電脳筆写『 心超臨界 』

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( ユダヤのことわざ )

◆ポツダム宣言とは何だつたか――天皇制の維持保証と原爆使用に触れず

2024-06-01 | 05-真相・背景・経緯
§3 日米戦争によってアメリカは日本を侵略した
◆ポツダム宣言とは何だつたか――天皇制の維持保証と原爆使用に触れず


日本外務省が受信したポツダム宣言に謂(い)ふ停戦条件は慥(たしか)に苛酷極まるといふほどではなかつたが、日本国に対して最後的打撃を加へる事になる軍事力はドイツ全土を荒廃させた力と比べ様もない原子爆弾使用の暗示を読み取る事はできなかつた。そしてもしその条件を明示してくれてあれば、日本国政府が少なくとも考慮検討するという程の回答を返し得たであろう最重要案件、天皇の地位の安泰を保証するといふ文言はそこになかつた。グルー氏の切実な提言はこの宣言文には遂に採られてゐなかつた。


◆ポツダム宣言とは何だつたか――小堀桂一郎・東京大学名誉教授
(「正論」産経新聞 R04(2022).07.26 )

7月26日といふ日付を見る度に〈あゝポツダム宣言発出の日だな〉と反射的に連想が走るのは戦中派世代の身に染みついた固定観念の如(ごと)きもので、その事自体にはもはや特別の感慨はない。

■戦後の日本に深い刻印

然(しか)し本年から算(かぞ)へれば77年の昔の事になるあの出来事は、やはり戦後の日本の国柄と社会のあり方に、いまだに拭ひ去る事のできない深い刻印を遺してゐる歴史の創痍(そうい)なのであつて、年に一度くらゐはその事実を思ひ起し、改めて現在の我々の境位に投げかけてゐる翳(かげ)の意味を反芻(はんすう)してみる機会としてよいのではないかと考へる。

宣言の発出といふのは少しく妙な表現だが、現代史ではよくこの語を用ゐる。実際の有り様を言へば、ポツダムで敗戦国ドイツの戦後処理について米英ソ三国の首脳が協議を行つた際、この会談の議題とは直接の関係はないままに米国大統領トルーマンが午後9時過ぎにその宿舎に於(お)いて読みあげた宣言文を放送電波に乗せて世界に流したものである。

米英華三国の共同宣言といふ名義を有してゐるが英国首相のチャーチルはその日は既に本国に帰る途上にあり、蒋介石は抑々(そもそも)この会談に参加してゐない。自筆でこの宣言に署名してゐるのは米国代表としてトルーマンだけである。

当日深夜から反復して放送という形で世界に流された宣言文は翌7月27日の午前6時以降日本の受信設備も捉へ始めた。外務省は受信した宣言文を直ちに日本語に翻訳する作業に取り掛かり、訳文が出来上がる傍から外務大臣をはじめとする高官達がその内容の検討を開始した。その第一印象は、これはそれほど過酷な要求ではない、この宣言を手掛かりとして終戦の実現は可能だ、との安心感だつた。

ポツダム宣言はその発出の形が正常の外交路線から外れた、何か変則の印象を受けるものだが、その内容も亦(また)、此(これ)が現代世界史の大転換を劃(かく)す事になる重要文書の姿なのかとの怪訝(けげん)の念を禁じ得ない。杜撰(ずさん)な成立過程を内に隠した妙な文書である。

■成立経緯めぐる不思議

この文書の成立の経緯については仲晃著『黙殺—ポツダム宣言の真実と日本の運命』(平成12年、NHKブックス)が米国内の各種史料の感嘆に値する博捜(はくそう)を重ねて詳細に述べ尽くしてゐる。今、筆者の観点から、この宣言文の妙な性格を仲氏の研究に基づいて一言で要約してみると、あれはアメリカ合衆国といふ一つの国家の統一的意志を表したものではない。運命の年の6月18日、ホワイトハウスで開かれた大統領と陸海軍最高首脳計8人の合議の結果起案されたものだが、その席上各高官の弁ずる種々の最終的日本攻略作戦は結局相互の整合に達する事なく、統一的見解には至らないままだつた。

なにより重大と思ふのは、日本の早期降伏を導き出すには天皇制の維持保証との条件を出しさへすれば十分であるとの達見を有してゐた元駐日大使のグルー国務長官代理が、この最終的会議には参加してゐなかつた事である。グルーは彼の持論を5月の末にトルーマン大統領に直接切言し、トルーマンもそれに同調したと回想されてゐるのだがこの決め手を披露した形跡は無い。

もう一つ不思議なのは、この最終会議開催の時点で、原子爆弾開発は実験成功寸前の段階にまで来てゐたのに、日本に対し原爆投下を実施するか否かはこの会議の議題になつていなかつた事である。

極めて誠実な人柄だつたとされる当時の陸軍次官補が、米国が原爆を保有してゐる事の警告と戦後の天皇制の維持を保証するとの二項で停戦は実現できると蛮勇を奮つて発言したところ、会議の空気は異様に凍りついた如くになり、結局この発言はなかつた事として議事録も載せられかつた。

■国際交渉の実態知る上で

かうして日本外務省が受信したポツダム宣言に謂(い)ふ停戦条件は慥(たしか)に苛酷極まるといふほどではなかつたが、日本国に対して最後的打撃を加へる事になる軍事力はドイツ全土を荒廃させた力と比べ様もない原子爆弾使用の暗示を読み取る事はできなかつた。

そしてもしその条件を明示してくれてあれば、日本国政府が少なくとも考慮検討するという程の回答を返し得たであろう最重要案件、天皇の地位の安泰を保証するといふ文言はそこになかつた。グルー氏の切実な提言はこの宣言文には遂に採られてゐなかつた。

この条件の欠如の故に、ポツダム宣言の受諾といふ形を以てしての日本国の停戦同意表明は8月14日の午後にまで遅れる事になり、それまでの間に広島、長崎への原爆投下、長崎の悲劇と同じ日付でのソ連の対日宣戦と満州及び我が北方領土への侵略の開始といふ破局に立ち到つてしまつた。

ポツダム宣言の発出と受領は慥に遠い過去の出来事である。然しあの鵺(ぬえ)の様な怪訝な文書の性格を今改めて検討してみる事は凡(およ)そ国際交渉といふものの実体を知る上で必ずや無駄な作業ではない。
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