前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

129.不安なことは階段だけではない

2014-01-01 22:59:54 | 前頭側頭型認知症

不安・危険を感じているのは階段ばかりではありません。
①玄関でのスリッパと靴の履き替え
②横断歩道の横断
③細い小路での歩き方と横断


①スリッパを脱いで、靴に履きかえる時
  敷居ギリギリに後ろ向きに立ち、スリッパを履きやすいように立ったまま脱ごうとします。後ろに倒れたら、そのまま玄関のタイルに仰向けに倒れ、後頭部を打ちつけててしまう恐れがあります。
ギリギリは本当にギリギリです。S病院では目覚まし時計をギリギリに置き過ぎるのでもう一個壊しています。ラーメン屋で食べる時も、どんぶりを落ちそうなくらいギリギリに自分の方に寄せて食べます。今はしなくなりましたが、水やお茶も、茶碗やコップに縁ギリギリ、ナミナミに入れさせていました。今は200mlをしっかり計って、見せているので、おおよその目分量を覚えたようで、文句を言わなくなりました。



②横断歩道は信号が切り替わるまでに渡りきれません
  片側2車線の道路では、緑になるまで待ってから横断しましが、赤に切り替わるまでに渡り終わらず、左折車・右折車が夫の渡りきるのをイライラして待っています。
私は一緒の時は恥ずかしいので、先に渡って知らんふりして、少し先に行きます。
デパートに行くと2歳くらいの小さな子にも追い越されてしまうほど、歩幅もなく、物凄くトロイ歩き方です。

 

急かすと不穏になるので、『早く』と言う言葉は厳禁です。
引っ張ることも、嫌がるので(接触拒否)、触ることもできません。
車が来たからと、危ないからと引っ張ることもできません。
路上で立ち往生して、掴み合いの喧嘩になるからです。
車が止まって、私たちがよけるのを待つことになります。
最近は犬の散歩の時には、夫と離れて先に歩き、
後ろから付いてくる夫に声をかけて、
車が来ている事を警告しています。
ものすごくゆ~~~っくりと、少しよけます。
というか、車がよけて行きます。
田舎だからできることです。
横断歩道のない道路では、両側からはさまれるように、車の方が徐行するのが見えます。

 


③細い小路だからと油断はできません。
  左右の確認もせず、小路を横断するからです。
時間帯にもよりますが、住宅街でも、工事車両やスーパーからの通り抜けの車がよく通る道路が、夫の散歩コースです。(散歩の帰り、夫はお向かいの屋敷を近道にして通り抜けます。)


これからも、夫の身に危険なことが起きて行くことになるのだろう。
前頭側頭型だから、仕方がないことなのか?


夫は携帯電話は使えません。
徘徊するようになったら、更に危険は増すことになるでしょう。
何か方法を考えなければなりません。
情報を集めて、夫を安全に過ごさせる術を身につけなければと思います。

皆さん、私に色々な危険を回避するための詳細な情報を下さい。
お願いいたします。


128.転落の前

2014-01-01 22:46:11 | 前頭側頭型認知症

12月30日 夫が自宅の階段から転落
救急車で日赤に運ばれ、外傷性くも膜下出血で、
HCUにて、現在、治療と観察を続けられています。

夫が転落した原因
それは、私が、夫に夫の着替えを持たせたこと。
それと、夫がその着替えの靴下を、階段を上っている途中に、
落としたことに有るように思います。
15段ある階段の、11段目に、
スリッパと夫の靴下が落ちていたと娘が言っていました。
その事から、娘と私は、その靴下を拾おうとし、バランスを崩して転落したと、推理しました。


今更、後悔してもどうにもならないことですが、もう夫を二階で過ごさせるのは無理なのか?
兎に角、夫には、物を持たせて階段を上らせることは、もう絶対やめようと思います。

自宅に帰って来た時は
夫は、ほとんど、お風呂に入らなくなっていました。
S病院では、入浴中、ヘルパーさんが夫の体を洗ってくれているようで、
私が、夫には自分の事は自分でするように言っているので、
私には自分の体は洗ってもらえないと思っているようでした。

それでも、12月30日は、私が夫と一緒に入浴し、体を洗おうと思っていました。
インスリンをお腹に打つ時、めくり上げる下着代わりの紺のTシャツに、
一杯の白くもの(おそらく垢)が付着していて、かなり前から気になっていたからです。


当日、8時10分位に、姑が入浴していました。

夫は『45分に下りて来て、血糖値を測定し、目薬を差し、入浴する』と言っていました。
そう決めていたにもかかわらず、何度も何度も、5分10分おきに、二階から下りて来ては、同じことを繰り返し言っていました。

私も娘も、アメトークと言う番組のガリガリ芸人と運動音痴芸人の面白い格好に、大笑いをしていました。
2013年は、本当に笑うことはほとんどなかったので、娘に『こんなに笑ったのは本当に久しぶり』と話していたところでした。

そんな時、夫が何度も下りてきたのでした。
姑ものんびり入浴しているようで、いつもなら、8時30分頃には出て来ているのですが、その時は、まだお風呂から上がって来ていませんでした。

『着替えが出ていない、入らない』と、言い始めました。
姑がまだ出て来ていないし(時刻表的行動)、
寒いから、裸になるのが、風呂に入るのが、面倒くさくなったなと思いました。

そこで、『着替えは、おばあちゃんがお風呂から上がるまでに準備するから』と言いましたが、待つことができません。
『今準備するから』と、着替えを用意しました。
それでも、『入らない』と言うので、この機会を逃したら、もう病院に戻るまでに入浴はしないだろうと思いました。どうしても、お風呂に入ってもらいたいと思いました。
私が夫に『大丈夫私が一緒に入って体洗ってあげるから入ろう』と、言ってももう決心を変えることはできませんでした。

もう私も諦めて、二階に行きかける夫に、『着替えを持って行って』と言い、夫は着替えを持って行ったのです。

いつもは出来ていた事でした。

これが、夫が階段から落ちるに至った顛末です。

以前から、階段を上る時、夫の下から上りたくなくて、私が先に上るようにしていました。夫が転落したら、私まで巻き込まれて落ちてしまうと、不安を感じていたからです。


127.転落

2014-01-01 01:24:11 | 前頭側頭型認知症

12月30日、21時10分ころ

ドン、ドドドドドン

なに!!

夫、階段を転落!

掃除機に頭をぶつけた?

だいじょうぶか?
娘も『お父さん、お父さん』と、必死で呼びかけました。


目がうつろ・・・・?

鼻から?
口の中が血~~~

姑も部屋から出て来て

薄暗い廊下では、夫の顔がよく見えず
『懐中電灯!!!』
姑『ここに有る、〇〇なにした、だいじょうぶだか?』『階段から落ちたんだが?だいじょうぶだが?』

懐中電灯で照らすと、
口の中から、血が出ているのがはっきりわかり、みるみる血が~~~
みるみる口や鼻の回り、瞼が顔が腫れあがっていく~~~~


私(思わず)『階段から落ちたの?だから、いつも言っているでしょ!手を出して掴みなさいって!』
娘『お母さん、今そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!お父さんどこか痛くない?』
夫『頭・・・』
私『頭を動かしちゃダメ!ジッとして!救急車呼ぶ!』

119番通報
状況を伝えると
『意識はありますか?[あります] 話せますか?[話せます]』
『頭や首にけがをされている事が予想されますので、頭を動かさないように』
『血がでていますか?[鼻の下から] きれいなタオルなどで押さえていてください。』
『一番近い所の救急車が出払っていますので、城東消防署から出動しています。間もなく付きます。』


救急隊員の方が4人
丁寧に大事に夫を載せていただきました。

私が救急車を要請している間に、娘は夫が階段のどこから落ちたか確認したようでした。上から一段目(下から11段目)にスリッパがあるから、そこから落ちたとわかりました。

日赤に運ばれることになりました。

『飲んでおられる薬はありますか?(袋ごと渡しました)』
『何か病気は有りますか?(Ⅰ型糖尿病・前頭側頭型認知症)』
『かかりつけ医はどこですか?(S病院の精神科に入院中で今回は外泊中)』
『奥さんは同乗しますか?[車でいきます。] それでは、気をつけて来てください。』
『それでは、これから、日赤に行きますが、ご家族は火の元を気をつけてください。』


長女に姑と留守を頼み、私が日赤に行きました。
保険証一式と、ダウンジャケット、長グつ、マフラー・帽子を持参しました。
ケガ程度で軽いと自宅に帰れるかもと、はかない希望を持ってのことです。



日赤で
入院しているS病院に電話しました。
当直の看護師さんに、夫が階段の11段目から転落して、救急車で日赤に運ばれ検査している事を伝えました。
入院中なので、そのことを日赤に話すように言われましたが、そのことはもうすでに話してありました。


救急隊員の方が
『頭や首をかなり打っておられるので、これから、色々な検査をされます。我々はこれで帰りますが、この後検査の結果がわかり次第お話があるとおもいます。』と話されました。
私も『本当にありがとうございました。お世話になりました!』とお礼を述べました。



待つこと 1時間以上
看護婦さんが出て来られ、
『検査したところ、脳の中に内出血が見られました。今、脳神経外科の先生を読んで、どうするか相談をしますので、もう少しお待ちください』とのこと。


え? 脳内出血? どの程度? 大変なことになったと今更ですが、事態の大変さに驚いてしまいました。日赤に着いてから、私は夫の顔を見ていません。待合室に座ったままでした。

心配しているだろう長女に、取りあえず、『脳内出血』の話を伝えました。娘は驚き泣き出してしまいました。
私『いつかは、こんな事が起こると予想していた事だから、そんなに泣かないの!』と少しきつい言い方をしてしまいました。
娘『それでお父さん、意識はあるの?』
私『まだ、お父さんに会っていないからどうだか分からない。またなにか判ったら連絡するから』


その後、しばらく待ちましたが、何の報告もありません。
近くを通った男性看護師さんを呼び止め、
『さっき救急車で運ばれた〇〇ですが、脳に内出血があるので、脳神経外科の先生と相談して後で、呼ぶと言われたのですが、夫は意識が有るんでしょうか?』と聞いてみました。担当ではないが聞いてみますと言ってくれました。

またそれから少したって、
先生からお話がありますからと呼ばれました。
救急治療室の中に入れてもらうと、看護師さんから、鼻の下を切っていたので、縫ったとの事、そこから血がまだしみだしている事、意識は有って話せること、脳神経外科の先生からお話があることの話がすぐありました。

夫にようやく会えました。


顔がかなり腫れあがり、鼻の下を5~6センチ縫っていました。
鼻の上、鼻りょう、おでこと髪の生え際も何か所か出血と傷と血のたんこぶが出来ていました。鼻の中はすでに血で黒ずんでいました。

夫は思った以上に元気で、意識も話しぶりもしっかりしていました。
家にいる時より、しっかりしているくらいでした。頭をぶつけて、神経の繋がっていなかったところが繋がったのかな?などと、内心不届きなことを思ってしまいました。


脳神経外科の先生は年末だし、自宅に帰っていたところを呼び出されて来て下さったのでした。本当にありがたいことです。仕事とはいえ、お医者さんは大変だ。本当にありがとうございます。

結果
外傷性くも膜下出血
出血か所
  左側頭葉の言語野付近 (?左か右か自信が無くなったが、確か左)
    ・・・やや広く大きく内側に喰い込んだようになっている
  左側頭葉の運動野の近く・・・上に次いで少し
脳幹に近い所・・・小さい点にように白い



先生と
夫が前頭側頭葉型認知症と告知されるまでの2011年の夫の様子やら、それまでの病歴など一通り話しました。

今後について
外傷性くも膜下出血とは、後追い治療になる
30日にCTを撮りましたが、MRIは頭をまだ動かせに状況なので、撮らない
31日にまたCTを撮り、出血の状況を確認して今後の治療を考える

兎に角、脳内のことなので、HCU(ハイケアユニット)に入院してもらい様子を観察しますとの事。また、認知症で特別な症状も考えられるので、拘束をしないと治療ができないことも予想される。そのため、拘束の許可にも署名をしました。

一旦S病院は退院、
日赤に数日入院して、様態を確認してから、再度S病院に転院となります。
日赤とS病院と連絡を取るとのこと。



12月31日
午前、S病院に電話。状況を報告。一旦退院とのことなので、私はどういう手続きをすればいいのかと尋ねましたが、病院同士でやり取りするので、私は何もしなくても良いとの事で、助かりました。有り難いです。北と南で、どうなる事かと思いましたが、本当に助かりました。

病院からの入院に必要なものを買い
昼食後、姑と娘を連れて、夫の所へ

2人の面会の所、私たち3人入れてもらえました。これもありがたいです。

夫、ベットの上に座っていました。
とても元気でしたが、人相が変わっていました。
更に顔が腫れあがり、目の周りが青く、瞼・おでこ・鼻の下・鼻りょうに出血と傷。

『鏡がない』
『これがとれないのよ(拘束のためのベルト)』
『スリッパ俺のは?』
これ以外は変な発言は無く、家にいる時より、話すことがはっきりしていた。

『びっくりした(階段から落ちた事)』
『頭が痛い』

帰り際
『(来てくれて)ありがとう』・・・嬉しい発言

いつも冷たい手が
入院着だけしか着ていませんでしたが、冷たくは無く、とても暖かでした。


夫が手を握り締め、手すりを掴まないこと。スイッチやドアのノブ、引き戸に指ではなく握り拳をさしだす事。

階段を転げ落ちることがあるかもしれないと想像はしていました。
玄関では、スリッパを脱ぐとき、玄関のたたきギリギリに後ろ向きになり、ふらついていましたし、靴の脱ぎ履きもふらつき、ズボンや下ズボンの脱ぎ履きもふらついていました。

なので、転落、転倒は想定の範囲内でした。
でも、この年末楽しくすごそうと思っていた時に、落ちるとは・・・。



こんな事があり、この年末年始、家族4人、久しぶりに家で迎えられるはずが、夫は、またもや入院生活となりました。夫はもちろん、姑も娘もそして私も、残念な年末とお正月を迎えることになりました。