雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

ランプの精の湯 6

2019-10-31 00:03:16 | 凄い...パワスポ寺社
ランプの精のレコメンド温泉というのは、毎度、
温かい気持ちとともに、何かしらに驚かされてしまうのでございまつ。
次回は2位のお話へと続きます。ええ。


第2位!

言わずと知れた!

大分県、

由布院温泉!



この由布岳(ゆふだけ)の麓に広がる、最早、大メジャーの温泉地。
最近は「湯布院温泉郷」という名称も使用しているそうで......



北九州が近いということもあり、最近は外国人観光客がとても多く。
特に韓国の方々が異様に多い場所となってもいて。
街は温泉風情を通り越して、京都の新京極の様な、
東京の浅草界隈の様な、
激しく「観光立国ジャパン!」と化していまする。
「古き良き」的風情は薄まっている感じでしょうか。
ただ、賑やかな温泉タウンが好き!退屈はキライ!
なんていう人にはサイコーだとも思われます。
街中には外貨両替所なんかも沢山あるのです。
温泉郷では珍しいのではないかと。はい。



唐揚げが好きなんす(*´ー`*)



「亀の井 別荘」さんは由布院の代名詞でもある
「金鱗湖(きんりんこ)」のほとりにある名旅館。
この地における最初の大きな温泉旅館であり、開拓者でもあり。



金鱗湖のほとりには天祖神社(てんそじんじゃ)さんも。
写真の中央、奥には湖上の鳥居が見えます。







この「泉(いずみ)」と言う蕎麦屋さんが僕さんのお気に入りでして。
金鱗湖を眺められるテラスで食べるのが好きなんす。ええ。





さて。数多くの有名宿やホテルや温泉がひしめくこの地。
その中で意外と?知られていない湯が一つだけありまして。
しかしソコこそが、おそらくはこの地における「温泉」の中心と思われ。
コチラ。「下ん湯」。「したんゆ」と読みます。



向い側には、上(うえ)に相当する?地元の人専用の温泉もあるのですが、
湖に近いこちらの方が神々しさを感じます。
優しい地元の人が皆に開放してくれてるのではないかと。
茅葺きの建物もサイコーっす。200円っす。混浴!っす。
妖しさに足がすくみ、期待に胸が膨らみすぎちゃうっす。
しかし、この時はお一人様で貸切り!ってな感じで。
由布院に限らず、僕さんの場合、
混浴でおっちゃん以外と一緒になったことは生涯で一度もないのでちゅ。
僕さんわどうしたら良いのでしょーか?
かみさまぁぁーーーっ。。( ´△`)/ ドシテナノー



屋根内と外とに2槽あるんすけど。
泉質はあきらかに屋内の方が良いのです、が、
薄まってない分アッチキチーで。外の方がぬるめで入りやすいかと。
外湯から乗り出すと大空も由布岳も金鱗湖も見えて。
観光客の皆さんからもまる見えで。ええ。見せつけちゃいます。ええ。
うりゃぁぁぁーーーっ!(*゚▽゚)ノ ドシテナノー



もう一つのお気に入り。「夢想園(むそうえん)」さん。
露天風呂がヤベーっすの。
由布院の街の喧騒から離れた丘の中腹にあるので、
静けさと開放感のバランスがとても良いのです。



温泉の中の写真は撮れないので、公式サイトの写真を拝借しまちゅが。
こんな感じっす。やべーっす。



ま、「雲完」ですので。
ランプの精さんのレコメンド紹介の記事でもありますし。
やはり最後はこの地の最重要スポットを記しておかねばなんねーぞ、と。ええ。
由布院に訪れると僕さんが真っ先にご挨拶に行くのがコチラでして......





「宇奈岐日女神社=うなぐひめじんじゃ=うなぎひめじんじゃ=うなきひめじんじゃ」
奥の方にとんでもねー神様が潜んでるんす。ええ。
観光客さんもほとんどいねーっす。
ココがある限り、ここが皆に大切にされている限り、
由布院は守られるわけです。
ランプの精さんがオススメするわけなのです。





この温泉地に入ると誰もが目にする、町のど真ん中にある大きな鳥居は、
実はコチラの神社さんの参道であるという証なワケです。
古来より、由布院の町はこの神社さんの御敷地であるのです。外せないっす。



それと、そのほど近くにある末社「大杵社(おおごしゃ)」さん。
樹齢1000年以上のとんでもねー、天然記念物の杉の木があるんす。





この二社にご挨拶してから「下ん湯」に行くっつーのが僕さんのお決まりでして。
ええ。
ということで。
次回は待望の!?第1位!
のお話となるのでございまつ。
秘湯中の秘湯っす。。(*´ー`*)




☆ランプの精がオススメする日本の温泉ベストテン☆
1位———近日UP!秘湯中の秘湯!
2位———この記事っす。
3位———箱根温泉(過去記事......ランプの精の湯箱根徒然
4位———肘折温泉(過去記事......ランプの性の湯 5
5位———丸駒温泉(過去記事......ランプの精の湯 2、丸駒温泉
6位———七沢温泉(過去記事......ランプの精の湯 2
7位———宝泉寺温泉(過去記事......ランプの精の湯 3
8位———南紀白浜温泉(過去記事......ランプの精の湯 4
9位———北川温泉(過去記事......ランプの精の湯
10位———熱海温泉(過去記事......ランプの精の湯



☆温泉関連の過去記事はコチラ☆
・豊富温泉(北海道、豊富)———【豊富温泉
・上の湯(山形県、肘折)———【ランプの静の湯 5
・宝川温泉(群馬県、水上)———【宝の川の日
・コタン温泉(北海道、弟子屈)———【鍔とアイヌ
・砂湯(北海道、弟子屈)———【鍔とアイヌ
・和琴温泉(北海道、弟子屈)———【鍔とアイヌ
・丸駒温泉(北海道、千歳)———【丸駒温泉
・恐山温泉(青森県、恐山)———【恐山徒然
・十和田湖西湖畔温泉(青森県、十和田)———【十和田湖徒然
・矢櫃温泉 瑞泉閣(岩手県、一関)———【邪馬台国徒然
・山王山温泉 瑞泉郷(岩手県、一関)———【邪馬台国徒然
・ほったらかし温泉(山梨県、笛吹川)———【イチロー備忘録
・伊香保温泉(群馬県、伊香保)———【榛名徒然
・富士眺望の湯 ゆらり(山梨県、鳴沢)———【此花咲耶姫
・もえぎの湯(東京都、奥多摩)———【鳩ノ巣徒然
・龍宮殿本館(神奈川県、箱根)———【ランプの精の湯
・七沢荘(神奈川県、七沢)———【ランプの精の湯 2
・壁湯温泉(熊本県、宝泉寺)———【ランプの精の湯 3
・天山湯治郷(神奈川県、箱根)———【箱根徒然】【ランプの精の湯
・縄文真脇温泉(石川県、真脇)———【巫女姫の太鼓
・杉の子温泉(石川県、白山)———【ここ掘れワンワン
・みくりが池温泉(富山県、立山)———【立山徒然
・黒根岩風呂(静岡県、北川)———【ランプの精の湯
・ホテルミクラス(静岡県、熱海)———【ランプの精の湯
・須佐温泉(島根県、須佐)———【青き炎
・玉造温泉(島根県、松江)———【猿田彦ミステリー
・たまて箱温泉(鹿児島県、指宿)———【かんぱかぱーん
・道後温泉(愛媛県、松山)———【ここ掘れワンワン
・白良湯(和歌山県、白浜)———【ランプの精の湯 4
・牟婁の湯———(和歌山県、白浜)【ランプの精の湯 4
・崎の湯———(和歌山県、白浜)【ランプの精の湯 4
・浜千鳥の湯———(和歌山県、白浜)【ランプの精の湯 4


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ランプの精の湯 5

2019-10-27 01:14:36 | 凄い...パワスポ寺社
「残りの3つはまた近く記せたらと。はい。(^^)」

と。今年の3月14日の記事に記していましたが。
今回はその続きを記そうかと。ええ。
言わずと知れた!?「ランプの精の湯」シリーズっす。

なんで?いま?と?

そりわですね、

最近寒くなって来たから!

温泉に行きたくなってきたの!

ってなことでして。ええ。
思い出したんす。
罪はないっす。
あしからずっす。
以下にはシリーズ過去記事とココまでのチャートまとめを置いておきまする。

「ランプの精ってなんなのさ?」

という方も、以下の記事を順番に読んでもらえれば、
晴れ時々ポンチキンな僕さんを取り巻く雰囲気も......
ちょっとわかってもらえるのではないかと。
ええ。ええ。
(*´ω`*) なにとぞー。



☆ランプの精がオススメする日本の温泉ベストテン☆
1位———近日UP!秘湯中の秘湯!
2位———近日UP!九州の有名どころっす。
3位———箱根温泉(過去記事......ランプの精の湯箱根徒然
4位———この記事っす!
5位———丸駒温泉(過去記事......ランプの精の湯 2、丸駒温泉
6位———七沢温泉(過去記事......ランプの精の湯 2
7位———宝泉寺温泉(過去記事......ランプの精の湯 3
8位———南紀白浜温泉(過去記事......ランプの精の湯 4
9位———北川温泉(過去記事......ランプの精の湯
10位———熱海温泉(過去記事......ランプの精の湯



自分でも久々に見直してみるに、
記していないのは1位と2位と4位なのですね......でわわ!
今回は下から順番にいってみましょうかしら、ね。ええ。

第4位!

少し前にやっと行くことができまちた!(=´∀`)/

山形県!

肘折温泉!

ひじおりおんせん!

マニアック!

行きづらい!

秘湯!

日本秘湯を守る会」の提灯も!





特別な霊山「月山」の北東、山裾深くに位置するこの地は、
外と繋がる道が一本しか通っていなくて。
その、ただ一つの道というのが国道458号線。
日本で唯一の未舗装国道。
関東から向かう場合は、
その未舗装の国道を寒河江川方面からガタゴトとクネクネと、
ひたすら埃にまみれながら北上する道を選ぶか、もしくは、
月山の広い裾野を南から北東へと300度ぐらいぐるりと回り込み、
新庄市方面から舗装された部分を進んで、最後に、
最近完成された、この、
「肘折希望大橋(ひじおりのぞみおおはし)」
を下って入り込む......という道のりになります。
この橋の近くにまで来ると、
車もほとんど通らないような所となって。
wikipediaには肘折温泉名物ともなっている、
その大橋の全景写真がありましたが......



実際に走ってみるとこんな感じ。
左のほうに見えるのが肘折温泉郷のほぼ全域。
中心に清流が流れるカルデラ地形の小さな盆地。



この地では2012年に大規模な地滑り災害が起きたらしく。
その時に村と外世界とを繋ぐ、
コノ唯一の舗装路が絶たれてしまったのだそうです。
しかも崩れた土砂が天然のダムの様になって。
村を流れる川の水がたまり。
凹地地形の中にある村が水没する可能性も出て来て。
そこで、
県は村のために不眠不休的全力工事で土砂の除去や道路を再生し、
この橋も急ピッチで造り上げたのだそうです。
そのため、世界最先端の合理的な工法である銅製の
「ラーメン構造」!(・・?) ってヤツで作られたとのことで。
現在ではこの橋が、
この地に入る唯一の貴重な「舗装路」となっています。
そんなワケでこの橋は肘折温泉に住む方々の希望でもあり、
名前もそのようになっているとのこと。
まさに「隠れ里」。

肘折温泉に伝わる開湯伝承としては、
平安時代、豊後国出身のお爺ちゃんがこの地を訪れた際に、
この地にいたお地蔵さん?のような老僧から、
肘を折った時に治療した温泉を教えられた......
という話が残っていて。
それでついた名前が肘折温泉。
折れた肘も治ってしまう!なんて。
そんなスゴイ温泉!?
月山の力が沸き出でる温泉!?

サスガ!

ランプの精。

よくもまぁ、そんな温泉を......

一部では肘折(ひじおり)は「聖居」であったという説もあるそうですが、
江戸時代には月山を始めとする出羽三山への参詣や登山口として
多くの僧侶や参拝客が集まっていたそうです。
月山に向かう聖人が集まる温泉、とでも言いましょうか。
源泉は村の最奥にあって、小さな公園ともなっていました。
こんな雰囲気(^^)





ワビサビ(侘び寂び)感も満点。ちょっと感激。
「銅山川(どうざんがわ)」という清流の脇にあって、
堤防の近くには心地よい足湯も整備されています。
この時一緒に行った友人の「K様」夫妻もゴキゲンそう(^ν^)



そんな源泉の近くにある、
旅館ともホテルとも言える宿にチェックインした時に
カウンターのおねいさんにオススメスポットなどを聞いてみると......



「そうですね、、ウチのすぐ裏ですけど......
ココが肘折の中心地です。
と言ってもタダの路上なんですけど。
ココが一番広くなっている道でして。
周りにはお土産屋さんもありますし、
今ですと路上のテントで物産品も色々と売ってますので、
ぜひ行ってみてください(^ν^)」

「ほーほー。。」

「お酒とかちょっとしたお菓子やおつまみも買えますし、
夜には夜市をやっていますので、皆も集まって、お酒も飲めます。
あと、プロジェクションマッピングとかもやってます。
はい(^ν^)」

「ぷ?ぷろじぇくしょん!?とな?
マジっすか( ゚д゚)。。
驚きますな。そーですか。フムフム。。」

「それと、朝はですね、朝市をやってまして(^ν^)」

「ココで?ですか?
夜市と同じとこで?」

「そーです!(^ν^)キッパリ」



なるほど。
要するにソコしかないのだ、と。
肘折の全てはその一角にあるのだな、と。
そういうことの様で。
早速、コニャ(奥さん)も入れた僕さん達4人は、
その肘折温泉唯一の賑やかスポットへとお散歩に。









そしてこの村の中心地に
古来より村の皆さんが大切に守って来られた秘湯
「上ノ湯(かみのゆ)」
があるわけです。
ランプの精さんオススメの僕等の目的の湯でございまつ。
神の湯!なのか?



混浴でわないっす。
残念無念。
壁には肘折温泉物語が。



勿論、素晴らしい湯でした。ええ。
お湯は浴槽脇に立つお地蔵さんの台座から源泉のかけ流し!
贅沢!
となっていて。
裸の面々が居られましたので写真を撮れる状況ではなく。
公式HPの写真をば......



こじんまりと小さく。
しかし、山奥風情の強い、かなり男っぽい温泉。
なんでしょうか......やはり、
月山特有の修験道の空気がこの温泉にもしっかりと染みついていました。
女人感なし!的な。
そんな力強い感覚の温泉。
そして、夜になると、
この温泉の前の道に隠れ里にいらっしゃる様々な方々が集まって来ます。
酒屋さんが軒先に手作りでカウンターをしつらえていて、
Barともなるワケです。



正面に写っているのは村で唯一の公共施設?と思われる郵便局。
この建物自体に、
向かいにあるお土産屋さんの2階からプロジェクター映像を当てるのが
「肘折式ぷろじぇくしょんまっぴんぐ」
道には車もまったく通らず。
なんだか不思議な心地よさに包まれた路上広場。
天然の歩行者天国。
この感覚は......例えれば「学校の文化祭!」という感じか。
まごうことなき、
村人さん達手作りの「毎日が文化祭!」というお店。
雰囲気。
昼間に野菜を売っていたテントは、
夜は手作りコーヒーを淹れてくれるカフェになってました。
おっちゃんはこの村で一番コーヒーに詳しい人なのだそうで。
それでカフェをやってくれ、と、皆に頼まれたのだそうです。



とても美味しかったです。
アイスコーヒーを頼むと、
周りを氷で囲んで冷やすスタイルなのでかなり待たされますけど。
ええ。コダワリのコーヒーッス。
全てがお手製っす。
しかし、そんな文化祭的な盛り上がりを見せる路上公園に、
そのピークを見計らって?
道の奥の方からなにやら、ガラガラ......と、
何かを引きずるような大きな音が聞こえてくるのです。

「んん!?なんだ?
車が来たんじゃね?
もしかして?危なくね?」

しかし、その音は、なんと!
道路上に卓球台を!
運んでくる音でした......
僕さんちょっとしたカルチャーショック状態。
衝撃的な絵づら。

「こ、公道で卓球!?
......す、スゲー、、半端ねえ、肘折温泉......(°◇°;) 」



翌朝。
K様夫妻がこの場所に行ってみると、
カフェだったテントには朝採りホヤホヤの野菜達が並び、
オバちゃん達が座り込んでいた、と。
我が親友夫妻はそう申しておりまちた。ええ。
ランプの精のレコメンド温泉というのは、毎度、
温かい気持ちと共に何かしらに驚かされてしまうのでございまつ。
次回は2位のお話へと続きます。ええ。






☆温泉関連の過去記事はコチラ☆
・豊富温泉(北海道、豊富)———【豊富温泉
・宝川温泉(群馬県、水上)———【宝の川の日
・コタン温泉(北海道、弟子屈)———【鍔とアイヌ
・砂湯(北海道、弟子屈)———【鍔とアイヌ
・和琴温泉(北海道、弟子屈)———【鍔とアイヌ
・丸駒温泉(北海道、千歳)———【丸駒温泉
・恐山温泉(青森県、恐山)———【恐山徒然
・十和田湖西湖畔温泉(青森県、十和田)———【十和田湖徒然
・矢櫃温泉 瑞泉閣(岩手県、一関)———【邪馬台国徒然
・山王山温泉 瑞泉郷(岩手県、一関)———【邪馬台国徒然
・ほったらかし温泉(山梨県、笛吹川)———【イチロー備忘録
・伊香保温泉(群馬県、伊香保)———【榛名徒然
・富士眺望の湯 ゆらり(山梨県、鳴沢)———【此花咲耶姫
・もえぎの湯(東京都、奥多摩)———【鳩ノ巣徒然
・龍宮殿本館(神奈川県、箱根)———【ランプの精の湯
・七沢荘(神奈川県、七沢)———【ランプの精の湯 2
・壁湯温泉(熊本県、宝泉寺)———【ランプの精の湯 3
・天山湯治郷(神奈川県、箱根)———【箱根徒然】【ランプの精の湯
・縄文真脇温泉(石川県、真脇)———【巫女姫の太鼓
・杉の子温泉(石川県、白山)———【ここ掘れワンワン
・みくりが池温泉(富山県、立山)———【立山徒然
・黒根岩風呂(静岡県、北川)———【ランプの精の湯
・ホテルミクラス(静岡県、熱海)———【ランプの精の湯
・須佐温泉(島根県、須佐)———【青き炎
・玉造温泉(島根県、松江)———【猿田彦ミステリー
・たまて箱温泉(鹿児島県、指宿)———【かんぱかぱーん
・道後温泉(愛媛県、松山)———【ここ掘れワンワン
・白良湯(和歌山県、白浜)———【ランプの精の湯 4
・牟婁の湯———(和歌山県、白浜)【ランプの精の湯 4
・崎の湯———(和歌山県、白浜)【ランプの精の湯 4
・浜千鳥の湯———(和歌山県、白浜)【ランプの精の湯 4


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即位の礼

2019-10-23 01:35:25 | 嬉しい
昨日、午後一時。東京の皇居にて。
「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」
が執り行われていました。

個人的にとても印象的だったのは、
180以上の国々から集まられたという賓客の皆さんの服装であったりもしまして。
あくまでTV中継で見ていた限りではありますが、それでも、
それぞれの国を代表するようなその美しさには、
この上ない品格と奥ゆかしさみたいなものも感じられ。
ため息が出てしまうほどの美麗さと威厳がありました。
そんなところからもこの式典の格式と雅(みやび)さとを強烈に感じられもしましたし、
この日本という国に対する誇りみたいなものも、少なからず感じることが出来ました。
僕個人としては、前日と当日と、なぜか?「梅ご飯」を炊いて。
新しいお酒やお水とともに神棚や御先祖様の位牌に差し上げ。食し。
儀式の一時間ほど前には神棚の前に立ち、
普段と違うアレンジを施した特別な祝詞を捧げ。
そうして、式の始まる10分ほど前にTVのスイッチを入れ。
少しの間、中継画面に見入っていました。



TV画面をスマホで撮ったものですが、
この画面の中に日本の歴代天皇が継承して来た「三種の神器」の内、
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と、
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が写っています。
アメノムラクモノツルギは、古来より「むら雲」を集めるツルギとも言われ、
動かすと雲と雨がついてくる......とも。
その通り?儀式の直前までは台風崩れの雲がかなりの量の雨を
皇居の上にも降らしていたようでした。
もう一つの神器である八咫鏡(やたのかがみ)に関しては、
移動が禁じられているものなので、
儀式中も宮中の賢所(かしこどころ)に安置され、
この式には直接的に用いられてはいませんでした。
しかし、ちゃんと、式のさなかには八咫の鏡も揃ったようです。
儀式が始まると、前日から降り続いていた雨がピタリと止んで、太陽......
天照大神......八咫の鏡......が現れ、
皇居を中心とする東京の空に綺麗な虹をかけていました。
この時の太陽の光は、我が家の神棚にも見事に差し込んできていたのですが......
とても低いところにかかっていた虹で、
皇居から遠い自宅からはうまく撮ることが出来ず。
なので、ソーシャルメディアから美しい写真を拝借させていただき......





儀式の最中には、ココ数日ずっと雲をかぶっていた富士山も姿を見せ、
山頂には、平年より一ヶ月近く遅れていた雪が積もっていたようです。
初冠雪、とのことで。
富士山も即位の礼を待っていた?のでしょうか。
不思議ですが......これもソーシャルメディアから拝借。



これらのことを奇跡と思うのか。
単なる偶然だと一笑に伏すのか。
どんな捉え方も出来ますが、
僕は、やはり、畏敬の念を抱く次第です。



しかし、



やっと、



実質的に、



新時代が始まるな。



と。



以前も「5月の始まり」や「ひつぎ」という記事を、
現天皇の即位日であり、
令和の始まりの日でもある5月1日を前後に挟む形で記していましたが、
「平成」の時と違って、僕はこれからの時代が楽しみで仕方ありません。



なぜか?



はよくわかりませんが......



獏(ばく)として



そう感じています。



待ってました、と。



残るは、



大嘗祭(だいじょうさい)。



もう少し、



耐え、



忍び、



がんばらねば、



と。



令和天皇の即位の日である5月1日から、この「即位の礼」の日までは、
僕の中では「令和」という時代のアイドリング期間であり、
本格的なスタートを切る前の点検、補正期間でもある、と。そんな感覚でした。
そんなスタート準備的な期間も今回の「即位の礼」で終わり、
ゆっくりとローギアで動き出し。
大嘗祭からは完全に通常のドライブギアにシフトアップしていくのではないかと。
そんな新時代にもしっかりと乗っていけるよう、
がんばりたく思う次第なのです。(^^)


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地震雷火事親父

2019-10-19 01:11:53 | 願い
恐いものの筆頭!として、
江戸の昔から語呂も調子も良くまとめられた慣用句に

「地震、雷、火事、親父」

「じしん、かみなり、かじ、おやじ」

というものがあります。
昭和までの世代なら?一度は耳にしたことがある方も多いかと。
ただ、その言葉の最後の「親父=オヤジ」に関しては、実は、
本来は台風を意味する「大山嵐」とか「大嵐」という文字であって、

「おおやじ」

だったのではないかと。
そんな俗説があるようなのです。
「オヤジ」というのは、それが後に短く、
語呂良く変化していったものではないのか?と。
しかし、この説には明瞭な根拠が無く。
証明できるものでもないようなのですが、
あながち嘘とも言い切れない感もあり。
確かに、
錚々(そうそう)たる自然災害の中に台風が入っていない
ということは少し不自然とも思えますし。
江戸時代のオサレで茶目っ気の利いた方々がギャグとして生み出し、
使い、今に至る、なんて感じも十分想像できますし。

「可能性としては消しきれない話だなぁ、、、」

と。人によっては、

「地震、雷、火事、津波!」

とか。

「地震、雷、火事、奥さん!」

とか。

「地震、雷、火事、おんな!」

とか。

「おとこ!」

とか。

「うんち!」

とか。

「ぱんつ!」

とか。

なんでもいいっちゃ、いいのでしょうけど。
ええ。ええ。



前回記事に載せた、
朝日新聞さんの洪水後の多摩川上空の写真なのですけど。
改めて。



巨大台風の風雨でチリがなくなった空気と大空はですね、
美しく輝いているのです。すごいのです。
そんな、焦がれるほど美しい空なのに、
その下に広がるコレはいったい何なのだろう?と。
未だにショックを感じている状況でして。
思い出すのは、
つい10日ほど前までいたバルセロナの街のことで。

タクシーの運転手さんやホテルのスタッフさんに至るまで、

「この街は緑が素晴らしいんだ。
どこに行っても高い街路樹や公園が沢山ある。
建物も高くないしね。
どの道も広くて明るいんだ。
サイコーだから。楽しんでくれ」

と。いつもそんなことを言ってました。
イビサ島でもそんな感じ。



























以前、アメリカのLAに三か月ほど住んでいたことがあるのですが、
その時に、現地に一人親しい友人が住んでいて。
週末になるとちょこちょこと彼の家に遊びに行っていました。
ある日、その友人と二人で近所のヨットハーバーの中にある、
お気に入りのカフェに出かけていったことがありました。
そのヨットハーバーのカフェからは、遠く、
太平洋につながるハーバーの出入り口も見えるのですが、
そこで、ぽしゃん、ぽしゃん、と、
よくイルカさんが飛びはねていたのです。
カフェの辺りには、船から降ろされる魚を狙って、
小学生ぐらいの大きさのペリカンさん達が沢山、
バサバサと足元にまで寄って来て。
小さな子供などは頭をガブリとやられそうで、
恐くて泣きだしたりもしていたのですけど。
いつ行っても、だいたいそんな感じで。
そのハーバーのさらに南には、
沢山のアザラシさん達と人々が隣合わせでゴロ寝している
ビーチなどもあったりもして。
そして、皆、それを、
ごく普通の当たり前の風景として受け入れているのです。
その時、その友人やカフェの店員さん達は
僕にこんなことを言っていました。

「LAのいいところってさ、
日常の中に非日常があるんだよ。
そこが素晴らしんだ。
日本や、特に東京は、それがマッタク無い気がする」

景観への意識ということに関しては、
日本は欧米諸国より低い様な気がしています。
それは個人的な印象ではありますが、本心でもあります。
下のイラストは世界の主要都市における
「一人当たりの緑地面積」
のチャート。
東京は最下層の方で、
公害で有名な北京とほぼ同じ数字となっています。
大阪に至ってはもっと下です。



神社とか、お寺とか、その辺の文化が残っていることで、
かろうじて緑地部分を踏みとどめている感がありますが。
もし、そんな信仰心的ものが残っていなかったとしたら......
今の東京には、
いったいどれ程の緑地が残っていたのでしょうか。
理性的な都市のグランドデザインなど殆ど無く、
常に場当たり的で、
商売や経済、権力や私利私欲に寄り添い続けた結果の街の形なのか。
それをギリギリで神仏が救ってくれていたのか。
中国の各地やアジア各地のリゾート系の町とか、
日本や東京よりもっとヒドイところもあるような気もしますが、

「自然と共に暮らしてきた東洋の人々」

と言うわりには、環境意識のどこかが、
そのどこかのポイントが、
西洋の方々や文化に劣っているような気がしてなりません。
もしかしたら、
この日本という国は太平洋戦争で負けた後、
急激な経済発展を遂げていく過程で、
その急進さの中で、

何かが壊れてしまったのか?

忘れてしまったのか?

僕はそんな気がしてなりません。
なんとかならないものかと。
偽善でもなんでもなく。
動物的な本能として、そんな気がしてなりません。

僕らは近代化という点において、
一度大きく離されてしまった西洋の文明や文化に対し、
どこかで大きな劣等感を抱いてしまったのではないか?と。
自分達の伝統や文化を
信じれなくなってしまった時期があったのではないか?と。
周りからそう仕向けられたのかもしれませんし、
自らそう思い込んでしまったのかもしれません。
ただ、そのことが、その結果が、
朝日新聞の写真には写っているのではないか?と。

劣等感。

コンプレックス。

それは重大なことなのだと思います。
今、この国の向こう何十年のグランドデザインを誰が?
皆で?
どう描くのか。
全てが遅くならないよう、
国として真剣に考え抜いて描ききるのか。
とにかく、洪水後の後片付けの日々は、
そんな途方も無いことを思い、
考えながら過ごしていたりします。



今回の台風であと1センチで浸水するところだった
ガレージの中にあるCDやDVDやアナログ盤さんたち。
僕の仕事道具であり、
商売道具でもあるゆえに5千枚ほどあります。

前回記事に記したように、
今回の台風では最初から浸水を予測していたのですが、
流石にコレらを上階に運び上げることは至難なことだったので、

サブスク時代だし、、な、、

と、全てあきらめていました。
幸いにも、結果的には自宅は浸水をまぬがれ、
今はまた、これらのパッケージさんたちを細かく整え、
整理をしているところでして。

しかし......
これを全て捨てることが......
今の俺に......
出来るのだろうか......

そんな問いかけも、今、
自分に毎日しているところではあります。
問いかけた先の自分を顧みるに、
どーも心細く。情けなく。

修正もできない。

後戻りもできない。

誤った道を歩んだ文明の情けなさも味わっている?
という感も......あるでしょうか......
なんだか、また、
自分を変えたくてしょうがありません。

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Tough

2019-10-15 20:25:59 | セツナイ
「なすスベがない」とか。
「絶望的」とか。
そんなことを強く味あわされたのが今回の台風19号でした。
とても当たり前の話ではありますが、
自然の力の前では人はかくも無力なものなのか、と。
あらためて、骨身に染みて感じている今であったりします。

僕の家は東京の南の端を流れる多摩川という川のほとりにあって。
まだ、太平洋のはるか沖にある今回の台風の衛星写真を最初に見た時、
日本列島と同じ大きさの姿に驚愕し、
子供の頃のかすかな記憶......それは、埼玉県の実家で経験した洪水の記憶......
を蘇らせました。
上陸前には、家の一番低いところに置いている車だけは、高台にある、
タフなコンクリートの屋根を持つ有料駐車場に移動させておくことに決め、
最悪な状況となった時には、この車の中で過ごそう、と。
車は大きなハイブリッド型の4WDで、こういう時にはなにかと頼れます。
テレビもラジオもあるし、充電もできる。水も着替えのウェアも載せてある。
毛布も、アウトドア用の折りたたみ式の簡易マットレスも積んでるので、
トランクスルーにして、横になって眠ることもできる。
ガスバーナーもコーヒードリッパーも、
タフなスノーピークのマグカップも積んでいる。

場合によってはしばらくは車で暮らすべーか?と。
そんな準備をしておきました。

案の定、異様に大きな台風は上陸前から猛威を振るい、
目の前を流れる多摩川の水かさが上がり、
本流に流入できなくなった排水溝の水が逆流を始めて、
マンホールから自宅前の道に噴き出して来ました。
近所の人たちの多くは、既に避難所へ避難している様子。
僕とコニャ(奥さん)は、ここで一度、
一階の重要なものを二階のリビングに上げ、もう少し様子を見ることにしました。
停電の可能性もあるから、無駄かもしれないけど、ご飯もたいておけ、と。
そして、水はそのままグングンと水位を上げて、
玄関の床まで「あと1センチ」というところまで来てしまいました。
風にあおられた水しぶきが玄関ドアの下の隙間から家の中に少し漏れ入り、
また引いて出ていく......と、まるで海の波打ち際に家が置かれている様なギリギリの状況。
この写真は夜の七時頃でしょうか。
停電の直前に自宅玄関を開けた時の様子。
手前下方に写っている汚れた敷石が玄関の床面。
あと1センチ水位が上がれば家の中に水が入ってくるというところ。



玄関の横の窓から道を挟んだ向かいにあるマンションの入口を見たところ。
僕の家より前の建物は全て、このマンションも含めて一階に浸水してしまい、
家の周りは一面の池となっています。



台風のピークまではまだ三時間ほど。
この写真を撮った時、僕は一度、家を失う覚悟をして。
それをコニャにも話して。
このまま浸水が進むと玄関のドアは開かなくなるから、
その時は二階リビングのキッチン裏のドアから表に出るぞ、と。
今、リビングに上げているものも含め、もし救いたいものがあれば、
一階の浸水具合を見ながらリビングより上のフロアにあげていくから、
それをギリギリまでやってみる、と。
ただし、堤防が決壊する事態になったら全ての話は無しだ、と。
すぐに裏から出て、そのまま丘の上に駆け上がるから、
アウトドアウェアに着替えて、靴もそばに置いて、
大事なものはリュックに入れて、
いつでも走って出れるように横に置いておけ、と。
徹底して多摩川の上流にある定点カメラ映像を全て観測するし、
目前の堤防の決壊でない限り、
背後の坂道を走って登れば丘の上にはホンの1分で行けるから大丈夫だ。
車もそこにおいてあるから、しばらくは車で過ごそう、と。
そして、そんな話をした後、停電が発生しました。
その直後には地震も発生。



普段はお風呂場にある大きなろうそく5本をリビングに持ち込んで明かりを確保。
情報はスマホやタブレットの電波に頼った収集しかできない状況となり、
目前で進む浸水の様子と収集した情報とを適時すり合わせ、
様々な判断と対応と、その先の予測と準備とを刻々としていく......
水はまだ、ジリジリと上がって来ている......
そんな時間と状態が2時間ほど。
途方もなく長く感じた二時間。
と、ここで。僕さんノンキにも!?
あらかじめ炊いておいたご飯を食べることに。

「ガスは大丈夫でしょ?
逃げるにしても腹が減ってたらアカンからさ、ここで食べとこーぜー、、」

と、ろうそくの明かりの中でゆっくりと、
コニャと二人で有り合わせのおかずでご飯を食べました。
ただ、幸運なことに停電は二時間ほどで復旧。
夜九時ぐらいの、
台風の目が家の真上を通っていくピークの前には電力は戻っていて、なぜか?
地震の直後から水も引き始めていました。

「ここからもっとひどくなるのではないか......」

というところで引いていったのは、
ちょっと不思議な感覚ではありましたが......
本当に奇跡としか言いようがなく。
僕らに関しては自宅の浸水という事態は本当にギリギリのところでまぬがれました。
しかし、何のためらいも躊躇もしない泥水が
目前でドンドンとセリ上がってくる光景は、自然への畏怖とあきらめと、
どうしようもないやるせなさと、無力感を伴う怒りと悲しみと、
そんなモノモノが複雑に混濁する感情として今も体に刻まれています。

「二度とこんな思いはしたくないな、、、」

と。そんな気持ちもあるでしょうか。



時刻は10時ぐらいだったでしょうか。
風が弱まり、水も明らかに引き出してきたので、
一旦、僕は周囲の状況確認をしようと表に出てみました。
すると、自宅のある一帯には黄色い「侵入禁止」のテープが張られていて。
どーも僕の家は、その進入禁止区域の境界にあったようで。
僕とコニャはそんなところで一夜を過ごしていました。

「つーか、さ。テープ張る時にはさ、
ひと声かけてくれてもよくない?なぁぁ。。?」

この一帯のほとんどの人は避難所に行っていたのと、停電もしていたので、
そこに人がいるのか?どうか?はよくわからないまま、とにかく、
走って来た車が水に突っ込まないようにテープを張っていったのだとは思いますが......
その後も、すぐ近くで氾濫が起きたとの情報などが入ったりもして、
僕はタフなモンベルのウェアを着込み、懐中電灯を持って、
情報収集のために幾度か近所を走り回ったりしていました。
そして、そんなこんなをするうちに、やっと、雨のない、
太陽の日差しが差し込む朝がやって来てくれて。
いろいろなことが少し落ち着きを見せて来た頃、
避難をしていた近所の人たちも戻って来て。
みなさんと一緒に泥にまみれた一帯の道路を綺麗に清掃しました。



僕は、皆との掃除が終わった後、自宅裏の坂道を駆け上がり、
高台に移しておいた車を取りに行きました。
背後の丘の上の家々の人たちは、
僕らが目の当たりにしていた世界とは無縁の、普段と変わらなそうな?
平静なる時間を過ごしているように見えました。
そんな丘の上から自宅のある川の方を振り返ってみると、
そこは一面の泥でおおわれていました。

今日、この瞬間に至るまで、丸二日間ほど。
未だ、僕の家の周りでは救急車や
消防車やパトカーのサイレンが鳴り止まないのですが......
ココ数日はそんな感じで、刻一刻と変化する状況への対応や、
自宅内の荷物の移動や泥掃除などに追われた、結構壮絶な毎日ではありました。
しかし、その後のテレビや様々なメディアを見ていると、
こんな話はまるで冗談のように軽いものであって、もっと、
とんでもなくひどい状況にある人たちが沢山いらっしゃいます。
この瞬間にも家を失い、財産を失い、未来がかすみ、命をも失い......
まだ、この先も、もっとむごいニュースが増えていくのかもしれません。

「なんていう、ことだ、、、」

僕はなんとも言えない、荒んだ気持ちになります。
気持ちがわかる、なんて、そんなことはとてもじゃないですが言えません。
ただ、ヒドイ状況下にある人の気持ちを思い図れるくらいには理解します。



「自分など、幸運だ、、」



最新の情報を接収しようと、取り出したスマホから、
朝日新聞社さんが撮影したという写真が僕の目にとまりました......
その写真の中には、僕の住んでいる町も家も確実に写っています。
写真の川のすぐ横に、僕の家はあります。



「なんと......クレイジー......

文明とは、

どんな方向に磨くべきなのだろうか、、

こんなところで暮らしている俺は、

バカ者なのかもしれない......

でも、

川は......好きなんだけど、な......」



これから先、気象変動が進むとして、
今回くらいの台風は、多くのニュースが伝えていたように、果たして、

「一生に一度、あるかないかの大きさです」

などと言えるものなのかどうか。
今回の規模の台風などは当たり前ともなって、
もっと大きなものが上陸するようになるようなことも......無い、などと言えるのか。
アスファルトで埋め尽くされた都会の下の大地は、
本来もっと水を吸収できるものではないのか?
そんな土地や緑や木々の保水能力を、どれだけスポイルしている都市構造なのか?
山でも平地でも、
池や湖を片っ端から埋めるような住宅開発ばかりしているけど、
何をおいても経済、経済、と謳う、このままの精神や法律、政府で大丈夫なのか?
平地において貯水目的の大きな池や土地はもっと大きく、深く、多く残したり、
整備したりするべきではないのか?
川幅が狭まるところ。
川が合流するところ。
電柱。電源。発電所。通信システム。

このままでいいのか?

建築に際し、基準となっている法というのはこれまでのものでいいのだろうか?
都心部だけが浸水しないような構造になってやしないか?
人の命や土地に優劣をつけてやしないか?
そういえば、我が家に関してのみの話としては、
台風の後と前では、色々なモノが出し入れや運ぶために整理もされて。
捨てることもできて。
泥を被ったり浸水した部分は隅々まで丁寧に洗うことともなって。
以前より全てが綺麗になっている状態になっていたりもするけど......
......とにかく、我々はもっともっと賢明な文明を築けないものか、と。
そう強く願い、思う次第なのです。
スペインでの飛行機トラブル3連チャンに続き、戻った早々の台風対応。
なんだか、とてもタフ(Tough)な日々が続いています。



泥掃除を一旦終えた日の夜に行われたラグビーワールドカップの日本代表戦。
相手のスコットランド含め、どちらのチームも、皆、一様に仲間を信じ、
自らの体をなげうっていく選手達ばかりで。
その真っ直ぐで、勇猛果敢な姿をみさせてもらい、何か、
胸に熱く込み上げてくるものがあったのです。
僕は、この国に生まれ、生きていることを誇りに思いたいのです。


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桜のジャージ

2019-10-11 00:03:20 | 勇気
前回のラグビー・ワールドカップの時にも、この
HAKA
と言う記事を記していましたが、
あちき、けっこーラグビー好きなのです。
なんだかとても感動するのです。ラグビーって。
高校からの親友の1人に日本代表クラスの奴がいた......
というのもかなり影響してますけど。
そんなハードな奴と一緒にトレーニングを
していた時期とかもありまして。
そヤツから貰ったラグビーボールが長いこと、
いつも部屋の片隅にあったりもして。
それで僕さん、すごく思うのが......



ラグビーだけはできないっす。



ほんと。



スポーツは大好きだけど体も大事♡



っていう、とてもヤワなヤツなので。
ええ。
ラグビーだけは無理っす。
ええ。ええ。
マトモなカラダを捨てるような気持ちがないと無理っす。
プロレスや格闘技と同じ、とは言わないですけど、
命を危険にさらすような部分も濃厚にあるわけで......
だから、その親友のこともそうですけど、
ラグビーをやっている人は、それだけで超尊敬!
しちゃうのです。
オールブラックスの「HAKA(ハカ)」に感動してしまうのも、
大元には以前の記事に記した通りの気持ちがあるわけでして。
「憧れるスポーツ」ということでは、
僕にとってピカイチのモノであったりします。

TRANSIT 2」という少し前の記事にも書いていましたが、
海外にいた時、
今回のW杯での日本代表の活躍を賞賛してくる人が沢山いました。
居た場所がヨーロッパだったからだとも思いますが、
それにしてもなかなかの!?褒められ様で。
ラグビーが強い国というのは勇猛で果敢で、仲間を重んじ、
裏切ることもない、敬愛すべき国なのだと。
褒め言葉にはどこかそんな響きがあって。
日本人としてとても誇らしく思える感覚も味あわせてもらいました。

そんな感じで、最近はとても強いラグビー日本代表ですが、
ほんの数年前までは「世界最弱」と言われるくらい弱く。
長年、世界で最も低迷していたチームの一つでもあったのです。
それで一般人気もいまひとつ伸びなかった......ようで。
どれだけ弱かったか?というと、
ニュージーランドや南アフリカなどの
世界トップクラスのチームと試合をした時に100点差で負ける!
なんていうことが幾度かあって。
それで世界のメディアからそんな言われ方をしていたのでした。
僕の溺愛するサッカーにしても似た様なものでしたけど
それよりも、もっと酷いイメージ。

そんな日本代表の一般的イメージを劇的に変えたのが、
外から見ているかぎりでは、前回......
2015年W杯の初戦の南アフリカ戦......
からではないかと思えています。

ラストプレイでリスクの無い、
引き分け狙いのキックを選ぶか、
負けるリスクをとってでも格上相手に正面切ってスクラムを挑み、
逆転のトライを狙っていくか......
その時、キャプテンのリーチ・マイケルさんは、
コーチの判断とは違う、逆転トライを狙うプレイを決断。
そして、それが試合終了直前で見事に実現されます。
これまで100点差で負けていたような世界のトップチームを
劇的に破ったこの試合は、開催地の名を取って

「ブライトンの奇跡」

とも称され、世界を驚かせ、感動もさせました。
そのチームを作り上げたのがオーストラリア人のヘッドコーチ
「エディー・ジョーンズ(Eddie Jones)」さん。
今大会ではイングランド代表のコーチとして来日しています。
彼は2009年にコーチとして日本にやって来たのですが、最初、
日本のラグビーを見て不思議な違和感を感じたらしいのです。
その違和感とは、日本の選手は皆、従順で真面目。
そして、失敗を極端に恐れていて、
常に挑戦を躊躇してしまうという傾向。
それがなぜか?皆に共通してある......ということ。
そんな共通文化のようなものを持っているということ。
彼はその後、その要因を探っていったらしく。
探ったら、なんと、その要因の1つに、
アノ、ラグビードラマの名作、
「スクール☆ウォーズ」
があったのだそうです。
ドラマを見終わった後に彼が放った一言は有名で



「Just Stupid!(マジ、バカだな!)」



その後、
彼は日本ラグビー界に長く存在していた常識的なことを
片っ端から壊しにかかり、そのことを



「ジャパン・ウェイ」



と、表現していました。
アチコチから色々な本も出てますが、
僕さんが持っているのは「ハードワーク」というもので。



「DAZN(ダゾーン)」という、
ネットのスポーツ専門サブスク・チャンネルがあるのですけど。
そのチャンネルに
「ブライトンの奇跡」
というオリジナル映画があります。
正確には、映画というよりは、
地上波TVでよくある再現ドラマ的なものなのですが、
それが、エディーが日本代表コーチに就任し、
「世界最弱」と言われながら、前回のW杯で世界トップチームの
「南アフリカ」を破ってしまうまでを描いた......
という物語で。
世界中から「奇跡」と呼ばれ、
称賛もされた試合終了間際の逆転トライはこうして生まれたのだ、と。
そんな物語。
作品の中にはエディーさん本人や、
現在の代表でもキャプテンを務めるリーチ・マイケルさん、
五郎丸さん達のインタビュー映像も絡められていて。
事実を忠実に描いているドラマ。

実は、

これが結構、

胸に響くドラマで。

代表コーチに就任した当初から、その、
あまりに厳しい指導によって皆に嫌われまくっていた
エディーさんの言葉が、しかしながら、
イチイチ胸に響くのです。
最後に、それをいくつか記して、
今回の記事は仕舞いたく思いまする。
少々長くなってますが、これは個人的な備忘録でもあり、
自身への戒めでもあります。
関西電力みたいな組織問題に対する怒りでもあり、
これから先、時折、読み直すことがあるだろーな、と、
思いながら記してもいます。
おやすみなさひ。(^^)



===============================
2015年。9月19日。
W杯初戦。イギリス。ブライトン。
世界最強チームの一角、
南アフリカとの戦いを前にしたロッカールーム。
この後
「W杯史上最大の番狂わせ」
「スポーツの枠を超えた感動」
と言われる
「ブライトンの奇跡」
が起きます。



「——————145対17。
人々はいまだに君たちの事を笑う。
そんな過去を振り返っても何の役にも立たない。
彼らは君らに恥をかかせるつもりだ。
君らの家族もろともだ。
彼らは自分達が世界最強だと見せつけるつもりだ。
ココは君らには場違いなのだ、と。
今まで積み上げて来たトレーニング、プロセス、
全てのものが無に帰するかもしれない。

絶対に離されるな。

好きにさせるな。

全てを出し尽くせ。

ジャパン・ウェイだ」



さかのぼること数年前。
2011年。12月。エディが代表コーチに就任。
その直後のフランス戦で惨敗し、
リーチ・マイケル選手が
「フランスが強すぎたんだ、、」
と言った時にエディーが話した言葉。



「フランスが強すぎたのではない。
我々の力が足りないのだ。
この意味は全然違う」



いまだ関係者に語り継がれる、その試合の記者会見。
外国人記者の質問に対し、
少しハニカムような笑顔で答えようとした
当時のチームキャプテン廣瀬俊朗に対し、
その場で放った言葉。



「笑い事じゃない。
これこそが日本の問題なんだ。
勝つことに真剣になれない。ちがうか?
世界に離されたままでいいのか?
中途半端な努力で満足している人間にはウンザリだ」



ラグビー協会での側近スタッフとの会話。



「彼らは負けに慣れすぎている。
ダメなのはその精神だ。受け入れがたい。
やり方を変えなければ結果は出ない。
自分はこの協会の連中と同じ穴のムジナにはならない。
この協会のマネージメントでは勝てない。
おまえは考え方を変えろ。
良い選手は揃っている。
しかし、
負けに慣れすぎた奴らがどいうやって成長できる?」



フィジー代表に惨敗した後、日本に戻り、
協会スタッフとしていた会話。



「渋滞で、ふと周りを見ると、
皆、不機嫌そうな顔をしている。
朝起きて、渋滞と、満員電車。
なぜ皆、好きでもない仕事をする?」



新キャプテンに指名した
リーチ・マイケルを呼び出して話した言葉。



「この国はまるで巨大な学校だ。
皆、同じ考えを持たなければいけない。
同じテストを受けて、皆、行儀よくして......
責任とは誰かに与えられるものではない。
自ら負うものだ。
家族への責任。自分自身への責任。
周りを気にしすぎて、どうやって?
責任を果たすんだ?」



リーチマイケルをキャプテンに指名し、彼が
「チームを大切に考えている」
と言ったことに対して。



「君をキャプテンにしたのは、
チームを勝利に導くことができるからだ」



練習中のリーチマイケルに対して。



「お前は日本に長く居過ぎた。
自分を殺して、そこら中で頭を下げて、
ありがとねー、、とかなんとか。
お前は日本人じゃない」



ラグビー協会のマネージャーがエディーに
「あなたは皆に嫌われている、、」
とサジェスチョンに来た時に返した言葉。



「前の監督は好かれていたか?」

「とても」

「前のワールドカップで日本は何勝できた?」

「ゼロです」

「これはソーシャルメディアではない。
好き嫌いなどどうでもいい。
必要なのは結果だ。
嫌ならココまでだ。どうする?」

「おっしゃってる意味がわかりませんが、、、」

「ここで辞めていいという意味だ。どうする?」

「やめません」

「他には?何かあるか?」



映画の中のインタビューカットでエディーが話していたこと。



「ただの準備と、勝つための準備とは違う。
コントロールできることにフォーカスし、徹底的に追求し、
それ以外は気にしない。
そして、コントロールできるのは唯一、自分自身だけだ。
私のやり方が気に入らないのであれば、
私のもとにいる必要はない」



W杯の前。
エディーが突然の脳梗塞で倒れた時。
医師が止めるほどの尋常でないメニューのリハビリを
やり遂げていくエディーの姿に感服した主治医が、
「エディー、僕はあなたにとても興味がある。
どんな人に影響を受けたましたか?」
という質問を投げかけた。
その問いに対するエディの答え。



「両親だ」

「理由をきいてもいいですか?」

「私の母はカリフォルニア生まれの日系人。
真珠湾攻撃の後、
彼女はアメリカで収容所に強制的に入れられた。
だが、母の口からは一度も、
誰の悪口も聞いたことがない」

「お父様は?」

「妻がアジア人というだけで、周りから虐げられた。
ベトナム戦争にも行って、
帰ったらまた、周りから虐げられた。
父の口からも、誰の悪口も聞いたことはない」



入院しているエディーに、
オーストラリアの父から届いた手紙。



「Dear. エディー。
君の体調に関しては書かない。
十分気をつけているだろうから。
今回の入院で、別の道を選ぶことも考えたろう。
誰かがそれを勧めたかもしれないが。
しかし、専門家など、何もわかってはいない。
人は、影でどれくらいの事をやるかだ。
多くの人は諦める。
手の届くところにまで来ていたかもしれないのに。
宝を見つけるためには、
困難という泥をかき分けて進まなければいけない。
信念だ。エディー。
信念こそ、力をもたらしてくれる。
泥を洗い流し、光をもたらしてくれる。
力強く。ゆっくり。ユックリとだ。
私は何度も除隊を考えたが、そうしなかった。
そのお陰でお前のお母さんと出会えたんだ」



病気完治後の代表コーチ復帰会見で、
記者からの質問に答えるエディー。



「よくお戻りになりました。
まずは、なぜ?リーチマイケルをキャプテンに?」

「彼は自分というものをしっかり持っている。
いつも正しい決断ができる」

「日本は異国フレーバーに溢れてますね。
キャプテンまで外国人だ」

「何が言いたい?」

「外国人が多すぎないか?」

「他の国より少ない」

「それは間違いだ」

「君は口よりも目を開いてよく見ろ。
サモアやトンガにはもっと外国人がいる。
フランスは10人。
オーストラリアには9人。
キャプテンはサウジアラビア生まれだ。
君は自分の価値観でしかものを見ていない。
......皆、首を傾げているようだが、
リーチマイケルの肌は黒い。
しかし、彼が日本のキャプテンだ。
肌が紫だろうが関係ない。
君は好きに書けばいい。
君の記事など15人程度しか読まないだろうからね」



リーチ・マイケルのインタビュー。



「エディーと一緒にいると必ず口撃を受けます。何千回と。
でも、仲間には惜しみない愛情を注ぐ人です。
エディーの元にいた人は、必ずレベルが上がってます。
エディーは全てを別次元にまで引き上げてしまう。
エディーに会って、初めて、
本当のハードワークというものを味わいました」



2015年のW杯直前。
地獄と言われた150日合宿を始める時の言葉。



「ワールドカップ、南アフリカ戦まで一年を切った。
敢えて言う。
君らの人生で、歴史を作るチャンスは何回あった?
我々は南アフリカを破って、歴史を創る。

(この話をした時、部屋の外の廊下から記者の笑い声が......)

この話を人々は冗談かと思ってるだろう。
笑い声が聞こえただろ?
笑い者にされた気分はどんな感じだ?
このメンバーの中には津波で大切なものを失った人もいる。
障害を持つ子供を持っている人もいる。

それでも人は笑う。

家族を守るために必死に頑張る君らを、人は笑う。

君らのトレーニング、君らの全力はまだ足りない。
全力のつもりで、言われたことだけやって、
終わったらすぐ帰りたがる。
君らのベストはその程度か?

ロジャー・バニスター。

ランナーだ。
当時、1マイルを4分切るのは不可能だと言われていた。
しかし彼は公言した。
必ず4分をきってみせると。
場所と日にちまで指定した。
当日は雨と嵐。
しかし彼は分かっていた。
歴史を作るのに必要なのは、あと、
たった0.5%の力の向上なだけだと。
記録は3分59秒。
翌月には別の選手が4分を切った。
その翌年には3人。

そうだ。専門家など、何もわかっていない。

それは良いことだ。

皆口を揃えて日本は勝てないと言っているからな。

奴らを狩りに行く。

向こうは気づいていない。

我々は徹底的に相手のスキを突く。

小さな体こそ、我々の武器だ。

奴らには適応力がない。ワンパターンだ。

我々はどんな状況にも適応できる。

雨、風、乾燥。何の問題もない。

誰も我々が勝つと思っていない。
誰もバニスターが成功すると思っていなかった。
しかし、彼はやった。

そうだ!専門家に何がわかる。

バニスターは日にちと場所を指定した。

我々は9月19日。場所はイギリスのブライトンだ。

我々はそこで勝つ。

いくぞ!」
===============================



「ブライトンの奇跡」
日本ラグビー史が変わった日の動画。
スタジアム全体を味方につけ、
世界のラグビーファンを釘付けにした試合。
今大会も強さをみせるラグビー日本代表の歩みは、
この時から続いているのですね。(^^)


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TRANSIT 4

2019-10-07 00:58:02 | サブ・タイトルの話
生誕と受難。喜びと悲しみ。天国と地獄。
そんな両極を行ったり来たりする旅の「受難」を中心とするお話は、
もう一度だけ続かせていただきまちゅ......
書ききれない......




そもそも今回の旅はコニャ(奥さん)の仕事に付き合うということで、
日程や準備は全て彼女に任せていたのです。
勿論、ラテンの血が流れるコニャですから、そのいい加減さは極まりなし。
深い考えなど一切無し。
泊まるホテルや旅程なども旅の二日前にラインで知らされたくらい。
旅行保険なんてかけているハズもなく。
中でもイビサ島に荷物を忘れた「ブエリング」というエアラインはLCCというやつで。
「Low Cost Carrier=ロー・コスト・キャリア」
格安だけど、いろいろなコスト圧縮をしていて。その分、何かとリスクは高く。
それでもって、タダでさえケセラセラなラテンの血がさわぐ地元スペインのLCC。
何か問題が起こっても日本支社は勿論、日本語スタッフや窓口などもなく。
スペイン語か英語のみ。
英語は第二言語なので、自分たちのレベルとどっこいどっこい。みたいな。



仕事などでは普通は避けます。



コニャは押さえます。(´・ω・`)



トラブル後に各所に連絡してこの航空会社の評判を聞いてみても、
皆一様に「最悪」と。

「午前中に届ける?と言ったんだよね?
じゃぁ、間違いなく夜か次の日だと思うよ。
ソレが普通だけどね。その国では。エアラインにしても」

案の定、その後ブエリングから届く状況伝達のショートメールは、
何度も丁寧に伝えたスーツケースの色やモデル名も早速、
ちゃんと間違っていて。それを見ても、
このままでは明日の午前中にホテルに荷物が届く可能性は低く。
夕方出発の帰国便にはまず乗れないだろうと。
そんなショートメールは返信ができない一方的な情報伝達のみの形。
ただ、どーも、メールからすると、
荷物は深夜にイビサからバルセロナ空港へは運び込まれたようで、
空港でスタンバイとなっています。

「どーすべぇ......」

僕が恐れたのは、明日の朝。
空港が動き出して荷物の配送を始めた時、スーツケースの配送は、
きっと航空会社から別の運送会社に委託され。
その運送会社が間違わないなどという保証はどこにもなく。
むしろ間違う可能性の方が高く!?
しかも、運送会社が間違えた時には、
間違いなく航空会社は運送会社のせいにするであろうと。
そうなると僕らの予定している帰国は完全にアウト。

「冷静に考えると、ホテルへの配送はマズイな......」

とにかく荷物が約束の時間通りにこのホテルに届くのか?どうか?
僕としてはもう一度、その状況を確かめたく。
それも、ロストバゲッジ・カウンターの時のような片言英語同士の会話では、
またミス・コミュニケーションが発生するかもしれない。
とはいえ、動かないことにはなんともならず。
時刻は深夜一時近く。
僕は先ずブエリング航空のトラブル番号に電話。
日本支社もないLCC。スペイン語か英語のみ。
電話はAIキャラクターとのリモート会話形式。
幾つかのポイントをくぐり抜け、やっと最後のセクションにたどり着くと......

「只今営業時間外です。プツ......」

「なんだったんだ!?(@_@)この時間は......」

続いて、ブエリングの株主でもあり、
代理受付カウンターともなっていたイベリア航空の日本支社に電話。
スペインオフィスは閉まってるけど、日本なら空いている時間。

「運用などに関しては一切かかわっていませんので、
ブエリングの方と話してください。プツ......」

こうなったら、
スペイン語ができる人に明日の朝一番に状況確認をたのもうか、と。
コニャがホテルを頼んだ旅行代理店のマドリード支店の緊急番号に電話。

「荷物トラブルはサービス外になるので......
ソチラで粘り強くやるしかないのでは......」

続いて僕さん。
持っているカード会社の緊急番号に電話。

「それはサービス外となりますので......」

今度は、無理は承知でスペイン大使館の緊急電話に。

「それは、ご自身で対応してください。ピシッ!」

冷たい。そりゃそーか。
やばい。手が尽きた。ん?そーか。
今回はツカヘイさんの「神ゴト」で来てもいるわけで、
これだけ不可思議なことが連続するということは、もしかして、
何か神様的な理由があるのかも?しれない。
そーすると、ねーさんに相談したら何か突破口が開けるかな?と。
オフィスで絶賛働き中のねーさんにSOSラインを送信。

「知り合いの知り合いにスペイン語の通訳さんがいるから助けてもらうね」

「さっき、もらった航空会社のHPにスペイン語でクレームメール入れたよ。
飲まないといけない薬が入っているとか、そういうことも入れて。
裁判になった時にも証拠になるから」

と、感謝感激のありがたいラインが。
ねーさんやお友達、その先のお友達さんには厚い御礼を伝えなければ!と。
しかし、やはり、ここまで来て一番大事なことは、
明日の午前中までになんとしても荷物を受け取ることで。
そうでなければ予定通り日本に帰れない。
飛行機もホテルも帰国後の仕事スケジュールも全て再調整しなければいけない。
何より、スーツケースの中にあるパソコン!
そこには大事なお仕事データが沢山。

「ねーさんに話しても事態が今以上に進まないということは......
神ゴトではなく、やはり現実力か。。
もう一枚カードを切るか......会社の旅行課に相談じゃ......」

僕は休暇中なのに会社のデスクのFukiちゃん(♀)に連絡。
彼女が社内のトラベルセクションの海外担当に話してくれて。
しかし、あいにく、その人がお出かけ中のようで。
戻る時間はわからない、とのこと。
でも、とにかく、そのエアラインは業務での使用は避けてます、とのことで。
さらには、イギリス・キャリアのあるマネージャーのOKさん(♂)にも相談。
スペイン語を話せる友達がいるので動けるか聞いてみる、との返事が。
しかし、今すぐ繋がるかはわからない、とのことで。

「こーなったら最終手段か......プロだからお願いしたくなかったけど。
もう、アノ先輩にスガルしかないな、、」

僕さんの旅におけるファイナルカード。
御大「JTB」のコーディネーターK先輩にライン。
この場合、内容はたった一言。



「助けてください」



早々に、トラブルの全容がわかるショートメールを全て転送してくれ、
との返事が。
僕さんはブエリングの状況報告ショートメールと緊急連絡先を全て転送。
そして、僅か5分後。



「全て話したから。ホテル配送はやめてもらって、空港にとどめてもらってる。
絶対空港で受け取る方がいい。
uzmetの言うように配送会社のトラブルが避けれるから。
明日の朝、航空会社のロスト&ファウンドカウンターに行って
報告書を出してください。
アイフォンの番号確認もするから忘れずに。
そこで本人確認して渡すそうです」



それから三時間後。翌朝7時。結局、
いろいろな心配で僕もコニャも一睡もできず。朝食も取らず。ホテルには
「もし荷物が届いたら引き返すので教えてほしい」
と伝え、そのままタクシーで再び空港へ。
空港に行く途中、もう一度Kさんとラインでコンタクト。
行ってみたら荷物は配送された後だった、、、が怖い、という状況確認。



「以前、アメリカで、取りに行ったら違う空港に送られていたことあったね。
わかるよ。なのでさっき、
オペレーターのお姉さんにつながって確認もしてもらいました。
一時間以内に取りに行くと伝わってますが、お姉さんがどう動くか、なので、
彼女のレスポンスが良ければいいのですが。
目で見るまでは安心できませんが、記録上ではまだ空港にあるそうです」



Kさん......



神。



経験が違う。



すげー......感激。



空港のカウンターにつくと、
荷物を受け取るために空港内を二か所ほど動かされ、それで、やっと、
イビサ島で荷物を預けて以来、約24時間ぶりに、自分の荷物と御対面。



「これで、なんとか、予定通り、今日の夕方に日本に出発できる、な、、」



かなり理不尽なことだけど......感激。意味のわからない感激。
ホッ、と一息と、ため息。
その後、僕らはチェックアウトのためもう一度空港からホテルへ戻ることに。
タクシーを捕まえ、取り戻した二つのスーツケースをトランクに乗せ、乗り込むと、
運転手さんは片言の英語がイケちゃうカナリ御陽気な人で......



「ヘイ!バルセロナは初めてかい?」



苦虫を噛み潰したような表情で顔を見合わせる僕さんとコニャ。
どう返答すればよいのか......???



「イエス!いい街でちゅね!(T . T)ぶぇ」



そこからホテルに着くまで、
既に僕らが回った名所のガイドを丁寧にしてくれた運転手さん。
泣き笑う様な複雑な気持ちで話を聞く僕さん達。
ホテルで降りた時には、

「ヘイ!このホテルからサグラダファミリア迄は、この道をこう行ってだな、、」

「あ、ありがちゅーーー、、、ヾ(;´▽`A``」

ホテルに戻るとスタッフさんに一通りの憐れみを受け。
チェックアウトの時間も好きに伸ばしていいよ、と。
それでも部屋の荷物は早々にまとめ、
スーツケースが無くて出来なかった下着や服の着替えもして、チェックアウト。
夕方までホテルに荷物を預け、もう5時間ほど、
僕らはバルセロナの街の散策に出かけることにしました。

数日前、僕の日本出発の便が飛ばなかった時、
予約していたサグラダファミリアの入場チケット時間には間にあわないだろう、
と考えたコニャが、予備でもう1日、
日本へ戻る、この日の入場券を押さえていました。
であれば、せっかくなのでソレもキャンセルせずに使うことにして。
ホテルを出た僕らはもう一度、
そこから歩いてすぐのサグラダファミリアに向かいました。
中に入ると、僕らは今回の旅で二度目となる祭壇の最前列に座り、
心労の果てに、故に、自然と無心となった祈りを前回より長い時間捧げ......
ホッとしたような、気が抜けたような、無心状態......
そんな祈りを終え、
あまりの受難さ加減に「受難のファサード」を正面に見る方の公園にも寄って、
今回の旅におけるサグラダファミリアの最後の写真を一枚。スマホでパシャリ。



ねーさんが教えてくれた、
カタルーニャの神とガウディさんに捧げるお酒とライムもお持ちして。



実は、これは最初にここに来た時に、
「生誕のファサード」側の公園で捧げていたものでもあるのです、が......
結局、両方のファサードに捧げることになったという......FUSIGI......



つくづく思うのは、

時にトラブルは人が巻き起こしますが、

結局、人しかトラブルを解決してくれない。

大切なのは人であり。

人との関係。絆。

あたりまえだけど、身に沁みて、そんなこと。

サグラダファミリアを後にした僕らは、
また、バルセロナの街をプラプラと......
それは、またもや天国のような時間ではあって......









何があろうと、この街には、
思いつめた顔の人は見当たらないのです。









でも、バルセロナといったら!
FCバルセロナ!でしょ!
メッシでしょ!
カンプ・ノウ(Camp Nou)でしょ!と。



当初、先にバルセロナに入っていたコニャに試合チケットを頼んでいたのですけど......
チケットは取れるけど日程がうまく合わなかったとのことで。
カンプノウを前にして、ココでも涙がちょちょぎれた僕さん......

つくづくダメダメぷーなコニャ......

アーメン......

Kさんと、ねーさんと、ねーさんの友人であるmihoさんと通訳のasaiさん。
デスクのFukiちゃんと、マネージャーのOKさん
今回のおバカ旅のサポートに、深い感謝を込めて。
心から、ありがとうございました。

いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」
と、見つけてもらえたら。
サブタイトルにあるように、
このブログはいつもそんな思いで書き記しています。



⭐︎シリーズ過去記事リンク☆
TRANSIT
TRANSIT 2
TRANSIT 3


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TRANSIT 3

2019-10-03 21:39:20 | セツナイ
本当なら、この「TRANSIT」というシリーズ?記事は、
前回で終わるはずだったのです。

というか、最初の記事だけだったハズで。
だから前の記事には二つとも「つづく」なんて書いてもいなくて。
なのに、また、飛行機の乗り継ぎでヒドイことが起こってしまい......
たった一つの短い旅の中で、こんなことが何度も起こるものなのか?
やはり、前回記した通り、
サグラダファミリアの二つのファサードの影響なのか......
ツカヘイさん達との神ごとの影響なのか......



まさに生誕と受難。喜びと悲しみ。天国と地獄。



今度はイビサ島(Ibiza)からバルセロナ(Barcelona)に戻る飛行機で、
またもや滑走路まで出た飛行機が......飛ばなくなったのです。
ラテンの国とはここまでいい加減なものなのか!?みたいな......



コヤツ。
忘れ得ぬブエリング航空(Vering airlines)。3515便。
成田の出発時と同様、滑走路に出てから30分ほど飛ばず。

「機材トラブルで修理をしています。
皆さんの安全のためにも修理が完了してから飛びますので、
15分ほどお待ちください。」

という機内アナウンスが。
しかしそこからまた30分。ウンともスンとも言わず。挙句、

「只今エンジニアが修理に当たっていて、
あと15分ほどで直ると考えていますが、
ターミナルの方で待ちたい方々にはバスを用意しました。
機内に残ってもらっても構いませんが、
ターミナルの方には、修理完了次第アナウンスをいたします」

......てなこととなり。
僕さんとコニャ(奥さん)は一旦飛行機を降りてターミナルビルへ行くことに。
すると、30分後。修理完了で再搭乗開始のアナウンスが。
もう一度バスに乗って滑走路に止まっている飛行機に戻り、一路バルセロナへ。
結局、予定時間より2時間ほどの遅れ。
そして、バルサに着いてみると......



「乗客全員の荷物を置いてきてしまいました......」



「ハ!?ハァァァ!?(°◇°;)」



どうやら、修理が上手くいかないときに、一度、
機上のスタッフさんたちは使用機体を変える可能性も考えたようで。
その一時的判断?ニュアンス?を受けた荷物クルーは、
積み込んだ荷物を全て降ろし。
次なる機長?荷物係?の指示を待っているうちに、
荷物は降ろしたてのホヤホヤよ♡という軽い機体が飛び立って行ったようで......
出発が2時間も遅れ、クルーが焦っていたからか?なんなのか?
イヤイヤ、そんなレベルではなく.......とか、
そんなことを考え出すともう、
やるせなさでスカイダイビングをしたくなるので、
そういうことも一切やめました。



とにかく大事なことは、なんとしても、なんとかすること。



なんとしても、わが手に大事な荷物を取り戻すこと。



荷物が島に置き忘れられてきたことを知った乗客200人近くが詰め掛けた
バゲージクレームカウンターはマサに修羅場。
ちょうど最近の香港状態。
怒鳴る人。怒る人。奇声をあげる人。
両手を広げ天を仰ぐ人。
拳をギュッと握って、歯を食いしばり、
時折、恐ろしい言葉で悪態をつく人......僕さん。
そのあまりのパニックさを見て警備員も3人ほど駆けつけ。
カウンターの中にいた人も前に出てきて。
とにかく慌てないで冷静に、順番に、申請をしてくれ、と。
すごく時間はかかるけど、ちゃんと対応いたしますから、
とか、なんとか。

僕さん達は長い荷物探し&お届け申請の列に一時間半ほど並び。
ヘロヘロになりながら、
荷物は一刻も早く泊まっているホテルに届けて欲しいと。
ホテルはココだと。
スーツケースの種類はこれで、
色はこうで、
受け取りタグはこれだ!よく見やがれ!と。
電話番号はこれで、
連絡のショートメールはココ。

テスト?

来たよ。そのショートメール。
じゃぁ、頼むから。一刻も早く。
明日の夕方には日本に帰る便に乗るんだよ。
午前中に届かなかったら俺たち帰れないんだよ。
わかる?
本当にわかってんの?

え?

午前中に届けられる?

本当なの?それ?

客の荷物忘れて飛んでしまう様な会社が本当にこの通りにできるものなの?

ラテンだからしょうがない?

とか言うなよ。
シャレにならないから。
スーツケースの中には大事な仕事用のパソコンやアレやコレやが入ってるんだ。
すぐに連絡よこしなはれ。
いい加減にしなはれ。
こら。こら。

......と。

そんな申請を終えるまで2時間。気がつくと、
イビサからバルセロナに帰るのに僕らが失った時間は5時間ほど。
とにかく、明日の朝ちゃんと荷物がホテルに届くことを祈り、
その後はタクシーでホテルに直行。
ホテルではカウンターのオネー様に事情を話し、
深夜だろうと早朝だろうと、荷物がついたらすぐに教えてください、と。
ついでにこんな質問も......

「こんなことってよくあるんですか?」

「イエス。エブリータイム」

「......( ̄□ ̄ *) 」

生誕と受難。喜びと悲しみ。天国と地獄。
そんな両極を行ったり来たりする旅の「受難」を中心とするお話は、
もう一度だけ続かせていただきまちゅ......
書ききれない......






天国だったほうの一つ。
「チルアウトミュージック発祥の地」
イビサ島、サン・アントニオ(Sant Antoni de Portmany)
にある「カフェ・デル・マール(Cafe del mar)」さん。
隣にはライバル店の「カフェ・マンボウ(CAFE MAMBO)」さんも。





どちらのカフェも、ハウスDJが美しい夕暮れに合わせ、
心地のよい、雰囲気あるリラックスミュージック......
「チル・アウト・ミュージック=chill out MUSIC」
......を屋外に大音量で響かせます。
そんな音楽と空気と海と空とに囲まれた、
この世離れした美麗な夕日。夕陽。
目前には美味しいお酒やフードも。
天国?か?......















見渡す限り、日本人は僕ら以外には一人も見当たらず。
基本、ヨーロッパと、
アラブとアフリカ各国から集まった女性に男性。
性的にどちらでもない人。逆転している人。
レズビアンさんもホモセクシャルさんも。たくさん。
ヒッピーな人。
ドラッグクイーン的な人。
クラバーやパーティーぴーぽー。
ラリってる!?じゃないの?って人もチラホラ......
無邪気にはしゃぐ小さな子供達もちらほら。
ケタの違いそうなセレブと、
その横には物売りや物乞いをする移民系の人々。

何かが少しズレただけで、
何かが大きく崩壊してしまうような。

そんな混沌とした危ういバランスの上にユラユラと浮かぶ世界。
その世界で妖艶に暮れていく太陽。

やはりこの島も?

スペインとは?

天国と地獄が同時並行、且つ、

一か所的に存在する所なのか?

......な......

サンアントニオでも、
サグラダ・ファミリアの二つのファサード......生誕と受難......
を僕は強く思い出していました。
しかし、なんとも不思議な感覚を味わえる地ではあって。
この地の夕暮れ風景を額縁に入れて美術館に飾るとすれば、タイトルは、
「混沌に浮かぶ幻の平和」
みたいな感じでしょうか。ね。


☆シリーズ過去記事リンク☆
TRANSIT
TRANSIT 2


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