プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★2010年に向けて

2009-12-26 10:08:39 | 日記・エッセイ・コラム

Kana_wedding3_232 昨年、ダニーデンでグリーン・クリスマスを過ごして、はや1年。今年の金沢は、先日の降雪で、ホワイト・クリスマスになるとの予感がはずれた。山間部の積雪量は十分なので、スキー場は賑わいそうだ。

 のんびり来年の抱負を書こうかと思いめぐらしていたら、娘から関空に着いたとの連絡が入った。駅に出迎えるだけのことなのに、落ち着かなくなってくる感情の昂ぶりが妙だ。

 離れているときには、身を案じ、一緒に居ればうっとおしくなる。血のつながりとはそういったものなのか。そういう絆があることに感謝しつつ、来週、東京から帰郷する長女を交え、加賀の温泉で新年を迎える。

 一年間、小ブログを愛読下さった皆様に感謝し、来年が今年より良くなるよう祈りつつ、1月4日まで休止します。

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★2009年の回顧②~時悠人~

2009-12-23 10:00:18 | 日記・エッセイ・コラム

 今年の世相を象徴する漢字「新」を個人レベルに置き換えると、いささか趣が異なる。若い頃と違い、限りある時間が貴重に感じられ、「日々『新』たなり」に凝縮される。

 昨年暮れ、次女がニュージーランド人と結婚し、今秋、クライストチャーチに家を新築する予定だった。私は、退職後、海外移住を検討中に病気で倒れ、断念しただけに、夢が再びふつふつと甦って来た。

 まさに、新たな門出になると思った矢先、金融不況で夫君が失業した。二人とも職を求め、オーストラリアへ移住し、私の夢ははかなく消えた。来年暮れには、パースに居を構えたいという。私には無謀とさえ思える行動力に脱帽している。今週末、娘が帰国して新築プランを説明するというが、もう関心は無い。

 一日一日を無事過ごせることが最上の喜びであり、幸せだとしみじみ思う。自分達の守備範囲を守り、周囲の人たちに迷惑をかけないで、来年も今年同様、平穏で変化の無い生活を送りたい。

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★2009年の回顧①~世相~

2009-12-22 09:40:24 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は、「冬至」。今年も余すところ10日。日本漢字検定協会公募の「今年の漢字」は「新」になった。政権交代や新型インフルエンザ、エコカー減税・裁判員制度の導入等々の世相を反映した。

 過去の漢字を並べると、一連のつながりに気付く。漢字一文字といえど、時の流れ、社会の変化を上手く表現していると感心する。

 ちなみに、2007年は「偽」で、2008年は「変」だった。偽装・偽造・疑惑等で揺れ動いた2007年の「偽り」から、2008年は色んな変化があった。ガソリンの価格変動や雇用需給変動、世界金融情勢の変化等、暗い話題が多かったが、オバマ大統領誕生の「change」は、未来(=新)への期待を抱かせた。

 2008年の「変」のうねりから「新」への期待が噴出した。「偽」「変」に象徴された自公連立政権が崩壊したのが2009年秋。国民が求めた新たな出発からまだ3カ月。大きな流れをせき止め、方向転換することは容易ではない。マスコミは、内閣支持率急降下や総理のリーダーシップ不足を問うが、早計だ。もう少し寛容の心をもって、「新」年以降に「真」の成果を問いたい。

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★町景の移ろい

2009-12-15 13:49:47 | 日記・エッセイ・コラム

13_019 13_016  12月13日、能楽発表会の幕間に、金沢現代美術館の敷地内にある松濤庵を訪ねた。加賀13代藩主斉泰が江戸・根岸に建てた隠居所を移築した茶室で抹茶を一服頂戴した。

 13_038 13_032 13_035 美術館隣りにある知事公舎の老木には雪つりが施され、連なる古民家や鞍月用水は、今なお城下町風情を留めている。13_048 13_052 美術館の東側は、石浦神社、兼六園、金沢城へと続く、金沢で最も緑の多いゾーンにあたる。13_010_2 県庁跡地の整備事業を見ながら近代文学館まで足を延ばしたが、開演時間が迫ったので引き返した。授業を受けた校舎は文学館になり、講堂やプール・テニスコート等は公園になった。城内の学び舎も郊外に移転し、市電も廃止されて久しい。かつての町の景観は、時の移ろいとともにさま変わりしたが、青春時代の思い出は消えない。年輪を刻んだ感慨と寂寥感に襲われた。

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★年忘れ謳舞の会

2009-12-14 13:19:50 | 日記・エッセイ・コラム

 13_080 昨日13日、金沢能楽美術館で篁宝会(藪俊彦主宰)の「年忘れ謳舞の会」が開催された。甥(姉の長男)が、今年の舞い納めの大役を務め、「猩々」を舞った。13_094

 私の父は、金春流の太鼓方だったが、昭和25年、私が小学校1年のとき、世を去った。姉は仕舞、長男は太鼓と地謡、次兄は太鼓と笛の修業に励んだ。が、姉と長兄は健康を害し断念し、次兄は早逝した。 13_021 私だけは稽古事をさせて貰えなかった。「この子は悪声だから謡いには向いていない」と、父が決めたことを、後年、聞かされた時はショックだった。それを機に、私は能楽の世界から距離を置くようになった。

 加賀宝生流は、北島三郎の「加賀の人」で詠まれたように、庶民に親しまれ続けてきた伝統文化だ。20年程前に、甥が加賀宝生流継承人に認定された頃から、再び、発表会に足を運ぶようになった。そのたびに、父と能楽堂へ行き、楽屋でひとり待っていた数少ない思い出と、「悪声だから、、」の言葉がトラウマとなって甦るほろ苦さをかみしめている。

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