涙腺が固い質だからか、「あの映画で泣いちゃった」なんて言葉を聞くと、当人の本性を疑ってしまう。涙はしょせん免罪符で、泣いた後、人は酷薄になるのではないかと、意地悪な見方をしてしまうのだ。そんな俺だが一度だけ、映画館で涙が止まらなかったことがあった。「異人たちとの夏」(88年、大林宣彦)である。再び泣くことを覚悟し、スカパーで放映された本作を17年ぶりに見た。
ストーリーを以下に……。主人公の原田(風間杜夫)は人気脚本家だが、業界の仕組みに縛られてもいる。別れた妻が友人(永島敏行)と交際するなど、40歳になっても不惑でいられない。シナリオハンティングで東京の地下を訪れた原田は、仲間とはぐれた際、時空を超える通路を見つけた。生まれ育った浅草で、亡き両親と出会うのだ。タイムスリップのシーンでは画面がセピア調になるなど、映像的にも工夫がなされていた。
柔らかな死生観、ユニークな仕掛け、ノスタルジック、ホラータッチ……。大林作品に見られる様々な要素に、母親役の秋吉久美子と恋人(ケイ)役の名取裕子がエロチックな風味を加えていた。友情出演の顔ぶれも楽しいが、最大の見どころは父親役の片岡鶴太郎だ。見栄っ張り、職人気質、さりげなさ、気風の良さといったひと昔前の江戸っ子を演じ切っていた。プッチーニのアリアが印象的だが、曲名が「わたしのお父さん」という辺りに、制作側の意図を感じた。
異人(両親)たちとの再会で安らぎを得た原田だが、頻繁に訪れるうち、老化の兆しが現れる。ケイに説得され、原田は両親との別れを決意する。親子の最後の夕べは儚いファンタジーとして胸に迫るが、浸る間もなくホラーに転じる。ラストには違和感を覚えるものの、生死を超えた人間の絆を問い掛ける作品であることを、あらためて実感した。
原作は山田太一氏の同名小説だが、「シューレス・ジョー」(キンセラ)に影響を受けたことは明白だ。「シューレス――」を映画化したのが「フィールド・オブ・ドリームス」(89年)で、幽霊の父親が息子とキャッチボールするシーンなど、本作と重なる部分が大きい。「ゴーストもの」で一番のお薦めは「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」(87年)だ。本作とは逆に、ホラー調で始まりファンタジーで終わる。レスリー・チャンとジョイ・ウォンの悲恋物語でもあり、香港映画の勢いを思い知らされた作品だった。
心身の湿度が当時と違っていたせいか、今回は泣くことはなかった。青春期には洪水と旱魃が交互に訪れるものだが、30代前半にはそんな気候がぶり返すこともある。本作を見たのは雨季の最中だったのだろう。次回は「涙シリーズ第3弾」として、読了後に涙が止まらなかった唯一の書物を紹介する。ちなみに「第1弾」はマニック・ストリート・プリーチャーズの稿(2月12日)である。初めて泣いたライブが今年だったとは、俺はまだ干上がっていないのか。