前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

104.家族の夏休み(夫3泊4日)

2013-09-10 00:10:07 | 前頭側頭型認知症

8月27日(火)~30日(金)

夫を3泊4日で外泊させて、一緒に過ごしました。
次女は27日~30日、長女は28日~9月1日
私は、27日と29日・30日と休暇を取りました。
四人がそれぞれに夏休みを取った筈なのに、夫に振り回された夏休みとなりました。



娘たちはお盆に帰省していないので、認知症告知の時に立ち会うために来てもらってから、家族5人が揃うのは、1年ぶりです。
精一杯夫を楽しませようと、私も娘たちも頑張りました。

夫は、26日(月)に、5病棟から閉鎖の7病棟に移されていました。その朝、おしっこで濡れたから洗濯物を取りに来いと電話して来たので、次の日には外泊だったのですが病院に行ってきました。

ケースワーカーさんが、「5病棟に居る時、エレベーターに載り、他の病棟に行ったり、他の患者さんとトラブルになりそうなので閉鎖病棟に移すことなると思います。」と言っていたことが実行されました。

27日迎えに行くと、驚いたような顔をし、本当に帰れるのか?とまだ信じられないような様子でした。

夫は帰る準備をしていましたが、不十分になりました。
前日に病棟を変わったばかりなので、看護師さんも伝達が十分になされていないようで、分厚いカルテか何かのファイルを見ながら、薬や測定器インスリンを準備してくれました。
その間、夫は「時間だ早く早く」と、急かし続けました。
「待って、今やっているから」と、何度も何度も夫を座らせました。

夫を迎えに行って、それから即行、娘を飛行場に迎え行く事にしていたので、迎えに行く時間がかなり押していました。


かなりスピードを出して、飛行機の到着時刻ギリギリ着きました。幸い飛行機の到着が5分遅れていたので助かりました。

娘(次女)は、いつもハツラツと明るく元気な子です。
夫の顔も少し穏やかに見えます。

これが、私たち家族の夏休みの始まりでした。


昼の買い物をいつものスーパーでしました。
夫はいつもの寿司とミニトマトと緑茶


娘に、私に何かあったらを想定して、夫の介護を教えようと考えていたので、血糖値の測定、インスリン注射のやり方を教えました。

家で血糖値を測定し、さあ、インスリン注射をしようと思ったら


ギョエー 注射の針が無~~~い

と気付き、病院に電話し、ビューーーーンと超スピードで針を貰いに行きました。
私も確認のメモを作ってもっていたのに確認をしなかったので、私のミスでもあるので、看護師さんに気にしないでくださいと連発し、また、ギューーーーーンとスピードを出して家に戻りました。

夫は、超イライラ、食べようと思った寿司を目の前に、娘になだめられ怒りを我慢して食べずに待っていました。

夫は寿司を食べ終わるとやることが無いと言い始めました。


駅に行く(姪の勤めている所に行く)と言うので、娘も同行しでかけました。
私は姑に頼まれたつくだ煮を買いにデパ地下に、その間に、夫と娘は姪の所に。
ところが、姪は休暇を取っていたらしく、夫はがっかりした様子で、私の所に娘と来ました。
次は姑に頼まれた刺しゅう糸を買いに隣のデパートのクラフトパークと言う手芸屋さんに出かけました。今度はそこで、私が空振り。姑に頼まれた刺しゅう糸は有りませんでした。夫は予定が違ったと待って入れず、娘が付いてどこかに行きました。携帯電話で連絡し、トイレに居ることが解り合流。

「帰る」の夫の言葉に従いました。

夕方、夫と私と散歩へ。

夫の歩くのが遅く、私が前に出ると怒りました。
横断歩道は、曲がってくる車がいるのに、超スローです。運転手さんにペコペコ頭を下げ、夫を引っ張ろうとすると怒るので、私は先に横断し、夫を待ちました。
信号が赤に変わってしまうのではないか、ハラハラでした。

こんな調子で、狭い道路も車が来るのもお構いなし、道路の真ん中をゆ~~~っくり歩きました。「ほら、車来たから、よけないと」と、袖をひっぱると、怒り始め足を止めて殴りかかります。諦めて夫のペースで車をよけるのを待つしかありませんでした。
迷惑な歩行者です。そばに付いていながら、行動を改められないのは悔しい限りです。


前頭側頭型認知症を思い知りました。 
   ああ悔しい  going my way 症状
   制御不能


夕飯は、タラのホイル蒸し(玉ねぎのスライスに塩タラをのせ、酒大さじ1としょうゆ少々、刻んだ万能ねぎ少々)→アルミホイルに一人前ずつ包み、フライパンで蒸す。

姑も娘も気に入ってくれました。
夫もパクパク食べていました。
カツオの刺身 野菜のお浸し(つるな)

夜は、時間を気にするも音楽鑑賞で穏やかでした。
こんな生活をしていたのに、この生活を続けられなくなった事に、涙が出ました。

退院させて、好きな音楽聞いて散歩して、好きなテレビ見て、自由に過ごさせてあげたい気持ちが、また起きてしまいました。




28日(水)は午後から仕事のため、朝早く起きて、犬の散歩45分くらい。
ポン太も夫の帰って来たのがわかるらしく、夫の座っている椅子の傍に横になっていました。実はそこがポン太の定位置なのですが、夫は汚いと撫でませんでした。
蹴飛ばさないだけ、まだいいかなと思いました。


夫が散歩すると言うので、また付き合いました。
かなりの距離を一時間位かけてゆ~~~っくり歩きました。
いつものコースです。
本当に良く記憶しているものです。周回とはよく言ったものです。きちんと自分の決めたコースを散歩しました。(この外泊中全く同じコースの散歩でした)

昼食の準備をして、娘に測定とインスリン注射を見守るのを頼みました。
私は仕事へ、夫の事は娘に一任しました。
私の予想・・・夫は駅前に行くと言う
         音楽を聴く
         散歩に行く
それを娘に伝え、目を離さず付いて行くように頼みました。
どこで転んだりするかわからないからです。

お蔭で私は仕事に専念できました。
仕事終了まじか、娘が根を上げて電話して来ました。
夫が4時頃から5分も立たない内に、「まだ帰ってこない」を繰り返しているとの事で、娘がその対応にギブアップのようでした。

私が帰ったからどうという事はありません。喜ぶという事が無いのは悔しいです。
そんな反応があったら嬉しいし、やりがいを感じて頑張れるのに・・・・・。

夜はまた長女の迎え、私と次女とで行こうと思っていたのに、夫が一緒に迎えに行くと言言い張るので、連れて行きました。


かなり暗い夜道、眠気もさして、夫の時間を気にする発言に、次女が対応してくれたので、運転に注意しながら行く事が出来ました。

半そででは寒いくらいで、空港について、熱いお茶を買って私一人飲みました。夫が「何でオメばり飲むのよ」と言うので、「眠くてたまらないから、居眠り運転して事故起こしたら大変でしょ」と言うと、飲みたそうでしたが、後は黙ってくれました。

長女も帰って来て、久しぶりに4人で車で帰りました。空港から帰る時、前を走る車が蛇行運転して様子がおかしいので、2度大きくクラクションを鳴らして警告しました。居眠り運転か飲酒運転を予測しました。中央線に何度もはみ出しそうになり、路肩にはみ出しそうになっていましたが、2度目の警笛で、ようやく普通の走りになりました。
警笛を鳴らした時、夫「なんで鳴らすのよ、うるせ」と言ったので、「前の車、居眠り運転してるみたいだから、起こさないと事故になる!」と、怒鳴って注意深く運転しました。娘たちも「ホントだ!」と、前の車を見守りました。


29日は朝から、犬の散歩に一緒に行くと言う夫と一緒に家を出ましたが、「早え、もっとゆっくり歩け!」と、怒る夫に「ポン太のスピードだから、仕方ない!早く歩けないなら、お父さんは自分のコースを歩いて!」と言うと、引き返していきました。

ちょっと心配でしたが、いつもの周回コースなのはわかっているので、私はポン太とゆっくり柿のあるコースを歩きました。
ポン太は雑食で、落ちている柿を食べます。まだ青いのですが、落ちている柿の中に、中がオレンジ色のいい香りの、おそらく熟しているらしいものがあるようで、ポン太はクンクン匂いを嗅いで、おいしいと分かるものだけ選んで食べるのです。
犬の臭覚は、そして、ポン太の食欲はすごいです。柿のある場所を思い出して、遠くへ引っ張って行かれました。ただ、まだそちらには落ちていませんでした。


ちょっといつもより時間がかかりましたが、家に帰ると、夫は散歩に行かずに家に戻っていました。私の方から夫の散歩コースに誘って一緒に歩きました。朝から2度の散歩で2時間位歩きました。

久しぶりに家族5人が揃ったので、夫と娘たちと墓参り、ケーキとお寿司を買って、娘たちの合同誕生日祝いをしました。

夜、
娘たちに私と夫の万が一の時のために、
通帳や印鑑の有る所、
確定申告に必要な書類、
登記簿の有る所、
死後には預金が閉鎖されお金をおろせなくなる事、その時にどうするか等、
相続についての大まかな話を、娘たちにしました。


私は最近自分の健康に自信が無く、頭痛・胸痛があります。
姑に、私が万が一の時に、救急車を呼ぶこと、私の仕事先に電話することを電話の傍に張ってあり、時々話しています。酷なことですが、夫や姑より先に私が死んでしまう事もありうるので・・・。娘にもそのことを話しました。

これで、私が死ぬことがあっても、娘たちが後の事をしてくれるでしょう。
残るは、エンディングノートを完成させ、断捨離をして、いらないものを片付ける事です。その片付けが嘘のように多過ぎて、まだまだ死ねません

30日

朝夫と散歩雨が降りそうなので傘を持って出ました。それが武器になってしまいました。また、わが道を行く、両方向から車が来ているのに道路の真ん中に出て行くので、危ないからと袖を引っ張ると、「さわるな!」と激怒し、傘をブンブン振り回し私を傘で叩こうとしました。
2度振り回した傘をよけました。幼稚園の送迎バスが片側に泊まり、こちら側の乗用車はスピードを落として夫と私をよけて通り過ぎました。



さわるな・・・・家庭内で暴力を振るわれている児童が良く言う言葉です
また、自閉症や発達障害の子も、触られるの嫌がることがあります。
音や光に敏感な所も、似ています。



夫を病院に、

赤いマジックで、大きくメモして、夫に病院に戻るために家を出発する時刻を書いて見せました。夫を送って、そのまま空港に次女を送って行く(全く逆方向)ために、時間が余計にかかるためです。そのことを納得させるために少し時間がかかりましたが、わかりました。
病院に戻るのは嫌なこと、毎回、イライラして、色々なことを言いますが、慣れてきました。
よくもこんなに人の心を逆なでするようなことを思いついて言えるなと思う事を車の中でも言います。私も「そんな嫌なこと言うと娘たちも悲しくなるでしょ」と言うと、次女も長女も同意して夫を叱りました。

病院に着いて、夫と別れる時も、言われた言葉は忘れましたが、次女が怒って夫のお腹を叩きました。私をかばってくれたのです。
傍に病院の看護師さんが居たのに、私を叩こうとしたのです。我を忘れるのでしょうが、前頭側頭型認知症を思い知らされます。叩いた娘を叩こうとすることはありません。なんでいつも私なんでしょうね?


30日次女がが帰りました。
31日長女はお友だちの結婚式に私は仕事に
9月1日長女も帰って行きました。
私たち家族の夏休みも終わりました。

次回家族5人が揃うのは、甥の結婚式で、11月です。