プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★北ドイツの旅(3/10):ハンブルク

2014-09-30 09:15:21 | 旅行記

016 前半の3日間は、ハンブルクに連泊して、リューベック、ブレーメン、ハーメルンを巡り、ゴスラーへと向かう行程。

 ハンブルクは、ベルリンにつぐドイツで2番目に大きい都市で、人口は約180万人。正式には、「自由ハンザ都市ハンブルク」と称し、港湾都市として、今もなお北ドイツ経済の中心として活気がある。

007_2008 町の中心部に位置するアルスター湖周辺は、緑が多く、世界各国の領事館が立ち並び、その数はニューヨークに次ぎ、世界第2位。「落葉樹の樹高を超える建物を禁止する」ユニークな条例があり、大富豪の住まいが、ゆったりした景観と調和し、ひときわ目をひいた。

 ハンブルクは、メルケル首相の出身地として知られるが、ほかにもメンデルスゾーンやブラームス、更には、振動数の単位になっている物理学者ヘルツ等、世界的な著名人を多く輩出している。

 一方、港湾都市特有の俗っぽい下町もあって、レーバーバーンは「世界でもっとも罪深い1マイル」と称される歓楽街。ビートルズが世界的に有名になる前、活動していた所だが、日本人にはあまり知られていないようだ。

 私は、ベルリンよりもハンブルクが好きなので、2連泊を歓迎したが、ホテルが中心部から離れていて、アルスター湖周回ジョグ(約8㎞)が叶わず、残念だった。

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★北ドイツの旅(2/10):プロローグ

2014-09-29 09:04:41 | 旅行記

018088_2 北ドイツを巡る7日間の旅は、ハンブルクとゴスラーでそれぞれ2泊し、カッセルに1泊して、ハンザ街道とエリカ街道、そして、メルヘン街道の一部を巡った。

 今回のツアーを選んだのは、過去4回のドイツ旅行で訪れる機会が無かったゴスラーやゲッティンゲン、カッセルを網羅していたこと。

050125 個人旅行で、これらの都市を巡ろうと計画していたが、ドイツ語の学習がはかどらず、幻と化す危険性があったので、躊躇なく申込んだ。また、「本ツアーは、リピーター向け」とうたってあり、深みある話を期待した。

157_2 総勢17名の大人数で、顔ぶれも30代からアラ80と幅があり、期待が膨らんだが、予想に反して、話題は、過去の訪問国の思い出や自慢話ばかりで、うんざりし、話の輪に入らなかった。

 帰国して1週間近く過ぎたが、時差ぼけいまだ解消せず、フィジカル・メンタル両面の不安も増し、団体旅行の卒業時期が近づいたと痛感している。

 次回以降、名所案内は、旅行ガイドブックに譲り、エピソードを切り口としてお伝えして行きたい。

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★北ドイツの旅(1/10):旅は日本橋から

2014-09-28 09:10:07 | 旅行記

005004 羽田空港の国際線ターミナル4階には、日本橋界隈を再現した一角がある。「旅立ちは 昔も今も日本橋」の立札を見ながら橋を渡り、40店舗ほどが軒を連ねる江戸小路に足を踏み入れると、不思議な感覚に包まれる。

003 9月17日、私達夫婦の北ドイツを巡る7日間の旅は、羽田12:20発のルフトハンザ航空0715便で始まった。

 今年3月末、羽田発の国際線が増便されたのに伴い、ルフトハンザが、ANAとアライアンスを組み、羽田~ミュンヘン、フランクフルト間の直行便を就航させたおかげで、金沢からのアクセスが格段に良くなった。

 以前なら、成田・関空いずれを利用しても、前泊や後泊を伴うところを、出発当日の朝に家を出て、午前9時50分の集合時間に間に合ったし、帰国日のうちに金沢へ戻ることが出来た。

 羽田を発って、約12時間後の現地時間17:25(時差7時間)にミュンヘンに到着。1時間40分の待ち合わせで国内線を乗り継ぎ、ハンブルクに着いたのは、20:30分。入国審査を受け、ホテルにチェックインしたのは、22時に近かった。

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★便りのないのは、、

2014-09-10 09:54:38 | 日記・エッセイ・コラム

 9月6日(土)、名古屋で開催された懇親会に欠席した私に、友人が会合の様子を写真を添えてメールで知らせてきた。

 当時(27年前)の上司が80歳になった節目に集まったのだが、メンバーが全国各地に散らばっていたにも拘わらず、予想以上の出席率で盛会だった様子が伝わってきた。

 会社始まって以来とも言える一大プロジェクトで、それから数年間、東京・アメリカを股にかけて、苦労を共にした仲間ばかりなので、結束が強かった。

 過労死こそ出なかったが、過酷な労働条件に耐えられず、職場放棄した社員のフォローやトラブルに翻弄されたこともあった。

 最後に、「10年後の再会」を約して散会したらしく、「金沢で開催するから、幹事役を宜しく」と欠席裁判にかけられてしまった。

 日頃、「便りのないのは良い便り」とマイ・ペースを決め込んでいたが、一通のメールで、過去にタイム・スリップし、当時の思い出をしみじみ噛みしめている。

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