福島第一原発の処理水海洋放出が決行された。世論は肯定的だが、小出裕章氏(元京大原子炉実験所助教)は<敷地内の130㌧の処理水とは、浄化処理を施しても取り去ることが出来ない放射能(トリチウム)が残った水。トリチウムの半減期は10年で、深層に流せば表層に出てくるまで1000年かかるが、国と東電は表層に放出しようとしている>と警鐘を鳴らしていた。
日本政府はIAEA(国際原子力機関)に、<第一原発事故で大気中に放出されたセシウム137は広島原爆の168発分>と報告している。放射能は五感で感じられず、広島でも投下後、何十年経っても原爆症を発症する人が後を絶たない。日本人が核兵器、原子力の悪魔の貌を忘れていることを、映画「高野豆腐店の春」(2023年、三原光尋監督)を見て実感する。
高野は〝こうや〟ではなく、主人公の名前の〝たかの〟だ。時代は平成後半で、「東京物語」(小津安二郎)、「尾道3部作」(大林宣彦)などのロケ地で知られる尾道が舞台だ。<父と娘が織り成す温かなヒューマンドラマ>というのは半分当たっているが、物語が進むにつれて浮き彫りになるポイントは後半に記したい。
高野豆腐店は辰雄(藤竜也)と春(麻生久美子)の父娘で営まれている。大豆、水、にがりの微妙な組み合わせで作られる豆腐の味を、辰雄は守り続けてきた。作業場での豆腐作りの工程が本作の肝といえる。淡々と細部にこだわる辰雄の職人技を支えるのは春だが、〝豆腐の人格〟を決めるにがりを投入する作業は辰雄の役割だ。
心臓に不安を抱える辰雄は、理髪店店主の繁(徳井優)、定食屋の一歩(菅原大吉)ら気の置けない商店街の仲間に、春の再婚相手探しを頼む。浮上したのはイタリア料理店を経営するイケメンシェフの村上(小林且弥)で、豆腐を洋食にアレンジしたいと考えていた春と意気投合する。だが、春には意中の男がいた。
辰雄は頑固な人で、納入先のスーパーの担当者が販路拡大を提案しても一切耳を貸さず、「ちんちくりん」と心の中で罵っている。だが、春が結婚を前提に付き合っていると紹介し男がちんちくりんこと西田(桂やまと)だった。〝世界の納豆〟を説くだけでなく、巨人ファンと知って喧嘩腰になる。辰雄は熱烈なカープファンだった。春は家を出ていった。
辰雄にも出会いがあった。スーパーで清掃員をしているふみえ(中村久美)は辰雄と同じ病院の患者で、ペースメーカーを入れていた。親しく言葉を交わすようになり、ふみえも演奏するピアノコンサートに誘われたが、ふみえの体調悪化で叶わなかった。
辰雄とふみえの穏やかな老いらくの恋の成り行きに引き込まれた。1945年8月6日、すなわち原爆投下による甚大な影響が2人の会話から明らかになる。尾道でも多くの人々が原爆症で苦しんだ。辰雄は亡き親友の妻と結婚したが、原爆症で亡くなった。春は連れ子で辰雄の実子ではない。春が東京で離婚したのも、条件が揃い過ぎている村上との結婚を拒んだのも、原爆症の遺伝子を恐れていたからではないか。
そしてふみえもまた、原爆症患者だった。心臓だけでなく、乳がんを再発して入院する。辰雄は覚悟と勇気をもってふみえに寄り添う。ラストで「街角ピアノ」さながら、快復したふみえは街頭でピアノを弾く。メンデルスゾーンの「歌の翼に」で、♪歌の翼で愛しい人よ、私はきみを運ぶ……で始まるメルヘンチックな愛の歌だ。
奇跡の愛に出会った辰雄は優しく物事に肯定的になる。春と一緒に豆腐を作る最後の日、にがりを投入する作業を娘に任せる。今年82歳になった藤竜也と麻生久美子の名演が温かい余韻を残してくれた。
日本政府はIAEA(国際原子力機関)に、<第一原発事故で大気中に放出されたセシウム137は広島原爆の168発分>と報告している。放射能は五感で感じられず、広島でも投下後、何十年経っても原爆症を発症する人が後を絶たない。日本人が核兵器、原子力の悪魔の貌を忘れていることを、映画「高野豆腐店の春」(2023年、三原光尋監督)を見て実感する。
高野は〝こうや〟ではなく、主人公の名前の〝たかの〟だ。時代は平成後半で、「東京物語」(小津安二郎)、「尾道3部作」(大林宣彦)などのロケ地で知られる尾道が舞台だ。<父と娘が織り成す温かなヒューマンドラマ>というのは半分当たっているが、物語が進むにつれて浮き彫りになるポイントは後半に記したい。
高野豆腐店は辰雄(藤竜也)と春(麻生久美子)の父娘で営まれている。大豆、水、にがりの微妙な組み合わせで作られる豆腐の味を、辰雄は守り続けてきた。作業場での豆腐作りの工程が本作の肝といえる。淡々と細部にこだわる辰雄の職人技を支えるのは春だが、〝豆腐の人格〟を決めるにがりを投入する作業は辰雄の役割だ。
心臓に不安を抱える辰雄は、理髪店店主の繁(徳井優)、定食屋の一歩(菅原大吉)ら気の置けない商店街の仲間に、春の再婚相手探しを頼む。浮上したのはイタリア料理店を経営するイケメンシェフの村上(小林且弥)で、豆腐を洋食にアレンジしたいと考えていた春と意気投合する。だが、春には意中の男がいた。
辰雄は頑固な人で、納入先のスーパーの担当者が販路拡大を提案しても一切耳を貸さず、「ちんちくりん」と心の中で罵っている。だが、春が結婚を前提に付き合っていると紹介し男がちんちくりんこと西田(桂やまと)だった。〝世界の納豆〟を説くだけでなく、巨人ファンと知って喧嘩腰になる。辰雄は熱烈なカープファンだった。春は家を出ていった。
辰雄にも出会いがあった。スーパーで清掃員をしているふみえ(中村久美)は辰雄と同じ病院の患者で、ペースメーカーを入れていた。親しく言葉を交わすようになり、ふみえも演奏するピアノコンサートに誘われたが、ふみえの体調悪化で叶わなかった。
辰雄とふみえの穏やかな老いらくの恋の成り行きに引き込まれた。1945年8月6日、すなわち原爆投下による甚大な影響が2人の会話から明らかになる。尾道でも多くの人々が原爆症で苦しんだ。辰雄は亡き親友の妻と結婚したが、原爆症で亡くなった。春は連れ子で辰雄の実子ではない。春が東京で離婚したのも、条件が揃い過ぎている村上との結婚を拒んだのも、原爆症の遺伝子を恐れていたからではないか。
そしてふみえもまた、原爆症患者だった。心臓だけでなく、乳がんを再発して入院する。辰雄は覚悟と勇気をもってふみえに寄り添う。ラストで「街角ピアノ」さながら、快復したふみえは街頭でピアノを弾く。メンデルスゾーンの「歌の翼に」で、♪歌の翼で愛しい人よ、私はきみを運ぶ……で始まるメルヘンチックな愛の歌だ。
奇跡の愛に出会った辰雄は優しく物事に肯定的になる。春と一緒に豆腐を作る最後の日、にがりを投入する作業を娘に任せる。今年82歳になった藤竜也と麻生久美子の名演が温かい余韻を残してくれた。