プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★データいろいろ

2004-08-24 11:39:41 | 日記・エッセイ・コラム
  ある調査で、興味深いデータを見つけた。
「一番住みたいと思う都道府県は何処か?」との問いに、「北海道」と答えた人が群を抜いていた。ところが、北海道の人が答えた一番住みたいところは沖縄県。調査対象者の属性を議論するときりがないが、これが現実であり一面の真理ではないかと思う。

 私は、生まれも育ちも金沢。仕事の関係で、東京3回、名古屋・大阪と転勤したが、人生の大半は金沢で過ごしている生粋の金沢人だ。金沢といえば誰もが兼六園をあげ、「いいところですよねえ」「魚が美味しい」と言葉をつなぐ。訪れたことがある人は、東山界隈や長町武家屋敷、尾山神社、忍者寺、近江町市場等の観光スポットを列挙し、自分の思い出を辿るように話を進める。当方も気楽に受け応えできるのだが、「住みよいところですよね」と言われると、いつも答えに窮してしまう。最近では、「ええ、まあ。冬場を除いてはね」と、答えるようにしている。

 金沢は、人口45万人の中規模都市だが、国の出先機関があるので北陸の中枢機能も担っており、機能的には大都市と同様の利便を享受出来る環境にある。行政或いは民間企業が調査した統計数値では、一部の社会インフラを除けば、常に上位にランク付けられている。とりわけ、食住を中心とした自然や文化的指標では抜きん出ている。図書館の蔵書数や医師・病床数(いずれも人口普及率)などは、極めて充実しているし、茶道・華道等の習い事に使う費用も多い。人間国宝の数や日展入選者数は全国一位なのも、文化度の高さを窺わせる。それもこれも、前田家が外様大名ゆえに伝統工芸・美術に力を注ぐしかなかった、いわば加賀百万石の偉大な遺産だ。

 しかしながら、統計データが示すほど、地元の人間は豊かな生活を送っていると実感していない。日本全体が豊かになったこともあるのだろうが、自己評価の基準が高くなれば、評価点も周囲とギャップが生じてしまう。沢山の評価項目で高い点数をとっても、一つでも二つでも極端に悪い項目があると、決して満足出来ないものだ。金持ちの駄々っ子が、おもちゃ屋で売っていない手作りの粗末なおもちゃに興味を示すような、”無いものねだり”に近い感情かも知れない。

 生粋の尾山っ子(金沢をかつて尾山と呼んだ)である私も加齢とともに、”ぶりおこし”と言われる冬場の雷や、除雪作業が辛くなりだした。温暖な気候の土地に転じたいとの思いが年々強くなってくる。21世紀は沖縄の時代だと思っているが、ひょっとしたら、寒さに耐えられなくなった身体が本能的に予感させるのかも知れない。

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◆オリンピックの陽と陰

2004-08-24 11:04:02 | 日記・エッセイ・コラム
 数え切れない感動を与えてくれ、メダルラッシュに沸く日本選手団の活躍。後半戦に入っても、日本選手の活躍はまだまだ続く気配だけに、寝不足気味になってしまいそう。メインポールに日章旗がはためくのは、何度見ても飽きないから不思議だ。

 人類のスポーツの祭典として、その歴史を刻んできた近代オリンピック。スポーツの世界に政治の影を落とし、テロの厳戒態勢を敷いてまで開催する必要性を問う意見もある。だが、理屈ぬきに感動を与えてくれるスポーツイベントは他には見当たらない。マスコミは日本選手団の活躍ぶりを報道するのに忙しく、開催前に心配していた警備問題などは忘れてしまったかのようだ。

 国の威信をかけ、メダル数を競うよりも「参加することに意義がある」とは、余りにも有名な言葉だが、参加国数が200カ国近くに膨張した。オリンピック発祥の地での開催だけに、いま一度、原点に立ち返りオリンピック憲章の持つ意味を謙虚に見つめ直す必要はないのだろうか。とりわけ、競技の勝敗が、個人レベルからサポート部隊を含めたチーム力で決するようになって来ている点が気がかりだ。

 平泳ぎの北島選手を支えている「チーム北島」の存在だけでなく、柔道や野球チームは食事管理のために専属の栄養士や調理人が日本から同行している。他競技チームでも監督・コーチ以外に専属トレーナー等、多数のスタッフ帯同は常識になっている。そうしないと、良い結果につながらないというのであれば、やはり「オリンピックって何のためにあるの?」との素朴な疑問に行き着いてしまうのだ。

 いっぽう、国内には深刻な問題が山積している。年金制度、イラク自衛隊派遣、沖縄米軍基地の地位協定、北朝鮮の拉致、憲法改正、領土問題、原発事故等々、何一つ明確なビジョンが示されないまま、貴重な時間が流れている。オリンピックでの躍進が、国民の日章旗と国歌に対する愛国心的な情緒感情を掻き立てるさまは、求心力を失った日本政府にとって救われる思いだろう。閉塞感漂うなかで、日本選手団の活躍は一幅の清涼剤ではあるが、五輪終了後の現実との落差が心配だ。


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★一期一会

2004-08-19 10:33:58 | 日記・エッセイ・コラム
 2004年6月6日は、予期せぬ出来事で生涯忘れられない日になった。モスクワに近いセルギエフ・ポサードにある「トロイツェ・セルギエフ大修道院」を観光中に、その報が飛び込んできた。午後1時過ぎ、ツアー同行客の老人が交通事故で即死したのだ。

 彼は80歳をこえる高齢だったが一人参加の元気者だった。同行者から離れて一人で写真をとりまくる姿は、如何にも行動派の印象を受けた。お孫さんが一人だけの天涯孤独の身で、写真をいっぱい撮ってお土産にするのだというのが、私と交わした最後の会話だった。ツアーも後半にさしかかり、さすがに疲労が溜まったらしく、その日は昼食後の観光を辞退し、バスに居残り休憩したいと添乗員に申し出た矢先のことだった。

 おりあしく、雨が降り出したのでバスへと歩を速めた時、ツアー客の一人が「あのおじいさんが交通事故に遭ったそうよ!」と金切り声をあげた。添乗員と現地ガイドが事故現場へ向かったと聞き、あとを追った。一瞬、目をそむけたくなるような光景がそこにあった。ついさっきまで元気に話していた老人の姿が、車道に横たわっていた。路側帯に足を向け、両足の靴が脱げて左右に飛び散っている姿に、私は金縛りにあったように呆然と立ち尽くした。ついさっきまで元気だったのに、、、、。目をさませと、動かない老人に両手を合わせた。帰りを待っているお孫さんの悲しみを思うとやりきれなかった。

 「かわいそうだわ!せめて毛布くらいかけてあげたら良いのに」。周囲の声に我にかえった。警察官は現場の交通整理にあたるだけで、なきがらはむき出しのまま路上にさらされたままだったのだ。雨脚が強くなり遺体をうつのが余計、哀れをさそった。日曜日のせいか、お国柄のせいなのか、1時間近くたってようやく救急車が到着し遺体を収容したのだった。

 皮肉なもので、同行者にその日が誕生日だという人がいた。6月6日はD-DAYで、しかも66歳の誕生日。前日、約束した誕生パーティは見送るしかなかった。旅行の最終日、添乗員が遅ればせながらと彼の誕生日を祝う小宴を用意してくれたのが救いだった。

 「一期一会」というが、今回の旅でしみじみと噛み締めた言葉だった。

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☆エルミタージュ美術館

2004-08-16 15:49:00 | 旅行記
 ルーブル、大英美術館とならび、世界を代表するエルミタージュ美術館。300万点にもおよぶという所蔵品の多さもさることながら、レオナルド・ダ・ビンチやゴッホ、ピカソ、レンブラント、ルノアール、モネ、マチス、シャガール等々、名立たる巨匠の作品が展示されているのに圧倒される。

 エルミタージュは、冬の宮殿、大小エルミタージュ、新エルミタージュ、そしてエルミタージュ劇場の5館で構成されている。とても、1日では見切れないスケールだ。皇帝達が使用した部屋や愛用品の品々も見応えがある。ヨーロッパの有名な宮殿や城を訪れたときと同様の印象を受けるに違いない。権力を誇示するために、財力を惜しみなく投入した遺産なのだ。歴然とした身分差があったからこそ、シンボリックな建造物や美術品を後世に残すことが出来たのだと思うと、何故か素直に感動出来ない。

 ロシアに限らず、イタリアやスペイン、フランス、ドイツ等が所有する美術品は、戦利品だ。ヨーロッパ大陸の殺戮の歴史を顧みれば当然のことなのだが、歴史は勝者が作るものであって、大衆は常に犠牲を強いられた背景に思いを巡らせると暗澹たる気持ちになってしまう。とりわけ、イラクでの紛争と犠牲が大義不在のまま、いつ終息するかも知れぬ現実を思うとなおさら心が痛む。

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☆サンクトペテルブルグ概観

2004-08-16 15:23:12 | 旅行記
 2004年6月。関空を発ってヘルシンキに一泊後、空路サンクトペテルブルグに入った。サンクトペテルブルグは、人口約500万人を超えるロシア第二の大都市で、美しい都市美は「北のベニス」と呼ばれ、世界遺産にも認定されている。エルミタージュ美術館とピョートル大帝の夏の宮殿が余りにも有名だが、ロシア帝国の華やかな歴史と革命と戦争という辛い過去を持ち合わせた都市だ。

 1713年から1918年までの約200年間、帝政ロシアの首都だったが、1917年の社会主義革命後、レニングラードと名を変え、1991年に再びサンクトペテルブルグとなった。首都もモスクワに移ったが、その栄光の歴史は年月の経過とともに輝きを増しているようだ。ピョートル大帝の宮殿やエルミタージュ美術館のほか、エカテリーナ宮殿や聖イサク寺院、ペテロパブロフスク要塞、マリンスキー劇場等々、実に見所が多い。

 北のベニスとの別称は、市中を流れるネヴァ川と多くの運河で形成する都市美から命名されたものだけに、クルージングがお勧めだ。船上からみる町の景観は、突出した高層ビルもなく調和がとれていて実に美しい。これも帝政時代のなごりで、皇帝の宮殿よりも高い建物を建てることが禁じられたからだという。時の為政者の権力が絶大だったことを窺い知ることができる。

 繁華街を歩いてみると、ネオンやイルミネーションを見慣れた日本人には、うらぶれた感じがする。反面、石造りの建物がより一層ずっしりと重厚感をまし、落ち着いた景観を呈している。ピョートル大帝がヨーロッパ文明を吸収しようとして作り上げた都市だけあって、バロック様式の建物が目立つが、ロココ調の繊細・優美な建造物も数多く、渾然一体となって美麗を極めている。ゆっくり時間をかけてまわるなら3日間は必要だろう。

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