ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

副島隆彦氏の「世界権力者 人物図鑑」中国編 1部

2010-04-23 05:56:22 | 石平チャイナ・政治・経済
文化大革命の意味するもの

副島隆彦氏の「世界権力者 人物図鑑」の中から、「中国編」を拾ってみた。

「聖人君子」というのは、中国では聖人が皇帝で、君子がそれに仕える官僚達のことであった。
その皇帝というのは、王様の中の王様で、権謀術数の汚い戦争をくりかえして勝ち残った覇者のことだ。
毛沢東もこの系統で、まさしく「赤い皇帝」だった。

猜疑心が強かった毛沢東は、自分がいつ権力の座から追い落とされるかわからない、という恐怖心から、自分の周りの党の幹部同志たちを「粛正」 し、それこそ「皆殺し」にした。
それが1966年から10年間の文化大革命である。あの10年間で3000万人とも1億人といわれる中国の立派な人々が、収容所(労働矯正所、思想改造所)に入れられたり、重労働させられたり、あるいは公衆の前に引きずり出されてなぶり者にされた。

小平は独裁者であった毛沢東の下で、苦労して周恩来らとともに生き延びた。
小平は四川省の山中を、賀龍将軍に背負われて、追っ手の「四人組」の刺客から逃げ延びて、「三度の失脚」から奇跡的に復帰した。
そして1979年からの改革開放政策で、中国を貧乏のどん底から救い出して、30年かけて豊かな国にした。この小平の遺産こそが、今の中国の繁栄である。

今の中国の胡錦濤や温家宝の登場は、1980年からだ。すでに20年前から小平が育てた「汚れていない」中国指導者たちである。
胡錦濤は北京の清華大学で石油化学を学んだ技術者だ。彼を中心にした技術者あがりが今の幹部たちである。共青団(中国共産党の青年エリート集団) 出身で、チベット自治区党委書記で苦労して評価された。

温家宝は、趙紫陽 総書記の片腕の書記であった。1989年の天安門事件の時、趙紫陽(事件後失脚)は自ら学生たちのところに行っている。その時、趙紫陽の横にピタリとついて、民主化学生たちと話し合い、泣きながら彼らを説得していたのが温家宝だった。

小平は民主化運動の学生たちを弾圧したくなかった。だから天安門事件が起きて困り果ててしまった。仕方なくそのあとの15年間を、「汚れた上海閥」である 腹黒い(かつ保守派の)江沢民と曽慶紅に国家主席の座を渡すしかなかった。

小平は、初めからつまらない人物であることがわかっていた江沢民を頑迷保守派の長老たちが結束して推すので、渋々認めた。と同時に、その次の指導者として今の胡錦濤と温家宝を若手の政治局常務委員に押し込むことで、実を取った。
胡錦濤と温家宝の2人の政権は、2012年までである。

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