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電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

「韓信の股くぐり」はリーダーの名折れ――渡部昇一

2025-04-23 | 08-経済・企業・リーダーシップ
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ところが、幸田露伴がこれに疑問をはさんだ。韓信は股をくぐったけれども、高祖がその立場にあったら果たしてくぐっていたかどうか――というわけだ。そして露伴は、高祖ならくぐらなかっただろうというのである。高祖は漢を興した本当のトップであり、一方、韓信は偉い武将にはなったもののそれ止まりで、結局高祖の家来にすぎない。本当のトップに立つ人間は、このような恥辱には耐え得ないはずである。だから高祖は人の股はくぐれはしないというのである。


◆「韓信の股くぐり」はリーダーの名折れ

『人の上に立つ人になれ』
( 渡部昇一、三笠書房 (2000/5/1)、p86 )

漢の高祖など、どこが偉いのかわからないような人物であるにもかかわらず、親分肌だったために家来がついていっている。高祖は中流農家の末っ子で、百姓が嫌いで遊びほうけていたような人物だ。この時の仲間が、高祖がまだ劉邦(りゅうほう)といわれていた時分にすでに彼に従い、ついには秦を滅ぼして漢を興すのだから、たいした親分肌だったのだと思う。

高祖を見ていると、リーダーというのは、最終的なところでは筋を通さなければならないというのがよくわかる。そして決定的な場面において面子を守るから、人がついていくということもわかる。

「韓信の股くぐり」という有名な話がある。前漢初期の武将の韓信が、若い頃に 屠殺に従事する無頼の若者の股の下をくぐらされるという屈辱を味わいながらも、それに耐え、後年大成したというものだ。

韓信は偉い武将になるという大望を抱いていたからこそ股くぐりもできたということで、ここから、大志を抱く者は目の前の小さな恥辱などには耐えなければならないということわざとして用いられる。要するにこの話は一般的には美談なのである。

ところが、幸田露伴がこれに疑問をはさんだ。韓信は股をくぐったけれども、高祖がその立場にあったら果たしてくぐっていたかどうか――というわけだ。そして露伴は、高祖ならくぐらなかっただろうというのである。高祖は漢を興した本当のトップであり、一方、韓信は偉い武将にはなったもののそれ止まりで、結局高祖の家来にすぎない。本当のトップに立つ人間は、このような恥辱には耐え得ないはずである。だから高祖は人の股はくぐれはしないというのである。

露伴によれば、本当にトップに立てる者とそうでない者との根本的な違いはここにあるという。だからこの話は美談でも何でもなく、世の中には高祖のような器量もないくせに股をくぐるのを嫌がる者がいるが、そういう者は自滅し、器量がなくてもそこで我慢して股をくぐれるようなら、そこそこの武将ぐらいにはなれる――それくらいの意味でしかないというわけだ。

露伴がいいたいのは、トップになれるような人物は、そこまで卑屈にはなれないだろうということだ。逆にいえば、頑としてくぐらないという姿勢がトップリーダーには必要なのだ。たとえ死しても卑屈にはなるまいという、徹底した筋の通し方ができなければ本当のトップにはなれない。だから、くぐった韓信は命だけはとりとめても、武将止まりだったのである。
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ワレ イマダ モッケイタリエズ (great-something001)
2005-01-14 22:18:11
名誉も地位も仮のもの(借りのもの)。金は持て余すほどあってもあの世にまでは持ってはいけない。だが、少しぐらいはあればよい。さて、生命となると・・・、肉体はいずれ消滅する身とはいえ、無病息災

を願うは世の常。「爺さん、お前はどうじゃ」と問わ

れれば、「ワレ イマダ モッケイタリエズ」とでも

答えるか。
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