酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「PLAN75」~絆と情がディストピアを食い止める

2022-06-28 12:47:50 | 映画、ドラマ
 宝塚記念はパンサラッサが直線で力尽き、ボックスで馬連を購入したオーソリティーが直前で除外になる。ヒシイグアスは買い目にあったが、勝ったタイトルホルダーを切っていたから仕方がない。炎天下の横浜スタジアムではベイスターズがストレスのたまる負け方で、心身ともヘロヘロ。おまけにエアコンが不調で、歯の詰め物がポロリと落ちた。

 世の中の流れも悪い。参院選公示直後、朝日新聞は<自公、改選過半数上回る勢い>と報じた。維新は倍増で、野党共闘は厳しい戦いを強いられている。ロシアのウクライナ侵攻で憲法9条の価値が上がっているのに、軍事費増強の声に掻き消され、改憲派が勢いを増している。悪夢が現実になりそうだ。

 新宿ピカデリーで「PLAN75」(2022年、早川千絵監督)を見た。本作は18年に公開されたオムニバス映画「十年~TEN YEARS JAPAN」(是枝裕和製作総指揮)の一編を、テーマはそのまま長編化した作品だ。カンヌ映画祭「ある視点」部門でカメラドール(新人監督賞)特別表彰を受けている。

 「十年~TEN YEARS JAPAN」のルーツを辿れば、2025年の香港を見据え、気鋭の監督たちがメガホンを執った「十年~TEN YEARS」(15年)に行き着く。同作は<非情な抑圧者VS存在を懸けて抗議する者>という構図が明確な、中国への怒りに満ちたアジテーションだった。香港で実際に起きたことを先取りしていたといえる。

 「PLAN75」は粛々とお上に従う日本の風土を背景にした近未来ディストピアだ。高齢者連続殺害事件をきっかけに<75歳に達した人間に自ら生死の選択を与える>という法案が成立する。<死の選択>とは即ち安楽死なのだ。この国で恵まれた老後を送っているのは一握りの勝ち組で、本作に登場する老人たちも厳しい老後を送っている。

 主人公は角谷ミチで、81歳の〝レジェンド〟倍賞千恵子が演じている。最低限の台詞と表情で、老人の孤独と諦念を表現していた。78歳のミチは、一緒に働いていた高齢女性の仕事中の死でホテル清掃の職を失う。年金に言及する台詞はなく、仕事が見つからないと生きていけない。

 行政の側で「PLAN75」を推進する岡部ヒロム(磯村勇斗)、コールセンターでサポートする瑶子(河合優美)、関連施設で働くマリア(ステファニー・アリアン)の若手陣と高齢俳優との交流が軸になっている。公開して10日余り、俺の見た回も中高年層を中心に多くの観客が詰め掛けていた。ストーリーの紹介は最小限に、以下に背景を記したい。

 早川監督は<今世紀になって自己責任という言葉が幅を利かせるようになり、社会的弱者を叩く空気が広がった。2016年に障害者施設殺傷事件が起こったように、人の価値を生産性で測る傾向が蔓延している。不寛容が加速すれば「PLAN75」のような制度が生まれかねない。そんな未来は迎えたくないとの思いが原動力になった>(趣旨)とHPに言葉を寄せている。

 命の価値の崩壊は、国家による人口制限は星野智幸著「焰」収録作「何が俺をそうさせたか」(11年発表)にも描かれていたが、多くの方は「楢山節考」(深沢七郎)を重ねたに違いない。「PLAN75」は生き長らえることに罪障感を抱く老人たちへの国家的洗脳で、21世紀の姥捨て山といえる。ちなみに<65歳まで拡大することを検討中>というニュース音声が流れる。となれば、俺も既に対象者だ。

 早川監督が言及した障害者施設殺傷事件をモチーフに小説「月」を発表した辺見庸は「与死(よし)」について、<ある一定の状態に達した障害者や高齢者に対して、合法的に死を与えるという考え方>と説明していた。そういう意識が広がっていることが「PLAN75」の前提といっていい。

 コロナ禍での変化も、本作の背景にある。「コロナ新時代への提言」(BS1)で國分功一郎(哲学者)はウイズコロナで定着した<疫学的に人口を捉え、人間を一つの駒として見るような見方>に違和感を示していた。國分はジョルジョ・アガンベンの問題提起を紹介した。コロナ禍によって死者に向き合えない社会が恒常化したという内容である。「PLAN75」でも老人たちは機械的に孤独な最期を迎える。

 ミチが瑶子とともにボウリングに興じるシーンが印象的だった。ミチのストライクを周りの若者たちが祝福し、温かい空気が流れる。機械的であることを求められる瑶子の心にさざ波が生じた。岡部は安楽死した老人の遺体を処理するのが産廃業者であることに気付き、疎遠だった伯父のためにある行動に出る。

 「PLAN75」はリアルなディストピアだが、絆と情が食い止めるための手だてかもしれない。ラストでミチが眺める光景は美しい。ミチの意志の力を表現しているのだろう。
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ロッキング・オン最新号に青春時代が甦る

2022-06-23 22:56:34 | 音楽
 グリーンズジャパン(緑の党)入会以来、集会やデモに参加し、時にイベント主催者の一員であったことはブログに記してきた。だが、コロナ禍に加え、昨夏の脳梗塞での入院が決定打になり、政治にコミットする機会は減った。そんな俺だが、杉並区長選の行方が気になっていた。参院選に向けて幸先良く野党統一候補の岸本聡子氏が接戦を制し、ホッとしている。

 欧州を拠点に市民運動に関わっていた岸本氏は2年前、グリーンズジャパン企画のオンラインセミナー<気候危機とコロナ危機 新しいシステムを求めて>の講師を務めた。<コモン>(全ての人にとっての共用財、公共財)の意味を説き、内容は水道、食料、教育、エネルギー問題に及んだ。〝世界標準の民主主義〟を知る岸本氏に期待したい。

 怠惰な日常でブログのテーマが見つからず、何となく近くの本屋に入ると、ロッキング・オンの表紙が飛び込んできた。「アンノウン・プレジャーズ」(1979年)のレコードジャケットで、<ニューウェイヴ/ポストパンク 1978-1987>の文字が躍っている。購入してパラパラめくっていると、青春時代の思い出が甦ってきた。

 現役ロックファンは引退したから、最近はCDを購入することもなく、ライブに足を運ぶ機会もない。だが、20代前半から30代半ばまで、パンクに浸ったというわけではないが、UKニューウェイヴに引き込まれる。1979年から87年までの愛聴盤を年ごとに以下に記したい。1アーティスト、1アルバムの縛りで、メランコリックで叙情的な俺の好みに沿って選んだ。

<1979年> パブリック・イメージ・リミテッド「メタルボックス」
<80年> ジョイ・ディヴィジョン「クローサー」、クラッシュ「サンディニスタ!」、エコー&ザ・バニーメン「クロコダイルズ」
<82年> スージー&ザ・バンシーズ「キス・イン・ザ・ドリームハウス」、エルビス・コステロ&ジ・アトラクションズ「インペリアル・ベットルーム」、デペッシュ・モード「ア・ブロークン・フレイム」、スクリッティ・ポリッティ「ソングス・トゥ・リメンバー」、XTC「イングリッシュ・セツルメント」、ダイアー・ストレイツ「ラヴ・オーバー・ゴールド」、ティアーズ・フォー・フィアーズ「ハーティング」
<83年> ザ・ザ「ソウル・マイニング」、ファン・ボーイ・スリー「WAITING」
<84年> スタイル・カウンシル「カフェ・ブリュ」、スミス「ザ・スミス」、コクトー・ツインズ「トレジャー」、ペイル・ファウンテンズ「パシフィック・ストリート」、アズテック・カメラ「ハイ・ランド、ハード・レイン」、ディス・コータル・モイル「涙の終結」、レインコーツ「ム―ヴィング」、ジュリアン・コープ「フライド」
<85年> プリファブ・スプラウト「スティーヴ・マックイーン」。キュアー「ヘッド・オン・ザ・ドアー」、ジーザス&メリーチェイン「サイコキャンディ」
<86年> ニュー・オーダー「ブラザーフッド」、ストラングラーズ「夢現」、モーマス「サーカス・マキシマス」

 思い出せるのはこんなもの。クラッシュはパンクの代表バンドだが、「サンディニスタ!」は音楽的にもメッセージ的にも従来の方法掄を打ち破るポストパンクの魁というべき一枚だ。スージー&ザ・バンシーズとストラングラーズはパンクの括りかもしれないが、上記したアルバムは完全にニューウェイヴの音になっている。

 <UKニューウェイヴ/ポストパンク>の代表格はジョイ・ディヴィジョンとキュアーであることは、同誌が併せてインタビューを掲載していることからも明らかだ。内向の極致を示したジョイ・ディヴィジョンはフロントマンのイアン・カーティスの自殺で解散する。メンバーチェンジで再出発したニュー・オーダーは、エレクトリックとシンセサイザーを導入し、ロックの可能性を一気に拡大する。

 キュアーは1980年以降、最も影響力のあるバンドで、<UKニューウェイヴ>の枠にとどまらず、ナイン・インチ・ネイルズなどUSハードコアバンドに絶大な影響を与えている。まあ、キュアーの魅力については語りつくしているから割愛するが、最高傑作は「ディスインテグレーション」(89年)だ。

 UKに限定して記したが、アメリカにもポストパンクバンドは幾つも存在する。代表格はロック史上最も革新的なバンドといっていいトーキング・ヘッズで、11年で制作した8枚のアルバムはすべて愛聴盤だ。「マーマー」(83年)でデビューしたREM、そしてグランジへの道を開いたソニック・ユースは最も好きなバンドの一つだ。最高傑作は「デイドリーム・ネイション」(88年)だ。

 ロックは俺に何を与えてくれたのか。65歳の俺とどう繋がっているのだろう。それは救いであり、癒やしだった。あのバンドが新作を出すまで生きていよう……、そんな風に考えたこともある。ロックは俺を大人にせず、〝10代の荒野〟に閉じ込められたままだ。俺を一言でいえば、ガキ老人といったところか。

 最後に、枠順が確定した宝塚記念の予想を。エフフォーリア、オーソリティ、タイトルホルダー、ディープボンドの4強が上位を占めるだろう。だが、少額投資で中穴を狙う年金生活馬券師は、無理を承知で⑪パンサラッサを軸に据え、単勝と馬連を買うことにする。逃げてくれたらそれでいい。
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「敗者の三部作」~カウリスマキの人間讃歌

2022-06-19 18:52:38 | 映画、ドラマ
 ロシアのウクライナ侵攻は多くのことを問い掛けている。自由とは、民主主義とは。そして、戦争放棄を掲げる憲法9条を掲げる意味は……。軍備増強がに叫ばれており、日本もきな臭くなっている。エネルギー、食糧問題と戦争の背景にあるものが見えてきた。アメリカ、EU、NATOが善玉で、ロシア(陰で支える中国も)が悪役という構図が出来上がっている。

 スウェーデンとともにNATO加盟を申請したフィンランドは、ロシアとの国境線が1300㌔に及ぶ。1人当たりのGDPは日本の1・25倍で、幸福度、教育レベル、報道の自由度、ジェンダー平等といった指標で世界トップクラスだ。ちなみに、サンナ・マリン首相は36歳の女性である。

 録画(WOWOWプラス)しておいた同国を代表するアキ・カウリスマキの「敗者の三部作」――「浮き雲」(1996年)、「過去のない男」(2002年)、「街のあかり」(06年)――を見た。〝敗者〟というキャッチに妙に親近感を覚えていた。「浮き雲」は映画館で、「過去のない男」と「街のあかり」は映画チャンネルで見ているが、詳細は覚えていない。再会して感じたことを整理して記したい。

 第一に挙げるのはカウリスマキの優しい眼差しだ。「浮き雲」の主人公イロナ(カティ・オウティネン)が給仕長を務める「ドゥブロヴニク」はチェーン店に買収され、イロナを含め全従業員が解雇される。イロナの夫ラウリ(カリ・ヴァーナネン)は路面電車の運転士だが、赤字路線縮小でリストラされた。ささやかな夫妻の生活は暗転するが、ラストでは元ドゥブロヴニクの従業員とともに再スタートを切る。

 「過去のない男」の主人公X(マルック・ベルトラ)は、ヘルシンキで電車を降りた直後、3人の暴漢に頭部を殴打されるが、奇跡的に一命を取り留めた記憶を失ったが、救世軍事務所でイルマと出会った。イルマを演じるのは「浮き雲」同様、カウリスマキ組の華というべきカティ・オウティネンだ。Xを助ける一家、銀行で居合わせた強盗、貧困ビジネスに関わっている男も情を持っている。自身の過去を知ったXに最高のカタルシスが待っていた。

 「街のあかり」の主人公コイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)は百貨店の警備員だ。起業を目指しているが、他者と折り合えない孤独な青年である。魅力的なミルヤ(マリア・ヤルヴェンヘルミ)が接近してくる。彼女の目的は宝石店の暗証番号を入手することだった。ひとり罪をきて入獄したコイスティネンに思いを寄せていたのは屋台でソーセージを売るアイラ(マリア・ヘイスカネン)だ。ラストシーンで繋がれた二つの手に〝あかり〟を覚える。

 第二に感じたのは、フィンランド社会の実態を反映している点だ。「浮き雲」の背景には不況があり、「過去のない男」製作時はさらに悪化し、街に浮浪者が溢れている。Xもバラック暮らしだ。第三にロシアとの関係だ。「浮き雲」で失職したラウルが応募したのは、ロシアへ向かう観光バスの運転手だった。「街のあかり」でコイスティネンを陥れたのはロシアンマフィアか。

 第四は無駄を排したカメラワークで、ワンシーン・ワンカット、暗転が多用される。俳優たちも大仰な感情表現はなく、簡潔な台詞と目の動きで物語を紡いでいく。第五は音楽の使い方で、2本の「レニングラード・カウボーイズ」ものからも明らかなように、カウリスマキはかなりの音楽通で、様々なジャンルを効果的に用いている。「敗者の三部作」は音楽映画の趣があった。

 第六は小道具の使い方だ。登場人物がたばこを吸うシーンが繰り返し現れる。カウリスマキは愛煙家なのだろう。さらに、3作では犬が重要な役割を果たしている。第七は日本との関係だ。「希望のかなた」では主要な登場人物が寿司屋を開業し、BGMで歌謡曲が流れるシーンがあった。「過去のない男」でも自分の過去を知ったXが列車の中で寿司を食べるシーンがあり、バックに「ハワイの夜」(クレイジーケンバンド)が流れていた。

 第八で挙げるのは「浮き雲」と「過去のない男」で主演したカティ・オウティネンの魅力だ。「浮き雲」のオープニングはドゥブロヴニク店内で、黒人のピアニストが弾き語りで♪あの娘は神のつくった理想の女性と歌う。そしてアップになるのがイロナ役のオウティネンだ。公開当時35歳で、虚飾を清々しくらい削った空気を纏っている。台詞は最低限で、目の動きで感情を伝えている。

 カンヌ国際映画祭で女優賞を獲得した「過去のない男」では、女心の揺れを表現していた。救世軍で働くイルマは中年になるまで恋とは無縁で慎ましく神に仕えてきた。寝る前にポップな曲をかけるシーンも面白かったし、Xが企画したロックショーを訪れた時、照明で輝いた素顔は美しかった。

 〝敗者〟の俺が自分に重ねようとした3作はまさに〝勝者の三部作〟で、ユーモアに溢れた人間讃歌だ。まあ、〝敗者〟というのは俺独特の露悪的な表現だが、これから先、何かいいことは起きるだろうか。
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「赤い椰子の葉」~濃密でシュールな目取真俊の世界

2022-06-14 19:07:03 | 読書
 知られざる沖縄の肝っ玉かあさんに照準を定めたドキュメンタリー「サンマデモクラシー」(2021年、山里孫存監督/沖縄テレビ製作)を日本映画専門チャンネルで見た。本土復帰運動の先駆けになったのはサンマ裁判だったと知る。アメリカは日本から輸入された魚に20%の関税をかけたが、リストになかった大衆魚サンマも含まれていた。鮮魚商の玉城ウシは琉球政府に是正を訴える。

 もともとマグロ漁用の餌として輸入されたサンマは、日本と沖縄を結ぶ絆と捉えられるようになる。裁判は実効支配者アメリカの非民主的な施策への抗議とリンクし、ラッパこと下里恵良弁護士の尽力もあって運動は広がった。〝アメリカが最も恐れた男〟瀬長亀次郎も加わり、本土復帰への機運は高まる。

 テーマはシリアスだが、〝うちなー噺家〟志ぃさーがナビゲーター、沖縄出身の川平慈英がナレーターを務め、再現ドラマやアニメーションが織り込まれるなど、軽妙なテンポで進行する。川平の父で放送界の重鎮だった朝清が直接聞いたのが、当時のキャラウェイ高等弁務官が言い放った「沖縄の自治は神話」である。現在も変わらぬ構図に最前線で抗っているのが目取真俊だ。

 「目取真俊短編小説選集2 赤い椰子の葉」(影書房)を読了した。ブログ「海鳴りの島から~沖縄・ヤンパルより」にも記されている通り、目取真は文筆から辺野古移設反対など政治活動に重点を移している。俺が存在を知ったのは辺見庸との対談集「沖縄と国家」(角川新書)だった。辺見は目取真を〝究極レベルの表現者〟と評価する。

 「魚群記」、「虹の鳥」に続き3作目になるが、3月に仕事を離れなかったら。「赤い椰子の葉」を読了出来なかっただろう。沖縄の苦難の歴史を背景に、濃密な描写、時空を超越する実験的な手によって紡がれた13編が収録されている。視力が衰えた俺は〝読書という苦行〟を楽しんでいた。

 ♯1「沈む間(あいだ)」にいきなり戸惑った。主人公は女子校生で、授業中に教師が話した<教壇下に潜んでいた男に足首を掴まれた女の子>に自分を重ねてしまう。無口な彼女が大切にしていた虫が閉じ込められた琥珀とは、彼女そのものだ。性の目覚めと異性への恐怖とも受け取れるが、映画館で足元を虫のように這う男の幻覚に苦しめられる。

 ♯2~6と、カフカや安部公房を想起させる、仮想と現実が交錯するシュールな作品が続く。これまでの読書のツボに引っ掛かったのはタイトル作で♯7の「赤い椰子の葉」だった。カシアス・クレイ(モハメド・アリ)とジョー・フレーザーとのタイトルマッチ(1971年)の感想を話したことで同級生のSと親しくなる。Sに誘われ、前稿で記したような地下のファイトクラブに足を運んだ。米兵たちが闘う非合法なリングだった。

 Sの母親は米兵相手の娼婦で、S自身も少年なのに妖しい空気を醸し出している。アメリカと日本の歪な構図が後景に据えられているが、よく考えればタイトルそのものがミステリーだ。椰子の葉は常緑で、黄緑になったり白くなったりすることはある。作者が<赤>に託した意味がは読み取れなかった。

 ♯8「オキナワン・ブック・レヴュー」は様々な立場の論者が著した書物を紹介するというスタイルで、今風にいえば〝フェイク・ブックガイド〟というべきか。沖縄戦の凄惨な記憶と現実が交錯するのが♯9「水滴」だ。ある男の右足が突然腫れ、水を滴らせながら寸胴状に膨らんでいく。夢か現か、傷ついた兵士たちが次々に水を含んでいく。男の脳裏に戦争時の体験が甦った。ちなみに作者が男の妻の名前をウシとしたのも、上記した玉城ウシへの敬意だろう。

 ♯10「軍鶏(タウチー)」には家族を含め金と力に屈服する醜い大人たちへの少年の怒りが描かれ、♯11「魂込め(まぶいくな)」には民俗信仰とシャーマニズムが描かれる。♯12「ブラジルおじいの酒」にはある老人が語る移民の経緯が語られる。♯9、11、12は戦争の記憶、死者の記憶、贖罪の意識が沖縄の自然を背景に描かれていた。

 掉尾を飾る♯13「剥離」はキリキリ痛いサイコホラーの要素もある。中学教師の夫、小学教諭の妻はのどかな郊外から那覇に引っ越したことで次第に追い詰められていく。妻はクラスを掌握出来ず、卒業生が進学した中学で夫が〝いじめ〟のターゲットになった。「奇妙な音がする」と隣室の気配に怯えた休職中の妻からの電話で、夫は頻繁に帰宅することになる。

 大家が<過激派に注意しましょう>と書かれたビラをポストに入れたことで、夫の記憶が甦る。活動家から対立セクトの一員との疑いをかけられた学生時代を思い出したのだ。去った隣人の部屋に残されたのは不気味なほど精巧なアパートの模型だった。刮げ落ちるものを埋めるようにして、夫は模型に色を塗る。ラストで夫妻の位置は逆転し、夫は自分の中で蠢く虫の音を聞いた。

 神話の領域に到達した目取真ワールドを満喫出来て幸せだった。前稿で紹介した映画のタイトル「生きててよかった」を実感している。
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「生きててよかった」~リアルと狂気で屈曲した格闘映画

2022-06-09 19:14:44 | 映画、ドラマ
 この3カ月、アパート近くの野良猫が気になり、行政やボランティア団体に電話で聞いてみた。地域で猫と共生するケースが増えていることは「岩合光昭の世界ネコ歩き」からも明らかだ。「猫に去勢・不妊手術を施すことが先決」と担当者に言われ、耳の形を確かめると、不妊手術を受けた三毛猫だ。保護猫になれるかどうかはともかく、ベターな対応を模索している。

 「息子の面影」(前稿)に続き、新宿武蔵野館で「生きててよかった」(2022年、鈴木太一監督)を見た。「ロッキー」へのオマージュが窺える映画で、リアルな格闘シーンに引き込まれる。プロボクサーの楠木創太(木幡竜)はドクターストップでリングを去り、恋人の幸子(鎌滝恵利)と結婚する。理解者である海藤会長(火野正平)も、ジムを畳むことになった。海藤の口利きで勤め人になった創太だが、不器用で早々にクビになる。

 創太を励ますのは俳優の健児(今野浩喜)だ。尖った創太、柔らかな健児と好対照だが、ともに崖っ縁だ。ようやくチャンスを掴んだ健児だが、映画の企画が中止になってしまう。「ボクサーは引退出来るけど、俳優は区切りをつけられない」と創太に話した健児は、ともに闘うことを決める。

 話は逸れるが、井上尚弥(大橋ジム)が一昨日、ノニト・ドネアを2回TKOで下し、3団体王者になった。木幡と井上には共通点がある。木幡も大橋ジムに所属してリングに上がった。井上はパウンド・フォー・パウンドの候補にも挙がるほど認知されているが、木幡も中国で活躍するアジアのスターだ。本作では母光子(銀粉蝶)がカラオケでボウイの曲を歌うシーンがあるが、井上-ドネア戦の試合前、布袋寅泰がリングで演奏した。

 閑話休題……。創太の前に新堂(柳俊太郎)が現れ、闘いの場を提供する。地下の非合法なファイトクラブで、客は金を賭けて試合を見守るのだ。かねて創太のファンだった新堂は銃を見せびらかし、冷酷と孤独を滲ませていた。健児はトレーナーを買って出る。さあ、血湧き肉躍る格闘映画と思いきや、奇妙なプリズムで屈曲していた。

 冒頭、ラストファイトを控えた創太のスパーリングを窓越しに見つめる幸子の唇が艶めかしく動く。肉体とセックス、そして狂気を後景に据えていることを直感した。木幡竜の研ぎ澄まされたフィジカルは、井上に引けを取らない。繁華街でシャドーボクシングするシーンの格好良さに陶然としてしまう。撮影時は40歳を超えていたが、10㌔減量し、体脂肪率は5%以下という。そして、延々と流れる創太と幸子のセックスシーン、創太が「世界、世界」と叫ぶ淫らな夢……。

 ロッキーとエイドリアンは一直線の愛を突き進んだが、創太と幸子は異なっている。幸子は一度も創太の試合を見たことがない。それどころか、創太が闘っている時間、キモい男と体を重ねていた。この辺りは俺の理解を超えている。妊娠ではなく、幸子が繰り返し嘔吐するシーンも謎めいていた。

 タイトルバックで闘い終えた創太のアップと、「生きててよかった」のタイトルが流れる。創太が死んだことは、ラストの光子と幸子の会話のシーンで明かされた。初めて試合を見た幸子の「世界、世界」の声援に応え矢吹丈のように燃え尽きたか、掟破りで撃たれたのかはわからない。それでも、創太の表情は、「生きててよかった」との感情で煌めいていた。

 「生きててよかった」と実感出来る日が来るだろうか。観賞後、自分の来し方と現状に思いを馳せた。俺は昨夏、脳梗塞で入院した。初期に点滴を受けた結果、視力は何とか回復し、自分にとって生きるよすがといえる読書と映画を失わずにすんだ。神か仏かはともかく、「生きててよかった」と感謝すべきかもしれない。
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「息子の面影」~濃密なメキシコの闇に潜む悪魔

2022-06-04 17:37:09 | 映画、ドラマ
 〝人の噂も七十五日〟、あるいは〝去る者は日々に疎し〟ともいう。仕事を離れて3カ月。役に立たなかった俺のことなど、職場のみんなは忘れてしまっているだろう。世の中、そんなふうに回っている。俺はといえば、無聊と孤独を慰めるため、主にスカパーで映画やドラマを楽しんでいる。

 かつて見た時ほどの感動を覚えなかった作品もあるが、アキ・カウリスマキの「敗者の3部作」は心に染みた。遠からずブログで紹介したい。ドラマで「取調室」に次いで発見したのは「ハンチョウ」だ。安積班長役の佐々木蔵之介が鋭さ、恩情、トボけた感じを巧みに表現している。しっかりした原作(今野敏)もあり、後半のドンデン返しも鮮やかだ。

 息子の消息を求める母親を描いたロードムービー「息子の面影」(2020年、フェルナンダ・バラデス監督)を新宿武蔵野館で見た。メキシコの貧しい村で暮らすマグダレーナは、息子ヘススと音信不通になる。2カ月前、友人リゴとアメリカに向かったヘススの消息を追って、マグダレーナはメキシコとアメリカの国境地帯を放浪する。

 「マイスモールランド」でも感じたが、公的機関は融通が利かない。メキシコも同様だが、マグダレーナは〝ここだけの話〟と囁く担当者の助力もあり。真相に近づく。偶然出会って同行することになったのは、5年暮らした後、アメリカ在留資格を失った青年リゲルで、トレードマークはカンザスシティー・ロイヤルズの帽子だ。

 本作のサブタイトル<悪魔が潜むメキシコ国境>に思い浮かんだのは、トランプの政策だった。入国を希望する人たちがアメリカ側の暴力の犠牲になり、ヘススもそのひとり……。そんな先入観は吹っ飛んでしまう。マグダレーナの目に映るメキシコ辺境の光景は、時を超越した神秘と魔性が蠢く闇だ。

 貧困に喘ぐメキシコ人の多くは、本作でも描かれているように〝憧れの地〟アメリカに向かう。サッカー、野球、ボクシングで世界的な名選手を輩出しているが、プロレス(ルチャリブレ)も盛んで、異教的(土着的)なムードを醸す覆面レスラーが多い。革命の聖地でもあり、1910年に自由主義者が蜂起して、17年に独裁政権を打倒した。前稿で取り上げたトロツキーが暗殺されたのも、亡命先のメキシコだった。

 メキシコとは一筋縄で捉えきれない万華鏡、蜃気楼のような国で、神と悪魔が存在する。マグダレーナにとって息子が、リゲルにとってはアメリカ行きを援助してくれた母が天使だった。リゲルは荒廃した故郷と母の不在を知る。マグダレーナとリゲルは喪失に苦悩する〝仮想の母子〟になった。

 アメリカに向うバスで何が起きたのかを知る老人を、マグダレーナはようやく探し当てる。老人はスペイン語を話せないから、孫娘が通訳する。老人の記憶の中に悪魔像が甦る。それは一帯を支配する麻薬カルテルだった。回想シーンで字幕が消えるのは計算ずくで、衝撃的なラストへの伏線だった。

 「息子の面影」というタイトルの意味に、最後に気が付く。中盤でもリゴの焼死体が当人と確認されるシーンがあるが、息子の行方はわからない。マグダレーナが死について虚実を超えた思いに至ったことは、彼女の行動でも明らかだ。

 この作品を見て、自分の母のことを考えた。ケアハウスで暮らす母は、気力、体力とも衰えている。ガラケーも3月で契約を切ったから、連絡も施設の担当者を通してだ。面会時間も制限されているが、遠からず足を運んで話そうと思う。母もまだ〝息子の面影〟を忘れてはいないだろう。
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