酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「焼跡のイエス 善財」~石川淳の自由でシュールな原点

2022-02-23 21:34:10 | 読書
 西郷輝彦さんが10年以上の闘病生活の末、召された。母は西郷さんのファンで、俺が小中学生の頃、歌番組の西郷さんに見入っていたのを思い出す。ドラマでの活躍も記憶に残っている。同居していた祖母は同じくご三家の舟木一夫を贔屓にしていた。歌が織り成す昭和の家族の光景がノスタルジックに甦った。享年75、昭和の大スターの死を悼みたい。

 石川淳の短編集「焼跡のイエス 善財」(講談社文芸文庫)を読了した。「山桜」(1937年)、「マルスの歌」(38年)、「焼跡のイエス」(46年)、「かよい小町」(47年)、「処女懐胎」(48年)、「善財」(49年)の6作が収録されている。いずれも再読のはずだが、江戸時代の戯作にインスパイアされた独特の語り口は刺激的で、石川の世界観に改めて魅せられた。

 別稿(1月16日)で紹介した「最後の文人 石川淳の世界」では、江戸文学と石川の関わりが言及されていた。「マルスの歌」が発禁処分を受け、作品発表の場を失った石川は「江戸に留学する」と語っていたというが、「焼跡のイエス 善財」には、<江戸>以外のキーワードが作品に滲んでいる。それは<フランス文学>と<キリスト>だった。一作ずつ簡単な感想を記したい。

 「山桜」は現実と異界が交錯する怪奇小説で、主人公は亡くなったかつての恋人と再会する。〝「雨月物語」とエドガー・アラン・ポーの影響が濃い〟と解説されているが、既視感を覚え、辿り着いたのが梶井基次郎である。「檸檬」の一節<私は物体が二つに見える酔っ払いのように、同じ現実から二つの表象を見なければならなかったのだ。しかもその一方は理想の光に輝かされ、もう一方は暗黒の絶望を背負っていた>と綴られていた。石川は1932年に夭折した梶井をリスペクトしていたのかもしれない。シュールレアリズムは当時の文壇の空気だったのか。

 発禁になった「マルスの歌」は<同調圧力>を批判する際、言及される作品だ。「マルスの歌」は好戦気分を高揚させる流行歌で、石川は発表前年に発表された「露営の歌」に重ねている。街角や車内で唱和される同曲に耳を覆う主人公は、<私が狂っているのか、それとも社会が狂っているのか>と自問する。冬子と帯子の従姉妹の時代への対応が対照的だ。

 カメラマンと結婚した冬子は現実から逃避し、西欧の戯曲の世界に閉じこもっている。聴覚と視覚に障害を持つ戯曲の登場人物を夫の前で演じることで、暗い現実との折り合いをつけていたが、自ら死を選ぶ。妹の帯子は「マルスの歌」に過敏に反応し、街で流れたら窓を開けて〝同調〟する。召集令状を受けた冬子の夫も、社会に同化していった。主人公は最後に、「マルスの歌」に、そして社会に明確な「NO」を突き付けた。

 重ねたのは「100分deパンデミック論」で栗原康が取り上げた「大杉栄評論集」だ。大杉は<行進する軍隊の歩調に自らを合わせていく庶民>に疑義を呈したが、そのまま「マルスの歌」を唱和する人々に重なった。絶対的な自由を志向する石川はアナキストとも交流があった。戦争に迎合した多くの表現者たちと一線を画していた。

 石川はクリスチャンではないが、江戸文学、アナキズムに加え、キリスト教の薫りも作品に滲んでいる。「焼跡のイエス」、「かよい小町」、「処女懐胎」に通底していたのはキリスト教だ。石川はクリスチャンではないが、価値観が顛倒した混乱期、欲得を超越したキリスト教に関心を抱いたのだろう。

 「焼跡のイエス」に登場する少年は襤褸を纏う聖者の如くで、「かよい小町」では主人公が業病に罹患した染香との結婚を決意する。二人が駅頭で出会った染香の友人よっちゃんは共産党の活動家だが、主人公は冷ややかだ。<アナキストの最大の敵は共産党>はスペイン戦争で実証されている。石川の思いは作品にも反映していた。

 「善財」にも戦前と戦後の断絶と連続性を背景に描かれていた。主人公の秀でた舌の感覚は、思想や言葉の真贋を見極める才能のメタファーといえるだろう。興味深かったのは恋愛観である。これは「処女懐胎」にも表れていたが、男女問わず純潔に価値を置かれていた。アナキズムへの傾倒、無頼派と括られることもある石川だが、恋愛観は意外に古風だったのかもしれない。

 石川淳には幾つもの貌がある。いや、作家自身、研鑽を重ねて過去の自分を超えていった。今後も機会があったら、石川の作品を再読していきたい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 厳冬期の雑感~オミクロンと... | トップ | 「さがす」~再構成された時... »

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事