電脳筆写『 心超臨界 』

自分の人生を変えられるのは自分だけ
代わりにできる人など誰もいない
( キャロル・バーネット )

律令天皇制の根拠――西尾幹二教授

2017-04-22 | 04-歴史・文化・社会
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【 西尾幹二、文藝春秋 (2009/10/9)、p244 】

8 王権の根拠――日本の天皇と中国の皇帝

8-4 律令天皇制の根拠

そもそも王権に正当な根拠を与えたものは何かという本項目の問いは、王権を超えていたもの、そしてまたそれゆえにそれを制約していたものは何か、という問いと同じであった。今、問題を確認してさらに先へ進める。

日本の律令では天皇を文書に表すとき、祭祀の際には天子、詔書には天皇、中国や諸蕃国(しょばんこく)(対等以下の外国)に対しては皇帝と称する定めであり、蕃国の使節に大事を宣する詔書には、明神御宇日本天皇(和訓、あらみかみとあめのしたしらすやまとのすめらみこと)、朝廷の大事を国内に宣する詔書には明神御大八洲天皇(和訓、あらみかみとおおやしまくにしらすすめらみこと)と書くことも規定してある。ここには、天皇をもって現(あき)つ神とみる思想も示されている(以上、井上光貞氏)。

律令は、これ以外に、日本国の民に対する天皇の地位、権限について直接には規定していない。明治の近代憲法や現行憲法の冒頭に天皇の地位規定があるのに比べて、注目される。

律令の令巻第八の公式令第廿一に天皇が勅命下達(ちょくめいかたつ)の際に用いる公文書の様式を規定している文章がある。詔書式としては、今上に見たように、「明神御宇日本天皇詔旨云云。戓聞。」(明神(あらみかみ)と御宇(あめのしたし)らす日本(ひのもと)の天皇(すべら)が詔旨(おほむごと)らまと云云(そのことそのこと)。戓(ことごと)くに聞(き)きたまへ。)とある。これは詔書冒頭に記す天皇の表記の一種であり、ここには五種目の実例が掲示され、最後に「謹言」(謹(かしこ)み言(まう)す)とあり、何年何月何日という日付の書く場所があるところだけが、現代と同じである。

律令の中には、このような公文書の様式規定に関する模範例が挙げられているだけであり、これは天皇の民に対する権力や正当性を根拠づけるいかなる意味も持っていない。では、日本の天皇は中国の皇帝が天命思想によって保証され、そのために祭典儀礼を欠かさなかったように、いったい何によって正当化され、またいかなる形式の祭祀を司ったのであろうか。

中国と違って、日本には天上の神々と地上の支配者とが直接に結ばれる天孫降臨神話が存在する。神話は『古事記』と『日本書紀』の両方に書かれているが、天皇が即位する際に行われた宣命、すなわち並び立つ臣下(しんか)の前に出て発した言葉、天皇がほかならぬ自分自身こそが天皇であるということの正当性の根拠を、言語によってきちんと語る際に依拠したものは、『古事記』神話にほかならない。

日本法制史学者の水林彪氏の「律令天皇制の神話的コスモロジー」(『王権のコスモロジー』弘文堂)という、最近では最も確かな立証の仕方をしてみせた論文を頼りに、この問題に光を当ててみよう。

本書の読者を考え、引例の個所は水林氏と同一であるが、引例のテキストはあえてわかりやすくするために、現代語訳を掲げる。また、水林氏の詳細をきわめた論究はここでは大半省略して、紙幅の都合でごく簡潔に、結論だけを図表とともに掲げることをお許しいただきたい。

次は、『続日本紀(しょくにほんぎ)』の劈頭を飾る文武(もんむ)元年(697年)における文武天皇の即位宣命である。

  八月一日 持統(じとう)天皇から位を譲りうけて、皇位につかれた。
  八月十七日 天皇は詔(みことのり)をして、次のように述べられた
  (宣命体(せんみょうたい))。
   現御神(あきつみかみ)として大八嶋国(おおやしまくに)(日本全
  国)をお治めになる天皇が、大命(おおみこと)として仰せになるこ
  とを、ここに集まっている皇子たち、王(おおきみ)たち、百官の人
  たち、および天下の公民は、皆(みな)うけたまわるようにと仰せら
  れる。
   高天原(たかまのはら)にはじまり、遠い先祖の代々から、中頃及
  び現在に至るまで、天皇の皇子が次ぎ次ぎにお生まれになり、大八
  嶋国をお治めになる順序として、天(あま)つ神(かみ)の御子(みこ)
  のまま、天においでになる神がお授けになったとおりに、取りおこ
  なってきた天つ日嗣(ひつぎ)の高御座(たかみぐら)の業(わざ)(
  天皇の地位にある者の任務)であると、現御神として大八嶋国をお
  治めになされる倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)(持統天皇)
  が、お授けになり仰せになる、尊く高く広く厚い大命を、受けたま
  わり恐れかしこんで、このお治めになる天下を調え平げ、天下の公
  民を恵(めぐ)み撫(な)でいつくしもうと仰せられる。天皇の大命を、
  皆よく承れと仰せられる。【宇治谷孟訳『続日本紀』】

この文章で、王権の正当性を証明されているのは、文武天皇自身ではなく、文武に天皇位を譲った持統天皇である。持統天皇の正当性を語ることを通じて、文武天皇の正当性を示すのがこの宣命の主旨であった。

『古事記』は「高天原にはじまり、遠い先祖の代々から、中頃及び現在に至るまで」の、神々と天皇の物語にほかならない。天地開闢とともにあらわれる、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)から推古天皇に至るまでの代々の神々や天皇の物語が述べられているのである。その系譜を抽出し、孝謙天皇までを図示したのが249ページの王統譜(参考図表1参照)である。

  ※参考図表1:天皇の系図 http://ore-dmng.jp/ore/lra/keizu.html

『古事記』は天皇が、「天つ日嗣」のものだということを、神々の名と天皇の名で語っている。250ページの表は、起点となる高天原の神である一番の高御産巣日神・天照大御神から、8世紀末の第五十三番の光仁(こうにん)天皇までの神名および天皇名を表記したものである(参考図表2参照)。ご覧のように、一番の「日神」から二番の「ヒメ」を介して、三番から十九番まで「日子」(ただし七番は例外。六番と十六番は音仮名でビコ)が続き、「日」という字が続いていることが見てとれる。二十番の応神(おうじん)天皇からしばらくの間「日子」の字は見えなくなるが、おそらくは日の観念のなかった時代の王の実名が改竄されることなく、『古事記』でそのままに使用されたためであろう。しかし、そのことを補うかのように、妻ないし母に「日メ(ヒメ)」が集中して登場し、「日継(ひつぎ)」の物語がひきつづき暗示されているのである。

  ※参考図表2:歴代天皇名 http://www.geocities.jp/somanoho/rekidai.htm
  参考図表2は神武天皇から始まるが、神武天皇の前に次の七柱の神
  が連なる(『古事記』)。
   一 高御産巣日神・天照大御神
   二 万幡豊秋津師比売・正勝吾勝々速日天忍穂耳命
   三 天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命
   四 天津日高日子穂々手見命
   五 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命

このように、日本の王統譜ではまっすぐに神話の世界に系譜が上昇していくのであって、神代と人代との間には境めがない。そして日の神の名を歴代天皇が背負っており、神統譜から王統譜へそれが引き継がれているありさまを物語っている。訳文の施線部分(ブログでは施線なし:即位宣命の第2パラグラフ“高天原にはじまり~倭根子天皇”までが施線部分)の最後のほうに「現御神」という表現がある。これは一般にアキツミカミと呼ばれ、別には、たとえば『万葉集』においては「明津御神」と書かれることもあった。

まず、天皇を「現御神」とする観念は、人でもあり神でもある存在を承認しているということであり、「天」と人間世界との間が切れている中国の皇帝との相違点を示す。『古事記』の世界においては人であり神でもある存在がごく普通に描かれ、活躍していた。というよりも、そこでは万物が神となりえたのである。人である神は、神々の世界の一部として存在していたにすぎない。伊邪那美神(いざなみのかみ)を焼け死にさせた火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が斬り殺すにあたって用いた刀剣も神となり、「天之尾羽張神(あめのおはばりかみ)」「伊都之尾羽張神(いつのおはばりのかみ)」である。

このように『古事記』においては、神と人とは排他的概念ではない。そこでは人でもある神の時代は、『古事記』編纂の時代に至るまで続いていたのであって、そのことを否定する叙述はまったく認められない。そしてそれ以降も持続していくのである。『古事記』には神代と人代との区別が存在しない。

以上のような独自な『古事記』的観念の世界では、天皇だけではなく臣下たちも神である。神である人間を祖先とするのであり、古代の宮廷人すべてが「現神(現れる神)」のはずである。その限りでは、天皇との間には差別がない。天皇は御の字を加えて「現御神」と記され、あまたの臣下たちとの区別がなされている程度であるように思われる。

以上で、私は水林論文から、私が読者に指摘したいポイントを示し、またひと目でわかる便利な図表を利用させていただいた。しかし論者の水林氏のこうした実証の背景にある動機は私とはひょっとして別であり、氏はこれらの全体があまりにできすぎた作為の所産と見たいのかもしれない。氏は別のところで『古事記』は「高度に政治的な性質を有する帝国イデオロギーの宣言」(『思想』平成4年6月号)とも書いてさえいるので、氏の真意にはなにかの政治的動機があるのかもしれない。

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