雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」と見つけてもらえたら、、そんな思いで書き記してます。

コタツとミカン

2017-01-06 00:03:35 | 感謝...パワスポ寺社
そーですねぇ......


例えば、ですよ。


例えば、海の無い南の島を想像してみてください。。


......


......


ソレ!(=゚ω゚)ノ


ソレですよ!


コタツの無い冬って。


僕にとってわ。ええ。ええ。


ソレですよ。。(*´ω`*)うむうむ......


さむーい外から帰って来て、
服をユタ〜リとした部屋着に着替えて、暖房入れて、
ソレで、コタツのスイッチを入れて。
コタツの側に置かれたお気に入りの大きめの
鮮やかなライトグリーンのフカフカ座椅子に一目散に潜り込むワケですよ。
冷え切った足を爪先までピィィ〜〜〜ンとコタツの中で伸ばして。
そうすると、ですよ......


ええ。


モチロン......


動けないんすよ!(=゚ω゚)ノ


一歩たりとも!(=゚ω゚)ノ


わちきはヤドカリ!


でんでん虫!


一生このコタツ貝の中で暮らすの!(=゚ω゚)ノ


ってね。
ええ。ええ。
何かに逆らう気など全く起きて来ませんの。
とてーも健全な気持ちで。
ソレで、コタツテーブルの上にアイスクリームと
お気に入りのコーヒーなんぞを持ち込んだ日にわ......ええ。ええ。


もしかしてココが!?


ネズミーランド!?(((( ゚д゚)))))))


ってね。
もう大変な楽園騒ぎで。
スターライトパレードで。
コタツさえあれば僕の冬は常夏なワケでやんすな。
コタツでは何を食べてもウマイわけでやんす。ブクブクと馬肥ゆる冬なわけです。
それでですね、そんな風に肥えまくっていた昨年末に、
コタ通な僕に届いた時ならぬ!?神様からの贈り物というのがありまして。
そりが、これ。
南知多徒然」という記事で記した「荒熊神社」の力のある宮司さんと、
その氏子の皆さんから頂いた貴重なる「利屋郷ミカン=とぎやごうみかん」さん!
我が家のコタツに完全フィット!なんですの。。感激。。(´∀`*)





荒熊の神様から宮司さんに降ろされていた予言通りに、本当に!
訪れてしまったポンチキな僕とプリリンねーさんを気に入ってもらえたようでして。
その後も、このブログのプリントを氏子会などで配ってくれたりもして頂いてるそうで。
それで、そんな氏子の方々が経営している、知多半島では最早たった四軒!
ともなってしまった貴重な元祖「知多半島ミカン」を産地直送で送ってくれたのでやんす。
伝説の大岩金右衛門さんのミカンを今に受け継ぐ希少なミカンさんなのですね。
販売、卸元はこれまた伝統とコダワリを感じる「紋右エ門」さんというお名前。



ダンボールを開けると、幾重にもなっている上蓋の一枚一枚に、
そんな知多半島の「みかんの歴史」が物語のように書かれているというパッケージング。
希少感がドップリと伝わって来ます。。
ありがたいよぉぉぉ.....(TωT)うるる...





知多の天然湧水で育てられたミカンさん。
味は天然感満載のワイルドで自然な甘さと、
実を包む薄皮がしっかりとハリがある感じが特徴でしょうか。
なんだか本当に神様から頂いたような感覚で。とても嬉しく。誇らしく。ええ。ええ。
ノーベル賞並みな気分でございまする。
もらったことないからわかんないけど。ええ。ええ。



そして、この貴重なミカンをもらってすぐ、
東京、世田谷八幡宮にいらっしゃるという荒熊の神様の弟神さんにお呼ばれされまして。
このミカンを持って行ったのでございまする。
だいたい、
こんな貴重なミカンがわちきのよーなポンチキヤローにタダで来るハズなど無いワケで。
それで昨年末に合間を見つけて持って行きましたのです。近所ですし。
きっと、そーいうことだろうとも思いまちて(^^)ええ。ええ。
此方の神様は色々あってチョイと不自由をしていたようなのですね。長いコト。
そこに復活した兄神様と繋がれるミカンパワーと、少々の力添えを......と。



長い間眠らされていて、思うように動けなかったという荒熊の神様の弟神さん。
許しを頂いているのでその名を明かしますと「ツナネの神」という神様。
おそらく「綱根」と書くように感じます。世田谷八幡宮の「真の祭神」であり、
古代富士王朝の時代からいらっしゃる関東の地における重要な神様の1柱。
この時は、
同じく荒熊神社の宮司さんからミカンを頂いていたプリリンねーさんにも一緒に来てもらい、
神様からの言葉を正確にトレースしてもらいつつ、伝えられた通りにあった!!
境内の隅にヒッソリとある大きな岩に僕らは濁り酒と貴重なる荒熊の神様のミカンをお供えし、
コレまたお願いをされていた秘伝のアマテラス祝詞物部のフルのコトを
人目につかないようにヒッソリと唱えて......
そしたらまたその直後、例によって例の如く、空模様が大変なことになっていって......
大きな日輪と、その周りに三つの虹が......(@ 。@)



カンのヨイみゆきちゃんからも全く同じタイミングで流石の写真が届いていたり......



イラストなども......



毎度ながら、天候を動かしてしまう神々の力には驚かされるのでやんす。
せっかく本物の神様から頂いた貴重な力を持つミカン!?さんですから、
おすそわけで何人かの会社スタッフさん達にもあげて、それと、
お正月に実家に帰った時に両親にもあげて、ご先祖様のお墓にもお供えしたのでやんす。



やっぱり神様の力が詰まっているミカンのようで、
お掃除をして、お供えをして手を合わせていたら、
上空から光の柱が立ち降りて来て......コニャ(奥さん)もビビってましたのね( ̄ー ̄)
ご先祖様たちもとても喜んでいたように感じられました。

まだ、もう少しだけコタツテーブルの上に残っているので、
しっかり食べきって、2017年の仕事を始めたいなぁ......と思っておりまする。なう。

敬礼! (`・ω・´)ゞ ビシッ!
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あの時の気持ち

2016-10-14 00:07:01 | 感謝...パワスポ寺社
Yさんは男性ロックアーティストで、ミュージシャンで、
少し前まで沢山のヒットアーティストを生み出していた某キー局の某深夜音楽番組の
企画制作とナビゲーターも長く努めていた人。
僕にとっては、もう、とても古いお付き合いになる先輩でもあるのですが、

「僕らの新しいプロジェクトにちょっとお力を貸していただけねーでしょーか?」

なんていうことで、
少し前からプロジェクト宣伝用のインタビュー取材をお願いしていました。

その後、某、美味しい焼肉屋さんで快く一発了解!( ̄+ー ̄)を頂き、
先週には撮影も含めたウチのインタビュースタッフさん達との取材を
無事完了することが出来ました。
そのインタビューの時、
僕さんは御礼の挨拶も兼ねてノソノソと邪魔モノ的に顔を出して、
空き時間ではインタビューアーさんも含めて皆でアーダコーダ......と、
本筋から逸れたとめどもないお話をしていたのですが、そこで彼は、
デビューから今に至るまでの面白話やチョッとした苦労話もしてくれました。



「いやー、このプロジェクトって、クリエーターにとって
待ちに待っていたサービスだと思うんだよね。本当に。
最近のアーティストとかにもバッチリハマると思うし。
だってさ、周りにいる最近のアーティストとかってさ、
やっぱ、世代が違うな、、て感じめちゃくちゃするもん。
こういうシステムの方がいいんだよ。きっと」

「だしょー!(・Д・)だしょ!だしょーー!」

「でもさ、話逸れるけど、その今の連中ってさ、ハングリーさとかが全然違うわけ。
満たされている世代っていうか。
あ、もちろんアレだよ!
俺もさ、幸せな世代だけどさ、何か不自由があって育ったわけではないからさ。
でもさ、また、それとも違うんだよね。全然」

「ウムウム......(・ω・)」

「うまくいかないとさ、変な執着もないから音楽なんてすぐに辞めちゃってさ、
まぁ、音楽ってもう食えない職業に近づいてるしね。時代的に。ソモソモ。
趣味的なんだよ。より一層。職業感がないわけ。
すぐ親元や実家に帰っちゃったり。仕事変えちゃったり。早いのよ、転身が。
すげーと思うわ。そういうとこ。俺とか無かったもんなー。そういう感じって。
何としても成功しないとダメだ!って、めちゃくちゃ悩んでたもん。
このまま故郷には帰れねーって。さ。カッコわりーし、なんとかしたいって」



Yさんは元々広島出身の方で、もう長いこと東京で暮らしているのですが、
その地元広島では大きなホールを満杯にできるほどのアーティストでした。
僕はその当時、彼と一緒に広島を隅から隅まで走り回っていて、
エリアプロモーションのキーとしていたFMラジオのレギュラーも2人で一緒に、
パーソナリティとして長い間やっていたりもしていました。
沢山の苦楽を共にした戦友と呼べるような人の一人です。
その彼がその時、ウチの現場スタッフさん達に語りかけていました。



「......俺も辛いことってしょっちゅうあってさ。
つーか、そんなのいつもの様な感じだけどね。
でもそういう時にさ、
最後の最後で自分を助けてくれたものってあるのね。
あぁ、、もう全部やめちゃおーかなぁー、、、っていうドン底の時に
自分を支えてくれたものってあって。
ある時、ソレに気づいたんだよね。
ああ、俺、この気持ちでずっとこの世界でやってこれたんだ......って。
最後の最後はこの気持が俺を支えてくれてたんだ......って。
そういうものが、幸せなことに、俺にはあったんだよ。
でもさ、その気持ちが今の連中にはあまり感じられない様な気がしていてさ。
そんなことを思うことがあったのよ」

「......(゚ ω゚)」



その時、インタビューアーさんもウチのスタッフさんも、
この先の言葉に気持ちを集中させて聞こうとしているのがわかりました。



「その気持ってさ、
メジャーデビューの夢が叶って、
一番最初に東京に出てきたときの気持ちなんだ」

「......」

「結局さ、そこに戻るんだよね。
モウやめようかな......って思ったときに。
故郷を出て東京へ来たときの気持ちを思い出すんだよね。いつも。なぜか。
そうするとさ、やめれないんだよ。
頑張らなきゃ、、って、思うんだよね。
俺のときってさ、本当に色んなものや人を捨てて、家族とかもそうだけど、
それはもうスゴイ覚悟で東京に出てきたんだよ。
だから、こんな形で故郷に帰れないって、
顔向けれないって、
ホントにそう思うんだ。辛い時に。
故郷には絶対成功して帰るんだ!って。本当に強く思ってた。
その気持を思い出すとさ、俺、続けられたんだよね。音楽を。
ソレが東京の俺を最後に支えてきてくれたんだよ。
ある時、それがわかったんだ」



Yさんは、そう言ってニコニコとしていました。
その時僕らは、しばし、
それぞれに色々なことを考えていたように......思います(^^)





とても古い携帯写真ですが......
いつかの記事でも載せた、Yさんの故郷にある言わずと知れた世界遺産
「厳島神社=いつくしまじんじゃ」の写真。
昔、Yさんと広島で頑張っていた僕にとってはとても思い入れの深い神社さん。
この時は拝殿の向こうに突然の虹がかかって、
そのあまりの美しさに僕はしばらくボーーッとしてしまいました。



島全体が沢山の神々、仏様が祀られている神域ですが、その中心に佇む神社さん。
主祭殿には「宗像三女神」が祀られています。神社が美しいわけなのです(^_^)







この虹が出た日のことは今でも鮮明に覚えています。
なぜなら、僕も、上記したYさんの話同様に、今やっている仕事を
「もう辞めようかな、、」
と深く思い悩んでいた時に行った日の朝の出来事だったからです。
この時は、なんとなく、この神社に行ったら、答えが出せる様な気がして、それで、
朝イチのフェリーで港を渡り、一人で神社に伺いました。
そんな時に見せられた虹だったので、もう、涙目で眺めていた自分を覚えています。







コチラの三女神さんは
市杵島姫命=いちきしまひめ
「田心姫命=たごりひめ」
「湍津姫命=たぎつひめ」
さん。実は、大王!スサノオさんの麗しき三人娘さん達です。

母は......またいつか記そうと思いますが、
三姉妹神の総本社とされる福岡県の宗像大社さんでも、全国各地の祀られている神社さんでも、
はたまた様々な神話や書物においても、
この三姉妹の神名や長女、次女、三女の順番はグチャグチャになって伝わっています。
一応、総本社である宗像大社さんの並びを基本とするむきもありますが......
諸説あります。

この虹を拝殿前の舞台の真ん中で見ていた時、偶然すぎ!なのですが、
僕の他にキッチリ、三人だけ!可愛らしい女性の方々が居合わせてくれていました。
よく見ると上の写真にも彼女達の小さな後ろ姿が写っています。
平日の早朝。瀬戸内の島にある神社の境内には、
他には朝の務めに動く神職の方がチラホラと見えるだけでした。

こちらの三女神さんの中でも「田心姫=タゴリヒメ」さんは僕にとって特に縁のある神様で、
個人的にも大好きな女神様。
この時の虹も、そんな縁あるタゴリさんや三女神の皆さんが見せてくれたものだと、
今でも思っていたりします。



「まだ辞めれないな。。」



それが虹を見た時に僕が出した答えでした。
今思うと、大好きなタゴリさんの背中押しがあったようにも思えています。



タゴリヒメさんと言うのは、実は、
三女神の順番がぐちゃぐちゃになってしまっている理由の張本人!張本神!?だったりもして、
三姉妹中で最も過激!?でアグレッシブ!?個性的!?な美女神様。。
僕の感覚では真ん中の次女さんだと思うのですが、気分次第で!?
長女にも、美しき末娘「いちきしまひめ」さんにも成りすませる!という特技!?
も持った、全くもって掴みどころのない自由人(神)系の?
大胆でヤンチャ系?の個性を持った女神様。
そんな大胆さを優しく許容している器の大きな長女神さんと、
おしとやかで控えめな末娘女神さんの支えがあってこその自由さなのだとも思いますが、
本当にインパクトのある女神様です。

近くに来るといつも......

「クチナシの花」のとても良い香りがします(^^)

本当にうっとりする香り。

ソレがタゴリさんのしるし。

大好き。

そんな梔子(くちなし)の香りが、

花もないのにどこからともなくしてきたら......

ソレは、

もしかしたら、

麗しきタゴリ姫さんかもしれません。

何か迷いゴトなどがある時に、

男らしく!?

スジを正し、背中を押してくれるのかもしれません(^^)
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スイマセン、スイマセン

2013-01-28 00:02:48 | 感謝...パワスポ寺社
「すいません......」をあまり軽く言うな。
おまえは何か悪い事でもしたのか?
スイマセンはスミマセン。
本当は自分が間違った事をした時に使う言葉だ。軽い「スイマセン」は癖になるから止めろ。
言葉はちゃんと選んで、考えて使えーーーーーー。



新卒で入ったレコード会社で突然の大阪勤務を言い渡され、
名刺交換やら挨拶やら電話のとりかたやら、、
そんな一般常識的な研修を受けた後大阪に赴任。
赴任したその「大阪支店」の支店長がNMさん。
体がとても大きくて顔も強面。普通に街を歩いていたら先ず関わりたく無いタイプ。。。
なのに......心根はとても優しい。

僕と入れ替わるタイミングで東京本社に移動する事になったNMさんは、
長年京都エリアの媒体も全て取り仕切っていて、それを引き継ぐ事になったのがその時の僕。
社会人として現場の一線で明確な「担当」と「責務」を持たされた最初のことでした。

そのNMさんに最初に説教されたことというのが冒頭に記した言葉。
NMさんの業務や取引先相手、関係者を引き継がせてもらっている最中に言われた言葉。

確か「KBS京都」という放送局で一通りの挨拶を済ませた後での説教......だったと思います。
烏丸通り沿い、京都御所を取り囲む長ーーーい石垣の横を歩きながら怒られました。。



新入社員。
仕事も良く解らない。
京都なんて街も良く知らない。
友達もいない。
だいたいなんで俺はこんなとこにいるんだ?
しかも支店長でもある人からの業務引き継ぎだなんて、、ちょっと重くね!?
......そんな心持ちでの引き継ぎ行脚で、どーも僕は会う人会う人に

「すいませんが、、」
「スミマセン、、」
「すいませんが、よろしくお願いします。。」

などとむやみやたらと言っていたようです。
しかし......
たいした事、話しでは無いし、しかもNMさんが言っている事が正しいのかどうか、
それだってちょっと曖昧な話しだし。。
スイマセン......なんて、ただの枕詞じゃねぇか。。。
その時は

「この人なんてこまけぇーーーんだ!?」
「うざくね?」
「目つきワリーんだけど」

なぁーーんてチビッと思いつつ。。
不思議ですが、それでも、
この時の話はその時の僕の心にとても深く響きました。
そして今でもこうしてちゃんと心に残っています。
何故でしょうか......



多分NMさんが伝えたかった事は言葉の「額面通り」のことではなくて、きっと、

「ちゃんと自分と仕事に誇りを持て。営業だろうが宣伝だろうが仕事は全て対等だ」

というその時の僕の「心持ち」部分に対するコトなのだろうと思います。
それで、そんなメッセージがNMさんからちゃんと伝わって来たので
僕は素直に「そうだなぁ、、」と聞き入れていたのだと思います。

それは、その後の僕の仕事においてとても大切なことでした。
時が経てば経つほど、仕事を覚えれば覚えるほど、
その言葉の裏に有ったNMさんの真意の大切さや正しさを感じるような事が沢山ありました。

僕がこの仕事に就いて最初に教えてくれた人がもしこのNMさんでなかったら。。
もう少し違う人間になっていたかもしれません。
決して今の自分はまっとう......と言う意味ではありませんが。。



今でも時々この話しをされた時の京都の風景を思い出す時があります。



京都の街の中心にある京都御所。
その広い広い皇居は普通の人の身長と同じぐらいの低い石垣の壁で取り囲まれていて、
その壁の上の方には、石垣に沿って濃くて美しい碧の葉をたたえた大きな木々が沢山
青い空に高々と並んで突き出しています。

明治時代迄天皇陛下が住んでいた場所は「お城」などではなくて、
だからなのか取り囲む石垣の高さも「近所のお金持ち......」より低いくらいの造り。
重層的に取り囲む石垣の壁の中にある黒い屋根瓦を載せた美しい土塗りの「塀」も
それほど高くありません。
勿論「お堀」なんてものも全く無くて......それは、必要なかったのかもしれません。

そんな所に為政者と民衆との「この国本来の距離感」を感じたりなんかもして。
そんなところがとても好きで。
そんな石垣沿いの道をCDが沢山入った大きな紙袋を
両手に幾つも持ちながらテクテク......と歩いていく。

石壁の所々にある門の所にはいつも警備員さんが黒い服と帽子をかぶって立っていて、
タマに京都らしい着物姿のお姉さんが通りかかったりなんかして。
木々の葉の緑の匂いと、お姉さんの華のような匂いが合わさって、
僕の目の前をそよそよとした風とともに抜けていく。。。
両手が塞がっている僕は何も出来ずにタダ見送るだけ......(T.T)



「まってぇー!おねぇさーーん!ヽ(´o`」



そんな風景とともに今でもNMさんの話しを思い出してしまう時があります。
そんな時というのは「スイマセンにチグハグさ」を感じ取ってしまった時。



NMさんの声が聞こえて来ます。。



「そのスイマセンは Excuse me だろ。I’m sorryじゃない。
申し訳ないという意味で使うのなら、もう少し心を込めて言いなさい。」

「悪い事をしたんだ。ちゃんと謝れ。
スイマセンじゃない。ごめんなさい!だ。ちゃんと謝れ。」

「いいか、、だからスイマセンというのは本当は簡単に使わないんだ。癖になる。
使い過ぎていると謝る気持ちと精神が一緒になって来る。
そうすると何かがおかしくなって来る。
悪い事をしたらスミマセン。ごめんなさい。
ちゃんと言え。
そうでなければ正しい言葉でちゃんと話せ。」



京都という街は大好きな街で、
僕にとっては沢山の仕事の経験も、
辛い事も楽しい事も、色々な事が刻まれている愛しい街です。

いつだったか宣伝用のCDが沢山入った紙袋を片手に3つづつ、6袋も持って、
それが余りに重たくて京都駅の中央改札で「持ち紐」が切れてしまい、
200枚ぐらいのCDを沢山の人が行き交う改札の真ん中に
バラまいてしまったことがありました。

「スイマセン、スイマセン、、、」

と言い続けながらソレを拾っていた時は
情けなくて悔しくて......涙がこぼれたりもしました。

「こんな事する為に俺はこの会社に入ったわけじゃない。。。」

なーーんて。
そんな京都駅の改札を通るたびに思い出すような事も沢山。
大切な人も沢山。

こんな話しをしていたらまた、
お気に入りの場所に出掛けたいなぁ......なんて、思ったりしてしまいます。



京都は僕に「仕事」と「誇り」を教えてくれた街。
NMさんがとても大切にしていた街です。



世界文化遺産「下鴨神社=しもがもじんじゃ」=「賀茂御祖神社=かもみおやじんじゃ」
その一番奥にヒッソリと佇む「御手洗社=みたらしのやしろ」
京都市内で僕が一番好きな所。
祭神は「瀬織津姫=せおりつひめ
崇高なる水の女神。
ココから湧き出る水は世界遺産「糺すの森=ただすのもり」を抜けて鴨川へ流れ出ます。

この社の前。清水の流れに面した石段に坐って眺める景色はこんな感じ。。
良く座り込んで物思いにふけってました。



ココが「みたらし団子」発祥の地......と言われてます(^^)
直ぐ傍にある「加茂みたらし茶屋」のみたらし団子は絶品!今度改て紹介します。
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