本日は駒ヶ林町の散策シリーズの第2回として駒林神社(こまがばやしじんじゃ)
をお送りします。
過去の記事
第1回 駒林神社の復興された大鳥居といかなごくぎ煮発祥の地の碑
駒林神社の基本情報
住所:神戸市長田区駒ケ林町3丁目7-3 TEL:078-611-4035
御祭神:応神天皇(誉田別命)、猿田彦大神、奇稲田姫命
別称:駒ヶ林八幡宮 愛称:「駒ヶ林の厄神さん」「駒ヶ林の八幡さん」
創建:不詳だが 駒ヶ林の左義長が988(永延2)年1月15日に始められた
といわれるているので1,000年以上の歴史がある
公式ホームページ:http://komagabayashi.jp/
公式FB:https://www.facebook.com/komagabayashi/
Goo地図はこちら
毎年1月18日 - 20日の三日間に行われる厄除け大祭には多くの参拝者が訪れます
駒ケ林神社(駒林神社)は海泉寺の対面にあります。
駒ケ林神社(駒林神社)前面の浜は、昭和32年(1957)から埋め立てが進められ、
長田港の完成(昭和36年(1961))により自然の海岸線は失われ、昔の姿は
資料でしかみられません。毎年1月15日に行なわれていた「駒ケ林のけんか祭」
と呼ぶ「左義長」は永延2年(988)から続けられていたが、昭和34年(1959)
1月15日を最後に、神社が主催で行われることは中止になってしまった。
猿田彦大神と奇稲田姫命をあわせて左義長の神と呼ばれている。
駒ケ林神社は板宿の證誠神社(板宿、大手、東須磨、野田、駒ケ林の5ケ村の氏神)
の子社(分社)であったそうである。
また、創建については證誠神社より古く、外国人の出入国を管理する役所である
玄蕃寮の出先機関が置かれていた敷地内に祠を建てて応神天皇を祀ったのが
駒林神社の始まりともいわれています。
上の写真は正面から見た拝殿を中心とした駒林神社の境内
上の写真は側面から観た拝殿
上の写真は側面から観た本殿
上の写真は手水舎
上の写真は社務所に掲げられていた今年(2017)の絵馬
上の2枚の写真は境内社の天光玉勝稲荷神社と説明板
祭神:倉稲魂大神(うがにみたまのおおかみ)
祭日:3月初午の日
衣食住の守護神にましまして私たちの文明を支える一切の産業をお守り
下さる神様です
上の5枚の写真は天光玉勝稲荷神社の祠の周囲の玉垣で無声映画時代の日活の大スター
で駒ケ林で育った俳優の澤田清(1906-1975)をはじめ超有名な大河内伝次郎、
片岡千恵蔵、山田五十鈴、入江たか子などの名前が刻まれています。
大河内伝次郎は戦前・戦中、阪東妻三郎・嵐寛寿郎・片岡千恵蔵・市川右太衛門
長谷川一夫と共に「時代劇六大スター」と呼ばれた。
澤田清(1906-1975)氏について述べておきます。本名石川 晴正
澤田清は東京生まれ神戸市長田区駒ケ林で育った舞台俳優、映画俳優です。
1915年市川九蔵(団蔵)の門下に弟子入り市川芳之助の名前で初舞台。
1926年からは映画にもデビュー、当時は無声映画の時代。
1928年に日活に入社後、「お小姓組」でデビュー。その後多数の映画に出演。
1952年鶴田浩二、岸恵子主演の弥太郎笠では小頭牛五郎役。
1953年嵐寛壽郎主演の逆襲!鞍馬天狗では伊東安積役。
1954年の花と龍では仏の小左衛門役で大河内伝次郎(大河内傳次郎)と
共演しています。
1955年の市川右太衛門主演の薩摩飛脚の前編では藤倉源左衛門役
1956年 月形龍之介主演の 水戸黄門漫遊記 鳴門の妖鬼では
玉垣にも名を連ねている清川荘司とも共演しています。
1957年 片岡千恵蔵主演の 任侠清水港では大瀬の半五郎役を演じています。
1958年 片岡千恵蔵主演の新撰組は桂小五郎役。
1959年 新東宝の東海道 弥次喜多珍道中では国定忠治役。
浜口富士子について記す。 kotobankより引用
「1909-1935昭和時代前期の映画女優。
明治42年9月生まれ。新国劇研究生から映画界に転じ,
日活太秦(うずまさ)撮影所にはいる。昭和4年「蒼白き薔薇(ばら)」でデビューし,
美貌で注目された。7年「女七変化」などで共演した俳優神田俊二と結婚,翌年引退。
昭和10年10月9日病死。27歳。東京出身。一ツ橋高女卒。本名は鈴木富士子。」
神戸新聞2016年11月26日(土)の夕刊に
カルチャー<キネマコウベ 日本映画史余話>(14)「水戸黄門 来国次の巻」
(1934年公開)神戸・駒ケ林ゆかりの澤田清 美男スターしのぶ玉垣
と題して記事が掲載されています。駒林神社のFBやブログでも紹介されています。
上記記事で「俳優のほか、美嚢郡中吉川村(現三木市吉川町)出身の池田富保
監督の名前もあると書いてあったので池田富保氏の玉垣の写真も添付して
おきます。(下の写真)
上の写真は境内社の天光玉勝稲荷神社を側面から撮ったものです。
上の2枚の写真は境内社の神明社とその説明板
祭神:天照大神
祭日:4月16日、10月16日
上の写真は境内社の三宝荒神社(仏・法・僧の三宝を守る神を祀っています)
祭神:火産霊大神 大国主大神 住吉大神
祭日:10月中旬
上の写真は境内社の靖国神社と説明板
祭神:氏子関係戦没の靖国の神霊
祭日:毎月20日(10月は大祭)
5月3日には例祭が執り行われます。
子供神輿の他に神前で食材のタコをさばく包丁式も行われます。
2016年5月5日の神戸新聞神戸版で包丁式の紹介記事あり。
上の2枚の写真は平清盛上陸の地の木碑と説明板
平清盛が宮島の厳島神社へ参詣に向かう途中の治承2年(1178)6月9日、
和田岬を経由して駒ヶ林から上陸したことが「山槐記」に記されています
延元元年(1336) 建武の新政を行う後醍醐天皇と対立し、京都をめぐる争いで
南朝側の北畠顕家公や楠木正成公・新田義貞公に敗れ、赤松円心公の進言を受けて
足利尊氏が西国敗走の折、駒林神社に奉詣して下記の歌を詠んだ話が有名です。
「今むかふ方は明石の浦ながらまだ晴れやらぬ我が思ひかな」
以下、Wikipediaよりその後の駒林神社の主な出来事を記載します。
文政13年(1830年)には井山城守石原清左衛門が社殿を改築し、井戸ノ町若中より
狛犬一対が奉納される等、社頭整備が進む。
明治26年(1893年)- 拝殿が新築される。
大正13年(1924年)- 荒廃していた社殿等を大きく修築。八王子八幡神社に
若宮社を始め村内の小祠を合祀し「駒林神社」と改称する。
昭和63年(1988年)- 社殿が焼亡する。
平成元年(1989年)- 社殿を再建する。
平成7年(1995年)- 阪神・淡路大震災に被災。同年に社殿を復旧する。
平成25年(2013年)- 阪神・淡路大震災にて倒壊した大鳥居が第六十二回
伊勢神宮式年遷宮と出雲大社遷座祭が共に行われたこの年に氏子により復興される。
「いかなごのくぎ煮発祥の地」の石碑がいかなごのくぎ煮振興協会より奉納される。
竣工潜初祭は第六十二回神宮式年遷宮の内宮遷御の儀の斎行日10月2日に斎行。
上の4枚の写真は左義長に関する写真です。
駒ヶ林の左義長は永延2年(988)年1月15日に始められ、1,000年もの長い
歴史を持つお祭りで、漁場を巡って毎年1月15日に左義長を行って地引網の
網入れ優先権を争ったそうです。
駒ヶ林の東西に分かれ、10mにも及ぶ高さの「お山」を100人ほどの漁師
たちが担いで浜辺で倒し合いを行うこのお祭りは、その年の漁獲が懸かっている
だけに壮絶を極め、流血の事態が起こることもしばしばであったために
「駒ヶ林のけんか祭り」とも言われていたそうです。
埋め立ての影響で天然の砂浜がなくなり昭和34年(1959)を最後にこのお祭り
は途絶えてしまいました。その後、平成5年(1993)に行われたアーバン・
リゾートフェアの中で久々に復活されたりしていますが、本格的な祭りの
復活までには至っていません。
上の写真は道路を挟んだ海泉寺側から観た駒林神社の遠景です。
をお送りします。
過去の記事
第1回 駒林神社の復興された大鳥居といかなごくぎ煮発祥の地の碑
駒林神社の基本情報
住所:神戸市長田区駒ケ林町3丁目7-3 TEL:078-611-4035
御祭神:応神天皇(誉田別命)、猿田彦大神、奇稲田姫命
別称:駒ヶ林八幡宮 愛称:「駒ヶ林の厄神さん」「駒ヶ林の八幡さん」
創建:不詳だが 駒ヶ林の左義長が988(永延2)年1月15日に始められた
といわれるているので1,000年以上の歴史がある
公式ホームページ:http://komagabayashi.jp/
公式FB:https://www.facebook.com/komagabayashi/
Goo地図はこちら
毎年1月18日 - 20日の三日間に行われる厄除け大祭には多くの参拝者が訪れます
駒ケ林神社(駒林神社)は海泉寺の対面にあります。
駒ケ林神社(駒林神社)前面の浜は、昭和32年(1957)から埋め立てが進められ、
長田港の完成(昭和36年(1961))により自然の海岸線は失われ、昔の姿は
資料でしかみられません。毎年1月15日に行なわれていた「駒ケ林のけんか祭」
と呼ぶ「左義長」は永延2年(988)から続けられていたが、昭和34年(1959)
1月15日を最後に、神社が主催で行われることは中止になってしまった。
猿田彦大神と奇稲田姫命をあわせて左義長の神と呼ばれている。
駒ケ林神社は板宿の證誠神社(板宿、大手、東須磨、野田、駒ケ林の5ケ村の氏神)
の子社(分社)であったそうである。
また、創建については證誠神社より古く、外国人の出入国を管理する役所である
玄蕃寮の出先機関が置かれていた敷地内に祠を建てて応神天皇を祀ったのが
駒林神社の始まりともいわれています。
上の写真は正面から見た拝殿を中心とした駒林神社の境内
上の写真は側面から観た拝殿
上の写真は側面から観た本殿
上の写真は手水舎
上の写真は社務所に掲げられていた今年(2017)の絵馬
上の2枚の写真は境内社の天光玉勝稲荷神社と説明板
祭神:倉稲魂大神(うがにみたまのおおかみ)
祭日:3月初午の日
衣食住の守護神にましまして私たちの文明を支える一切の産業をお守り
下さる神様です
上の5枚の写真は天光玉勝稲荷神社の祠の周囲の玉垣で無声映画時代の日活の大スター
で駒ケ林で育った俳優の澤田清(1906-1975)をはじめ超有名な大河内伝次郎、
片岡千恵蔵、山田五十鈴、入江たか子などの名前が刻まれています。
大河内伝次郎は戦前・戦中、阪東妻三郎・嵐寛寿郎・片岡千恵蔵・市川右太衛門
長谷川一夫と共に「時代劇六大スター」と呼ばれた。
澤田清(1906-1975)氏について述べておきます。本名石川 晴正
澤田清は東京生まれ神戸市長田区駒ケ林で育った舞台俳優、映画俳優です。
1915年市川九蔵(団蔵)の門下に弟子入り市川芳之助の名前で初舞台。
1926年からは映画にもデビュー、当時は無声映画の時代。
1928年に日活に入社後、「お小姓組」でデビュー。その後多数の映画に出演。
1952年鶴田浩二、岸恵子主演の弥太郎笠では小頭牛五郎役。
1953年嵐寛壽郎主演の逆襲!鞍馬天狗では伊東安積役。
1954年の花と龍では仏の小左衛門役で大河内伝次郎(大河内傳次郎)と
共演しています。
1955年の市川右太衛門主演の薩摩飛脚の前編では藤倉源左衛門役
1956年 月形龍之介主演の 水戸黄門漫遊記 鳴門の妖鬼では
玉垣にも名を連ねている清川荘司とも共演しています。
1957年 片岡千恵蔵主演の 任侠清水港では大瀬の半五郎役を演じています。
1958年 片岡千恵蔵主演の新撰組は桂小五郎役。
1959年 新東宝の東海道 弥次喜多珍道中では国定忠治役。
浜口富士子について記す。 kotobankより引用
「1909-1935昭和時代前期の映画女優。
明治42年9月生まれ。新国劇研究生から映画界に転じ,
日活太秦(うずまさ)撮影所にはいる。昭和4年「蒼白き薔薇(ばら)」でデビューし,
美貌で注目された。7年「女七変化」などで共演した俳優神田俊二と結婚,翌年引退。
昭和10年10月9日病死。27歳。東京出身。一ツ橋高女卒。本名は鈴木富士子。」
神戸新聞2016年11月26日(土)の夕刊に
カルチャー<キネマコウベ 日本映画史余話>(14)「水戸黄門 来国次の巻」
(1934年公開)神戸・駒ケ林ゆかりの澤田清 美男スターしのぶ玉垣
と題して記事が掲載されています。駒林神社のFBやブログでも紹介されています。
上記記事で「俳優のほか、美嚢郡中吉川村(現三木市吉川町)出身の池田富保
監督の名前もあると書いてあったので池田富保氏の玉垣の写真も添付して
おきます。(下の写真)
上の写真は境内社の天光玉勝稲荷神社を側面から撮ったものです。
上の2枚の写真は境内社の神明社とその説明板
祭神:天照大神
祭日:4月16日、10月16日
上の写真は境内社の三宝荒神社(仏・法・僧の三宝を守る神を祀っています)
祭神:火産霊大神 大国主大神 住吉大神
祭日:10月中旬
上の写真は境内社の靖国神社と説明板
祭神:氏子関係戦没の靖国の神霊
祭日:毎月20日(10月は大祭)
5月3日には例祭が執り行われます。
子供神輿の他に神前で食材のタコをさばく包丁式も行われます。
2016年5月5日の神戸新聞神戸版で包丁式の紹介記事あり。
上の2枚の写真は平清盛上陸の地の木碑と説明板
平清盛が宮島の厳島神社へ参詣に向かう途中の治承2年(1178)6月9日、
和田岬を経由して駒ヶ林から上陸したことが「山槐記」に記されています
延元元年(1336) 建武の新政を行う後醍醐天皇と対立し、京都をめぐる争いで
南朝側の北畠顕家公や楠木正成公・新田義貞公に敗れ、赤松円心公の進言を受けて
足利尊氏が西国敗走の折、駒林神社に奉詣して下記の歌を詠んだ話が有名です。
「今むかふ方は明石の浦ながらまだ晴れやらぬ我が思ひかな」
以下、Wikipediaよりその後の駒林神社の主な出来事を記載します。
文政13年(1830年)には井山城守石原清左衛門が社殿を改築し、井戸ノ町若中より
狛犬一対が奉納される等、社頭整備が進む。
明治26年(1893年)- 拝殿が新築される。
大正13年(1924年)- 荒廃していた社殿等を大きく修築。八王子八幡神社に
若宮社を始め村内の小祠を合祀し「駒林神社」と改称する。
昭和63年(1988年)- 社殿が焼亡する。
平成元年(1989年)- 社殿を再建する。
平成7年(1995年)- 阪神・淡路大震災に被災。同年に社殿を復旧する。
平成25年(2013年)- 阪神・淡路大震災にて倒壊した大鳥居が第六十二回
伊勢神宮式年遷宮と出雲大社遷座祭が共に行われたこの年に氏子により復興される。
「いかなごのくぎ煮発祥の地」の石碑がいかなごのくぎ煮振興協会より奉納される。
竣工潜初祭は第六十二回神宮式年遷宮の内宮遷御の儀の斎行日10月2日に斎行。
上の4枚の写真は左義長に関する写真です。
駒ヶ林の左義長は永延2年(988)年1月15日に始められ、1,000年もの長い
歴史を持つお祭りで、漁場を巡って毎年1月15日に左義長を行って地引網の
網入れ優先権を争ったそうです。
駒ヶ林の東西に分かれ、10mにも及ぶ高さの「お山」を100人ほどの漁師
たちが担いで浜辺で倒し合いを行うこのお祭りは、その年の漁獲が懸かっている
だけに壮絶を極め、流血の事態が起こることもしばしばであったために
「駒ヶ林のけんか祭り」とも言われていたそうです。
埋め立ての影響で天然の砂浜がなくなり昭和34年(1959)を最後にこのお祭り
は途絶えてしまいました。その後、平成5年(1993)に行われたアーバン・
リゾートフェアの中で久々に復活されたりしていますが、本格的な祭りの
復活までには至っていません。
上の写真は道路を挟んだ海泉寺側から観た駒林神社の遠景です。
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