へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

都市伝説

2020-02-04 05:59:08 | 本・映画・音楽

【峠の町】
 私が現在住んでいる飯塚市は、もともと炭鉱で栄える前は、長崎街道の宿場町として栄えたが、地理的には北九州方面へ抜ける以外は三方向を峠で塞がれ、それらの峠は昔から交通の難所とされてきた。

 八木山峠、ショウケ越え、米ノ山峠、冷水峠、嘉麻峠、烏尾峠...
本当に峠だらけだ(^_^)

 このうち、八木山峠は福岡市内へ抜ける篠栗街道として、冷水峠は佐賀・長崎へ至る長崎街道として古くから利用されてきた。

 飯塚市ではないが、隣接する宮若市には、猫峠と犬鳴峠がある。
猫と犬?(^_^)
 

【犬鳴伝説】
 宮若市と久山町を結ぶ犬鳴峠にまつわる伝説は数多くある。
そもそも、犬鳴...という名前からして恐いイメージがあるのだが...

 名前の由来は、昔、猟に出た猟師が誤って自分の猟犬を殺してしまい、供養の為に名付けた、とか、犬も泣きながら越えないといけないほど深い峠だから...と言われている。

 犬鳴峠の近くには旧犬鳴隧道、新犬鳴トンネル、犬鳴ダムがある。

 今回の話題は、今週末に封切りされる映画「犬鳴村」にまつわる都市伝説である。
映画は同名の小説を元に、全国の都市伝説、中でも犬鳴峠、旧犬鳴隧道の近くにあったとされる、犬鳴村を取り上げている。

 犬鳴村の都市伝説の信憑性(しんぴょうせい)の前に...
旧犬鳴隧道、つまり昔からある犬鳴トンネルには、恐い話がある。

 何人かの人が、中で焼かれたり殺されたりして、若者の肝試しやヤンキーの溜まり場となってトンネルは閉鎖された。

 実際に私もウルトラランニング仲間と二度ほど、旧犬鳴隧道の横を久山町側から入り、犬鳴ダムの横を通って宮若市へ抜けたコトがある。

 たぶん、数年前にこの道は落石のキケンがあるとして、峠道そのものが鉄扉で封鎖され、監視カメラまで設置されて通行不能となっているハズである。

 十数年前は、まだ通れたので、たまに通りすぎるトラックを横目に峠道をダラダラと上って行った。先を行く2人が、旧犬鳴隧道の前まで行って血相を変えて戻ってきたのを覚えている。
あの時は、既にトンネル入り口は封鎖されており、彼らは封鎖された板の上のおどろおどろしい落書きに、ただならぬ気配を感じて引き返して来たようだ。

 とにかく、強行突入しようにも塞がれているのだから、中に入るすべは無い。
別に入りたくもないので(^_^)、そのまま素直に横の峠道を経てダムのそばを通って宮若市へと抜けた。⬅まだ、この時はダムの下に眠っている村がある、とは知らなかった。

 もともと私には霊感がなく、夜も暗闇を一人で懐中電灯の明かりを頼りに走り歩き出来る(^_^)
恐くないのか?というと...

 恐さより寒さと疲労が上回って、ほとんど恐怖を感じない(^_^)


 しかし、私たちが通った犬鳴峠は、実際に犬鳴隧道を夜中に見に行ったライフセービング仲間が、な~んにも無かったね🎵
と笑いながら帰る途中、そのクルマが後ろから他のクルマに追突された...
というから、やはりナニかがある...ようだ。


【犬鳴村の実態は?】
 映画「犬鳴村」の犬鳴村は実際には存在しない?
ただし、小説や映画で取り上げているように、いくつかの伝説はある。
① その村はトンネルを抜けた先(宮若市側?)にある。
② 村民はよそ者との交流を拒み、近親交配が進んでいる。
③ 村の入り口にはワナがあり、よそ者が侵入すると斧を持った村人が襲ってくる。
④ 興味本意で立ち寄ったカップルの乗った白いセダンが放置されている。
⑤ 付近には白いセダン通行禁止の看板がある。
⑥ 小さな小屋があって、そこには骸(むくろ)が積まれている。
⑦ 村の入り口には「これより日本国憲法は適用しない」の看板がある。
⑧ 村を出た先のコンビニから警察に通報しようとしても繋がらない。
⑨ 村では全ての携帯電話が圏外になる。

 どうやら、この村に入ったが最後、生きてこの世に帰るコトは出来なさそうだ。

 果たして、このような村が実際に存在していた、として...
よそ者を拒み、自分達だけで村を形成する...というのは、ナニモノかに追われ、迫害され差別され続けた人々が集まり、孤立した村を形成していた可能性がある。

 携帯電話が圏外になるのは、犬も泣きながら越えないといけないほど深い峠であれば、当然のコトであろう。

 日本国憲法適用除外の看板は...
「この先、紛争地につき、立ち入り禁止」なる看板を同じ宮若市内で見かけたコトがある。
あれはいったい、ナニを意味しているのか?
それこそ、よそ者の私には全くワケがわからなかったが...


 犬鳴村は存在しないが、犬鳴谷村...というのは存在していた。
過去形なのは、今はダムの下に沈んでいるからだ。

 そう、私が知らずに通過した犬鳴ダムの底に、福岡市内の足軽を集めて江戸時代に作られた犬鳴谷村があった。そこには窯元もあった。
 
 「養生訓」、つまり今で言うと健康法について書いた貝原益軒も犬鳴谷村を通って福岡市へ入っている。


※貝原益軒は、幼少期のわずかな期間だが、飯塚市の八木山に暮らしており、今でも家の跡に碑がある。


 結論から言うと、「犬鳴村」は犬鳴谷村とは別物で、確認しようにもトンネル入り口が封鎖された今では確認しようが無い。

 しかし、私は旧犬鳴隧道にまつわる話の真相を知り、震えた(@_@)

 それは、恐怖に震え上がったのではなく、"怒り"に震えた。
私はそれまで、トンネルの中で焼かれて殺されたのは、暴力団員だと勘違いしていた。
実際は、何の罪もない、当時二十歳の、田川市(飯塚市の隣)の工員の男性だった。

 信号待ちしている彼のクルマに、ドアを開けて「女を乗せてドライブするからクルマ貸せや」と言ってきた19歳の主犯各グループ...

 断ると、執拗に追い回し、リンチ&監禁され、それこそ苅田港に沈めようとしたところ(まさしく、女子高生コンクリート詰め殺人と同じ頃)、沈めたらいずれ浮かんでくる、というコトで最終的に、ひとけの無い旧犬鳴トンネルでガソリンかけて火をつけて生きたまま焼き殺し、その場を逃げ去った...

 実行グループは、当時、未成年というコトで一定の刑期を終えて今は私たちと同じ空気を吸っている。

 ウワサでは、実家が裕福なのか?
少なくとも私よりは健康で文化的な生活を堪能しているようである。

 生きたまま焼き殺された被害者のコトを思うと、本当に警察や司法はナニをやっているのか❗
コレでイイのか❗

 という怒りしか生まれて来ない。

 映画そのものは、血しぶきが飛ぶようなモノは見たくないので(^_^)、たぶん、見に行かないだろうけど(^_^)、小説は読んでみたい、と思う。

 それにしても、長年暮らしている町やその周辺にも、まだまだ知らないコトはいっぱいあるんだ、と今回の映画の封切りの話題で思い知らされた。



コメント
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