へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

「引っ越し」が趣味なんです・・・

2017-01-31 08:55:13 | 日々雑感


 私の知り合いで「引っ越しが趣味なんです」という方が何人かいる。彼ら彼女らの共通項は、なぜか「セミナー講師」

 その彼ら彼女らに言わせると、「自分を変える手っ取り早い方法が引っ越しなんです。人は環境が変わること変わります」と口をそろえて言うのだが、引っ越しについて語り出すと、国家公務員という立場だった私も一応、うんちく言う「資格」はあると自負している。(某女史の29回?には負けるが)

 私の引っ越しは、生まれ故郷の北海道小樽市を皮切りに、東京都練馬区(もっとも住民票は埼玉県朝霞市だったが)、北海道札幌市、再び朝霞市、福岡県飯塚市、北海道千歳市、再び福岡県飯塚市、熊本市、沖縄県那覇市、そして「まさかの」3度目の福岡県飯塚市・・・で現在に至っている。

 こうして見ると9回、いや、子供の時に一度、引っ越しているから人生でトータル10回の「引っ越し」を経験している。

 社会人になってからの引っ越しは、もちろん、自分の仕事上の引っ越しであるが、なぜか北海道~関東、北海道~九州、九州~沖縄・・・という「島またぎ」的な移動が多く、かかる費用も半端ではない。俗にいう、「引っ越し貧乏」(笑)

 もちろん、職場から手当は出るが、必要最低限の計算になっているので、車を移送するだけでも「赤字」になる。加えて、わが社の人事異動は、なぜか3月末と8月1日、というワケで、私の異動は圧倒的に8月が多かった。

 真夏の引っ越しは地獄である。新たな勤務先に赴任して大量の荷物を搬入する際は、(最初っから設置されていれば良いのだが)まだクーラーも付かない状態での搬入となるから、汗だくである。まさしく「引っ越しダイエット」?(笑)

 経験した人にしかわからない?が、(最近は、ガステーブルの付いている物件も多いが)自治体によって都市ガス、プロパンガスと供給されるガスの種類が異なるため、異動直前までわからない。(当然、ガスの種類が違えば使用するガステーブルも違ってくる)持ってきたガステーブルが「これ、使えません」とガス屋に言われたのはショックだった。以来、私は2種類のガステーブルを持ち歩くようになった。

 「一人暮らしのハズなのに、なんでこんなに荷物が多いの?」と加勢に来てくれた仲間に愚痴られるのも、度重なる全国転勤の「成果」?である。

 通常、転勤は2~3年に一度の割合だが、朝霞市に5年、沖縄県に4年半、そして九州は通算10年以上になる。それだけいると、もう、そこの「住人」になってしまう。

 20代~30代の引っ越しは、異動内示が近づくたびに「次は何処に行くのだろう?」と楽しみで仕方がなかった。だが、40代の頃から面倒くさくなった。そして半ば「諦め」?で現在地にマンションを買った。
 
 でも、最近、あることに気付いたのである。またどこか知らない土地に行ってみたい、と思っている自分に。果たして私は農耕民族ならぬ遊牧民か、はたまた狩猟民族の縄文人なのか?(笑)

 まったく知らない土地で人生をやり直す中年男の物語が頭に浮かんだ。タイトルは「春風にグッドラック!」

 初版本「シンクロニシティ・ジャーニー」の主人公、中谷恵理の「その後」を書いてみたい気もする。大いなる一歩を踏み出した彼女の横を吹き抜けていった初夏の風・・・やはり「風」がキーワードだ。

 夢破れたしがない中年男の物語(ハードボイルド風?)になるか、華麗なる中谷恵理の「その後」の物語になるか・・・?

 すべては2年後の私が答えてくれるのだろう。

 追伸:なにかから「逃れよう」とする時、なぜか人は「南」を目指す。わかりやすく言うと、犯罪者はだいたい沖縄を目指す。鹿児島、沖縄をへて北海道へ飛ぶ・・・そんな人間心理をついて警察関係者にひとことアドバイス(笑)「犯人を捕まえたければ、那覇空港、那覇港、本部港で張り込め」(笑)

 

 

 
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そろそろ、日本縦断走り旅の話をしよう・・・!

2017-01-30 09:43:47 | 旅とランニング


 あさってから2月・・・!ということで、初版本の売れ行きも気になるが、そろそろ2か月余りに迫った「日本縦断走り旅2017」へ気持ちをシフトしよう!

 この大会に「参加」を決めたのは、ちょうど1年前、「早期退職」を決意した時・・・だったら行けるじゃん!ってコトで即、申し込んだ。実は、5年前にも同じ主催者の企画で、その時は秋の北海道を出発し、鹿児島に至る「南下」ルート。当時は沖縄にいたのに、なぜか北海道出身者、ということで北海道のルートのチェックポイント選定を任され、わざわざ下見ランしに行った。

 あれから5年・・・まさか、開催されるとは思わなかった。今回は、春の沖縄をスタートして6月に日本最東端に到着、だからベストシーズンだ。これ以上の最適なコース取りはないだろう。ただし、コースは旧街道を行くため、コンビニは期待できないし、地図を見る限り、とんでもない山の中を行く(笑)

 ま、それはそれで「楽しみ」が多い。だが、実は私が最も楽しみにしているのは・・・ズバリ、「人間観察」である。

 今回の旅のテーマ、といっても過言ではない。実は、この走り旅が私の次作にもつながっていくワケで、自身も含めての心情の変化、人間心理は実際、大いなる楽しみでもある。


 その中でも先回、初版本の感想を書簡でいただいたMさん、彼女と同行できるのが何よりうれしい。仕事と家庭を持ちながら60日間も走り旅を続けられる周囲との人間関係の「極意」、何より、病気をして2度目の日本縦断へのチャレンジ・・・そういった数々のことを彼女を通じて学べたら幸いである。

 実は、昨年の北海道縦断往復ですでにその素晴らしさを拝見した。通称「Mウオーク」と呼ばれる競歩のような足さばきは、我々ランナーがついていけない、ゆっくりのハズだが、なぜか追いつかない。その秘訣を間近でもっとじっくり「観察」したい。そして何より、彼女は周りの人を大切にすると同時に「自分自身」を大切にする人なんだ、と実感させられたのが、毎朝の儀式?自分の脚をマッサージしながら「今日も一日、宜しくお願いします」という語り掛けである。

 何はともあれ、60日間、ご一緒できて幸せである。ひょっとしたら、次作の主人公は私ではなく、彼女かもしれない?
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始めるのに遅すぎるコトは無い・・・

2017-01-29 08:44:19 | 日々雑感
 今朝の朝刊のコラムに伊能忠敬のことが書かれていた。ご承知のとおり、彼は全国測量の旅に出かけ、現在の日本地図の原型を作った人である。ちなみに私が参加している北海道縦断の主催者は、伊能忠敬の末裔だそうだ。

 当時、平均寿命が50歳だった時代、彼が全国測量の旅に出かけたのは、なんと55歳の頃・・・

 そうして75歳の生涯を閉じるまで日本地図の作成に力を注いだそうな。公共交通機関なんて発達していなかった当時、全国を自分の脚で歩き通した彼の健脚ぶりには圧倒される。いや、だからこそ、75歳という当時では「大往生」を遂げたのでしょうね。

 まさしく、私たちジャーニーランナーの「先駆け」的な存在です。

 
 先日、あるズンバのサークルに短大生が数名、参加したことを紹介したが、先生の言葉どおり「10代から50(60?)代まで・・・」の幅広い年齢層・・・ズンバが日本で普及してまだ10年と経っていないことを考えると、当然、彼ら彼女らは50代(60代)から始めたのである。

 ランニング仲間は、特に長い距離になればなるほど年齢層が高いが、彼らも学生時代からランニングをやっていたワケではない。むしろ、遅く始めたほうがうまくいく?

 そんなランニング仲間のお父さんに「思い切ってズンバやってみたら?」なんて言ったら「恥ずかしくってダメ」

 その気持ち、わかります。でも、思い切って・・・の気持ちも大切デス。やってみたら楽しかった!ってコト、ほかにもたくさんあると思います。

 始めるのに年齢は関係ないし、幅広い年齢層に愛されるモノこそ、本当に良いものなのだと思います。

 
 さて、今日は今から2名のズンバ・インストラクターによるジョイントに参加、間に自分のサークルを入れて最後にお友達のサークルに行く予定~

 今日もズンバづくし・・・日本縦断に備えて少しは走っておきたいけど、なかなか走る時間がとれません(笑)

 ま、ズンバは体幹使うし、足も小刻みに動かすから・・・よしとしよう!(笑)
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本当に伝えたかったコト・・・

2017-01-28 11:16:19 | 本・映画・音楽


 まもなく、初版本「シンクロニシティ・ジャーニー」が発売されて1カ月となる。1月1日発売、となっているが(Amazonでは1月10日)、実際には福岡県内の書店ですでに年末から入荷し、順次、店頭に並べられていた。

 「スゴイですね。2店舗でさがしたけど、どちらも売り切れで3店舗目でようやく見つけました」って言葉を何人かからいただいたが、福岡県以外のほとんどの店舗は「1冊のみ」の配本なので、その1冊を私の友人・知人が購入した後・・・だったんでしょうね。(笑)ありがとうございます。

 まだまだ福岡県の店舗では、余っています!(笑)

 本心を言うと、もっと地元の北海道に配本してほしかったし、そんなに福岡県に集中させなくても私の友人知人は全国各地に散らばっているのだから、もっと全国各地、日本の隅々に配本してほしかった。まあ、出版社なりの「戦略」?があるのかもしれないけれど。

 ともかく、年末年始の発売時期と併せて全国各地の友人・知人120名に出した年賀状の販促効果?もあってか、それなりにお買い上げいただいているようで何よりです。ありがとうございます。あらためてここで御礼申し上げます!



 さて、本の寿命とははかない?もので、1カ月以上も経っていつまでも売れない本は「返品」、そろそろ私の初版本も賞味期限が近づいているようです。買おっかなあ~、ま、あとで。って方、急いでください(笑)



 この本で私が本当に伝えたかったコト・・・それは、ネタバレになってしまうので、実際に手に取って読んでね(笑)

 大手広告代理店に勤務する中谷恵理を主人公とした物語は、ある意味、私自身の「自己救済」でした。この短編小説を書くことによって私は自身の気持ちを整理して、次のステップに進んだのだと思います。

 そのせいか、買っていただいた方からは、「背中を押されたような気がする」という感想もいただきました。

 ほとんどの人が、「読みやすかった。一気に読めた」と言っていただいたのも、私自身がどちらかと言うと短気で冗長な言い回しがキライなこと、そのため、展開もテンポよく、リズミカルに展開させたつもりです。

 「もっと父娘、母娘との感情を描いてほしかった」という意見もありましたが、この本の最大のテーマが「自分の進むべき道を歩む」なので、その辺はかなり淡々と書いています。(3作目あたりは、この辺の親子関係に焦点を当てたいと思っています)

 いずれにせよ、私自身の言いたかったことを作品全体に散りばめた、言いたいことを言い切った感がありますが、それでもかなり感情は抑えています。なぜなら、そうしないと独りよがりな文章になってしまうし、そんな自己中の物語は誰も読みたくないですからね(笑)

 年賀状で販促させていただいた120名の友人知人のうち、お二人からご丁寧にも読後の書簡をいただきました。実は、お二人とも、北海道縦断の超ベテラン・ウルトラランナーです。

 その淡々とした走りは、北海道縦断往復1100kmを走破するだけではなく、実は周りの人に対する気遣いも半端なかったのだとあらためて気づかされました。

 これからも、人生の師として仰いでいきたい、そんなお二人です。

 
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あの日、私はメキシコ国境を歩いて渡った

2017-01-27 08:39:35 | 日々雑感


 トランプ大統領が、本気で?メキシコとの国境に壁を作ろうとしている。最初は、「建設費用はメキシコ側に100%支払わせる」なんて言ってたからどうせ、出来っこないだろう・・・って思っていたけど、今朝のニュースで「費用はメキシコからの輸入品への課税で十分補える」と述べていることがわかった。いやいや、さすがビジネスマン?

 本当にメキシコとの間に「壁」が建設される日は、来るのかもしれない。本当にそうなると、私の体験は、非常に「貴重な体験」になってしまうのか。


 西暦2000年の秋、私はグリーンのオフィシャルパスポートでアメリカに入国した。同時多発テロの前年だったので、まだイミグレーションには和やかな雰囲気がただよっていた。「アメリカは何回目?」と係員のオジサンに聞かれ、「2回目です」と答えると「じゃあ、1回目は新婚旅行だったんだね」なんて軽口をたたいてきた。

 テキサス州とニューメキシコ州の国境沿いの砂漠地帯にある米軍の射場で地対空ミサイルの実射訓練を終えた我々は、帰国までの自由時間を使ってメキシコに渡ってみることにした。

 同僚の幹部自衛官3人と1台のレンタカーに乗り込み、アメリカ側のパーキングに駐車して、歩いて国境を渡った。

 アメリカとメキシコの国境はリオ・グランデという川を境に形成されていた。リオ・グランデとは、日本語風に言えば「大川」である。文字通り、幅の広い大きな川だ。ここをメキシコ側から泳いで不法入国する人が絶えないという。

 メキシコ側との国境は、大きな弧を描いた橋の頂上にあった。その中央に税関が設けられ、アメリカとメキシコの国旗がたはめいていた。

 メキシコ側のワーレスという名の街に入った。昔は、大通りに死体が転がっているくらい物騒な町で、ゴミだらけの町だった・・なんて一人が言う。

 確かに、今でもキレイとは言えなかった。店の軒先には大きな肉がぶら下がっていた。シュラスコは南米の名物だが、ちょうどあのくらいの大きさの肉だ。そういえば、メキシコは肥満体国だったよな・・・なんて思い出した。

 比較的安全な?昼間の時間帯に食事とショッピングを楽しんだ。土産物屋でアステカ・カレンダーの皿とテキーラを購入した。

 帰り道、例の税関を通る。同僚3人は先に渡り、私の番になった。担当は女性の係官・・・キレル女、的なイメージの彼女は、パスポートの私の写真と今、目の前に立っている私の顔をじっと見た。かなりの時間が経過・・・前の同僚たちは「なにやってんの?」、後ろのメキシコ人は「なんだ、なんだ」と全体的に不穏な空気が漂っていた。

 英語のほとんどしゃべれない私は、困惑した。パスポートを見せても信じてもらえないなら、それ以上の手がどうしてあるだろう?ふと思い立った。パスポートと一緒に米軍が発行した身元を証明できる文書があったのだ。私は、何が書いてあるのかよくわからないその文書を相手の女性係官に差し出した。

 係官は「しょうがないわね。ちっ!」ってカンジでさっさとお行き!的なカンジで私はイミグレーションを通過した。

 あぶなかった。そのままメキシコに取り残されるところだった?すっかりテキーラを申請するのを忘れてそのまま通ってきてしまった。


 あんなコトもあったよねえ~、あの頃は優雅でどこかのんきな時代だったなあ~なんて言う日々がこれから先、来るのだろうか?
コメント (2)
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