雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

自ずと湧くもの

2021-05-29 01:48:44 | 凄い
凛と」という少し前の記事に、
アンネンさんからこんなコメントを頂いていました。



================================
(前略)
——————生きる意味やら簡単に答えが出ないこと
(もしくは分かりきっていること)
を敢えて問いにして迷走することがあります。
そんな時はヴィクトールフランクル氏の
『私たちは人生に問われている存在である。』
を思い出すことにしています。
(後略)
================================



とても良い言葉だなぁ、と。そう思いまして。
こんな言葉を紡ぐ「ヴィクトール・フランクル」さんとは、
いったいどんな人なのだろうか?と。
本の作家さんとしての名前は以前から耳にしていたのですが、
僕はまだ一度も読んだことがなく。
アンネンさんには

「一度読んでみますね(^ν^)ありがとうございます。」

という返答をしていました。
その後、改めて彼の著作を調べてみると、
代表作は「夜と霧」という作品のようで。
しかし、入門編としては
「それでも人生にイエスと言う」
という作品が一番良いのではないか?という結論にいたり。
初心者の僕は、先ずはこの本から読んでみることにしました。



読んでみると、まぁ、これ、名著作ではないかと。
とても心動かされました。
この本につまっている哲学や死生観、人生論というのは、いったい、
どれほどの経験から生まれているのだろうか?と。
Wikipediaあたりで調べてみると......



================================
1905年。ウィーンに生まれる。
ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。
ウィーン大学医学部精神科教授、
ウィーン市立病院神経科部長を兼任する。
1933年からウィーンの精神病院で
女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、
ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、
ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。

1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に
家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、
父はここで死亡し、
母と妻は別の収容所に移されて死亡した。

フランクルは1944年10月にアウシュビッツに送られたが、
3日後にテュルクハイムに移送され、
1945年4月にアメリカ軍により解放された。

その後1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれ、
1971年まで勤務した。
1947年にエレオノール・キャサリン・シュヴィンと再婚。
50年以上に渡り仲睦まじい夫婦であっただけでなく、
彼女はフランクルの学問的な協力者でもあった。

ナチス強制収容所での体験を元に著した「夜と霧」は、
日本語を含め17カ国語に翻訳され、
60年以上にわたって読み継がれている。
発行部数は(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部に及び、
「言語を絶する感動」と評されている。
1991年のアメリカ国会図書館の調査で
「私の人生に最も影響を与えた本」
の9位になった。
2000年の読売新聞による
「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」
のアンケート調査では世界の名著部門の第3位となった。

極限的な体験を経て生き残った人であるが、
ユーモアとウィットを愛する快活な人柄であった。
学会出席関連などでたびたび日本にも訪れていた。
================================



———————あの、アウシュビッツや、
幾つもの強制収容所から生き延びてきた精神医学者......
その言葉は潔く、気高く。
深く、強く、わかりやすかったです。
古い本でしたが、
コロナ禍に沈む今にこそ響く部分があるようにも思えたり。
なので、備忘録として
本の前半部分から幾つかの文を以下に置いておくことにしました。
この本や著者を知るキッカケをくれたアンネンさんには改めての御礼を。
ありがとうございます。(^^)



================================
———————カント以来、ヨーロッパの思索は、
人間本来の尊厳についてはっきりした見解を示すことができました。
カントその人が定言命法の第二式でつぎのように述べていたからです。

「あらゆる事物は価値をもっているが、人間は尊厳を有している。
人間は、決して、目的のための手段にされてはならない。」

けれども、もうここ数十年の経済秩序のなかで、
労働する人間はたいてい、たんなる手段にされてしまいました。
自分の尊厳を奪われて、
経済活動のたんなる手段にされてしまいました。
もはや、労働が目的のための手段に、生きていく手段に、
生きる糧になっているということですらありませんでした。
むしろ、人間とその生、その生きる力、
その労働力が経済活動という目的のための手段になっていたのです。
それから第二次世界大戦が始まりました。
いまや、人間とその生命が、
死のために役立てられるまでになったのです。

そして、強制収容所が建設されました。
収容所では、死刑の判決を下された人間の生命さえも、
最後のひとときにいたるまで徹底的に利用されたのです。
それにしても、生命の価値はなんと低く見られたことでしょうか。
人間はどれほどその尊厳を奪われ、おとしめられたことでしょうか。
このことを確認するために、ちょっと思い浮かべてみましょう。
一国家が、自ら死刑の判決を下したすべての人間を、
なんとかしてもっと徹底的に利用しようとするのです。

猶予された人生の最後の瞬間にいたるまで、
なおその労働力を役立てようとするのです。
おそらく、そのような人間をあっさり殺してしまったり、
それどころか生かしておいて死ぬまで養ったりするより、
そうする方が合理的だという考えから、そうしようとするのです。

また、強制収容所では、私たちは
「スープをやる値うちもない」
といって非難されることさえしばしばでした。
そのスープはといえば、
一日に一度きりの食事として与えられたものでした。
しかも私たちは土木工事を果たして、
その経費を埋め合わせなければならなかったのです。
価値のない私たちは、この身にあまる施しものを受け取るときも、
それにふさわしい仕方で受け取らなければなりませんでした。
囚人はスープを受け取るとき、
帽子を脱がなければならなかったのです。
さて、私たちの生命がスープの値うちもなかったように、
私たちの死もまた、たいした値うちはありませんでした。
つまり、私たちの死は、一発の銃弾を費やす値うちもなく、
ただシクロンB(青酸の入ったガス状の害虫駆除剤)
を使えばよいものだったのです。
おしまいには、精神病院での集団殺害が起きました。
ここではっきりしたのは、もはやどんなみじめなあり方でも
「生産的」ではなくなった生命はすべて、
文字どおり「生きる価値がない」とみなされたということです。

(中略)

————————こうした懐疑にも揺り動かされないためには、
生きる意味があるという信念が
びくともしないものでなければならないでしょう。
このような懐疑と悲観主義をも引き受けて担うには、
私たちは、人間として生きている意味と価値を、
絶対的に信じていなければならないでしょう。
しかし、そのためには、
やはり理想主義や情熱に訴えるしかないのに、
現代は、あらゆる情熱が濫用されたあげく、
ありとあらゆる理想主義が打ち砕かれた時代なのです。

(中略)

————————しかしながら、私たちは、
このようなニヒリズムを通り抜け、
悲観主義と懐疑を通り抜け、
いまではもう、「新」しくはなく、
古くなったしらけた「即物主義」を通り抜けて、
新しい人間性に、いまこそ到達しなければなりません。
================================



================================
あるチェスの選手が、チェスの問題に直面して、
解答がわからず、盤の駒をひっくり返すとします。
なんということをするのでしょうか。
そんなんことをして、
チェスの問題の解決になるのでしょうか——————

(中略)

———————チェスの勝負のルールを無視したのと同じです。

(中略)

———————自殺する人も、人生のルールに反しています。
人生のルールは私たちに、
どんなこともしても勝つということを求めてはいませんが、
けっして戦いを放棄しないことは求めているはずです。
================================



================================
——————以上、全てのことからわかるのは一つだけです。
つまり、死は生きる意味の一部になっているということです。

(中略)

——————苦難と死は、人生を無意味なものにはしません。
そもそも、苦難と死こそが人生を意味のあるものにするのです。

(中略)

——————一日一日、一時間一時間、
一瞬一瞬が一回きりだということも、
人生におそろしくも素晴らしい責任の重みを負わせているのです。
================================



================================
———————そういうわけで、
生きるということは、ある意味で義務であり、
たったひとつの重大な責務なのです。
確かに人生にはまたよろこびもありますが、
そのよろこびを得ようと努めることはできません。
よろこびそのものを「欲する」ことはできません。
よろこびは自ずと湧くものなのです。
帰結が出てくるように、自ずと湧くのです。
しあわせは、決して目標ではないし、
目標であってもならないし、
さらに目標であることもできません。
それは結果に過ぎないのです。
しあわせとは、
タゴールの詩で義務と言われているものを果たした結果なのです。

(中略)

———————それはものごとの考え方を180度転回することです。
その転回を遂行してからはもう、
「私は人生にまだなにかを期待できるか」
と問うことはありません。
いまではもう、
「人生は私になにを期待しているか」
と問うだけです。

(中略)

私たちが
「生きる意味があるか」
と問うのは、はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し、私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、
「人生の問い」
に答えなければならない。
答えを出さなければならない存在なのです。
生きること自体、問われていることにほかなりません。
私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。
こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。
どのような未来もこわくありません。
未来がないように思われても、こわくはありません。
もう、現在がすべてであり、その現在は、
人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。
すべてはもう、
そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。
その際、どんな未来が私たちを待ち受けているのかは、
知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。
================================



「それでも人生にイエスと言う(…trotzdem Ja zum Leben sagen)」
ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)著より抜粋。
ヴィクトールさんに、限りなき敬意と感謝を込めて。


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シャッフル

2021-05-25 00:07:54 | 素敵...映画/音楽/珈琲
緊急事態宣言下の毎日でして。
夜8時を過ぎるとほとんどのお店に入れないのです。
なので、お気に入りの愛車さんを乗りだして。
閉店間際の、
お近くのミスタードーナッツさんに向かうのでやんす。
本当はポン・デ・ダブルショコラをこよなく愛しているのですが、
最近は何故だか?
キャンペーン商品優先だからなのか?
とんと作ってくれなくて。
なので、今日はスタンダードな「チョコファッション」と、
初めて見た!
「ふわもち宇治抹茶チョコクランチ」
なるものにしたのでやんす。(*´ω`*)アーハン♪



あとわ、と......
セブンイレブンにイイ気分で寄るのでやんす。



ブレンドのMをください!(=゚ω゚)ノ
ブラックで。
大人なんす。
中身以外わ。ええ。ええ。



それで......
そのまま家のすぐ側にある、
多摩川沿いに広がる大きな公園に向かいまして。
比較的暗くて、人気のない、
隅っこの脇道を狙って車を停め。
シートをゆったりと倒し。
ガラスルーフの内側のシェードだけ全開にしちゃうんす。
ルーフ越しの夜空が満点なんす。
トウキョーなので星空満点ではないんすけど。



ダッシュボードには、
いつもトトロさんがいてくれてるのでやんす。
代々の愛車さん達から引き継がれている、
僕さんにとっては大切極まりない御守りさんでもありまして。ええ。
それでもって、おもむろにスマホさんを取り出しまして。
Bluetoothを
「トゥーっス!」
と車に繋げるんす。
繋がったら、
YouTube MUSICのアプリから、
お手製のプレイリストを立ち上げて。
音量を爆音レベルに上げちゃって。
ランダム再生のボタンをポチッ♪とタップ。
おお!?
いきなりのピーチズ!
今日はジャスティンさんがかかるのですな。(@^-^) gokigen♫



「Peaches ft. Daniel Caesar, Giveon/Justin Bieber」
(ピーチズ フューチャリング ダニエル・シーザー、ギヴィオン/
ジャスティン・ビーバー)

シャッフル・プレイだといつも何が流れるかわからないもので。
お気に入りの曲がいつも新鮮に聴けちゃうのでやんす。
お手製プレイリストには常時600曲ぐらいは入っているので、
全くもって
「好きな曲しかかからないラジオ局」
と言った様相となるわけなのです。
職業柄、僕さんの車のオーディオは
ミックスとか制作物のチェック用だったりもするので、
外から見えない部分を徹底的にイジッテおりまして。
車内からはスピーカーすらまともに見えない様にもしてあるのですが、
サラリと出てくる音はスタジオ・モニターと同じ様な聴感バランス
となるように作り込んでいるのでやんす。
ロー感も満点の爆音と言えど、
決して低域の音割れなど起きないよーに、
車のドアとかガラスとかがビリビリとしないよーに、
ボーズ・スピーカーの様に定位がモワッと無くなっていかないよーに、
とか、色んな所を磨き込んでいるのでやんす。
わかる人にわかってもらえたらうれちい♪仕様。

と、そんな音が鳴り出したところで、
先ほど買って来たドーナッツさんを袋から取り出し。
同じく買って来たコーヒーさんの蓋を全開に取り外し。
淹れたての珈琲アロマを車の中にこれでもか!と振りまいて。
待望の!
ドーナツさんのひとカジリ♡
コーヒーさんのフーフー飲み♪
空にはチロっとお星さま☆
耳には突然のアデル(Adele)おねえさま。
「ルーモア・ハズ・イット(Rumor Has It)」



渋いっす。
やってらんねーっす。
文句ねーっす。
コーヒーで「薄苦い」ホッと一息......とわ、このことっす。
世界はまだまだ捨てたもんじゃねーっす。
おお!?
次は風くん!新曲か。
あいかわらずイイっすねー(●´∀`)
世界わ捨てたもんじゃねーっす。
「きらり/藤井風」



「One feat. JQ from Nulbarich/KREVA」
(ワン フューチャリング JQ フロム ナルバリッチ/クレバ)
終わらない様に。
壊されない様に。



「Levitating Featuring DaBaby/Dua Lipa」
(レヴィテイティング フューチャリング ダ・ベイビー/デュア・リパ)



「Stop This Flame/Celeste」
(ストップ・ディス・フレイム/セレステ)



夜空とコーヒーとドーナッツと。
お気に入りの音楽と。
停めている車の横を時折通り過ぎていく色々な車のヘッドライト。
バイクや自転車やランニングをしている人達。
18で車の免許を取ってから変わらない行動をしているドーナツな自分。
今のところ、ですけど、
落ち着きのない僕の様な人間にとっては、
愛車さんは宝物で、無二の親友でもあるのです。(^^)



上にも記しましたが、
歴代の愛車さん達をずっと守り継いでくれているトトロさん。
もう15年ぐらい!?のお付き合い。
いつも凛々しいのでやんす。


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斧を示す

2021-05-21 00:08:05 | 願い
目前にある自分の生活や、
緊急事態的な自国の状況に対応することだけで精一杯の毎日でして。
なので、他の国のことなどを思い計れるような余裕も全く持てていなく、
少々情けない日々でもあるわけなのですが。
それでも、このところ続いている
「インド」に関係するニュースはとても気になっています。
インド変異株や悲惨な医療崩壊のニュースは勿論ですが、
「インド」というキーワードでググったりしてみると、
とにかく沢山の禍(わざわい)のニュースが出て来てしまいます......





今年の初めに「風和」という二話完結の記事を記していたのですが、
その二話目の最後にこんなことを記していました。
改めてのコピペを載せると......



==================================
最後に少しだけ......
上の幾つかの写真はバリ島におけるヒンドゥー教の総本山
「ブサキ寺院」を訪ねた時のものなのですが、
今年の干支である牛さんを神聖視しているのがヒンドゥー教となります。
中でも、教徒が最も多く、有名な国としては「インド」となるでしょうか。
ヒンドゥー教が牛さんを神聖視している理由としては、
ヒンドゥーにおける最重要神の一柱である
「シヴァ神」さんの乗り物が牛であったり。
人気者の「クリシュナ神」さんが元々牛使いであったり。
古来より農耕における重要な労働力が牛であったり......と、
そんなコトのようなのですが。丑年の今年は、
そんなインドという国はちょっと注目なのかなぁ、なんて。
一般的には、やれアメリカだ、中国だ、という感じだとは思いますが、
僕さんとしては、
ウシ年ということにそんなことを感じミテいたりもします。
==================================



まだ他にも色々と思い、感じることはあるのですが......
僕のような小市民としては、
インドという国家に対しては、もう、
誠実なる「祈り」を捧げることぐらいしか出来ないような無力さで。
でも、少しでも、
自分に出来る様なことがあれば頑張りたいとも思っております。
とにかく、全てが他国ごとではなく。
目前の生活のことも、
この国に関することも、
なんとか乗り切らなければと。



そういえば、
こんなことを記していたら、
巷(ちまた)でよく話されたり、
書かれたりもしている様なことを思い出しましたが......

「祈りと願いはどう違うの?」

みたいな。そんなこと。
既にもう、そんなことはあちこちに記されていたり、
議論されていたりもすると思うのですが......例えば、
「祈りとは、意(い、意思、気持ち)を宣(の)るからだ」
とか、
「生(い、いのち)を乗せ、宣ることだからだ」
とか。
そんな感じで。
なので、ここでは、
超、個人的には、
こんなふうに捉えておこうかと思っているのです。



「祈りとは、
皆で本気で祈ったら本当にそうなるもの」



ンなわけねーだろ!?
そんな話じゃねーだろ。
バカじゃね!?



と。
多くの人はそう思われるかと。
もちろんです。ええ。



ただ「祈り」というものが「願い」と違う、
その唯一点と思われるところは、
「見返りを求めない」
という主体者の精神性にあるのではないかと僕は思うわけなのです。
そもそも「願い」とは「見返り」そのもののことでもありますし。
欲しいもの、
手にしたいものソノモノに対して発生する気持ちで。
となると「祈り」とは「主体者の姿勢そのもの」のことでもあり、

「自分は必ず!こうあります!」
「こうあれば!と思っています!」

という宣言や宣誓に近しいことなのだとも思うのです。
ここから論旨を起こすと、例えば

「皆で平和を祈った」

としたら、
本当に皆が、すべからく、全員、
その祈りの通りに行動したとしたら、
争い事が起こる可能性は「ゼロ」になってしまうわけです。
誰かがそれを破るから、
はみ出すから、
争いが起き、
その波が周囲に拡大もしていくわけで。
お隣さんとのブロック塀問題が国家間戦争へと繋がっていく......
などと言っても間違いのない話ではないかと思うのです。
なので、皆で平和を祈り、

「自分は一切の争いをしませんように。
争いはしないで生きていきます!」

という姿勢を宣誓し、
そんなことを、もし一人残らず貫いたらとしたら、
一人残らず祈ったとしたら......
平和にならないわけはないのです。
皆で真に祈り、行動したとしたら必ずそうなる。



「祈り」とは、そんなことのようなのです。



「こうありたい」と願う、見返りを求めない姿勢。



そして、
こう考えてみると、
平和などということに関しても、本当は、
祈りこそが唯一の方法なのかもしれません。



ちなみに、漢字の意味や成り立ち的な所から考察する
「漢和辞典」的な見地からでも同じ様な論旨となっていて。
「祈り」の「祈」という字は、
元は「示(しめす)」編に「斧(おの)」なのだそうです。
「斧」は釣り針の形の先に「刃」を取り付けた
形象イメージの文字なのだそうですが、
要は、「祈」とは、
作物や山海の幸を神に捧げる「供物台」のことで。
ストレートな表現をとれば「いけにえ」の台。
供物を神に捧げ示しながら感謝、宣誓をする。
そんなことから成立して来た文字なのだそうです。
供物を捧げて神に近づくということで、
後に「近い」という文字との重なりも生まれてきて、
そうして現在の「祈」という文字になったのだそうです。



インドも、
この国も、
自分も、
禍(わざわい)から立ち直れます!
立ち直るのです!
立ち直れますように。。
たちなおってくれよーー。。。
たちなおるぞーーー!



むむ。
祈りがわからなくなった。。( ˙-˙ )きょとん。


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玉前徒然 2

2021-05-17 00:03:26 | 不思議...パワスポ寺社
よくできたもので、
海岸線は国道128号線(房総横断道路)にものの見事に沿ってますが。
次回は、このお手製の地図も絡めて、
玉崎神社さんの奥に隠れている徒然話などを記し置いておこうかと。
またどこにも残っていない様なお話となるとは思いますが、
もう一話だけ、続かせていただきます。(^^)






現在の地理に関しては、
一宮は房総半島東部の中心地の一つになるのだと思います。
そして、上にある縄文海進の時代にしても同様で、むしろ、
昔の方が海に突き出た岬......
まさに「前(さき)」であったことが明瞭であり、
その地理的優位性が見て取れます。

なにより、この地の沖には今も昔も変わらない、
南から流れてくる黒潮と、
北から流れてくる親潮とがぶつかる一大漁場があります。
寒流と暖流が交わる海が陸の程近くにあるというのは
世界的にも稀有なことなのだそうで、
この一宮から銚子にかけての一帯は
昔から山海の幸が豊かであったと思われます。
更には、一宮は川(一宮川)の河口でもあって。
河川運搬で下ってくる作物や山幸と、
海から上がってくる海幸や人々との
交差点ともなっていたのではないでしょうか。

ちなみに、一宮の山奥側には
「茂原(もばら)」という地があるのですが、この名は、
昔は一宮川の河口から内陸に広がっていた汽水域の湿地が
「一面の藻の原」の様だったからではないか......
とも想像できます。

一方で、一宮の南、
東浪見鳥居(とらみとりい)と神洗神社(かみあらいじんじゃ)
のある太東埼(たいとうさき)は、さらに外洋へと突き出ていて。
この形は大型船舶を有する船舶漁業者さん達にとっては
今よりも利便性が高かったのではないでしょうか。
この地図を見る限り、
大きな漁船や貿易船などは一宮付近の遠浅の浜に付けるのは難しそうで、
太東埼(たいとうさき)の南側も同様。
九十九里浜は昔から砂礫が厚く堆積していた
非常に浅い海であったことに間違いは無く。
また、そうであったからこそ現在の様な浜辺ともなったわけで。
岬自体も基本は険しい崖ですし、
船を付けるとしたら岬の北側の付け根......
やはり、神洗神社の辺りでしょうか。
現在の太東漁港がこの辺りにあるのも頷けます。
ここから一宮や玉崎神社に向かうには、
この辺に船を付けてから浅瀬をボートで移動するか、
上陸した後に陸路で一宮に向かう......
という形にもなるかと思います。
玉崎神社に今に伝わる「上総十二社祭り」などは、
まさにこのことを実像化している様に思えます。

そんな豊かな地を治めていた王の精神的、占術的支柱ともなれば、
それは現在の天皇陛下的な立場ともなり。
そんな力を持っていた方が玉依姫(たまよりひめ)さんで。
以前も幾度か記していましたが、
玉依姫とは「魂=タマ」が「依る=ヨル」姫さんですから、
神の言葉を降す能力と位の高い巫女職の名称とも思われます。
役職名ということです。
その最上位は「日の巫女」であり、いわば「卑弥呼」。
そんな女性が国の行末や、
日々の「政治=まつりごと」の良し悪しを占う際に
潔斎(けっさい)を行っていたであろう地が、
現在の神洗神社さんのある地ではないかと。



そうです。



神洗(かみあらい)とは、髪洗(かみあらい)です。



長く美しい黒髪であった!?
玉依姫さんや高位の巫女職の皆さんは、
神洗神社の地で心身を洗い清めてから、
玉前神社(たまさきじんじゃ)の方に入られたのではないかと。
実のところ、これと似た形は日本中至る所にあって。
有名なところで言えば、京都、嵐山の
「野宮神社(ののみやじんじゃ)」さんなどは、
伊勢神宮の女王たる「斎王(さいおう)」が神宮に入る際に、
嵐山の水で心身を清める生活をしばらくしてから参入する......
という場所でした。
神洗神社と玉前神社とはソレと同じ関係に思われます。
なので、神洗神社さんは「元宮」というわけではなく、
「潔斎の宮」であると思えるわけです。
神洗神社さんのあたりには今でも真水の池が沢山ありますし、
海もすぐそば。
潔斎の場所となれる環境も十分。
そして、そんな祓いや清めをした後に、
玉依姫さんが玉崎神社に入るために辿る道が海岸線の道であり。
それは、古(いにしえ)の昔においては上の縄文海進地図にある様に、
今の国道128号線であったのではないかと。
地図の通り、この道のすぐ横は昔は海だったワケです。





最後に、上にも出て来た玉前神社における最大の祭り
「上総十二社祭り」に関してですが、
この祭りは房総最古の浜降り神事であり、
1200年以上の歴史と伝統を誇るそうです。
それは、まさに、海の向こうからやって来た神々が集う祭で。
興味深いことは、その神々の数がなぜ?
「12」という数字で表されているのか。
今回の「玉前徒然」のお話は、
このまま「鹿島徒然」のお話へと繋がっていく......
というわけなのです。(^^)



鹿島徒然
鹿島徒然 2
鹿島徒然 3



上総国一宮の北、
それほど遠くない所にある茨城県、鹿島神宮。
そこもまた、以前記した様に
「12」と言う数が滲み出てくる地であり、
この、上総から鹿島にかけての一帯というのは、
そんな12を聖数とする神々の地でもあるようなのです。
鹿島エリアのアチコチに散らばる12の文字......
( ̄+ー ̄)むむむのむ。





鹿島神宮の主祭神は建御雷神(タケミカズチノカミ)。
剣とカミナリ。
日本国神話における最強の武神。



玉前神社と同じく、
太平洋を望む鹿島神宮「東一の鳥居」。
写真は東日本大震災前の、まだ防波堤が低かった頃のもの。







「12」と縁が深い神と言えばゼウス。
オリンポス(オリュンポス)12神のトップの神であり、
雷(いかずち)を操るギリシャ神話最強の武神。



ギリシャ、アテネにあるゼウス神殿。
街中にある、
有名な「ハドリアヌスの凱旋門」をくぐった先に見えて来ます。





日本はギリシャとも強く繋がっているのかなぁ、と。
個人的には感じ、思ってもいます。(^^)


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玉前徒然

2021-05-13 00:44:44 | 不思議...パワスポ寺社
一向に良くならないコロナ禍の中、
なかなかハワイに帰れないでいる「レディYUさん」と
近所のカフェでお茶をしていたのです。
と、その時。
どーも、天からのお導きがありまして。
急遽、そのまま一緒に千葉県の一宮に行くことになりました。
聞けば、一宮にはYUさんの親しいお友達も住んでいるとのことで。
そこにも寄れたら良いですなぁ、と、
道中の車ではそんな会話もしていました。
その千葉県、一宮の象徴といえばコチラとなるのでしょうか。
地名の元ともなっている、上総国(かずさのくに)の一宮、
玉前神社(たまさきじんじゃ)さん。
主祭神は玉依姫(たまよりひめ)さん。



霊感の鋭い方々といると時折起こるお導き案件なのですが、
この時もそんな感じで。
ワケもわからず伺ってみると、
神社の駐車場に車を止めた瞬間......



「あぁ、、そーなのね。。」



と。



「YUさんや。
とても良い神社さんなんだけど......ちょっと重くて暗くね?
わかる?よね。うん。
こんな神社ではなかったんだけど。ここ。
以前も来てるのだけど......
ま、先ずは中に入ろうか」



要は、少々、
人の落としていっている念的なモノが多すぎるのです。
強すぎるのです。
神社の神々や眷属の皆さんでも処理や清掃が間に合わないくらい。
それが少し溜まり、濁ってしまっているような感じで。
ちょっとばかりのお掃除要員として来たのでしょうか。
使いっ走りというヤツで。ええ。ええ。
特に周囲を裸足で回り歩くように造られた
「はだしの道」なる「塚」的なモノの一帯がケッコウ厳しく。
白蛇!?だらけな感じで......
こりわ、なんとかせねば、と。
なんとなくですけど、この辺り一帯、
スピや占いや霊能系の方々?などが?
何かやっちゃっているのか?
どーなのか。
念のこもった石?やら玉?やら、
何やら様々なモノを境内の土の中に埋めているような感じも......
神社という聖域の中で!?そんなこと!?マジで!?
うーーんん......もし本当なら、
ちょっと色々とお間違いになられているコトがアルのではないかと。
神社とか、神様とか。
夢の叶え方とか。
そういうものの捉え方などを。少々。ええ。



頑張ってみましたけど。
自分に出来るだけのことは、で。ええ。
なかなかにキツイ状況ではあったようです。
人の念というのはいつもケッコウなモノでして......



美味しいお茶と、
子供の日の柏餅と、
母の日のお花を添えて。





境内を後にして、で、仕上げるには、
このまま海に向かわなければなんねーど......と。
やはり、玉前神社さんというのは、
この先にある「釣ヶ崎海岸(つりがさきかいがん)」に佇む
「東浪見鳥居(とらみとりい)」なる場所に伺わねば、
来た甲斐が無い!?ってなものでもありまして。
神社で巻き上げたモノモノを、
お持ちしたお酒と一緒に海に流していかねばなんねーど......と。

しかし!

海岸に来てみて驚いたのが、なんと、今、
東京オリンピックのサーフィン競技会場設営のため、
砂浜には完全立ち入り禁止。
マジか!?
ここでやんの?サーフィン?
オリンピック!?決定?
そーなのか。。
じゃ、昔のスマホ写真でも載せておこうかなぁ......とか。
あしからずでして。ええ。すんまそん。
僕さん、この辺に来ると必ず立ち寄ってしまう大好きなスポットで、
以前はサッカーの九十九里合宿!などで来たりもしていたところ。



こちらの美しい鳥居さんは、この近くにある
「神洗神社(かみあらいじんじゃ)」さんの鳥居とされています。
地元では玉崎神社の元宮とも伝わっているところ。
この日はそんな鳥居の元に入ることが出来なかったので、
なので、その隣の砂浜に......





さてさて。
とても興味深いコトなのですが。
人の念や深い思いといったものは、時折、
その内実によって様々な形象をとって見えたりもするようなのです。
中でも、知性を伴った強くて深い執着や執念、
願望や欲望といったものは、どーも、
蛇さんの形をとるようなコトが多く。
特に女性のソレは、白蛇の形象をとるコトが多いようにも思えます。
男性の場合は白でなかったり、
違う動物だったりもするのですけど。
この日は、そんな白蛇さん達が沢山旅立っていかれた!?ようでした。





そんな白蛇さん、玉崎神社、玉依姫、神洗神社......
と揃ったワードに、以下の
今より海面が9メートル程高かった時代の地図=縄文海進地図
などもお付けして。





よくできたもので、
海岸線は国道128号線(房総横断道路)にものの見事に沿っています。
次回は、このお手製の地図も絡めて、
玉崎神社さんの奥に隠れている徒然話などを記し置いておこうかと。
またどこにも残っていない様なお話となるとは思いますが、
もう一話だけ、続かせていただきます。(^^)


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凛と

2021-05-09 00:09:08 | 願い
「出来る美女」のH嬢が、以前、デパートの?企業の?
受付嬢をやっていた時の話をしてくれたことがあったのですが......



「———————いいじゃん。
受付って慣れたら楽そうだし。モテる!?し。( ̄∇ ̄)」

「何言ってんの。
実際は違うわよ。
やってみればよくわかるわよ。
特に、慣れてきて余裕とか出てきてからが本当に大変なのよ。
私なんて、その頃付き合ってた彼氏のことばかり考え出すわけ。
そうすると、本当に止まんないのよ。
特に暇な時とか、やることがない時とか、
そんなことばっか考えるから、
それがだんだん自分でも知らないうちにエスカレートしていって。
そういえば、って。
あの時あいつ、コンナこと言ってたな、
こんなもの持ってて、、あ!
もしかして!浮気!じゃね?とか。
最終的には自分がこうしている間に彼が浮気してんじゃないか?
って。
嘘ばっかりついてるんじゃないか?
って。
笑顔とかしててもいつもそんなことばかり考えていって。
それで、本当に怖いのが、
そう思うと性格まで疑い深くなってくのよ。これが。
なんか嫌な女になっていくの。
彼氏に会うと、
“浮気してんだろ!”
みたいな話ばっかしちゃうわけ。
怒りっぽくもなっちゃうし。
それが怖いのよ。
受付嬢やっている時は、私、
どんな彼氏とも全然長続きしなかったもの。
この仕事は私には無理なんだ、って、そう思ってやめたの。
でもね、そういうのが得意な子ってやっぱりいるのよ。
それはもう天職だと思う。
私はね、とにかく性格悪くなっちゃうの、ほんと」



4都府県の緊急事態宣言延長が決まりました。
まん延防止等重点措置も含め、新たな地域の追加も。
僕の働くエンターテイメント業界の環境や状況に関しては、
一向に良くなっていく気配がありません。
この国も、
良くなっていってくれている気配が一向に感じられません。
政治や政治家にも深く落胆してしまっていて。
そんな政治を生み出してしまっている要因の一端であろう自分の姿にも、
とても情けなく、悲しい気持ちがあったりもして。
そんな中で、最近、すごく思うのが、

「正しいことが分からなくなってきている」

ということでしょうか。
それは昼夜を問わず、
自身の心情と同調してくれない静けさの中に入ってしまったりすると、
無駄に無駄な考えを巡らしてしまうようなことも
多くなってしまっているように感じていたりもします。
本来必要でないようなことを深堀りしてしまっているような状態。



ここで負けちゃだめだ。



凛として、騒がず。
嘆かずして、動け。



本当に考えなければいけないことは何なのか?
考えなくて良いことを考えたりしていないか?

真に必要な思考と行動とは何なのか?

知らず知らずに流されて、
首輪をはめられた犬のようになっていないか?
誰かや何かに飼われてやしないか?
飼われることに力を注いでやしないか?

せっかく首輪が取れたのに、
繋がれていた鎖が無くなったのに、
走らず、
どこにもいかず、
相も変わらず飼い主の元にいて、
ワンワンと不平不満で噛みつきつつも、
今まで通りの小屋で寝ていたりしていないか。

つなぎ止めるものが無くなったのに、
その意味もわからず、
動き出していないのではないか?



コロナ禍に染められて、今、俺、
性格が悪くなってやしないか?
何かを曲げられてしまったりしていないか?
全ては自分の成長のためなのだ。



月は満ち、欠けてゆく。
太陽は昇り、沈みゆく。



完全とは、
満ちて欠け、
昇り、沈むことなのだ。



大好きな5月の海を眺めながら、
僕は自分とそんな会話をしていました。





おめー、バカじゃね!?
ちゅんちゅん( ̄  ̄)。。的な。ええ。


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ウナギクライシス 9

2021-05-05 01:44:52 | 美味い
お腹が空いたので
近所のラーメン屋さんに入ってみたのですが。
店のアチコチにこんな札が貼ってありまして。





しょうがないことですが。
なんすかね。
気持ちが落ちちゃうんですよね。

「食事の場ぐらいはマスク外しても良いですよ♡」

なんて張り紙なら良いのになぁ、なんて。
無理でしょうけど。ええ。
ちょっと愚痴っちゃったりして。。(´-`).。oO
そー言えば、思い出も多く、とても好きだった
代官山のクラブ「LOOP」も閉店するみたいで。
僕さん、もう、けっこうレッドゾーンっす。
ココロ折れちゃいます。ほんと。
こんなこといつまで続くのでしょうか。
なんだかショゲてしまいます。
かなりショゲちゃったので、こんな時は豪勢に!?
ウナギさんでも食べて無理やり元気出しちゃおうか!?
なんて。
でも、鰻屋さんも結構休業していたりなんかして。
もはや、思い出の中に住む美味しいうなぎさんを

「ぽやややややーーーーーんんん。。。(*´ー`*)」

と、思い出しながら緑茶を飲む♪
ってなことにしちゃおーか、とか。ね。ええ。
久々の「ウナギクライシス」なのです。
過去記事の方は以下のテキストリンクまで。
なにとぞ。



ウナギクライシス(蓬莱軒)
ウナギクライシス 2(野田岩、桜家)
ウナギクライシス 3(川豊)
ウナギクライシス 4(川豊)
ウナギクライシス 5(美登利)
ウナギクライシス 6(加茂、いずもや)
ウナギクライシス 7(新田うなぎ)
ウナギクライシス 8(新田うなぎ)



心から
「おいしいなぁ、、」
「値段と見合うなぁ、、」
と思えるウナギさんの中で、
「今住んでいる家から一番短時間で行けるところ」
となると、僕さんの場合はコチラのお店となるでしょうか。
勿論、超個人的なお話とはなりますが。



「鰻松(うなまつ)」さん。
場所は神奈川県の金沢八景、野島公園駅の近く。
家から近いとはいえ、それでも、
車で30分以上は走らないといけないのですけど。
第三京浜(だいさんけいひん)という、
だいたい空いているお安い高速道路をビュンビュンするわけです。
が、それでも、
時折食べに伺う価値のあるウナギさんではないかと。
そう思っちょります。(^^)
かの初代内閣総理大臣
「伊藤博文(いとうひろぶみ)」さんの別邸近くにあって。
博文さんもこよなく愛された鰻屋さんだと伝え聞いてもおりまする。
して!こやつが!ソノ!
うな重さーーーーーん!ヽ(´▽`)/



「ポエム!!」



と、思わず「粗品ポーズ」が出てしまうほどの美味しさ。
「焼き」と「蒸し」のバランスは、
僕さんの「基準的物差し」となっている三島の「桜家」さんに
限りなく近いのですが、それより、
なんと言いましょうか......上品。
決して桜家さんが下品ということではなく。
タレの味に微妙な違いがあるというような意味でして。
「タレだぜ!存分に楽しみな!」
的な押しは桜家さんより控えめで。
どことなく「香り」を乗せてタレを味あわせる......といった、
そんな感じ。
博文さんぽい?重箱の上品さにもヤラレちゃったりして......



「ぽえむ!!」



帰りには、すぐ近くにあるレジャーランド、
「八景島シーパラダイス」
あたりを散歩して、
コーヒーとかスイーツとかして帰る☆
......ってなおまけもついてくるってなものでして。ええ。
なんだか良きエリアなのでございまつ。









以下はオマケとなりますが、
少し前の「春の日」という記事に載せていたこの写真に関して......





また幾つかのメールを頂いていたので、
反復記号」とか「答え合わせ」の記事の時の様に、
答え合わせ的な感じで最後においておきます。
日輪の左上に重なるようにして見えるのは、
栄ちゃんが知らんぷりして出してくれた、
持って行った紫蘭のサインではないか!?と。
なんて。ね。ええ。





なにとぞ。
しらんぷりを。(^^)


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笠間徒然

2021-05-01 18:33:33 | 不思議...パワスポ寺社
ゲシュタルト崩壊」という記事の中で記していた通り、
ちょっとした用事がありまして。
少し前に茨城県の「水戸市」に伺っていました。
勿論、今回の緊急事態宣言以前のお話となりますが、
久しぶりのポンチーキーズ集合。
今回は僕さんを入れて五人。
皆とは水戸駅にて待ち合わせ。



水戸といえば水戸の黄門様。
水戸光圀(みとみつくに)さん。



北口を出たロータリー近くにあるこの大銀杏(おおいちょう)さんも、
深い意味も力もあるもの。
ご挨拶は欠かせなく。ええ。ええ。



で、今回こちらに来た理由となる、
マニアック過ぎて地元の人でもほとんど知らないであろう
トアル古墳へと向かい。
また今度記すであろう諸々のことを皆で完了させ。
その帰り道。
車から空を見上げてみると......



「ふーーーーむ。。。
あそこへ、来いと。
寄っていけと。
そーいうことみたいだな......
みんなさ、あの雲の下のあたりに寄っていってもいい?
時間は大丈夫?
あの雲の下は......今、あそこだけ突然、
少し雨が降ってるだろーけど......あの場所はさ、多分、
笠間稲荷(かさまいなり)さんていう、
日本三大稲荷と言われている神社さんがある所だと思うのよ。
この辺の1番の守護神社さん。
どーだろ?
あ!
キツネさんだけど大丈夫だよ。
前も話したじゃん?キツネさんの話。mikoちゃんとかにも。
今日の古墳からの流れだと行ったほうが良いと思うんだよねー。。」

と、そうして向かった笠間稲荷神社さん。
途中の雲はさらにエグくなっていって、
こんな感じ.......



4匹の稲荷さんが重なって先導をしてくれて!?
大きな黒玉のようになっているのです。
後ろに伸びる雲はふさふさの太い大きな尾が重なっている姿でしょうか。
黒玉のような雲には左側から4っつばかり、
ピコっと頭が出ています。ええ。勿論!
気のせいです。ええ。ええ。( ̄∀ ̄)



神社に着くと、
ポンチキーズ筆頭のプリリンねーさんが

「なんか、栗まんじゅうが欲しいんだってー。きゃははーー」

とのたまうので。
神社に入る前に、
皆で参道に立ち並ぶ数多くのお店をテクテクと栗まんじゅう探索。
しかし、一向に見つかりません。
普通の饅頭はあるのですけが......
個人的に、一番雰囲気が良かった、この「中屋総本店」
というお店の人に栗饅頭のことを聞いてみると......



「あーーーー、、ありますよ。
でも、季節ものなんですよ。
毎年9月から始めて2月までですかねぇ。
今はないですねーー。。」



ということで。
稲荷さん達には申し訳ないのですが、ここわ、一つ、
普通の饅頭でご容赦を願い。
また必ず!秋に来ますので。
何卒、よろしくでございます、と。
そんなお話をしながら、おバカ丸出しポンチキーズは、
周囲を唖然とさせる言動をつらぬくikuちゃんを筆頭に
境内へと入っていきました。







あまりに美しい枝垂れ桂(しだれかつら)と、
藤棚(ふじだな)。(^^)



拝殿でおまんじゅうをお供えして。
皆で今日の古墳での出来事のお礼と、
この地をいつも守ってくれていることへのお礼と、
こちらへ導いてくれたことへのお礼と......完了。
帰るよーー。。。っと。

むむ!?

拝殿の裏が!

なんかあるな......怪しい.......

おーーーい!

みんなー!

こっち行くよーーーーーーっ!

こっちねぇぇーーーー。。。

おおお!!?

こ、こりわ!?

み、mikoちゃん!

さっき本殿にあげたおまんじゅう!

下げて持って来てもらえる?!全部。

大丈夫だから!

こっちだ!こっち。

もってきてぇぇぇぇーーーーー!

と。拝殿から下げさせてもらい、
改めて捧げ直させてもらった狐さん達の塚。





塚の前の本殿壁面の彫刻も圧巻の見事さ。
日本遺産!?なるモノなのだそうで。





狐塚とか、見ようによっては?
異様で怖い!?
何かと御礼とかもし続けないといけないんじゃね!?
なんて思う様な人も沢山いるかとも思いますが。
笠間の稲荷さんはまごうことなく正神の眷属さん。
伏見系。
でなければこんな記事もここで書かないし、
そもそも絶対に寄らない。問題なし♪(^^)

「見えちゃうから仕方ないのぉ、、」

筆頭のみゆきちゃんも可愛がってアタマを撫で撫でしていましたし。
ボスさん達は真っ白で大きくて、
とても高貴な感じだとおっしゃってました。
とても働き者で、
とんでもない力と崇高なる精神性を持った狐さん達なのです。
すごいです。感謝なのです。
いつもありがとうなのです。

「?????」

と、頭の中にクエスチョンマークが出た方は、この
キツネさん
という過去記事まで。ええ。ええ。
キツネさんに関する大枠ゴトとmikoちゃんが如何に漢字に強いか......
ということがしっかりと記し置かれているかと。ええ。何卒。
と、まぁ、そんな1日。
帰りは大渋滞に巻き込まれましたとさ!(T . T)ぶぇ。







上記したように、
僕らは急遽寄ることとなって。
当然、何の予備知識もなく参拝させてもらっていたもので。
僕は、帰ってからもずっと、

「なぜに?4匹?」

ということが妙に気にかかっていました。
それで、その日の夜にネットをひっくり返し、
笠間稲荷さんに関して調べてみました。
すると、以下のような伝承が出て来ました......



==============================
むかし、静神社(しずじんじゃ)の森の中に、
四匹の兄弟狐がすんでおりました。
名前は上から源太郎、甚二郎、紋三郎、四郎介といいました。
ある日、狐たちが集って相談をしました。

「おれたちの仲間には、人間を困らせているものいる。
ひとつ罪ほろぼしに、おれたちの手で荒れ地をきりひらこう。」

ということになりました。
源太郎は静にとどまり川を守ることになりました。
甚二郎は野を、紋三郎は山を、四郎介は海を守ることになりました。
四匹の狐は開拓に勢を出し、
やがて村ができ、城がたつようになりました。
そして四匹は守り神となり、
源太郎は瓜連城に、
甚二郎は米崎城(那珂町)に、
紋三郎は笠間城に、
四郎介は湊(那珂湊)にまつられたということです。

那珂郡瓜連町の静神社のあたりは、むかし静織の里ともよばれ、
常陸の機織りの発祥の地とも伝えられています。
==============================



後日、このことをポンチキーズの皆に話そうしていると、
まだ、この伝承を知らないねーさんから電話があり。
こんな話をしてくれました。
狐さん達がねーさんに話してくれたお話なのだそうです。



「うーんとね、4匹は兄弟で、
末の狐だけ女?雌なんだって。
名前はシズカっていうらしいよ。
きゃははーー(^^)」



「マジか!?
実は笠間稲荷の伝承があって、狐は4兄弟だったとあるんだよ。
ネットとかにもあるから調べて見てみて。
驚くね。流石だな、ねーさん。
しかし......ふーーーむ......確かに、
4匹目だけ明らかに名前の感じが違うよね。
皆、〇〇郎、ってなっているのに、なってないし。
伝承がどこかで違って伝わって来てしまったのかな。
昨日、見えた感じも、写真を見ても、
多分、ねーさんの言う通りだと思うわ」



静神社(しずじんじゃ)の静の文字との繋がりも見えますし。
大吉のおみくじもいただきましたし。





また、秋に、
栗饅頭を持って伺おうかと思っています。ええ。(^^)


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