よのなか研究所

多価値共存世界を考える

現代の「貪・瞋・痴」は、

2011-06-19 09:57:00 | 信仰

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六月四日、東京愛宕の青松寺にての東大寺東京講座で北河原別当による「観音経をよむ」という講話を拝聴する機会がありました。

今回取り上げた経典は「妙法蓮華経観世音菩薩普門品 第二十五」でした。ご存じの方もいると思いますが、このお経は苦悩や災難を乗り越えるに「南無観世音菩薩」の名号を唱えることを説いています。その中に大水に流される、また大火に見舞われるといったたとえ話が取り上げられました。東日本震災の災禍がまだ生々しく、その復旧の遅れが云われている折のお話でしたから、いっそう有難味がありました。

 

「普門品(ふもんほん)第二十五」の中に、人間世界を蔽っている欲望や邪念について、これを夜叉羅刹のしわざとして説いている部分があります。原文はこうです。

「若三千大千国土満中 夜叉羅刹 欲来悩人 聞其称観世音菩薩名者 是諸悪鬼 尚不能以 悪眼視之 況復加害」

文字を眺めているだけでなにやら意味が伝わってくるような気がしますね。本当は縦書きにできるといいのですが。

「観世音菩薩」とはすなわち、世の人々の発せられる音(声)を観く(聴く)菩薩さん、という存在のようです。音が空気の振動であるので、その振動をすべて感知し理解する菩薩さんがいてくれるのでしょう。

 

仏教にもいろいろな宗派があり、経典の解釈については差がありますが、基本的に共通している部分も大きいのです。たとえば「貪瞋痴 (どんじんち)」という言葉があります。自己本位に陥った人間の考え、振舞いのことです。ここから逃れるべく精進することを説いているのが仏教の経典といっても過言ではありません。

「貪(どん)」は「貪欲」や「慳貪(けんどん)」などのことばで日本人には知られています。この字は「財」に蓋をしてひたすら守っていることを示しているそうです。

「瞋(しん)」は「怒り」、「憎しみ」などを意味しています。

「痴()」は「愚か」、「痴れる」のことですから誰にも理解できます。

 

別当のお話の中で人間世界を蔽っている欲望や邪念について」触れられたことの意味あいは、自己保身に走る昨今の日本の一部の商人、マスコミ人、政治家、役人、経済人、ビジネスマンそして一般人たちへのメッセージだったのか、と後で気が付きました。

ちなみに仏教では「貧(ひん)」は「財」を分け与えて一時的に財貨が乏しくなっているさまを示し、悩むことでも恥ずかしいことでもありません。むしろ前向きであることを示しているようです。

 

おそらくキリスト教やイスラームにも同様な教えがあると思います。どなたか教えてもらえるとありがたく存じます。

(歴山)



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