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神戸市長田区駒ヶ林町の散策記 on 2017-2-19 その5 平忠度の腕塚

2017年02月24日 04時25分04秒 | 神戸情報
本日は駒ヶ林町の散策シリーズの第5回として平忠度の腕塚をお送りします。
腕塚堂や平忠度塚という呼び方をする場合もあります。

これまでの記事

  第1回 駒林神社の復興された大鳥居といかなごくぎ煮発祥の地の碑

  第2回 駒林神社

  第3回 海泉寺

  第4回 駒ヶ林蛭子神社

平忠度の腕塚の基本情報

住所:神戸市長田区駒ヶ林町4丁目5-8
所有者:駒ヶ林4丁目南部自治会


所在地のGoo地図はこちら
 
アクセス
・JR神戸線「新長田駅」下車、南西へ徒歩15分
・神戸市営地下鉄「駒ヶ林駅」下車、南西へ徒歩5分





上の2枚の写真は腕塚の中の代表的な施設の十三重塔と塔の底部の石碑
塔の底部には平朝臣薩摩守忠度卿 御廊所と書かれた石碑があります。
平忠度腕塚は平成11年(1999)2月24日神戸市市認定地域文化財(史跡)に認定

腕塚堂は下記に記載のように散っていった平忠度の死を悼み、彼の切り取られた
右腕をを埋めて供養したものである。

平忠度(たいらのただのり)は平清盛の末弟で、腕力の優れた武将として有名、
また藤原俊成に師事し歌道にも秀でた才能を持つ人物である。寿永3年(1184)
一の谷合戦において、平忠度は西の城戸口・一の谷の大将軍でした。
合戦に敗れて駒ヶ林めざして落ち行く途中、源氏方の岡部六弥太忠澄と戦い、
忠澄の首を討ち取ろうとしたところを、忠澄の家臣に右腕を切り落とされて
しまいます。忠度はついに静かに念仏して討たれました。
その箙には、「行きくれて木の下かげを宿とせば花やこよひの主ならまし」
という歌が書かれた紙片が結ばれていたことで、初めて平忠度であることが
わかったと伝えられています。


上の写真は現地の説明石碑


上の写真は左手にある堂内。
平忠度の御廟所としてこの堂内に位牌も祀られています。
ここも腕塚神社と同じように平忠度の切り落とされた腕を埋めたところと伝えられ
腕、腰、足の痛みがなおると人々に信仰されています。


上の写真は百度石


上の写真は「腕塚堂 従三位 朝臣 薩摩守忠度卿 御廊所」と書かれた石碑


平忠度を悼んで詠まれた歌が掲示されています。(上の写真)


上の写真も歌碑 


上の写真は位牌の収められている堂の対面のお地蔵さん群
駒ヶ林の周辺は源平合戦の犠牲者を祀った地蔵や色々な願いを込めたお地蔵さまが
とにかくたくさんあります。




平忠度腕塚堂は初めての方には判りにくいと思います。
上の写真は海泉寺や駒林神社が面している4車線の道路(兵庫県道489号)に
面したところにある看板と道標の拡大写真です。

路地を入っていくと「うでつか」と書かれた石碑があります(下の2枚の写真)






上の写真のような路地を進むと平忠度腕塚堂があります。


上の写真が平忠度腕塚堂の入口。


上の写真は手水設備


上の写真は平忠度腕塚堂の外観

腕塚堂から東に約300メートル離れた野田町8丁目には、平成14年度に地域文化財に
認定された、平忠度胴塚(首塚)があります。

今回は訪問していないので過去の訪問記にリンクしておきます。
 平忠度の胴塚(首塚)on 2009-4-6

平忠度公終焉の場所に関しては、ここ長田の地であるという説以外にも明石であると
いう説があり、山陽電車「人丸前駅」付近に腕塚神社が、そしてその南に忠度塚など
があります。

こちらについても過去の訪問記にリンクしておきます。
 両馬川旧跡と腕塚神社 on 2008-7-20

 忠度塚 on 2008-6-12
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