前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

115.診断から丸1年

2013-10-16 21:51:53 | 前頭側頭型認知症

昨年(2012年、平成24年)10月16日

大学病院に救急車を呼んで入院し、低ナトリウム血症と診断されて入院。
その入院中に、

前頭側頭型認知症を診断されました。

娘二人と一緒に主治医と主治医の指導医と担当看護師とケースワーカーに囲まれて、何が何だか判らず、前頭葉が委縮しているという事だけ理解しました。

☆もう治らない
☆治療法もない
☆薬もない
☆あまり長く生きられない


理解できたのはそれくらいでした。

前頭側頭型認知症なる認知症があることすら知りませんでした。

ただただ、夫が『窓から飛び降りて死ぬからな!』と言う言動をなんとか止めたいと思い、どうしたらよいか分らず、余命もあまりない事を思い、泣いてばかりいました。

しばらくして、インターネットで検索して、前頭側頭葉変性症、若年性認知症の方のブログにたどり着き、色々な励ましを受け、また、沢山の情報をいただいています。


今思うと、2011年にはもう前頭側頭型認知症の兆候があったかもしれません。



今回、イオンで夫を見失いながら、昨日またイオンに行き、11月の結婚式に着る服を探しながら思い出しました。


2011年、夫の靴を探しにイオンのジャスコで、色々文句をつけながら、こだわりってるなあと呆れたことを。

また、履くズボンがないと、やはりイオンのジャスコで、探して、何着も履いては気に入らず、買うのをやめると言う夫をなだめて、2本買ったことを思い出しました。
決まるまでかなり時間がかかり、私は違う商品を見て時間つぶしをしたりしたなあと思い出しました。

それまでは、お金を渡すと、折角来たのだからと、必ず即決で、靴下だったり、パンツだったり、シャツだったり、ジーパンだったり、即決で買っていました。

私はと言えば、あっちを見て、こっちを見て、値段を気にし、年にあうか?顔にあうか?結局決めかねることもあったのです。



今回の外泊で、

夫に短期記憶があやふやになっている事に気付きました。
ちょっと頻繁に忘れて確認したり、忘れて変なことを言ったり、

私が「はっ?」 と聞き返したり、
まるっきり判らず首をかしげるような事が何度もありました。

進んできたのかな と気になりました。

認知症家族会の方で、「病院に入れたら、進行するだろうと思って入れないで、自宅でずっと介護してきた」 と言っておられた方の事を思い出しました。
そうなのかな? と思うこともあります。
でも、自宅で介護は、私の場合できないと、決断しています。
仕事を続けながら、休みに夫を外泊させて、対応すると決めています。


夫も、なんか最近、このパターンに慣れて来たみたいです。
病院に帰ることを嫌がらなくなりました。

病院に帰る時も以前なら、『もう着く」と、頻繁に言い続けていたのですが、今回は一回しか言いませんでした。
フェルガードの効果だったのか?

病院でも、仲間(?)の方、ちょっと知り合いと言うより、もっと親しい関係の人ができたようでした。
看護師さんも男性が増えて、その方達を夫も気に入っているようなので、良い関係が出来ています。 

助かっています。



明日、病院の支払いに行く予定にしています。

今日は、台風の被害もなく、ただ最高気温が12度と寒かった。
職場ではストーブを点けました。
家では姑が電気ストーブを、居間ではエアコンを暖房にしました。
夫は衣服の調節をできないので、ロッカーの厚手のトレーナーのフード付きカーディガン等、しっかり見せて来ようと思っています。
でも、自分で判断して着替えなどしなくなっているので(前頭側頭型の特徴:無関心・不精・不衛生)、看護師さんにも話して来ようと思います。

伊豆大島の台風被害でたくさんの犠牲者が出たようで、泥の中のベットの映像がでた時は、認知症の方もおられただろうなと、手を合わせました。