酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「異人たちとの夏」~17年前の涙の意味

2005-10-30 04:41:18 | 映画、ドラマ

 涙腺が固い質だからか、「あの映画で泣いちゃった」なんて言葉を聞くと、当人の本性を疑ってしまう。涙はしょせん免罪符で、泣いた後、人は酷薄になるのではないかと、意地悪な見方をしてしまうのだ。そんな俺だが一度だけ、映画館で涙が止まらなかったことがあった。「異人たちとの夏」(88年、大林宣彦)である。再び泣くことを覚悟し、スカパーで放映された本作を17年ぶりに見た。

 ストーリーを以下に……。主人公の原田(風間杜夫)は人気脚本家だが、業界の仕組みに縛られてもいる。別れた妻が友人(永島敏行)と交際するなど、40歳になっても不惑でいられない。シナリオハンティングで東京の地下を訪れた原田は、仲間とはぐれた際、時空を超える通路を見つけた。生まれ育った浅草で、亡き両親と出会うのだ。タイムスリップのシーンでは画面がセピア調になるなど、映像的にも工夫がなされていた。

 柔らかな死生観、ユニークな仕掛け、ノスタルジック、ホラータッチ……。大林作品に見られる様々な要素に、母親役の秋吉久美子と恋人(ケイ)役の名取裕子がエロチックな風味を加えていた。友情出演の顔ぶれも楽しいが、最大の見どころは父親役の片岡鶴太郎だ。見栄っ張り、職人気質、さりげなさ、気風の良さといったひと昔前の江戸っ子を演じ切っていた。プッチーニのアリアが印象的だが、曲名が「わたしのお父さん」という辺りに、制作側の意図を感じた。

 異人(両親)たちとの再会で安らぎを得た原田だが、頻繁に訪れるうち、老化の兆しが現れる。ケイに説得され、原田は両親との別れを決意する。親子の最後の夕べは儚いファンタジーとして胸に迫るが、浸る間もなくホラーに転じる。ラストには違和感を覚えるものの、生死を超えた人間の絆を問い掛ける作品であることを、あらためて実感した。

 原作は山田太一氏の同名小説だが、「シューレス・ジョー」(キンセラ)に影響を受けたことは明白だ。「シューレス――」を映画化したのが「フィールド・オブ・ドリームス」(89年)で、幽霊の父親が息子とキャッチボールするシーンなど、本作と重なる部分が大きい。「ゴーストもの」で一番のお薦めは「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」(87年)だ。本作とは逆に、ホラー調で始まりファンタジーで終わる。レスリー・チャンとジョイ・ウォンの悲恋物語でもあり、香港映画の勢いを思い知らされた作品だった。

 心身の湿度が当時と違っていたせいか、今回は泣くことはなかった。青春期には洪水と旱魃が交互に訪れるものだが、30代前半にはそんな気候がぶり返すこともある。本作を見たのは雨季の最中だったのだろう。次回は「涙シリーズ第3弾」として、読了後に涙が止まらなかった唯一の書物を紹介する。ちなみに「第1弾」はマニック・ストリート・プリーチャーズの稿(2月12日)である。初めて泣いたライブが今年だったとは、俺はまだ干上がっていないのか。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キーワードは「横山典」と「女帝」で~第132回天皇賞

2005-10-28 02:36:48 | 競馬

 さて、天皇賞。ようやく予想が楽しめるGⅠ競走に、全馬が複勝圏といえそうな18頭が揃った。無理は承知で、片っ端から切っていく。まずは臨戦過程から。日本シリーズの結果が示す通り、ローテは大きな要素だ。休養明け(4カ月以上)の5頭のうち、調教の動きがいまひとつだったスズカマンボとタップダンスシチー、マイルCS狙いのアサクサデンエンの3頭は見送ることにした。

 ステップレースで連対を果たした4頭にも触手が伸びない。ホオキパウェーブとリンカーンは、東京2000㍍がベストではないはず。ここ数年、天皇賞と直結しない毎日王冠で連対したサンライズペガサスとテレグノシスは、Sペースでの上がり勝負型。天皇賞の厳しいラップに耐えられないとみる。キングストレイルとストーミーカフェの3歳勢は、ともにブランクが長く発展途上か。

 昨年の当レースで2、3着と健闘したダンスインザムードとアドマイヤグルーヴだが、近況は冴えない。ダンスは「グレた良家の子女」、グルーヴは「着飾ることに飽きた淑女」って感じがする。ハットトリックには距離適性、バランスオブゲームには大外枠、メイショウカイドウには調子落ちと、それぞれ不安材料があり、掲示板が精いっぱいではないか。

 今回は乗り替わりが目立ち、「ジョッキー・シャッフル」状況を呈しているが、「玉突き」の発端は<ディープインパクト=武豊>だ。<ゼンノロブロイ=横山典>が決まって<ハーツクライ=ルメール>となり、緊急避難的な<リンカーン=武豊>で<キングストレイル=福永>のコンビが誕生した。俺が買いたいのは、横山典が乗るゼンノと手放したハーツの2頭だ。「横山典」が第1のキーワードってことになるが、ゼンノは実績上位、ハーツは好仕上がりと強調材料がある。

 「女性天皇」への流れが決定的になったが、明後日は天覧レースである。天皇の目前で牝馬が戴冠すれば、世論形成の地ならしにもなるだろう。第2のキーワードは「女帝」である。ダンスとグルーヴは買わないが、叩き良化型のスイープトウショウは無視できない。安田記念、宝塚記念と中団からレースを進め新境地を示している。調教抜群のヘヴンリーロマンスにも注目だ。「ヘブン=天」、「ロマンス=結婚」となれば、皇室好きでなくても、シャレで買ってみたくなる。

 結論。◎⑬ゼンノロブロイ、○⑩ハーツクライ、▲⑭スイープトウショウ、△①ヘヴンリーロマンス。馬券は3連単で⑬を固定し<⑬・⑩・⑭><⑬・⑩・⑭・①><⑬・⑩・⑭・①>の14点。馬連①⑬、①⑩、①⑭も買うつもりだ。

 ディープ陣営は天皇賞の内容を見極めて、次走以降の予定を決めるという。JCと有馬記念のいずれか、もしくは両方だろうが、古馬との対決が今から待ち遠しい。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「脳と仮想」~科学と感性の麗しき融合

2005-10-26 01:45:58 | 読書

 今回は「脳と仮想」(04年、新潮社)を紹介したい。著者の茂木健一郎氏は脳科学者で、某企業研究員、東工大客員教授、東京芸大非常勤講師である。「知」と「理」に偏った内容と思いきや、茂木氏は「もののあはれ」や「親和性」を理解する、「感性」と「情念」の人であった。

 茂木氏は<物質である脳に、いかにして様々な主観的体験に満ちた私たちの心が宿るのか>を探究されてきた。いわゆる「心脳問題」である。ところが科学は、人間の精神や感情を脳のニューロン活動に随伴する現象と捉え、軽く扱ってきた。<森羅万象は、客観的なふるまいにおいて、数字に直すことができ、方程式で書くことができる>という科学的世界観は、資本主義、グローバリズム、進化心理学、社会的ダーウィニズムによって支えられている。

 科学的世界観に正面切って闘いを挑んだのは小林秀雄だったが、茂木氏はその講演テープに大いに触発されたという。<数に表せない経験の質を切り捨ててきた科学は、人間の意識の働きを扱えない>と方向転換し、<時間と空間を超え、かつて存在したもの、未来に出会うもの、どこにも存在しないものに思い巡らすこと>、即ち「仮想」を軸に世界と向き合うようになる。仮想を脳科学語で表した「クオリア」(感覚質)の解明こそ、氏のメーンテーマなのだ。本書では尊敬してやまない小林秀雄、一葉、漱石、ワグナー、「源氏物語」、「枕草子」、小津作品を俎上に載せ、仮想の意味を説いている。小林が亡き母の霊と蛍を重ねた経緯に思いを馳せ、「東京物語」における父親の心理を分析している。いずれの論考も柔らかくて奥深く、緻密で示唆に富んでいる。

 茂木氏は<認識は現実社会を出発し、仮想世界をその本拠とし始める。真理も美も善も仮想の世界の要素である>と記している。現実と仮想の差異を、<意識の中に現れるのはすべて仮想であり、そのうちで現実を映し出すものを現実と呼ぶ>と定義すると同時に、仮想で追求すべき価値を、現実社会とマッチングすることを戒めている。俺流に噛み砕いてみる。「自由」を「制度的自由」に求めても解決には至らない。「自由」を押し売りするアメリカが「自由の墓場」でありうることは、前稿の最後に示した通りだ。

 釈迦の問答を例に挙げた一節には感銘を受けた。形而上の質問に対し、釈迦は答えなかった。いわく「毒矢の当たった者が、毒矢の本質を尋ねているようなもの。私は毒矢を抜く方法を教える」……。<科学=毒矢の本質>であり、人間にとって必要なのは痛みからの解放なのだ。生の切実さによって生まれた仮想こそが魂の自由を支えるものと、茂木氏は説明している。この部分で頭に浮かんだのは、ベルナール・ヴェルベールの「タナトノート」だ。同書もまた、生の深淵を解きほぐす引用と分析に満ちている。

 年長者はヴァーチャルリアリティー世代の希薄な現実感に眉を潜めるが、ゲームにおける殺人と現実の殺人(戦争やテロ、飢餓を含む)にいかほどの差異があるだろう。駆け引き、欲望、打算、支配欲に裏打ちされた現実の恋愛より、仮想上の恋愛の方が純粋なのは言うまでもない。茂木氏は<テレビゲームという仮想と、私が繰り返し見るこの世のものとは思えない美しく息づいた仮想(夢)の距離は、私たちが思うよりきっと近い>と述べ、ゲームの可能性を評価している。

 <仮想の世界の奥深さによって、現実を認識するコンテクストの豊かさが決まる>のであり、仮想する力こそ、変化の原点だと茂木氏は考えている。仮想を現実に転じてみせたキリスト(復活)とフーディーニ(脱出マジック)をトリックスターという断面から対比し、<この世でもっとも神聖に見えるものと、もっとも卑俗に見えるものの起源は、しばしば無意識の深いレベルにおいて通じ合っている>と興味深い分析を示していた。

 本書で想起したのは、是枝裕和監督の作品だった。「目に見えるもの」と「目に見えないもの」、「形あるもの」と「形のないもの」の境界を行き来しつつ、ともに後者を志向している。二人はくしくも同じ年(62年)生まれでもある。読了後、刺激的な内容に、脳が腐食した俺でさえ、しばし詩的なイメージに浸ってしまった。即ち<宇宙とは、他者とは理解し合えぬ人間の孤独が造った「仮想」の闇である>……。表現者を志す若人、広い意味でアートを愛する人、「10代の荒野」から抜け出せない人にはお薦めの作品である。

 茂木氏は「第二の吉本隆明」って気もする。そういや吉本氏には、「第二の小林秀雄」と評された時期があった。<小林秀雄⇒吉本隆明>を継げるかはともかく、茂木氏がいずれ(既に?)、日本の論壇をリードする存在であることは間違いない。

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「クレイドル・ウィル・ロック」~ティム・ロビンズの才気

2005-10-24 02:59:45 | 映画、ドラマ

 BS2で録画した「クレイドル・ウィル・ロック」(99年)を見た。ティム・ロビンズが監督、脚本を担当した作品である。同時並行で進行する複数のストーリーが、エンディングに向かって収束するというパターンこそ、アルトマン流の「映画の文法」だが、ロビンズは巨匠の作品に出演することで、多くを学んだに相違ない。本作の台詞には、ロビンズの才気と演劇への造詣が滲み出ていた。

 1936年から翌年にかけてのニューヨークが舞台だ。ヒトラーとムソリーニの台頭、スペイン戦争、ファシスト政権に加担する資本家たち、国内で頻発するストと、緊迫した政治状況を背景に描かれている。保守派から容共的と批判されたルーズベルトのニューディールだが、その一環で立ち上げられた「フェデラル・シアター・プロジェクト」(連邦演劇)にも、リベラルや共産党員が結集していた。

 多くのキャラクターが交錯する群像劇だが、オリーブとマークが作品の主人公であることが、オープニングで示されている。大恐慌後、農村から都市に流入した少女たちは不安定な生活を送っていたが、オリーブもその一人だった。ねぐらにした映画館を追い出され、街をさ迷うオリーブは、ピアノの音に足を止める。見上げた視線の先、作曲家のマークが生みの苦しみを味わっていた。

 マークは労働争議への共感と弾圧への抗議を込め、「クレイドル・ウィル・ロック」を完成させる。連邦演劇に持ち込み、オーソン・ウェルズの演出で舞台化が決定するが、オリーブに与えられた役柄は、まさに自身の過去(渡りの娼婦)だった。オリーブが劇団に潜り込めたのは求人担当のヘイゼルのおかげだったが、当のヘイゼルは腹話術師クリックショーらの協力を得て、非米活動調査委員会(赤狩りの先駆)で内部告発し、「クレイドル――」を窮地に陥れていく。

 ネルソン・ロックフェラー、ディエゴ・リベラと妻のフリーダ・カーロ、ムソリーニの愛人兼広報担当のマルゲリータ、ブレヒト(マークの幻想)ら、実在の人物が作品中に登場する。「市民ケーン」のモデルである新聞王ハーストをウェルズともどもシナリオに織り込むあたりが心憎い。トロツキー支持者のリベラが、独占資本主義の象徴、ロックフェラーセンターの壁画を描くという設定も、タイムラグはあるが実話である。描き込まれたレーニンの顔に、国中が大騒ぎになったという。

 「クレイドル――」は中止に追い込まれ、組合も政府の決定を追認した。身動きできなくなったスタッフたちは、「人民劇場」を準備する。マザーズ製鉄経営者の妻コンスタンス(通称伯爵夫人)は、ファシストに肩入れする夫への反発もあり、ウェルズたちに協力する。同じ頃、クリックショーは最後の舞台に立っていた。客席には思いを寄せたヘイゼルの姿があった。自分の中で分裂が生じ、人形が「インターナショナル」を歌い出すと、閑散とした客席がさらにまばらになっていく。クリックショーが袖に消えると、置き去りにされた人形が台から落ちた。

 満員の劇場でマークの弾き語りが始まる。オリーブがデュエットに加わるや、客席に陣取った俳優たちは良心を覚醒させ、次から次へと輪に加わっていった。資本家たちの空疎な仮装パーティー、破壊されるリベラの壁画、クリックショーとヘイゼル、人形の葬儀がカットバックし、魂が揺さぶられる結末へと加速していく。

 ラストシーンは謎めいている。人形の棺が担ぎ出された表通りは、現在のニューヨークなのだ。アメリカは「自由を育むゆりかご」ではなく、「自由の墓場」になったという強烈な風刺が、エンディングに込められているのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ディープの相手にフジとヤマト~菊花賞も堅実予想で

2005-10-22 01:56:00 | 競馬

 「馬の能力はこっち(ラインクラフト)が上だし、仕上がりも万全。騎手の差で(エアメサイアに)負けないようにします」……。秋華賞追い切り後の福永のコメントは、誰より本人を縛ったはずだ。レースの結果に微妙な影響を与えたのではなかろうか。

 さて、菊花賞。相手に恵まれた感もあり、ディープインパクトに死角はない。連対候補筆頭に、長距離向きのアドマイヤフジを挙げる。母アドマイヤラピスは2400~3000㍍で、一線級の牡馬と互角以上の戦いを見せていた。ローゼンクロイツも有力だ。輸送が苦手らしいが、関西圏では【3・2・1・0】と良績を残している。名牝ユーザーフレンドリーの孫、ゼンスピリッツにも期待していたが、残念ながら回避してしまった。

 水曜発行の東スポに、ディープにとって気になるデータが掲載されていた。前身の毎日時代を含め、ロッテV年には必ず2冠馬が誕生するという。クモノハナ(50年)、コダマ(60年)、タニノムーティエ(70年)は皐月賞、ダービーを制したものの菊花賞で敗れ、3冠を逃している。74年のキタノカチドキはダービー3着で、皐月賞、菊花賞の2冠馬だった。ジンクスが生きているのか注目したい。

 福永(フジ)は中団キープ、アンカツ(ローゼン)は4角先頭と、それぞれディープ打倒作戦を明かしていた。宣言通りなら、先行勢には厳しいレースになりそうだが、「馬っ気」ならぬ「人っ気」が過ぎれば馬に要らぬ負担を掛け、ゴール前で失速する可能性もある。ディープが人気薄の追い込み馬を連れてくるとしたら、ヤマトスプリンターかもしれない。近親はダートの短距離馬ばかりで、同馬も芝は1年ぶりだが、母系にはアンバーシャダイ(有馬記念、天皇賞)、プレストウコウ(菊花賞)の血が流れている。父が菊花賞馬マヤノトップガン、鞍上が「21世紀のマーク屋」池添というのも心強い。命名者の思惑を裏切り、「ヤマトステイヤー」の血が淀の長丁場で爆発しても不思議ではない。

 結論。◎⑦ディープインパクト、○⑤アドマイヤフジ、▲④ローゼンクロイツ、注②ヤマトスプリンター。馬券は3連単で⑦を1着に固定し、<⑦><⑤・④・②><⑤・④・②>の6点、馬単で⑦②1点。②からのワイドもオッズ次第で買ってみたい。アクシデントがあった場合を想定し、⑤④②の単勝も少し押さえるつもりだ。「富士」に「大和」と、キーワードはジャパネスクってことか。

 GⅠシリーズが佳境に入ったと思ったら、日本シリーズが始まる。阪神にはブランクが痛く、プレーオフを勝ち抜いたロッテの勢いに押し切られそうな気がする。いずれのチームにも思い入れはないが、その分ゆったりゲームを楽しみたい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ペンギンの憂鬱」~ウクライナの春樹風

2005-10-20 02:30:22 | 読書

 今回は「ペンギンの憂鬱」(新潮クレスト・ブックス)を紹介する。著者はアンドレイ・クルコフで、舞台はウクライナの首都キエフである。売れない作家のヴィクトルは恋人に去られ、唯一の友がペンギンのミーシャという冴えない状況にある。小説を持ち込んだ「首都報知」の編集長に、「十字架」と呼ばれる仕事を依頼された。著名人の追悼記事を生前に準備するのが実際の作業である。ヴィクトルはスキャンダルや怪しい人脈を巧みに織り交ぜ、「十字架」を蓄積していく。

 会う約束をした支局の特派員が射殺されるわ、唯一取材した国会議員が急死するわ、自らの「作品」が次々に掲載されるわ、ヴィクトルの周辺で不幸な事件が連鎖反応のように起きていく。ミーシャという男に追悼記事を依頼されたが、対象は後ろ暗い過去を持つ者ばかりだった。匿名性に守られているとはいえ、書くという自らの行為が死を招く事態に、ヴィクトルは疑心暗鬼に陥っていく。

 人間のミーシャが姿を消し、娘のソーニャを預かることになる。ヴィクトル、ソーニャ、ベビーシッターのニーナに、ペンギンのミーシャを加えた「4人」は、「仮初の家族」を淡々と演じていく。居心地はよかったが、平穏な日々は続かない。「君の仕事も、ついでに君の命も必要ないって段になったら、その時すべてがわかる」と編集長に仄めかされたヴィクトルだが、その首根っ子は見えざる手にしかと掴まれていた。

 ヴィクトルとペンギンのミーシャは、互いを写す鏡のように描かれている。ミーシャの憂鬱症はヴィクトルの資質と同じで、ミーシャの心臓疾患はヴィクトルの危機と軌を一にして悪化する。ミーシャがヴィクトルの代わりにマフィアの葬儀に参列するという設定に、作者の秘めた意図を感じた。<ミステリアスで不条理な物語>を象徴するのが、<ヴィクトル⇔ミーシャ>を暗示する謎めいたラストだ。作者はペンギンを飼った経験はないというが、ミーシャの描写は極めてリアルで、感情と思考を併せ持つ存在として擬人化されている。

 本書の背景にあるのは、マフィアの突出と頻発する政治テロに起因する社会の混乱だ。米ドルが流通し、限られた者だけが富を掠め取っている。発表後9年、ウクライナの政情は<オレンジ革命>を経ても不安定なままだ。西側(民主主義への志向)とロシア(石油など多くの資源を依存)とのバランスを保って舵を取るのは、至難の業といえそうだ。

 本書に村上春樹の影響を感じたと、訳者は「あとがき」に記している。クルコフ自身、「羊をめぐる冒険」をお気に入りの作品に挙げているという。俺が親しみを覚えているのは村上春樹ではなく、カフカ、フィッツジェラルド、グラス、アーヴィングといった、彼が影響を受けた作家たちである。内外の春樹人気を冷ややかに眺めていたクチだが、ある仮説が頭に浮かんできた。村上春樹とは、上述の作家たちの精神を柔らかな文体にくるんで次代に伝える<触媒>である……。的外れかもしれないが、「ペンギンの憂鬱」が春樹ファンに受け入れられることは間違いない。

 それにしても、クレスト・ブックスは粒揃いだ。本書以外に、「ホワイト・ティース」(ゼイディー・スミス)、「朗読者」(ベルンハルト・シュリンク)、「停電の夜に」(ジュンパ・ラヒリ)、「ウォーターランド」(グレアム・スウィフト)などを読んだが、いずれも心に残る傑作ばかりだった。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プレイバックPARTⅢ~仁義が消えた73年

2005-10-18 02:12:35 | 戯れ言

 2週間前のこと、第1次石油危機が誘発したトイレットペーパー騒動の映像が流れていた。「真相」(テレビ東京)で、「参戦」した身には懐かしい思い出である。今回は1973年、17歳の頃について記してみたい。

 「真相」によると、きっかけはテレビ番組だった。中曽根通産相(当時)は石油危機がさまざまな方面に波及することを説明し、合理的な紙使用を国民に訴えた。敏感に反応したのが千里ニュータウンの住民だった。汲み取り式から水洗式への移行期であり、トイレットペーパーが消えたら用を足せなくなるという<恐怖>が導火線になったという。俺の育った京都郊外は<震源地>に近く、我が家もパニック拡大に寄与した。中曽根氏といえば、今じゃ分別を弁えた「保守派の重鎮」だが、戦後の政治家では並ぶ者のない「暴言王」である。あの年もイランの首相に「日本は王制の国」と述べ、国会審議をストップさせていた。

 資源の枯渇に警鐘を鳴らしたのが「成長の限界」(ローマクラブ編)である。仲が良かった同級生が同書に感銘を受け、「自分はいずれ日本のエネルギー問題を担う」と宣言した。4年前、彼のことを思い出して検索すると、多くの項がヒットする。「通産省のエース」という表現、首相就任前の小泉氏に<改革>を提言したという記述に、当人の訃報も交じっていた。天才と謳われた彼だが、「純」と「鈍」が素であることを俺は知っている。俺みたいなグータラが生き長らえていることに、複雑な思いを禁じえない。

 あの年に起きた「金大中事件」で政治に目覚めた。受験科目に選択する生徒が少なかったこともあり、現代社会の授業は格好の息抜きで、担当教師も「金大中事件」など時事問題を頻繁に取り上げていた。年末に封切られた「燃えよドラゴン」が大フィーバーを引き起こす。教室でも「アチョー」という掛け声でブルース・リーの動作を真似る者が続出した。本作はハリウッド資本によるリーの遺作だったが、翌74年、香港時代の主演作が次々に封切られた。どの作品にも登場する「醜い日本人」に大きなショックを受けた。アジアの日本への厳しい見方を端的に示していたのが、ブルース・リーらのカンフー映画だった。

 屁理屈をこねてしまったが、俺が当時、何より気に懸けていたのは、片思いの行方とプロ野球の結果だった。当時は熱烈な巨人ファン(後にアンチ巨人、今は無関心)で、阪神との熾烈な優勝争いに一喜一憂していた。甲子園の最終戦で9-0と圧勝してV9を達成した巨人ナインを、乱入した阪神ファンがベンチまで追いかけた。

 大場政夫が事故で亡くなり、あしたのジョーが灰になって召されたのも73年だった。ミック・ジャガーが入国を拒否され、ストーンズの武道館公演は幻に終わる。停学覚悟で上京する予定だった同級生は、落胆の色を隠さなかった。「日本沈没」とともに日本中を席巻したのは「仁義なき戦い」シリーズである。「義」だけでなく「情」と「信」も風前の灯になり、代わりに「理」「利」「知」が幅を利かせ始める。73年とは精神的にも構造的にも、日本にとっての過渡期だった。

 日付が変わり、小泉首相の靖国参拝を知った。高裁判決を受け自粛するかと思ったら、そうでもなかった。ブログでも何度か取り上げてきたし、今更あれこれ述べる気はしない。<9・11>の必然的帰結ということか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザ・キュアー~モノクロームでカラフルな万華鏡

2005-10-16 02:15:06 | 音楽

 今回は予告通り、キュアーを取り上げる。<モノクロームでカラフルな万華鏡>とは明らかに矛盾する表現だが、キュアーのファンなら納得されるに違いない。キュアーとはバンドというより、ロバート・スミスという怪物が、自らの天分を発揮するために準備した<形>といえる。メンバーチェンジは頻繁だったが、<ロバート・スミス=キュアー>という構図は変わることはない。

 デビュー当時のロバートは、商業的成功に無頓着だった。カミュの「異邦人」をモチーフにした“Killing An Arab”でデビューするなど文学通で、安部公房やカフカに言及したインタビュー記事を読んだ記憶がある。3rd“Faith”で地歩を固めたロバートは、スージー&バンシーズにギタリストとして加入した。バンシーズにインスパイアされたのか、4th“Pornography”は暗いトーンに貫かれていた。80年代中盤、“Top”~“The Head On The Door ”~“Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me ”を立て続けに発表し、UKシーンで存在感を増していく。

 ニューウェーブを総括する大傑作“Disintegration”(89年)を経て、“Wish”(92年)がビルボードのアルバムチャート2位を記録する。カルトヒーローがようやくアメリカで認知されたのだ。静謐でメランコリックな“Disintegration”と開放感に満ちた“Wish”が、キュアーにとってツインピークスといえる。“Wish”以降の3枚のアルバムの中では、“Bloodflowers”(00年)が枯れた境地を示す佳作だった。

 “In Orange”(87年)と“Show”(93年)がともに廃盤で、入手可能のライブ映像はベルリン公演を収録した“Trilogy”(03年)だけだ。“Pornography”、“Disintegration”、“Bloodflowers”の3枚のアルバムを全曲演奏するという画期的な試み(3時間半)で、キュアーの凄みに触れることができるお薦めアイテムだ。

 ポストパンクのトップランナー、UKオルタナの旗手、ゴスの先駆者、ポップの求道者……。キュアーは幾つもの形容詞で語られる。どれもが一面を言い当てているが、全体像は霧に霞んでいる。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ドアーズ、デヴィッド・ボウイ、ジョイ・ディヴィジョンらの精神を継承して膨らんだのがキュアーで、その<ブラックホール>に後進のアーティストたちが、列をなして齧り付いている。ストーン・テンプル・パイロッツ、ナイン・インチ・ネイルズにもキュアーの影響は感じられるし、昨年の全米ツアーにはミューズ、クーパー・テンプル・クロース、インターポールら自他ともに認める「キュアー・チルドレン」が帯同していた。

 別稿(8日)で触れた浅井健一(ベンジー)も同様だ。好きなギタリストを尋ねられ、「スージー&バンシーズのギタリスト」と答えていた。バンシーズ来日時のギタリストはロバート・スミスである。“Last Dance”はブランキーのファイナルライブを収録した作品(CD、DVD)のタイトルだが、“Disintegration”に同名の曲が収録されている。シャーベッツの「フクロウ」のジャケットは、“Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me ”の裏ジャケットと酷似していた。何よりキュアーへの傾倒が窺えるのは、ブランキー以降のベンジーの歌詞だ。イメージの連なりを紡いでいく手法を確立したのは、ロバート・スミスその人である。

 最後に、リーズ留学中の後輩から届いたメールを紹介する。さすが本場というべきか、コールドプレイ、フー・ファイターズ、ステレオフォニックスなど、関心あるライブは目白押しだが、チケット代が日本の倍というケースもあるという。オアシスを巧みに利用し、ボノやゲルドフを手玉に取ったブレアだが、ロックに恩恵を受けている割に、ファンには還元していないようである。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ開設1周年~秋華賞はあっさりと

2005-10-14 14:32:15 | 競馬

 1年前にブログを始めた。最初のお題は秋華賞だったから、本稿はまさに1周年記念である。せっかくのメモリアルだが、すこぶる気合が入らない。馬の能力、鞍上、臨戦過程、調教など、いくら検討してもエアメサイア―ラインクラフトの1、2着は動きそうにないからだ。

 無理筋を承知で連穴候補をピックアップする。まずは2歳女王ショウナンパントル。展開に恵まれず、騎乗ミスもあった紫苑Sで連対する辺り、復調の兆しが窺える。もう一頭はニシノナースコールだ。恵量とはいえ、前走の五頭連峰特別は好内容だった。横山典騎手の思い切った騎乗に期待したい。

 結論。◎⑩エアメサイア、○⑤ラインクラフト、▲⑫ショウナンパントル、△⑪ニシノナースコール。3連単で⑩を1頭軸に、<⑩・⑤・⑫><⑩・⑤・⑫・⑪><⑤・⑫・⑪>の10点。馬券的な面白さなら府中牝馬Sの方か。実に難解なレースである。

 1周年ってことで、この間のアクセスIP数の推移を記してみる。昨年10~11月、職場のパソコンからのアクセス、友人への依頼、後輩への閲覧指令など、<やらせ>を駆使したにもかかわらず、30前後にとどまっていた。GⅠ予想でトラックバック(TB)を活用するようになり、有馬記念で70を超えた。競馬ファンさまさまの<第1期バブル>だったが、年を越すと40~50に落ち着くようになる。

 3月初旬、「A級順位戦観戦記」を「渡辺明ブログ」にTBした。渡辺竜王は次代を担う棋界のホープで、そのブログは一日のアクセスIPが4500以上と、gooランキングでベスト10の常連である。無謀なTBで100を超えたが、<第2期バブル>は瞬く間に終息する。これぞリバウンドの典型で、3月下旬には30台にまで落ち込んだ。その後、ping送信するポータブルサイトを増やすなど策を弄し、緩やかな右肩上がりになる。春のGⅠシリーズを経て75~100で安定するようになった。

 そして9月。爆発的な<第3期バブル>が訪れる。選挙についての記事で200を2回超えたのだ(MAX275)。何と3倍増である。<9・11>以降は150前後に落ち着いたが、ミクシィ登録の効果で盛り返した。ゲバラや寺山修司のコミュニティーなど大盛況(2000人以上)で、参加者のホームページに<足あと>を残すと、お返しもある。基礎票140~150、ミクシィ経由30~50で、一日平均190前後……。これが当ブログの最新アクセス状況だ。<ドンキー風雑貨店ブログ>に付き合ってくださる方に、この場を借りて感謝したい。

 ブログを開設したおかげで<営業>の面白さを知った。視聴率に一喜一憂するテレビ局関係者の気持ちも、少しばかり理解できた気がする。最大の成果はというと、ブログをきっかけに、メールのやりとりなどパーソナルな交流が始まったことだ。無職の身には得難い機会である。ブログを始めて良かったと、しみじみ思う今日この頃だ。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「裸の十九才」~永山則夫の発見

2005-10-12 03:39:31 | 映画、ドラマ

 日本映画専門チャンネルで「裸の十九才」(70年、新藤兼人)を見た。永山則夫による連続射殺事件をテーマにした作品で、25年ぶりの観賞だった。新藤監督は撮影当時58歳。永山とは年齢差が大きく、俯瞰の目で描いていた。永山と母を二つの軸に据え、回想(悲惨な少年時代)と現在(犯行前後)がカットバックする形で、物語は進行する。役名は山田だが、本作はドキュメンタリーの要素も強く、以下も永山と記すことにする。

 冒頭、永山は米軍基地の金網の前に佇んでいる。子犬を蹴るシーンに、殺伐とした内面が滲んでいた。自衛隊受験の際、「国の保証付きで人殺しやったら面白いぜ」と友人に話すエピソードが紹介されていた。暴力への志向を秘め、10代にして一生分の憤怒を超えていた永山が、あまりにたやすく拳銃を入手した。

 集団就職で青森から上京後、永山は職場を転々とする。密航に失敗して保護観察処分を受けてもいる。方言を話さず、常に身なりを整えていた。別の何かになりたいと願いながら、自らのルーツから逃れられない。放浪への憧れ、家族の呪縛、変身願望、現実と夢との曖昧な境界線、虚言癖……。永山にシンパシーを抱いたのが寺山修司だった。幾つかの作品でモチーフにしたが、永山の方は拒絶したという。自らが<捨てられた少年>で壁の向こうの<殺人者>なら、寺山は<庇護された少年>で<眩いばかりの文化人>……。想像の域は出ないが、「俺たちの距離は絶対に詰まらない」という思いが、永山の側にあったのかもしれない。

 事件が起きたのは68年である。三派系全学連を大衆が支え、チンピラやフーテンも街を闊歩していた。本作にも国際反戦デーで無法地帯と化した新宿など、当時の状況が実写で挿入されている。一括りにされがちだが、怒りの種火は別々だった。その点を新藤監督は冷静に見据えている。永山は逮捕後、面会に訪れた母に、「何で俺を網走に置いていったのだ」となじる。母は「堪忍して」と手を合わせ、監獄に戻る息子を見送った。新藤監督は<ある家族の物語>として、作品を収斂させたのか。
 
 「私は生きる。せめて二十歳のその日まで。北国の最後と思われるその秋で、私はそう決める」……。永山のモノローグで映画は終わる。寺山の「捧ぐ! 永山則夫への70行」と題された詩は、この言葉にインスパイアされて書かれたものという。

 淡々と永山を演じた原田大二郎を、草野大悟、戸浦六宏らの芸達者が支えていた。母親役の乙羽信子の体を張った演技に驚かされたし、トモコを演じた故太地喜和子の存在感に圧倒された。<永山則夫の発見>というべき作品だったが、再見して妄想に入ってしまった。大島渚か今村昌平、あるいは黒木和雄がメガホンを執っていたら、どんな永山像が提示されたのかと……。獄中で数々の手記や小説を著した永山だが、97年に死刑が執行された。享年48歳である。47歳で召された寺山と、あの世で仲直りしたと信じたい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする