宝塚記念はパンサラッサが直線で力尽き、ボックスで馬連を購入したオーソリティーが直前で除外になる。ヒシイグアスは買い目にあったが、勝ったタイトルホルダーを切っていたから仕方がない。炎天下の横浜スタジアムではベイスターズがストレスのたまる負け方で、心身ともヘロヘロ。おまけにエアコンが不調で、歯の詰め物がポロリと落ちた。
世の中の流れも悪い。参院選公示直後、朝日新聞は<自公、改選過半数上回る勢い>と報じた。維新は倍増で、野党共闘は厳しい戦いを強いられている。ロシアのウクライナ侵攻で憲法9条の価値が上がっているのに、軍事費増強の声に掻き消され、改憲派が勢いを増している。悪夢が現実になりそうだ。
新宿ピカデリーで「PLAN75」(2022年、早川千絵監督)を見た。本作は18年に公開されたオムニバス映画「十年~TEN YEARS JAPAN」(是枝裕和製作総指揮)の一編を、テーマはそのまま長編化した作品だ。カンヌ映画祭「ある視点」部門でカメラドール(新人監督賞)特別表彰を受けている。
「十年~TEN YEARS JAPAN」のルーツを辿れば、2025年の香港を見据え、気鋭の監督たちがメガホンを執った「十年~TEN YEARS」(15年)に行き着く。同作は<非情な抑圧者VS存在を懸けて抗議する者>という構図が明確な、中国への怒りに満ちたアジテーションだった。香港で実際に起きたことを先取りしていたといえる。
「PLAN75」は粛々とお上に従う日本の風土を背景にした近未来ディストピアだ。高齢者連続殺害事件をきっかけに<75歳に達した人間に自ら生死の選択を与える>という法案が成立する。<死の選択>とは即ち安楽死なのだ。この国で恵まれた老後を送っているのは一握りの勝ち組で、本作に登場する老人たちも厳しい老後を送っている。
主人公は角谷ミチで、81歳の〝レジェンド〟倍賞千恵子が演じている。最低限の台詞と表情で、老人の孤独と諦念を表現していた。78歳のミチは、一緒に働いていた高齢女性の仕事中の死でホテル清掃の職を失う。年金に言及する台詞はなく、仕事が見つからないと生きていけない。
行政の側で「PLAN75」を推進する岡部ヒロム(磯村勇斗)、コールセンターでサポートする瑶子(河合優美)、関連施設で働くマリア(ステファニー・アリアン)の若手陣と高齢俳優との交流が軸になっている。公開して10日余り、俺の見た回も中高年層を中心に多くの観客が詰め掛けていた。ストーリーの紹介は最小限に、以下に背景を記したい。
早川監督は<今世紀になって自己責任という言葉が幅を利かせるようになり、社会的弱者を叩く空気が広がった。2016年に障害者施設殺傷事件が起こったように、人の価値を生産性で測る傾向が蔓延している。不寛容が加速すれば「PLAN75」のような制度が生まれかねない。そんな未来は迎えたくないとの思いが原動力になった>(趣旨)とHPに言葉を寄せている。
命の価値の崩壊は、国家による人口制限は星野智幸著「焰」収録作「何が俺をそうさせたか」(11年発表)にも描かれていたが、多くの方は「楢山節考」(深沢七郎)を重ねたに違いない。「PLAN75」は生き長らえることに罪障感を抱く老人たちへの国家的洗脳で、21世紀の姥捨て山といえる。ちなみに<65歳まで拡大することを検討中>というニュース音声が流れる。となれば、俺も既に対象者だ。
早川監督が言及した障害者施設殺傷事件をモチーフに小説「月」を発表した辺見庸は「与死(よし)」について、<ある一定の状態に達した障害者や高齢者に対して、合法的に死を与えるという考え方>と説明していた。そういう意識が広がっていることが「PLAN75」の前提といっていい。
コロナ禍での変化も、本作の背景にある。「コロナ新時代への提言」(BS1)で國分功一郎(哲学者)はウイズコロナで定着した<疫学的に人口を捉え、人間を一つの駒として見るような見方>に違和感を示していた。國分はジョルジョ・アガンベンの問題提起を紹介した。コロナ禍によって死者に向き合えない社会が恒常化したという内容である。「PLAN75」でも老人たちは機械的に孤独な最期を迎える。
ミチが瑶子とともにボウリングに興じるシーンが印象的だった。ミチのストライクを周りの若者たちが祝福し、温かい空気が流れる。機械的であることを求められる瑶子の心にさざ波が生じた。岡部は安楽死した老人の遺体を処理するのが産廃業者であることに気付き、疎遠だった伯父のためにある行動に出る。
「PLAN75」はリアルなディストピアだが、絆と情が食い止めるための手だてかもしれない。ラストでミチが眺める光景は美しい。ミチの意志の力を表現しているのだろう。
世の中の流れも悪い。参院選公示直後、朝日新聞は<自公、改選過半数上回る勢い>と報じた。維新は倍増で、野党共闘は厳しい戦いを強いられている。ロシアのウクライナ侵攻で憲法9条の価値が上がっているのに、軍事費増強の声に掻き消され、改憲派が勢いを増している。悪夢が現実になりそうだ。
新宿ピカデリーで「PLAN75」(2022年、早川千絵監督)を見た。本作は18年に公開されたオムニバス映画「十年~TEN YEARS JAPAN」(是枝裕和製作総指揮)の一編を、テーマはそのまま長編化した作品だ。カンヌ映画祭「ある視点」部門でカメラドール(新人監督賞)特別表彰を受けている。
「十年~TEN YEARS JAPAN」のルーツを辿れば、2025年の香港を見据え、気鋭の監督たちがメガホンを執った「十年~TEN YEARS」(15年)に行き着く。同作は<非情な抑圧者VS存在を懸けて抗議する者>という構図が明確な、中国への怒りに満ちたアジテーションだった。香港で実際に起きたことを先取りしていたといえる。
「PLAN75」は粛々とお上に従う日本の風土を背景にした近未来ディストピアだ。高齢者連続殺害事件をきっかけに<75歳に達した人間に自ら生死の選択を与える>という法案が成立する。<死の選択>とは即ち安楽死なのだ。この国で恵まれた老後を送っているのは一握りの勝ち組で、本作に登場する老人たちも厳しい老後を送っている。
主人公は角谷ミチで、81歳の〝レジェンド〟倍賞千恵子が演じている。最低限の台詞と表情で、老人の孤独と諦念を表現していた。78歳のミチは、一緒に働いていた高齢女性の仕事中の死でホテル清掃の職を失う。年金に言及する台詞はなく、仕事が見つからないと生きていけない。
行政の側で「PLAN75」を推進する岡部ヒロム(磯村勇斗)、コールセンターでサポートする瑶子(河合優美)、関連施設で働くマリア(ステファニー・アリアン)の若手陣と高齢俳優との交流が軸になっている。公開して10日余り、俺の見た回も中高年層を中心に多くの観客が詰め掛けていた。ストーリーの紹介は最小限に、以下に背景を記したい。
早川監督は<今世紀になって自己責任という言葉が幅を利かせるようになり、社会的弱者を叩く空気が広がった。2016年に障害者施設殺傷事件が起こったように、人の価値を生産性で測る傾向が蔓延している。不寛容が加速すれば「PLAN75」のような制度が生まれかねない。そんな未来は迎えたくないとの思いが原動力になった>(趣旨)とHPに言葉を寄せている。
命の価値の崩壊は、国家による人口制限は星野智幸著「焰」収録作「何が俺をそうさせたか」(11年発表)にも描かれていたが、多くの方は「楢山節考」(深沢七郎)を重ねたに違いない。「PLAN75」は生き長らえることに罪障感を抱く老人たちへの国家的洗脳で、21世紀の姥捨て山といえる。ちなみに<65歳まで拡大することを検討中>というニュース音声が流れる。となれば、俺も既に対象者だ。
早川監督が言及した障害者施設殺傷事件をモチーフに小説「月」を発表した辺見庸は「与死(よし)」について、<ある一定の状態に達した障害者や高齢者に対して、合法的に死を与えるという考え方>と説明していた。そういう意識が広がっていることが「PLAN75」の前提といっていい。
コロナ禍での変化も、本作の背景にある。「コロナ新時代への提言」(BS1)で國分功一郎(哲学者)はウイズコロナで定着した<疫学的に人口を捉え、人間を一つの駒として見るような見方>に違和感を示していた。國分はジョルジョ・アガンベンの問題提起を紹介した。コロナ禍によって死者に向き合えない社会が恒常化したという内容である。「PLAN75」でも老人たちは機械的に孤独な最期を迎える。
ミチが瑶子とともにボウリングに興じるシーンが印象的だった。ミチのストライクを周りの若者たちが祝福し、温かい空気が流れる。機械的であることを求められる瑶子の心にさざ波が生じた。岡部は安楽死した老人の遺体を処理するのが産廃業者であることに気付き、疎遠だった伯父のためにある行動に出る。
「PLAN75」はリアルなディストピアだが、絆と情が食い止めるための手だてかもしれない。ラストでミチが眺める光景は美しい。ミチの意志の力を表現しているのだろう。