水餃子鍋
ピーマンの素揚げ(残り物)
ブリーチーズ
〆にうどん
昨日の晩ごはんです
穏やかなものが食べたくて、冷凍水餃子と野菜の鍋にしました。
いつもは普通の餃子で鍋にするけど、水餃子は皮がもっちりしてとても良いです。
つまみはチーズと前日のピーマンで。
〆にうどんも食べてお腹いっぱいです。
この何日かのバタバタで載せてなかった晩ごはんの写真も、
今となってはどうでもいいですが(笑)まとめて載せておきますね。
もろもろ、美味しくいただきました。
静岡からこんにちは。
また一週間が始まりました。
なんだか遠くに来てしまったような気持ちですが、それなりに落ち着いてきました。
今日は昼前に畑へ。
大根の種まきとじゃが芋の植え付けをしてきました。
またしばらく雨が降らなさそうなので水やりも。
降れば降ったで困るし、降らなきゃ降って欲しいし、勝手なものです(笑)
一時に比べれば暑さも落ち着いたよ、
なんて気でやってましたが、実際はまだまだ暑いのです。
暑過ぎて、畑の写真を撮ろうと思ってたのに忘れてました。
今日の収穫。
種類は少ないけど量は充分。
有難いものの、毎回同じというのが悩ましいところです。
さて。
今日は9月9日。
たら坊が21歳になるはずだった日です。
あと少しな気がしていたけど、長かったなぁと思います。
たら坊を見送った時は、生を全うするのを見届けた気がして、
寂しさを感じつつも、送り出すような気持ちになったものです。
生活的にも、まだまめがいたので、ただたら坊だけが去っていった感じでした。
それに比べると、まめに対してはまるで小さな子を失ったような気持ちです。
そして、自分の人生で猫と過ごす時間はもう終わったんだと、
すっかり片付いてしまった部屋を見て思います。
我が家では今後生き物は飼わないつもりなので、
もう一生、あんなふうに愛し愛される存在に出会うことはないと思うと本当に寂しいです。
たら坊が去った後は、家の中が静かになったと感じ、
まめが去ってからは、家の中に色がなくなったように感じます。
色は見えているんだけど、なんだか褪せているような、まるでサングラスをかけている景色のようです。
「愛がなければこの世は闇」
というのは、まさにその通りなんだと実感しています。
お茶目でわがままでいたずらっ子、
いつもお手入れに余念がなく、
狭いところや、
高いところ、
お陽さまや暖かいところが大好きで、
いつも幸せそうだったまめ。
あのかわいい子にもう会えないんだなぁ、
どこかに生まれ変わって他の人に甘えていたらちょっと寂しいなぁ、とか思ってしまいます。
でも、実際はまめもそれなりに長く生きて、
歳と共にだんだんできないことも増えてきていて、
かわいい思い出も、生きている頃ですら、すでに過去のものになりつつあって。
最後の数ヶ月は体が辛そうに横になってばかりいたので、
今はもうまめは苦しくないんだと思うと嬉しい、これで良かったんだ、と心から思います。
時は流れていくもので、全て変わっていくのは自然なこと。
こうして悲しんでいる自分自身も歳を重ねて、いずれ消えていくのです。
過ぎた時間には触れられないけど、今と同じように確かに存在しているんだと感じます。
育んだ愛情を胸に、これからの時間を過ごしていきたいと思います。
ピーマンの素揚げ(残り物)
ブリーチーズ
〆にうどん
昨日の晩ごはんです
穏やかなものが食べたくて、冷凍水餃子と野菜の鍋にしました。
いつもは普通の餃子で鍋にするけど、水餃子は皮がもっちりしてとても良いです。
つまみはチーズと前日のピーマンで。
〆にうどんも食べてお腹いっぱいです。
この何日かのバタバタで載せてなかった晩ごはんの写真も、
今となってはどうでもいいですが(笑)まとめて載せておきますね。
もろもろ、美味しくいただきました。
静岡からこんにちは。
また一週間が始まりました。
なんだか遠くに来てしまったような気持ちですが、それなりに落ち着いてきました。
今日は昼前に畑へ。
大根の種まきとじゃが芋の植え付けをしてきました。
またしばらく雨が降らなさそうなので水やりも。
降れば降ったで困るし、降らなきゃ降って欲しいし、勝手なものです(笑)
一時に比べれば暑さも落ち着いたよ、
なんて気でやってましたが、実際はまだまだ暑いのです。
暑過ぎて、畑の写真を撮ろうと思ってたのに忘れてました。
今日の収穫。
種類は少ないけど量は充分。
有難いものの、毎回同じというのが悩ましいところです。
さて。
今日は9月9日。
たら坊が21歳になるはずだった日です。
あと少しな気がしていたけど、長かったなぁと思います。
たら坊を見送った時は、生を全うするのを見届けた気がして、
寂しさを感じつつも、送り出すような気持ちになったものです。
生活的にも、まだまめがいたので、ただたら坊だけが去っていった感じでした。
それに比べると、まめに対してはまるで小さな子を失ったような気持ちです。
そして、自分の人生で猫と過ごす時間はもう終わったんだと、
すっかり片付いてしまった部屋を見て思います。
我が家では今後生き物は飼わないつもりなので、
もう一生、あんなふうに愛し愛される存在に出会うことはないと思うと本当に寂しいです。
たら坊が去った後は、家の中が静かになったと感じ、
まめが去ってからは、家の中に色がなくなったように感じます。
色は見えているんだけど、なんだか褪せているような、まるでサングラスをかけている景色のようです。
「愛がなければこの世は闇」
というのは、まさにその通りなんだと実感しています。
お茶目でわがままでいたずらっ子、
いつもお手入れに余念がなく、
狭いところや、
高いところ、
お陽さまや暖かいところが大好きで、
いつも幸せそうだったまめ。
あのかわいい子にもう会えないんだなぁ、
どこかに生まれ変わって他の人に甘えていたらちょっと寂しいなぁ、とか思ってしまいます。
でも、実際はまめもそれなりに長く生きて、
歳と共にだんだんできないことも増えてきていて、
かわいい思い出も、生きている頃ですら、すでに過去のものになりつつあって。
最後の数ヶ月は体が辛そうに横になってばかりいたので、
今はもうまめは苦しくないんだと思うと嬉しい、これで良かったんだ、と心から思います。
時は流れていくもので、全て変わっていくのは自然なこと。
こうして悲しんでいる自分自身も歳を重ねて、いずれ消えていくのです。
過ぎた時間には触れられないけど、今と同じように確かに存在しているんだと感じます。
育んだ愛情を胸に、これからの時間を過ごしていきたいと思います。