を依頼するという選択肢もあったはず。馬券はともかく、温情と絆が生むパワーに期待している。


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