酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

脱成長と脱原発は社会を変える道標になり得るか

2019-08-30 02:02:10 | 戯れ言
 福島原発のメルトダウン直後、当ブログで「卒業」(尾崎豊)の歌詞になぞらえ、<自分で窓ガラスを割る気力も体力もないが、石を投げている人たちの言動を紹介したい。今回の事故がこの国の在り方を根本から覆すきっかけになる>と記した。

 あれから8年半、安倍政権は再稼働の方針を撤回していないが、抗い続けている人はいる。第19回「脱成長ミーティング」(ピープルズ・プラン研究所)の報告者、大沼淳一氏もそのひとりだ。今回のテーマは<脱原発と地域づくり>である。

 74歳の大沼氏は登山とスキーが趣味で、今も世界を飛び回っている。〝亜熱帯〟名古屋在住だが、冷房どころか扇風機もなしで暮らしている。報告中も立ったままで、「12時間、話し続けることが出来る」という。細かいデータを諳んじていて、質問に対し機関銃のように言葉が返ってくる。脳がふやけ、心身がクチクラ化した俺とはえらい違いだ。
 
 原子力市民委員会委員、市民放射能測定センター運営委員などを兼任する大沼氏は、放射能汚染関連の膨大なデータをネット上で公開している。脱原発を脱成長への一里塚と捉える大沼氏は、再生可能エネルギーへの転換がスムーズに進んでも、<大量生産→大量消費→大量廃棄>のサイクルの下で快適さを求める限り、現状は変わらないと主張する。

 大沼氏は脱原発、地球温暖化、生物多様性の危機、遺伝子組み換え、パンデミックを同一の視座で捉えていた。背景にある国際金融資本主義が、南北間(国内レベルでは都市と地方)の格差を生む。少子高齢化が進行する日本が成長幻想に耽るのは薬物中毒患者と変わらないと語っていた。

 NHK・BSで海外ニュースを見ていると、<日本はいまだ原発に固執している>との報道を目にする。風力、太陽光発電に移行する多い中、安倍政権と経産省が<原発=ベースロード電源>を崩さないことが齟齬を来している。東芝は米原発事業を巡る巨額損失で躓き、日立は英国、三菱重工はトルコで原発輸出に失敗した。

 チェルノブイリ→福島と続いた事故で安全確保に莫大な費用がかかる。政官が方針を誤っても、経済効率を第一に考える大企業まで道を踏み外すなんて考えられないと大沼氏は強調していた。2005年時点で太陽電池の生産量がベスト5のうち4社と圧倒していた日本企業だが、18年にはベスト10から消えている。対照的に中国を軸にした合弁企業の躍進が目覚ましい。経産省はデータを偽装し、<原発は安い>のまやかしで日本沈没に舵を切っている。

 「新たな利権を生む」と否定的に評してきた孫正義氏率いる「自然エネルギー財団」だが、アジア各国で集積した自然エネルギーを送電網で繋ぐという「アジアグリッド構想」を立ち上げている。中軸は日本、中国、ロシア、韓国だが、日韓両国の対立が同プランの桎梏になる可能性がある。

 流域主義を説く大沼氏は、「里山資本主義」(藻谷浩介、NHK広島取材班著/角川書店)を紹介していた。日本人が共生してきた自然――降水量、温暖な気候、森林面積、排他的経済水域の広さ、豊かな水資源etc――に立脚することで、脱成長、脱原発を軸に新たな社会モデルを形成するべきと提言している。

 自分の中で整理出来ていないのに質問してしまう。<日本政府は農業自給率を下げ、今や水資源を売り渡そうとしている。この流れと原発推進は根底で繋がっているのではないか>……。大沼氏は水道料金を含めた都市と地方の格差、再生可能エネルギーを生産する電力会社の壁になっている送電線問題を挙げる。他の参加者も加わって議論は進行した。

 後半は放射能汚染の問題で、大沼氏はチェルノブイリ周辺の速やかな施策と比較しながら、日本で進行する危機に警鐘を鳴らす。「ヒバクシャ 世界の終わりに」(2001年、鎌仲ひとみ監督)で肥田医師が指摘していたように、核実験による被曝も深甚であることがデータに裏付けられていた。

 今回感じたのは、日本、そして世界の歪みだ。脱原発も切り口のひとつで、<官と民>、<公平と格差>、<自由と抑圧>、<都市と地方>が対立項になって自然と人間の調和を損ねている。〝風にそよぐ葦〟として耐える以外に生き延びる方法はあるのだろうか。
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「抱擁/この世でいちばん冴えたやりかた」~辻原ワールドで至福に浸る

2019-08-26 22:59:46 | 読書
 「全国戦没者追悼式」(15日)で安倍首相、衆参両院議長らがスルーした「深い反省」を、天皇だけが式辞に込めた。<皇室=リベラル、安倍政権周辺=歴史修正主義>を反映する<事実>だが、昭和天皇はどうだったか。瀬長亀次郎を紹介した稿(8月15日)に記したが、「昭和天皇は米国の沖縄占領が長期にわたることを私利に基づき願っていた」(米国の公文書)。

 ピュリツァー賞受賞作「昭和天皇」(H・ビックス著)には、開戦に合わせ寵臣の東条英機を首相に据えた天皇が太平洋戦争中、無謀な作戦を強要し、多くの将兵の命が失われたとの証言が記されていた。昭和天皇は1952年、米軍基地と改憲の必要性、再軍備にまで言及していた。これらの<史実>は朝日新聞などよって改竄され、昭和天皇を〝平和主義者〟に祭り上げた。<真実>は黒塗りにされつつある。

 <事実>、<史実>、そして<真実>が交錯する辻原登著「抱擁/この世でいちばん冴えたやりかた」(小学館文庫)を読了した。二つの作品がカップリングで収録され、生と死、現実と異界の混濁、憑依が織り成す辻原ワールドを彷徨い、至福の時を過ごした。まずは第1部の「抱擁」から……。

 辻原の代表作「許されざる者」は大逆事件に連座して死刑になった大石誠之助を主人公に据えた壮大なメタフィクッションだ。出身地熊野の濃密な風土と相俟って辻原を<マジックリアリズムの使い手>と評してきたが、「抱擁」はヘンリー・ジェームズの「ねじの回転」が下絵になっている。

 2・26事件の翌年、前田侯爵邸に奉公に上がり、5歳の緑子に仕えるわたしは、少女が憑かれていることに気付く。前任者の女性は、反乱軍の主導者として処刑された夫の後を追った。時計、自身の弟の死、ストーカーを道具立てに、わたしは不穏な時代の空気のさなか、〝ポゼッション〟状態に陥る。主客の逆転を仄めかすラストが印象的で、映画「アザース」に似た切ない余韻に浸った。

 第2部「この世でいちばん冴えたやりかた」は単行本発売時、表題作は「約束よ」だった。7作の短編から成り、純愛、エロチシズム、文字へのこだわり、中国、女性の二面性、「遊動亭円木」(99年発表)といった数々の織り糸に紡がれたカラフルで幻想的なペルシャ絨毯の趣だ。

 ♯1「約束よ」は、二つの死と別れを巡って、倦怠期夫婦に訪れたエロチックな燦めきを描いている。♯2「青黄の飛翔」は中国が舞台で、自由を目指して放浪する漂流船団の末裔が主人公だ。「抱擁」同様、検事への告白という形を取っている。♯3「かみにさわった女」、♯4「窓ガラスの文字」、♯6「かな女への牡丹」は「遊動亭円木」の外伝で、円木が物語の繋ぎ目になっている。

 ♯3の主人公は麤子(ソ子)で、珍しい名が正体不明のストーカーを引き寄せる原因だった。ラストの意外な台詞が読む者に愛の意味を問い掛ける。♯4の主人公かなは塩原温泉の仲居だ。男たちに暴力を振るわれ、悪質なビラをまかれても〝わたしのことを書いてくれた〟と喜んでしまう。

 円木の仲立ちで上京したかなに、芸術家としての思いを掻き立てられたのが彫師だった。女性の二面性を鮮やかに体現したかなをスケールアップした女性が♯5「河問女」に登場する。本作は現在の日本から900年前の中国に溯る奇想譚で、主人公の前世の妻シャオホアの変化を描いている。

 最も印象的だったのが♯7「この世でいちばん冴えたやりかた」だ。現在の香港に、誰しも人民解放軍による天安門広場での虐殺の再現を危惧している。生き残った私は現在、ニューヨークで会社を経営している。かつての同志と共に「黄河水源踏査行」に赴いた私は、天安門事件で犠牲になったかつて恋人、明々と再会する。まさに黄河の水源と思しき異界で……。

 信念を維持している明々と対照的に、私は拝金主義の僕に成り下がった。二人の2度目の別れに心を打たれた。「黄河水源踏査行」とは私にとって自らの思想と愛の源流を辿る旅だった。扉は閉ざされ、私は現実に帰る。行間に滲む辻原の教養の深さにも圧倒された。

 〝読者を蜃気楼に誘う魔物〟というべき辻原の小説は、まだ映像化されていない。壮大なスケールを誇るメタフィクションは困難かもしれないが、ピカレスクを手始めに、WOWOWにチャレンジしてほしい。

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「ハッパGoGo大統領極秘指令」~ウルグアイ発、奇想天外メタフィクション

2019-08-22 23:49:03 | 映画、ドラマ
 王位戦第4局は285手の大熱戦の末、2勝2敗のタイになった。終盤の入り口あたりでネット中継を見たが、木村一基九段(先手)の陣形は盤石だった。すぐ終局と思ったが、豊島将之王位は王を1九に入玉させるなど意地を見せた。真夏を彩る〝十番勝負〟は明日の竜王戦挑決トーナメント第2局へと続く。老いぼれの俺は、〝不屈の中年〟木村に肩入れしている。

 中国公安当局が<デモ参加者はテロリスト>というフェイクを垂れ流しているように、インターネットは権力者に弄ばれている。日本でも、ネット右翼の背後に自民党ネットサポーターズクラブの存在を指摘する声がある。民族、国境、宗教を超えて世界を繋ぐはずだったSNSは、今や人々を分断する<タコ壺社会>形成に寄与している。

 〝あおり運転暴行事件〟絡みで、「容疑者の車に同乗していた」とSNSで名指しされたものの無関係だった女性が、法的措置を求めるという。この件で気になったのは、メディアで散見する〝ガラケー女〟の表現だ。俺が何かやらかしたら、〝ガラケー爺さん〟と叩かれるだろう。

 新宿ケイズシネマで先日、ウルグアイ映画「ハッパGoGo大統領極秘指令」(17年)を観賞した。デニー・ブレックナー、アルフォンソ・ゲレロ、マルコス・ヘッチの3人が共同で監督・脚本・製作を担当したインディー映画である。真実とフィクションを織り交ぜた奇想天外のメタフィクションだった。

 ウルグアイは2013年、〝世界一貧しい大統領〟ホセ・ムヒカの下で大麻(マリフアナ)を合法化する。ムヒカはかつて、軍事独裁に抵抗する反体制ゲリラを率いた。6発の銃弾を浴びても死なず、十数年間、獄中生活を送っている。本人役で出演した前大統領は、闘士というより柔らかなオーラを放射していた。

 麻薬合法化の目的は国民の要望に応えることだった。1㌘=1㌦(アメリカの20分の1)で流通すれば、愛用者は貧困に陥らず、利権を巡って暴力が横行することも防げるはずだ。いいことずくめだが、ウルグアイに大麻草はない。<国内で生産するまで販路を確保せよ>という大統領指令が下った。

 タイムリミットはムヒカが訪米し、オバマ大統領と会談するまでの25日間だ。密輸業者から購入した大麻入りのブラウニーを販売した科で下獄した薬局経営者のアルフレド(共同監督のブレックナー)が釈放と引き換えにアメリカに派遣される。同行するのは化学に詳しい母タルマ(タルマ・フリードレル)で、米国事情通の警官タト(グスタボ・オルモス)が合流する。

 〝前金〟は自身が経営する農園で採れたカボチャというあたり、〝世界一貧しい大統領〟の看板に偽りがない。エンドマーク後に監督たちと登場したムヒカは「政府高官を笑い者にした本作は、共和国的でよかった」と話し、「真面目に生きろよ」とハッパを掛ける。民衆の中から生まれた大統領らしい矜持とユーモアを感じた。

 米国ロケはドキュメンタリータッチで、「ウルグアイ合法大麻会議所」代表を名乗ったアルフレドは各地を巡り、麻薬合法を訴える組織と交流し、集会に参加する。母子にはそれぞれ恋人が出来たが、ミッション成功は崖っ縁になる。ムヒカから怒りの電話が入った直後、状況は好転した。

 ガーナ人を通じて大麻取引に精通したジャマイカ人のグループと知り合う。アルフレドが彼らとサッカーに興じるシーンが印象的だった。敵も味方もバラバラのユニホームを着て楽しんでいる。サッカーは世界の共通語で、ゴールを決めたアルフレドに「スアレス!」の声が掛かった。

 ムヒカ、オバマは本人で、アルフレドたちと交流した麻薬合法を訴える組織も実在する。唯一のフェイクは<ウルグアイでは軍が麻薬栽培を管理する>で、実際は民間だという。ラストの水際立った展開も楽しめた。「カメラを止めるな!」同様、低予算でも面白い映画が作れることを実感した。

 ブログで繰り返し紹介している中村達也や星野智幸のコメントがHPで紹介されていた。本作と俺を繋ぐ不思議な縁を感じる。ちなみに俺は、周囲からハイに見られることもあるが、薬物どころか酒とタバコさえ受け付けない体質である。
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「隣の影」~ホームドラマがカタストロフィーに至る時

2019-08-19 22:26:18 | 映画、ドラマ
 週末はプライム落語会(かつしかシンフォニーヒルズ・モーツァルトホール)に足を運んだ。炎暑の昼下がり、満員御礼の盛況で、柳家喬太郞「花筏」→春風亭一之輔「夢八」→仲入り→桃月庵白酒「船徳」の流れで進行する。

 政権との癒着が囁かれている吉本と好対照に、落語界の精鋭は庶民感情に則って強い者を撃つ。今回もそれぞれが東京五輪を俎上に載せ、「ゴルゴ13でも雇って●●と●●を狙わせたい」(一之輔)なんて、地上波で放送不能の毒を吐いていた。

 <君子の交わりは淡きこと水の如く、小人の交わりは甘きこと醴の如し>……。荘子の至言は、没後2300年を経てもフレッシュだ。器量の大きい人たちの交遊は淡泊だが長続きする。凡人同士は緊密に交わるうち相手を許せなくなり、疎遠になる。

 隣人との些細な行き違いが積み重ねって凄惨な結末を迎える映画をユーロスペースで見た。アイスランドを舞台にした「隣の影」(17年、ハーフシュテイン・グンナル・シーグルズソン監督)である。隣のスクリーンで公開されていた「東京裁判 4Kデジタルリマスター版」は連日、満員御礼だが、「隣の影」はガラガラだった。

 アイスランド映画(大半はデンマークなどとの共同製作)を観賞するのは「ひつじ村の兄弟」(15年)以来だ。女性の地位の高さ、医療と福祉の充実で知られ、世界トップの民主国家と謳われるアイスランドに親近感を抱いている。ビョークとシガー・ロスを生んだロックの都で、ヤコブスドッティル首相が党首を務めるグリーンレフトは、俺が会員であるグリーンズジャパンと姉妹政党だ。
 
 「ひつじ村の兄弟」は極寒の地を背景に寓話の域に達していたが、「隣の影」は同国の特殊性より普遍性を追求していた。コロンビア大で学んだシーグルズソンの初監督作は米国でリメークされ高い評価を得た。本作も世界各国、いや、日本でもリメークされるかもしれない。コメントを寄せていた深田晃司監督(「淵に立つ」、「よこがお」)あたりが有力候補か。

 きっかけは壁から漏れる隣室カップルの喘ぎ声で、アトリとアグネスの日常は崩壊する。アトリが元恋人のとの秘め事をパソコンに保存していたことがアグネスにばれたのだ。不良っぽいアトリとお堅いアグネスは互いに倦んだ喫水線上の夫婦で、娘アウサの親権を巡って修復は困難になる。閉め出されたアトリが訪ねた実家は、隣人とのトラブルを抱えていた。

 父バルドウィンは温厚だが、母インガはエキセントリックで攻撃的だ。アトリの兄の失踪と自殺で傷ついたインガの心を癒やせるのは猫しかいない。両親宅の庭に生える大きな木がポーチを日陰にすると、隣家のコンラウズとエイビョルグの中年カップルに抗議される。アイスランド人にとって日光は大きな意味を持つ。父は伐採に応じようとするが、木に息子の霊が宿っているとでも感じたのか、母は断固拒否する。

 アトリとアグネスの日常、そして両親と隣人の確執がカットバックして進行し、後者の比重が少しずつ増していく。「密告」(アンリ・ジョルジュ・クルーゾー)、「白いリボン」(ミヒャエル・ハネケ)を彷彿させる濃密な気配がスクリーンに張り付き、悪人でも暴力的でもない普通の4人が憎しみを増幅させ、息を呑むカタストロフィーに至る。

 主要な6人のキャストは俳優としてだけでなく、演出家、脚本家、コメディアン、作家としてアイスランドを文化的に支えている。インガが愛する猫、そして隣家の飼い犬も大きな役割を果たしていたが、ブラックジョーク的なラストシーンは予定調和的といえる。狂言回しは気紛れな猫だった。

 日本は現在、〝隣人〟韓国との関係が修復不可能と思えるほど険悪になっている。時間をかけて人的ネットワークを築いてきたし、映画、ドラマ、音楽、スポーツでも〝相互乗り入れ状態〟だ。焼き肉など韓国料理好きも多いだろう。両政府がこれ以上、対立を政権浮揚に用いぬことを願っている。
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「米軍が最も恐れた男」~受け継がれる瀬長亀次郎の不屈の魂

2019-08-15 19:33:27 | 社会、政治
 香港が深刻な事態に直面している。20万近い人民解放(=封殺)軍が広東省に集結しており、第二の天安門事件を危惧する声もある。香港の現在に、身を賭して闘った市民と学生の貴い犠牲の上に勝利した韓国の民主化闘争が甦った。

 <価値観>を拒否する日本人は、〝どっちもどっち〟の相対的な場所に逃げ込む。独立系メディアが報じる、中国当局の意を受けた警察の暴力は凄まじい。抵抗する側も戦術をエスカレートせざるを得ないが、いずれが正義で、いずれが悪かは議論の余地がない。

 香港と重なるのはオール沖縄の<イデオロギーよりアイデンティティー>のスローガンだ。絶対的な権力VSプライドと良心を懸けて闘う民衆……。沖縄と香港、そしてパレスチナも同様の構図の上に成り立っている。オール沖縄の魁として県民に敬愛されているのは瀬長亀次郎である。

 瀬長の半生を追ったドキュメンタリーを日本映画専門チャンネルで見た。「米軍(アメリカ)が最も恐れた男~その名は、カメジロー」(2017年、佐古忠彦監督)で、坂本龍一が音楽、故大杉漣と山根基世がナレーションを担当していた。今週末には続編「不屈の生涯」が公開される。

 4年前の夏、国会前に反戦争法のデモ隊が集結したが、日米安保と沖縄を捨象した識者のアピールに違和感が拭えなかった。<憲法9条があったから、日本は平和だった>が戯言に過ぎないことは本作でも明らかだ。8月15日以降も、沖縄では戦争が続いている。

 大日本帝国によって捨て石にされた県民の目に米軍は当初、解放軍と映ったが、本性はたちまち明らかになる。女性たちを暴行し、基地用の土地を県民から奪う。軍政府幹部は<米軍は猫で、沖縄は鼠。鼠は猫の許す範囲でしか遊べない>と語ったが、不屈の魂を持つ鼠がいた。

 治安維持法違反で下獄した経験のある瀬長は戦後、うるま新報(現琉球新報)社長に就任し、沖縄人民党結成に関わった。人々を魅了したのは激烈でありながら、ユーモアとウイットに富んだ演説である。名言の一つを以下に紹介する。

 <瀬長ひとりが叫んだら50㍍先まで聞こえます。ここに集まった皆さんが声を一つに叫んだら全那覇市民に聞こえます。70万の沖縄人民が声を揃えて叫んだら、太平洋の荒波を超え、ワシントン政府を動かすことが出来ます>……。

 基地労働者の待遇改善要求、土地収用法反対運動の先頭に立った瀬長だが、退去命令が出ていた仲間を匿った罪で投獄される。収監された刑務所で受刑者に団結と非暴力を訴えたのは瀬長の声望は増す一方で、出獄時は万余の歓声に迎えられる。

 瀬長は繰り返し<民主主義の価値>を謳った。自由の保護者然と振る舞うアメリカの欺瞞を知る沖縄県民の代弁者だった。瀬長を弾圧した米軍関係者は後に、<沖縄、そして瀬長に対して行ったことは民主主義と遊離していた>、<愛すべきキャラの瀬長を殉教者にしたことは最大の誤りだった>と語っている。

 目取真俊の「魚影記」に収録されていた「平和通りと名付けられた街を歩いて」は秀逸なメタフィクションで、沖縄県民の反皇室の思いが込められていた。昭和天皇が沖縄を米国に売り渡した経緯は本作にも紹介されている。<米国の沖縄占領を長期的に続けることを、天皇は私利に基づいて願っている>と米国の公文書に記されている。

 衆議院議員になった瀬長は佐藤栄作首相(安倍首相の叔父)の施政方針演説に、<日本政府が目指すのは沖縄返還ではなく基地の維持>と喝破する。核と化学兵器の持ち込みをニクソン大統領と密約していた佐藤だが、瀬長に一定の敬意を払っている様子が窺える。立法府は半世紀前、現在よりまともだった。

 瀬長は「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」とガジュマルの木を愛した。<正義は必ず勝つ>という信念は現在の沖縄に受け継がれている。死を前に「マジムン(魔物=基地)」を退治出来なかったことが悔い」と記していた。

 <大切なのは勝ち負けではなく、目的に向かって近づくこと。俺が死んでも志を継ぐ者が必ず現れる。多くの人が平等で幸せに暮らせる日が来るまで、敗れても敗れても闘い続ける。100年先か、1000年先か、そんな日は必ず来る>……。

 当ブログで「忍者武芸帳」(1967年、大島渚)の影丸の台詞を繰り返し紹介してきた。瀬長とはまさに影丸だったのだ。

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「よこがお」で魅せた〝映画女優〟筒井真理子の覚悟と燦めき

2019-08-12 21:26:36 | 映画、ドラマ
 炎暑の下、クーラー病なのかいつも眠い。あたかも〝永眠へのリハーサル〟だ。62歳の俺にとって、<老いといかに向き合うか>が今稿の、そして日常のメインテーマだ。

 強靱な老人を体現しているのがザ・フーだ。スカパー!でオンエアされた「トミー」再現ライブ(ロイヤル・アルバート・ホール)でのピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーのパフォーマンスは年齢を超越していた。70代半ばの二人は7月、ウェンブリー・スタジアムに9万人を集めている。

 三重苦の少年トミーを主人公に据え、疎外からの解放をテーマに制作した「トミー」発表後、レナード・バーンスタインがピートに抱きつき、「やったな」と称えたという。自閉症、引きこもり、トラウマ、PTSD、DVなど現在的な課題を織り込んだロックオペラはブロードウェイで繰り返し再演され、半世紀の今、リアルさを増している。

 柳家小三治の独演会(よみうりホール)に足を運んだ。前座は一番弟子の三三で、物販コーナーで声をからしていた。三三が「五目講釈」で客の心を掴み、小三治「千早ふる」→仲入り→小三治「長短」で進行する。小三治がたっぷり演じた枕のネタは入船亭扇橋で、亡き親友の破天荒なエピソードで笑いを取っていた。小三治は年末に80歳。動のフーと対照的に静の小三治は、老いの完成形だと思う。

 新宿で先日、「よこがお」(2019年)を見た。数々の映画賞に輝いた「淵に立つ」(16年)に続き、深田晃司監督-筒井真理子のコンビだ。両者は〝共犯関係〟で、監督はシノプシスの段階から筒井のアドバイスを受けていた。テレビドラマの名脇役からここ10年、筒井は映画に軸足を移している。本作でも主人公(市子、リサ)の演技は本人任せだったという。

 「アンチポルノ」(17年、園子温監督)と本作「よこがお」でヘアヌードと濡れ場を披露した筒井は現在58歳。〝脱皮〟は製作サイドのオファーというより、当人の意思に違いない。熟女ヌードというと妖艶という形容詞がつきものだが、両作で感じたのはナチュラルな柔らかさだ。超高齢社会で老いと性と自然体で演じられることは、筒井にとって大きな武器になるだろう。

 「よこがお」は4年を隔てた二つの時系列がカットバックしながら進行する。筒井は訪問看護師の市子、そして全てをなくした後のリサ(偽名)を演じる。心のこもった看護で、市子は派遣先の大石家で認知症の老女に信頼を寄せられている。当家の長女基子(市川実日子)は引きこもりだが、市子に憧れ以上の思いを抱き、国家試験(看護師)に向けて勉強を習っている。

 市子は子持ちの医師、戸塚(吹越満)との結婚も決まり順風満帆だったが、ささやかな幸せはある事件で暗転する。甥が起こした事件に市子は巻き込まれ、加害者扱いするメディアに付きまとわれる。仕事と住まいを奪われ、結婚も破談になった。日常とは砂上の楼閣で、市子は自殺も考えた。

 自身に不利な発言を繰り返した基子に復讐を誓った市子は、リサの名で基子の恋人、美容師の米田(池松壮亮)に接近し、アパートを見張る。美術館での「ひまわり」を巡るやりとりに、作家でもある深田の知性が滲んでいた。筒井の若々しさ、池松の渋い演技が年の差を感じさせない。市子が犬の鳴き声に呼応し、地面を這いずるシーンが刺激的だった。

 愛は憎しみと嫉妬を育み、狂気と紙一重で、善悪の彼我に至る……。本作もこの理不尽な〝法則〟に貫かれていた。市子と基子は動物園で性にまつわる秘密を互いに告白する。軽いはずの会話がストーリーの回転軸になり、帰りの横断歩道のシーンがラストに効果的に繋がっていた。甥を乗せた市子の車は猛スピードでどこに向かうのだろう。

 犯罪者でもない市子はメディアのリンチで社会から葬られる。一方で、森友問題は沙汰止みになり、首相周辺のレイプ記者も起訴を免れた。権力に阿る〝マスゴミ〟の端っこに棲息する俺にとって、本作は痛い映画でもあった。


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「チャンキ」~生と死の意味を問う森達也の新境地

2019-08-09 02:14:10 | 読書
 6日は広島、きょう9日は長崎で被爆した犠牲者を慰霊する式典、15日は終戦の日……。先祖の霊を迎えるお盆の時期と重なり、心身がクチクラ化した俺でさえ厳粛な気分になる。日本は現在、宗主国アメリカから有志連合参加を求められ、朝鮮半島とは<韓国と北朝鮮は揃って東京五輪ボイコットか>とメディアが報じるほど軋轢が生じている。

 戦後に築いてきたものが音を立てて崩れてしまった。最悪なのは俺たち中高年の無為のせいで、自由と民主主義が崖っ縁にあることだ。日本の若者が時代閉塞で喘いでいる状況に警鐘を鳴らす小説を読了する。森達也が4年前に発表した「チャンキ」(新潮社)で、主人公は高校3年のチャンキだ。柔道部員だが、からきし弱い。

 ドキュメンタリー監督の森は、オウム、死刑、自主規制などをテーマに多くの著書を発表してきた。「チャンキ」は初めての小説で、2033年の日本を舞台にした近未来ポリティカルフィクションだ。現在日本で10代の死因の第一は自殺だが、本作は日本が<タナトス>によって絶滅の危機に曝されるという設定だ。タナトスとは日本特有の現象で、前触れもなく衝動に襲われ、自殺する者が続出する。

 タナトスは主に若い世代に訪れるが、チャンキの父もタナトスでこの世を去り、母のマユミさんと日本海の見える街で暮らしている。恋人の智恵子はディープキスまでOKなのに、最後の一線を許してくれない。死と隣り合わせで刹那的にならざるを得ない状況だから、〝青春の悶々〟は昂じる一方だ。

 日本、いや、日本人にのみ発症するタナトスにより、人口は減少の一途を辿る。産業は停滞し、海外への渡航と訪日は事実上、禁止されている。〝可哀想な国ニッポン〟は自立出来ず、他国からの救援物資で生き延びているのが実情だ。秀才で志が高い智恵子は生と死、人類学、宗教など広範な領域にアンテナを張っている。チャンキも彼女の影響でタナトスの原因について考えるようになった。
 
 ヒントを与えてくれたのはチャンキが通う高校の元物理教師ヨシモトリュウメイだ。モデル(吉本隆明)同様、ヨシモトは科学的かつ文化的に世界を洞察している。ヨシモトはチャンキに「カメ地区に行け」とヒントを与えた。カメ地区とは通常のサンクチュアリ(聖域、安全な地区)ではない。宗教的、政治的に迫害された者にとっての駆け込み寺という裏の意味合いが濃く、禁忌、タブーと見做されている。

 チャンキは智恵子とともにカメ地区に足を運び、外国人のコミュニティーと交流する。彼らは仏教団体の庇護を受けており、ヨシモトとも交流がある。カメ地区訪問が知れると、〝穢れた〟チャンキこそ頻発するタナトスの原因と決めつけ、学校で避けられるようになる。

 集団化こそ日本の最大の病根と理解している森らしく、自己を殺す日本に絶望していることが窺える。コミュニティーの外国人に<日本人は絶望が足りない>と語らせていたが、この言葉こそ作意ではないかと考えている。原爆投下、空襲、南方戦線での飢餓、玉砕、世紀を超えて原発事故や格差と貧困を体験した日本人は、政治によってもたらされた絶望を天災のように受け止めてしまうのだ。

 森のドキュメンタリーは「FAKE」が典型だが、見る側に判断を委ねる。本作のラストで、智恵子はチャンキに「抗え!」と叫び、自身もまたタナトスに抗った。森にとって「チャンキ」は新境地であり冒険だが、傑作と評価するのは厳しい。埋まり切れないピースが散乱し、壮大なジグソーパズル(550㌻)は未完成のままなのだ。続編を期待している。

 郷里の立命館宇治は初戦を突破したが、同校と府大会決勝で接戦を演じた京都国際の校歌は韓国語と知る。同校の前身は京都韓国高校で、英語、韓国語、日本語を必修とするトリリンガル教育を掲げている。日韓両国トップの意地とは別に、近畿地区は朝鮮半島との人的交流が進んでいる。「チャンキ」にもヘイトスピーチを叫ぶ輩が登場するが、京都国際が甲子園で勝ったら、連中は大騒ぎするだろう。

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「存在のない子供たち」~俯瞰の視線と主観が織り成す寓話

2019-08-05 21:59:45 | 映画、ドラマ
 草食系に見える豊島将之名人だが、強敵相手にハードスケジュールをこなしている。王位戦で木村一基九段に連勝し、王座戦トーナメントでは羽生善治九段を破ったものの、挑決戦で永瀬拓矢叡王に屈した。竜王戦トーナメントでは藤井聡太七段、渡辺明三冠を連破し、木村との挑決三番勝負に臨む。秋には広瀬章人竜王との頂上決戦が世間を騒がせているかもしれない。

 DeNAが巨人に3連勝し、0・5差に迫った。チームスポーツの肝はモメンタムとケミストリーと考えるアナログ人間の俺は、当ブログでもデータ重視のラミレス監督に疑念を呈していた。打順の頻繁な組み替えがプラスに作用し、攻守に厚みが増している。巨人より怖いのは明日から戦う広島の方か。

 新宿武蔵野館で先日、「存在のない子供たち」(2018年、ナディーン・ラバキー監督/レバノン・仏合作)を見た。評判作ゆえ、ソールドアウトの盛況である。レバノン映画といえば、「判決」(ジアド・ドゥエイリ監督)が昨年度の極私的ベストワンだった(2018年12月16日の稿)。苛酷なレバノン現代史を背景に二転三転するシリアスな法廷劇でありながら、エンターテインメントとしても良質の作品だった。

 「存在のない子供たち」の謳い文句は<両親を告訴する。僕を産んだ罪で。>である。「判決」同様、裁判がメインという想像は外れる。本作はドキュメンタリータッチで、告発されるのは両親だけでなく、レバノンの男権社会と貧困、そして移民たちの劣悪な環境だ。人気作なのでストーリーの紹介は最小限にとどめ、背景にポイントを置いて記したい。

 主人公はスラム街に暮らす少年ゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)だ。出生証明も身分証もなく、誕生日さえ不明(推定12歳)のゼインは、社会と隔絶した街の掟に従わざるを得ない。寄り添って生きてきた妹サハル(シドラ・イザーム)は初潮を迎えた直後、ひとりの女と見做され、大家と強制的に結婚させられる。子供を道具のように扱う両親を許せないゼインは家を出た。

 ホームレスになったゼインと心を通わせたのは、エチオピア生まれの不法就労者でシングルマザーのラヒル(ヨルダノス・シフェラウ)だ。仕事と移住に向けた金策に追われるラヒルに代わって、ゼインは長男ヨナスの面倒を見る。シリアスなストーリーで心が和むのが、ゼインの女性の胸へのこだわりだ、ゼインはラヒルと出会えたことで、母性の意味に気付き、優しさを身に纏っていく。

 ラバキー監督は俳優としても活躍しており、本作でゼインの弁護人役を演じている。彼女とキャスティングスタッフの俯瞰の視線と直観力には驚嘆するしかない。ゼインだけでなく、ラヒルとヨナス、そしてゼインの家族を演じる者たちも俳優といより素人で、作品中と近似的な状況に置かれている。演じる者と役柄のリアルな緊張感によって、本作は寓話の高みに寓話に昇華している。

 憤り、絶望、優しさ、勇気etc……。鮮やかに表現される主観で紡がれた本作は、〝ザインの成長物語〟ともいえる。ラヒル母子との交流で社会の矛盾に気付いたゼインは、ザハルの悲運に触れ、<正義>を実行する。表情で心情を表現するゼインを見て、子供たちの演技を自然に引き出す是枝裕和監督の「誰も知らない」と「万引き家族」を思い出した。レバノンと日本では状況が大きく異なるが、格差、家庭内暴力、養育拒否は国境を超えた普遍的なテーマといえる。

 ラストに待ち受けるカタルシスに心が潤んだ。演じた者たちはエンドマークの後、現実に返る。ラバキー監督ら本作に関わった人たちの尽力により、景色が好転していることはHPに記されている。リアルとフィクションの交錯に「ペルシャ猫を誰も知らない」(バブマン・ゴバディ監督)が重なった。自由を狂おしく希求する人たちの目に、自由を捨てつつある日本人はどのようにるのだろう。



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「ここがオカシイ!日本の選挙!」~シリアスな政治イベントを楽しんだ

2019-08-01 23:04:38 | 社会、政治
 POGに興じていると、ディープインパクトの死から別の光景が見えてくる。ガーサント、ノーザンテースト、リアルシャダイ、トニービン、サンデーサイレンスらを輸入し、日本の競馬発展に寄与した社台グループだが、今や厩舎と騎手を好き放題に操っている。ヒエラルキーの頂点に位置するディープの死が、独裁崩壊のきっかけになるかもしれない。

 フジロックの公式ライブ配信でキュアーを見た。還暦を迎えたロバート・スミスは以前より妖怪じみていたが、悪魔憑きの声は健在で、ショーを楽しんでいることが窺えた。掉尾を飾った「ボーイズ・ドント・クライ」は初めて聴いた彼らの曲で、40年の歳月が去来して心が潤んだ。

 UKニューウェーヴの流れを汲むミューズ、インターポール、クーパー・テンプル・クロースら、ポストパンク/オルタナの雄であるレッド。・ホット・チリ・ペッパーズ、ナイン・インチ・ネイルズ、デフトーンズらUS勢は、ともに〝キュアーチルドレン〟を自任している。日本でもようやく、究極のロックレジェンドとして定着したようだ。

 高円寺グレインで先日、「とことん話そう、ここがオカシイ!日本の選挙!」と題されたトークイベントに足を運んだ。宇都宮健児氏(都知事選に2度立候補)、畠山理仁、宮原ジェフリー両氏(フリージャーナリスト)、李小牧氏(通称歌舞伎町案内人)の4人が顔を揃える。

 畠山氏はN国の実態を仕事先の夕刊紙にリポートしていたし、李氏も連載を持っていた。宇都宮氏は弁護団長を務める供託金違憲訴訟裁判について報告する際、当ブログで紹介してきた。ちなみに宇都宮氏は今回、弱者の思いに寄り添うれいわと社民党の比例区候補を応援したという。

 参院選直後の世論調査で、消費増税反対が60%を超えていた。選挙の結果と真逆なのは増税に限らず、原発、戦争法、改憲でも同様だ。パネリストは口々に、民意のレベルについて語っていた。畠山、宮原両氏はれいわに注目し、街頭での盛り上がりとインターネットを利用した戦術を報告していた。

 中国出身の李氏は2014年に日本国籍を取得後、新宿区議選に2度立候補して落選した。〝決して民主的でなかった民主党〟の内幕を語るなど興味深い話を聞けた。移民社会を前提に、李氏は日本国籍を得た外国人への思いを表明していた。

 多くの知人が暮らす香港、台湾に思いを馳せる李氏は、中国共産党に強い疑念を抱いている。トランプ大統領に期待するなど、〝敵の敵は味方〟が政界の真理である。ちなみに李氏はネット上で「中国共産党のスパイ」、「Wスパイ」など徹底的に攻撃されたという。

 冷房が不調の会場で、熱い議論が展開する2時間半……。テーマはシリアスなのにエンターテインメントとしても成立していたのは、比例区の辻村千尋氏(れいわ)、大坂選挙区の尾崎全紀氏(N国)の2人の立候補者が飛び入りで議論に加わったからである。辻村氏は拍手で、尾崎氏は冷たい視線で迎えられる。

 れいわは多様性を重視し、辻村氏も<誰かの犠牲に成立する繁栄は無意味>と訴えて選挙を戦った。宇都宮氏は国会を造り替えた山本太郎代表の決断を絶賛していたし、李氏は山本氏との関わりを披露するなど、パネリスト全員がれいわに絶大な期待を寄せている。

 アウエー状態で異彩を放っていたのが尾崎氏だ。畠山氏が「N国をのさばらせないためには、触れないようにするのが肝要」と語ると、尾崎氏は「どんどん相手にしてください」と語る。N国が党を挙げて〝悪名は無名に勝る〟を実践していることは、丸山穂高議員を誘ったことからも明らかだ。

 宇都宮氏については自由と民主主義への熱い思い繰り返し記してきたので重複は避けるが、治安維持法と併せて成立した普選法そのままの現行の制限選挙、有権者と立候補者に壁を築く公職選挙法の矛盾は、パネリスト全員が身をもって知っている。

 選挙後、「民主主義は死んだなどと嘆くのはもっての外で、民主主義は始まってもいない」と語る宇都宮氏に壇上の全員が同意していた。永田町の離合集散や上っ面の票を分析する前に、民主主義の本質を突き詰めることが第一だ。「現政権を根底から崩すには75年かかるだろう」という宇都宮氏の言葉が胸に響いた。
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