プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★相撲は国技か?

2007-10-14 15:13:14 | 日記・エッセイ・コラム

 大相撲の世界は、長い間、封建的で閉鎖的な社会として容認されてきた。が、ここへ来て相次ぐ不祥事の連続に、世間の風当たりは強い。

 大相撲ファンの多くは、「相撲は国技」と信じ込んできたし、国技だからこそ隆盛を期待している。しかし、度重なる八百長疑惑や、朝青龍問題、ついには、時津川部屋での死亡事件まで起きると、「相撲協会とはなんぞや?」と疑問視せざるを得ない。本場所での優勝力士に、「天皇賜杯」や「内閣総理大臣杯」などが贈呈されると、あたかも「国技」だと錯覚する。

 相撲協会は、財団法人であり、その事業を管轄するのは文科省にはなっているが、法律で正式に国技と定義したものは何もない。要するに、「相撲は国技」として慣行的に定着しているに過ぎない。

 世界的にみても、その国で発祥した競技であったり、国の機関が特別の地位・待遇を付与したもの等、さまざまだ。そう理解すると、「日本の国技」は、競技人口の多い野球でもサッカーでも良いことになる。柔道や体操、水泳等々、かつてのお家芸も同列だ。すべてのスポーツは走ることが基本だから、いっそのこと、マラソンを国技としたって構わないことにもなる。

 相撲は、歴史が古く、日本の伝統文化と深く結びついていたことは確かだ。だが、女性大臣が土俵に上がることも拒絶した古い思考も根強い。21世紀に相応しい国技かどうかは、その体質問題を含めて抜本的に問い直す時期だといえよう。