酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「オットーという男」~孤独な男が開けたカラフルな世界への扉

2023-03-29 20:14:22 | 映画、ドラマ
 白内障の手術をした。先日は右目で、左目は2週間後になる。要したのは20分前後で、シュールな万華鏡のような画像が写っていた。目という繊細な部位にメスを入れるなんて、さすが医師というべきか。翌日、眼帯を外したら、クリアな世界が広がっていた。左目の術後、眼鏡なしの日々を送れるかもしれない。

 5時間ほどの日帰り入院だったが、周りは高齢者ばかりで、車椅子で移動している患者も多い。改めて実感させられた老いをテーマに据えた「オットーという男」(2022年、マーク・フォスター監督)を新宿で見た。始まって数分でデジャヴを覚えたのも当然で、本作はスウェーデン映画「幸せなひとりぼっち」(17年、ハンネス・ホルム監督)のリメークである。ユーモアとエンターテインメントがハリウッド風味で味付けされていた。

 内容は似ていてもこの6年、俺の心身は脳梗塞で入院するなど甚だしく衰えている。当時は仕事をしていたが、今は無職だ。老いと死がズームアップされ、孤独の色も濃くなっている。リメークではあるが、「オットーという男」に感慨を新たにした。主人公を演じたのはオスカーを2度獲得したトム・ハンクスで、製作にも関わっている。

 冒頭でオットーは長年勤めていた会社をリストラされる。同僚に煙たがられていたが、地域でも同様だ。近所を毎日パトロールし、ルール違反している者に注意する。口癖は“idiot”(馬鹿者)だ。首吊り自殺を試みていたが、周囲が騒がしい。正面の家に、メキシコ出身のマリソル(リアナ・トレビーニョ)とトミー(マヌエル・ガルシア・ルルフォ)の夫妻、2人の女の子が引っ越してきたのだ。

 自殺を中断されたオットーはトミーの拙い運転をなじりながら協力する。その後、お節介なマリソルは、メキシコ料理を手に、何度もオットーの家を訪ねるようになる。冷たくあしらいながらも、次第に心が通い合うようになった。それでもオットー孤独は癒えず、首吊り、飛び込み、車の排ガスと自殺はことごとく失敗する。

 オットーは半年前、がんで亡くなった妻ソーニャの元に行きたいと願い、墓前に花を捧げつつ、「早く会いたいけど、死ぬのは難しい」などと報告する。ソーニャ(レイチェル・ケラー)との出会いと不幸な事故とその後の献身がカットバックし、時の糸が紡がれ、オットーの心情が浮き彫りになっていく。若き日のオットーを演じたのは、トムの息子トルーマン・ハンクスだ。

 オットーは理系の技術職、ソーニャは国語教師志望と志向は異なるが、出会いのシーンが鮮やかだった。心臓肥大症で兵役を不合格になったオットーは、失意のどん底にあった。そんな時、女性が向かいのホームで落とした本を電車まで届ける。彼女がソーニャで、タイトルは「巨匠とマルガリータ」だった。これをきっかけに2人は恋に落ち、結婚する。

 オットーは妊娠したソーニャとバス旅行に出る。帰り道、バスは転落事故を起こし、ソーニャは流産し下半身不随で車椅子生活になる。オットーはソーニャの夢を叶えるため、調度の作り替えだけでなく行政にも掛け合い、ソーニャは教師として職を得た。「名探偵モンク」のモンクとトゥルーディーとの絆に重なった。

 孤独な男がカラフルな世界の扉を開けるというパターンは欧州映画のトレンドだったが、本作は愛の物語であり、さらに多様性という現在的なテーマを内包している。メキシコ人であるマリソルと心を通わせ、車椅子生活になったソーニャのために尽力する。ソーニャの教え子だったゲイの青年にも偏見は一切持たない。オットーはソーニャによって目覚めた最高の教え子だったのだ。

 成り行きで飼うことになった野良猫を、オットーはソーニャの生まれ変わりと感じていたのだろう。SNSをツールにしたインフルエンサーの女性と協力し、友人を救うシーンも痛快だ。根底にあるのは<正義>で、権力に対する反抗心も強い。

 俺は最近、引きこもりがちだが、愛すべき変わり者であるオットーが羨ましくなった。視界がクリアになったことをきっかけに、一歩踏み出してみようかな。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダブリナーズ」~記憶と想像力で紡がれた都市小説

2023-03-24 21:49:26 | 読書
 ベイスターズファンゆえ、WBC決勝で今永が炎上しないか心配だったが、ソロホームラン1本で抑えたことで、試合の流れを壊さなかった。WBC狂騒曲は鳴りやまず、<リスペクト>を体現した日本チームの軸はもちろん大谷だった。試合前の円陣での「(米国チームに)憧れないように戦いましょう」、そして試合後、アジア各国の野球の発展に言及したことなど、大谷の意識の高さと発信力はMVPに相応しい。

 ダルビッシュは初日から宮崎キャンプに参加し、若い選手と積極的に交流した。日本ハム入団時、本人いわく自業自得だが、先輩選手に冷たくあしらわれた。その時、新庄、坪井、森本の3人が目を掛けてくれたことを感謝している。自身の経験からチーム内の風通しを良くする緩衝材の役割を買って出たのだろう。〝陰のMVP〟である。

 何度か記しているように近々、白内障の手術をする。右、左の順でインタバルでは両目の視力がアンバランスになり、日常生活に難儀するかもしれない。今のうちに〝50年来の宿題〟をこなすことにし、「ダブリナーズ」(ジェイムズ・ジョイス著、柳瀬尚紀訳/新潮文庫、2009年)を読了した。全15作の短編で構成されており、「ダブリン市民」の方が一般的だ。

 アイルランドにはカトリックのケルト系、イギリスから移住してきたプロテスタントが暮らしており、ダブリンには長年、英国軍が駐屯してきた。英国文学では日々の語り合いが重視され、「委員会室の蔦の日」では政治を巡って何人もが議論する。

 アイルランドという土地柄、キリスト教の持つ意味は大きい。ジョイスもイエズス会の学校で学んだという。「姉妹」では神父の死が、「土くれ」ではハロウィーンの夕べが描かれていた。「恩寵」では主人公をカトリックに改宗させようと友人たちが手を組む。同時に、信仰の限界も仄めかされている。

 ジョイスは歌手として収入を得たことがあり、本作には音楽が溢れている。「土くれ」ではマライアの声が人々を魅了し、「痛ましい事故」での出会いの場所は音楽会だった。「母親」でステージママが周りを驚かせたのも音楽会である。「死せるものたち」にもピアノの演奏シーンがあり、歌手たちも登場する。

 訳者の解説にも記されているように、当時のダブリンは閉塞感、停滞感に覆われ、麻痺した街というイメージで、イングランドへの対抗意識と憧れが入り混じっている。「エヴリン」にはダブリンからの脱出を試みる若い女性が描かれていた。「小さな雲」は才能を自覚しながら街にとどまり、ロンドンで成功した友へのジェラシーを抑え切れない男の忸怩たる思いがテーマだ。

 作者自身、若い頃は不良、無頼の類いで、喧嘩っ早い酔っ払い。借金に苦しみ、本作出版まで何度もダメだしを食らう。「二人の伊達男」には街を闊歩した作者の等身大の姿が目に浮かぶ。都市小説の色合いも濃いが、本作が必ずしもダブリンで書かれたものではない。イタリアのトリエステから、ダブリンでの記憶を甦らせて紡いだ小説もある。記憶を源泉とした想像力が本作のエンジンだったのか。

 登場人物の多くは世間体に縛られている。「エヴリン」や「小さい雲」の主人公、そして「下宿屋」で女主人の娘を妊娠させた青年もカトリックに基づく倫理観がストッパーになっていた。「写し」の主人公も公証人としての立場を窮屈に思いながら、憂さ晴らしの手段といえば酒しかない。飲んで歌うパブ文化を連想した。

 とりわけ心に響いた作品は「痛ましい事故」と「死せるものたち」だ。「痛ましい事故」の主人公ダフィー氏は銀行の出納係だ。友達もなく教会とも疎遠で、決まり切ったルーティンを日々こなしている。孤独な中年男が音楽会のロビーで、娘を連れたシニコワ夫人と出会う。偶然が重なり、2人きりで会う機会も増え、共有する部分が大きくなっていく。

 だが、ダフィー氏の側から夫人を拒絶し、2人は別れた。4年後、痛ましい事故で夫人が亡くなった記事をダフィー氏は目にする。娘の証言で、夫人が酒に溺れ、壊れていったことを知るのだ。世間体や倫理観を恐れ、真実の愛に辿り着けなかったこと、想像を絶する夫人の苦しみに思いを馳せるが、ダフィー氏は孤独の中に籠もるしかない。

「死せるものたち」でゲイブリエルは、宴の後に妻の思いがけない告白を聞いて動揺する。夭折した少年への妻の思いに、死せる者、生きる者が共に生きる世界を彷徨っているような感覚に陥る。詩的な表現で、ちっぽけな欲望を超越し、寛容さに包まれた世界に浸ったのだ。

 「ダブリナーズ」は<エピファニー文学>と呼ばれる。ウィキペディアによれば、<物事を観察するうちにその事物の「魂」が突如として意識されその本質を露呈する瞬間>とある。魂、光とも言い換え可能だが、読了後に知ったから手遅れだ。長生きして再読する機会があれば、<エピファニー>を探しながらページを繰りたい。まあ、そんな日は来ないだろう。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コンパートメントNo.6」~極寒の地が心を溶かす愛の寓話

2023-03-20 22:05:49 | 映画、ドラマ
 ホワイト(白)つながりの毎年恒例の企画「ピーチスワン 白鳥×白酒のホワイトデーに贈る★百夜噺」(3月14日、かめありリリオホール)に足を運んだ。〝古典本寸法〟桃月庵白酒→仲入り→〝新作の第一人者〟三遊亭白鳥の進行で会は進む。今回は「宿屋の仇討」を古典と新作で演じるという趣向で、白酒の安定感とテンポに、白鳥のアヴァンギャルドと毒と、個性が異なる芸を堪能出来た。

 注目度は大谷翔平に遠く及ばないが、藤井聡太も負けていない。19日の棋王戦第4局で、渡辺明棋王を破り6冠を達成し、NHK杯(録画)では佐々木勇気八段を下して一般棋戦完全制覇を成し遂げた。藤井は終盤力に加え、序中盤での積極的な差し回しでモンスター化している。大谷のような柔らかい自然体で人々を魅了する日は来るだろうか。

 心がしっとり潤う映画「コンパートメントNo.6」(2021年、ユホ・クホスマネン監督)を新宿シネマカリテで見た。カンヌ映画祭でパルムドールに次ぐグランプリを受賞した作品である。舞台は1990年代のロシアで、主人公はフィンランドからモスクワに留学中のラウラ(セイディ・ハーラ)だ。年上の恋人イリーナ(ディナーラ・ドルカーロワ)は年上の大学教授だ。

 オープニングはインテリたちのパーティーだ。レズビアンカップルは自然に受け入れられていたが、ロシアとフィンランドの〝距離感〟の反映なのか、周りは格差カップルと見做している。冒頭に流れるロキシー・ミュージックの「ラヴ・イズ・ザ・ドラッグ」(恋は麻薬)が暗示的だ。ラウラはイリーナとペトログリフ(岩面彫刻)を見るため、世界最北端の駅ウルムンスクに向かうはずだったが、ドタキャンされる。

 ラウラが乗り込んだ6号個室に居合わせたのはリョーハ(ユーリー・ボリソフ)だった。酔っ払って「おまえは列車で体を売る娼婦か」と暴言を吐く。30年後の現在なら、列車の個室に見知らぬ 男女が押し込められるなんてあり得ない。行き先も同じウルムンスクとあっては耐えられるはずもなく、ラウラは車掌に変更を頼むが、「満席だから」とにべもない。リョーハに「フィンランド語で『愛してる』ってなんていうの」と聞かれ、「ハイスタ・ヴィットウ」(ファック・ユー)と答えた。

 クホスマネン監督の前作「オリ・マキの人生で最も幸せ日」を別稿で紹介した時のサブタイトルは<瑞々しく清冽なラブストーリー>だった。野生動物のようなオリ・マキと素朴なライヤとの恋愛模様が描かれていたが、本作に重ねると、粗野なリョーハと笑顔がチャーミングなライラが相寄る魂の物語となる。

 モスクワ→サンクトペテルブルク→ペテロボーツク→ウルムンスクと凍てつくロシアの大地が窓の外に広がる。だが、列車の中の空気は和んでいく。停車中、外で時間を過ごすリョーハを見つめるラウラの眼差しが優しくなっていく。役柄と俳優の年齢でいえば、ハーラの方がボリソフより8歳上だ。ラウラは留学生、リョーハは労働者という設定だが、両者は相手に、不器用さという自身の欠点を見いだしていた……

 ラウラは極寒の地に近づくにつれ、イリーナとの距離が遠ざかっていくように感じる。印象的な逸話は、列車が1泊するペテロボーツクで2人がリョーハの知り合いの高齢の女性宅を訪ねる場面だ。その女性はラウラに「内なる自分を持っている女性はとても賢い。心の声を信じて生きるの」と語り掛ける。ラウラは自分が解放されていくのを感じたが、リョーハは終着駅で仕事先に向けて去っていく。

 ペトログリフへの道は、道路の凍結で閉ざされていた。愕然とするラウラにリョーハは手を差し伸べる。イリーガルな方法で北極圏に辿り着いたが、収穫はなかった。旅は終わったが、2人の心は氷の大地に溶かされ温まっている。リョーハは「ハイスタ・ヴィットウ」の伝言を運転手に託し、タクシーを下りる。

 エンドマークの先は見る側に委ねている。<最悪の出会いで始まる最愛の旅>の謳い文句に偽りはない。俺は来し方の〝愛のしくじり〟や〝愛未満〟に思いを馳せた。エンドマーク前に気付いていたら……なんて思っても手遅れだけど……。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヨーロッパ・コーリング・リターンズ」~英国から日本を撃つ

2023-03-15 20:55:57 | 読書
 14日付朝刊1面には<袴田さん 再審決定>と<大江健三郎さん死去>の二つの大見出しが躍っていた。袴田巌さん、冤罪、死刑制度については繰り返しブログで綴ってきた。映画「獄友」(金聖雄監督)では元プロボクサーで将棋が強い袴田さんの魅力的な素顔が描かれていた。無罪確定をきっかけに、司法制度全般について議論が進んでほしい。

 大江健三郎さんが亡くなった。享年88である。膨大な作品群のうちで、俺が読んだのは文庫にして10册にも満たない。俺は大江さんを〝政治音痴〟と揶揄したことがあったが、<常に社会に向けて発信することが文学者の責任>と自身に鞭打ってきたことは明らかだ。多くの作家は大江さんの作品だけでなくスピリッtを受け継いでいる。偉大な作家の死を惜しみたい。

 第3回「もっとちゃんと知りたい気候危機! 今私たちに何ができるの?」と題された講演会(「緑でいこう! 杉並大作戦」主催、阿佐ヶ谷区民センター)に参加した。講師の武本匡弘氏はプロダイバーで、白化したサンゴ礁にショックを受けてから環境活動家として世界を駆け回っている。武本氏は自然破壊の現実に衝撃を受けた体験を蓄積する過程で政治や社会への認識を深め、<気候危機の最大の敵は新自由主義>との結論に至る。

 出発点は異なるが、ブライトン在住のブレイディみかこは、<新自由主義に基づく緊縮財政>が英国にとって諸悪の根源と規定する。著書「ヨーロッパ・コーリング・リターンズ――社会・政治時評クロニクル2014~2021」(岩波現代文庫)は多岐にわたり、示唆に富む内容だった。

 ブレイディは保育士で、アイルランド人との間にもうけた一人息子のスクールライフに迫った「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を別稿(2020年5月14日)で絶賛した。本書「ヨーロッパ――」は著者による英国発時評で、朝日新聞や東京新聞に掲載された論考を収録したものである。460㌻超の本書に刻まれた魂がこもった言葉にビビッドに反応出来た。

 ブレイディにシンパシーを覚えるのは立ち位置が近いからだ。多様性に価値を置く左派で、「アナキズム・イン・ザ・UK」の著書もあるように、アナキストを自任する栗原康とは帰国時、トークイベントを開催している。欧州で支持を広げる緑の党への評価も高い。時評で提示される英国メディアの色分けも興味深く、<ガーディアン=左派、デイリー・メール=右派>に分類され、読者層も大きく異なっている。

 日本での同性婚やジェンダー問題、気候危機への対応を見ていると、とても先進国とはいえない。だが、貧困問題や格差拡大、社会保障や医療・福祉への予算大幅カットという点では、英国と日本は共通点が多い。2010年の総選挙で保守党が政権を獲得した後の緊縮財政は自公政権と変わらない。だが、両国の違いは抗議するエネルギーだ。気候危機へのデモでも、英国と日本の参加者数は3桁ほど違う。

 気候危機のみならずあらゆる問題で、リベラルや左派は声を上げ、保守党政権と対峙する。主権者教育という点でも英国は進んでおり、ブレイディの息子が通う公立校でも、各政党のマニフェストを教材に模擬投票が開催される。労働者の子供が多い同校では労働党への支持が高く、2位は緑の党だ。「ぼくはイエローで――」では社会主義を標榜するコービン前労働党党首の人気の高さが紹介されていた。

 いずれ英国でドラスティックな変化が起きる可能性はある。だが、ブレイディは格差が文化に影響を及ぼす危険性を危惧している。サッカーとロックが労働者にとって抵抗のツールという既成概念がひっくり返りつつあるのだ。スポーツや音楽を子供に学ばせるにはお金がいる。富裕層の子供たちだけがプレミアリーグやロック業界で成功する……。そんな光景が当たり前になる時代が迫っている。

 時評はブレグジットやコロナ禍まで及んでいるが、ブレイディは英国から日本まで撃っている。本書は志向性に優れ、データとしても参考になる。日本人の誰かが「ジャパン・コーリング」を著して世界に発信する日が来ることを願っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ケイコ 目を澄ませて」~岸井ゆきのの燦めきに魅了される

2023-03-11 13:04:42 | 映画、ドラマ
 3・11から12年……。亡くなった方の冥福を改めて祈りたい。原発事故で故郷を離れた被災者のことを思うと、どんな言葉も軽くなる。直後に没交渉だった人のことが気になり電話したことで、人生は転機を迎えた。原発や気候問題への関心が強くなってグリーンズジャパン(緑の党)に入会し、復興を確認するため、何度も東北を訪れた。俺にとっても3・11の影響は大きかった。

 藤井聡太竜王(5冠)がA級順位戦プレーオフで広瀬章人八段を破り、渡辺明名人への挑戦権を獲得した。棋王戦第3局での詰め逃しのショックが心配だったが、〝異次元〟の強さを見せつけた。藤井は6歳の時、<将棋の名人になる>と作文に綴っている。夢の実現にあと一歩まで迫った。

 夢って一体何だろう。そんなことを考えさせられる映画を見た。「ケイコ 目を澄ませて」(2022年、三宅唱監督)で、ヒロイン役の岸井ゆきのの燦めきに魅了された。ケイコは聴覚障害で、ビジネスホテルで客室清掃を担当する傍ら荒川区のジムに通っている。実際にプロとして戦った小笠原恵子の自伝「負けないで!」が原案だ。

 岸井がクランクインまで周到な準備を重ねたことが窺える。当人のみならず、同居するミュージシャン志望の弟・聖司(佐藤緋美)やホテルスタッフが手話でコミュニケーションを取っていた。ボクシング映画には傑作が多いが、シャドーボクシング、ミット打ち、スパーリング、試合のシーンのリアリティーに感嘆した。トレーナー役だった松浦慎一郎は、実際にトレーナーとしても評価されており、岸井への指導でも貢献した。

 ケイコにとってリングに立つことは夢ではない、心に荒野を抱えたケイコは、自分を救い、解放するために戦っていた。だから、疲れていた。<一度休みたい>と会長(三浦友和)に宛て手紙を綴ったが、出せないままジム閉鎖が告げられる。裏切られたような気持ちになっていた時、会入院を知らされた。

 会長が取材に対して<ケイコは小柄(岸井は150・5㌢)だしリーチも短い。セコンドの声もゴングも聞こえないハンディがある。でも、ケイコはよく見ている。何より人間としての器量がある>と語っていた。剥き出しの釘のようなケイコを、言葉少ながら包み込んでいたが会長だった。両者は〝疑似父娘〟の関係で、三浦が滲ませる包容力が役柄に合っていた。

 本作は内外で多くの賞を獲得している。キネマ旬報ベストテン1位、毎日映画コンクール日本映画大賞に輝き、岸井はともに主演女優賞だ。ちなみに三浦はキネ旬で助演男優賞だ。入院の理由は脳梗塞の再発で視力が衰えているとの設定が俺自身に重なった。

 ケイコは心に嘘をつけない。勝利後の撮影で、メディアに「笑って」と頼まれても表情はこわばったままだ。そんなケイコが聖司、ガールフレンドとともに踊った時、笑顔を見せていた。最も印象的なシーンである。ケイコの心象風景を反映するように夜景が多かったが、ラストでケイコは陽光の下、ランニングを再開する。エンドマークの後、ケイコは夢に向かって走るのだろうか。

 王将戦第5局が始まった。藤井は中2日、羽生善治九段は中1日で負けられない一局を戦う。トップ棋士のタフさには驚嘆するしかない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「猫と庄造と二人のをんな」~猫と人間との官能の揺らめき

2023-03-07 21:34:29 | 読書
 大谷翔平が日本代表合流初戦で3ランを連発し、異次元の天才ぶりを見せつけた。大谷に劣らぬ衝撃を与え続けている藤井聡太5冠が棋王戦第3局で、スリリングで恐ろしい将棋というゲームの本質をファンの記憶に刻み込む。秒読みでAIの評価値がジェットコースターのように乱高下する展開を渡辺明棋王が制し、1勝2敗で防衛に望みを繋いだ。

 互角の中盤、長考した藤井が指した▲7六銀で優勢になった渡辺だが、勝利を決定づける△3七桂に気付かない。評価値は90%以上、渡辺に傾いたが、受けに回った瞬間、99%から1%と藤井の必勝形になる。その直後、〝奇跡〟が起きる。藤井が詰めを見逃したのだ。ミスに気付いた藤井は動揺を隠せず、渡辺が着実に押し切った。AI超えと評される藤井にとって〝人間の証明〟といったところか。藤井はあす、広瀬章人八段とA級順位戦プレーオフを戦う。中2日でショックを癒やせるだろうか。

 寒さが厳しかった先月、野良猫ミーコと出会うことが希になった。心優しい猫好きに保護されたか、それとも寒さに耐え切れずみまかったか……。あれこれ気にしていたが3日前、半月ぶりに再会した。尻尾を立てニャーと鳴きながら駆け寄ってくる。これから暖かくなるし、しぶとく生き抜いていくだろう。

 猫と人間の情愛を描いた小説を読了した。谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のをんな」(1937年発刊)である。読み進みながら、来し方で触れ合った猫たちとの思い出が蘇った。学生時代に「刺青」と「痴人の愛」の2作を読んだだけで、谷崎とは縁が薄かった。ちなみに「猫と――」の映画版はブログで簡単に感想を記している。演じた演じた森繁久弥の演技に魅了された。

 主人公の庄造は蘆屋(現芦屋)で荒物屋を営んでいるが甲斐性なしで、母親のおりんに頭が上がらない。おりんは自分と折り合いが悪かった前妻・品子を追い出し、庄造の従妹である福子を新しい妻に据えた。福子は不良だったが、財産目当ての腹積もりがあった。

 庄造が溺愛しているのは10歳の雌猫リリーで西洋種という設定だ。ある日、福子に品子から手紙が届く。独り暮らしは寂しいからリリーを譲ってほしいとの内容だ。庄造とリリーのいちゃつきに辟易していた福子には渡りに舟だが、やがて底意を疑うようになる。リリーが手元にいれば、庄造もつられてやってくるかもしれない……。品子はそう企んでいるのかもと、福子は疑心暗鬼になっていく。

 庄造とリリー、そして前妻と新妻との四角関係が展開する。谷崎といえば、美とエロスを追求した耽美派として知られるが、本作でも庄造とリリーとの触れ合いは、人間同士を超えて官能的だ。爪で引っかかれても喜ぶ庄造は、マゾヒストたる作者の反映か。猫に愛情を注いでいる人は、自身と重ねてしまうだろう。ダメ男という点でも、俺は妙に庄造にシンパシーを覚えてしまう。

 谷崎は文学論を闘わせた芥川龍之介と親交が深かった。芥川は社会主義の理解者で、時代への不安も自殺の理由の一つだったが、谷崎の作品について三島由紀夫は<激動の時代を生きながら、社会批評的なものを一切含まなかった>と評している。「猫と――」が「改造」に掲載された36年には二・二六事件が起きるなど、戦争の影が色濃くなった。だが、本作には時代の空気は反映していない。庄造が召集されたら、いじめられたことは確実だが……。

 「猫と庄造と二人のをんな」には固定観念をぶっ壊された。街の風景や猫の描写は精緻でリアルだ。作品のアクセントになっている関西弁の会話といい。〝町人文学の旗手〟と評される谷崎の面目躍如である。これからも折を見て谷崎の膨大な作品群を囓っていきたい。そのたびに新しい貌に気付くだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「逆転のトライアングル」~格差社会をブラックユーモアにくるんで穿つ

2023-03-03 21:17:39 | 映画、ドラマ
 A級順位戦最終局で藤井聡太5冠が稲葉陽八段を破り、菅井竜也八段を下した広瀬章人八段と名人位挑戦を懸けてプレーオフで戦う。藤井は現在、先手番で28連勝中だから、最年少名人に向けた一局は振り駒にも注目だ。竜王、王位を1期ずつ獲得した広瀬も充実期を迎えており、竜王戦の雪辱に気合が入っているはずだ。8日の対局を心待ちにしている。

 WOWOWの人気ジャンルの一つは北欧ミステリーだ。ドラマは素通りしているが、同局でオンエアされたデンマーク発のサスペンス映画「特捜部Q」シリーズ(全5作)をまとめて見た。人間の闇と深淵に迫る内容で、ユッシ・エーズラ・オールスンの原作は世界中でベストセラーになっている。

 北欧といってもスウェーデン発の「逆転のトライアングル」(2022年)を新宿で見た。同国出身のリューベン・オストルンド監督は前作「ザ・スクエア 思いやりの聖域」に続きカンヌ映画祭パルムドールに輝いた。前々作「フレンチアルプスで起きたこと」はブログで紹介したが、ピンとこなかったことは記した通りだ。

 「逆転のトライアングル」は♯1「カール&ヤヤ」、♯2「ヨット」、♯3「島」の3部構成だ。冒頭は男性モデルのオーディションで、輪の中心にいたカール(ハリス・ディキンソン)は落ち目という設定だ。ディキンソンは「ザリガニの鳴くところ」(昨年12月12日の稿)でチェイス役を演じている。

 ガールフレンドであるヤヤ(チャールビ・ディーン)もモデルで、収入はカールを遥かに凌ぐインフルエンサーだ。南ア出身のディーンは昨年、細菌性敗血症で夭折している。冥福を祈りたい。ヤヤが出演しているファッションショーでは<愛>、<環境>、<ジェンダー>といったテーマを掲げているが、客席の出来事は業界の慣習そのものだ。スポンサーと思しき富裕層が到着すると、主催者は特等席を準備し、はじき出されたカールは後方に移った。

 オストルンド監督は富裕層や〝意識高い系〟を揶揄するのが好みで、ファッション界を牛耳る男の「ルックスは内面を反映する」なんて言葉も嗤っている。ショーの後、カールとヤヤはレストランで食事をするが、支払いを巡って一悶着起きる。口論のテーマ<金>は<格差社会>に増幅し、♯2「ヨット」につながっていく。セレブが集まるクルージングにヤヤが招かれ、カールも同伴する。接客リーダーのポーラ(ヴィッキー・ベルリン)は「マネー、マネー」とスタッフにゲキを飛ばす。セレブが下船する際、相応のチップを頂戴するためだ。

 肥料会社を経営するロシア新興財閥オリガルヒのディミトリ(ズラッコ・ブリッチ)、愛と民主主義を謳ってカールとヤヤをたじろがせる兵器産業CEOの老夫婦、脳卒中で「雲の中」としか話さないテレーズ(イリス・ヘルベン)、単身で乗船しヤヤに高額のプレゼントを持ち掛けるヤルモ(ヘンリク・トルシン)ら、超リッチの面々に予期せぬ事態が待ち受けていた。

 ポーラは飲んだくれのスミス船長(ウディ・ハレルソン)にキャプテンズディナーのスケジュールを提案する際、「低気圧が予想される木曜は駄目」と釘を刺したが、船長は聞く耳を持たない。ディナー開始から間もなく大揺れになり、セレブたちは嘔吐する。トイレから排泄物が逆噴射し、大変な事態になる。体調不良の人には厳しいシーンだ。

 船酔いせず議論していたディミトリとスミス船長は、船長室で酔っ払いながら音声をオンのまま話し続ける。〝ロシアの資本主義者〟ディミトリはサッチャーやレーガンを、〝アメリカの共産主義者〟スミス船長はマルクスやチョムスキーを引用しながらの丁々発止となる。タックスヘイブンに向かっていると思われる豪華客船を海賊が狙っていた。兵器産業CEOの夫婦の足元に落ちてきた手榴弾に、「これ、うちの……」と妻が言った直後、船は炎上する。

 カールとヤヤ、ディミトリ、ヤルモ、ポーラ、テレーズと一緒に島に漂着したのは機関室で働いていたネルソン(ジャン=クリストフ・フォリー)と清掃スタッフのアビゲイル(ドリー・デ・レオン)だ。この設定に、別稿(1月25日)で紹介した「東京島」(桐野夏生著)を思い出した。同作ではたった一人の女性、40代半ばの清子が女王として振る舞うようになるが、「逆転のトライアングル」でもヒエラルヒーに劇的な変化が起きる。

 船内でセレブたちの吐瀉物や排泄物を処理していたアビゲイルが、漁の技術や生活の知恵でリーダーになる。50代でアジア系と思しき彼女は、無能さを露呈したイケメンのカールを所有するようになるのだ。恋人を奪われたヤヤも納得している様子で、アビゲイルと一緒に食糧を求めて島を散策する。

 そこは決して無人島でなかったことが発覚し、社会復帰を確信したヤヤは背中越しアビゲイルに語り掛ける。「あなたには感謝している。付き人になって」……。その言葉にヒエラルヒーの再逆転を直感したアビゲイルは、ある行動に出た。ラストでカールは島を猛然と走っていた。どういう状況か想像してほしいというのが、オストルンド監督のスタンスなのだ。テレーズの常套句「雲の中」に放り出された気分になった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする