よのなか研究所

多価値共存世界を考える

ガンジー翁の「七つの罪」の再登場

2011-06-08 22:33:53 | 時事

                           ウォーリ(水盆)のハスの花

 

 

最近ガンジーの「七つの社会的罪」ということばがたびたび登場していますね。なんでも京都大学原子炉実験所助教小出裕章氏が参議院行政監視委員会に参考人として出席した際に引用したことで広く知られるようになったようです。それ以降、他のメディアにも多数登場しているようです。内容をあらためて記しますと、

 

七つの社会的罪   Seven Social Sins

1. 理念なき政治  Politics without Principles
2.
労働なき富    Wealth without Work
3.
良心なき快楽  Pleasure without Conscience
4.
人格なき学識  Knowledge without Character
5.
道徳なき商業  Commerce without Morality
6.
人間性なき科学 Science without Humanity
7.
献身なき信仰  Worship without Sacrifice

 

ということで、今日の資本主義社会、代議制民主主義、大衆主義(ポピュリズム)、科学信仰を六十数年前に鋭く批判しています。これについては異議を唱えるひとは少ないことでしょう。

 

モハンダス・カラムチャンド・カンジー(正しくはカンディと思われるがここではカンジーを用います)が「二十世紀の世界の偉人」の一人であることは論を俟ちません。そしてその写真、映像も日本はもとより世界中で見ることができます。「マハトマ(偉大な魂)」の尊称は詩人タゴールによると伝えられていますが最近は異論もあるようです。

 

ガンジーについてわれわれが持っている勘違いのひとつは、カンジーが小柄で痩せた老人であったとのイメージを勝手に抱いていることです。実際のガンジーは骨格のしっかりした大柄な人物でした。世に伝わる写真が高齢になってからのものが多いので、背中が曲がり痩せた裸体姿になっていますが、それでも立ちあがると英国の官僚・官憲たちと遜色ありません。背の高さも軍靴を履いた軍人と裸足のカンジーが並んでさほど差がありません。彼の大胆な発想と行動力の背景を見る気がします。

もう一つは、彼が人生の初めからおしまいまで聖人君子として生きた、と思われていることです。どんな偉人も生涯の中には他人に触れてもらいたくない出来事も状況も多々あるものです。

 

ガンジー翁(突然「翁」がつきました)はなんと13歳で結婚して新婚生活を送りました。自ら性欲が強く長く性愛生活にふけっていたことを書き残しています。五人の子供を儲けました。父はグジャラート州の藩王国のディワーン(宰相)を務めた家柄で裕福であったので、当時凡庸な学力しかなかったにも拘わらず英国留学をして弁護士の資格をとりました。

この後彼が南アフリカに行くことになったのが「一旗あげる」つもりであったことは想像に難くありません。現実には、そこで英国人たちから激しい人種差別を受けることになれます。それまでエリートとして常に上位にいたつもりの自分が、アフリカの果てで差別を受けたことは屈辱であったことでしょう。彼は社会の、世界の矛盾や非条理を身をもって体験し、失意のうちに帰国しました。やがて彼は社会運動家として民衆の、非差別集団の権利の取得へと活動を向けていきました。特に英国がローラット法という、令状なしの逮捕、裁判なしの投獄を認める治安維持法に対して立ち上がりました。これ以降の活動は歴史の教科書に書かれているのでほとんどのひとがご存じでしよう。

 

「インド独立の父」として、ガンジー翁の誕生日(102日)は「ガンディー・ジャヤンティー(Gandhi Jayanti)」として法定休日となっています。なんと大国インドに国の祝日は126日の「共和国記念(Republic Day)」と815日の「独立記念日(Independence Day)」と併せて三日しかないのです。それ以外は各州や各宗派によって決められます。

102日はまた、国連総会で「国際非暴力デー(International Day of Non-violence)」と決議されています(20076)

 

最近アメリカでガンジー翁に関する一冊の伝記が発刊されました。その本の中では、晩年のカンジー翁の非社会的行為をほのめかす記事が引用されているようです。ジョーゼフ・リリーベルド著「Great Soul: Mahatma Gandhi and His Struggle with India 」という著書ですが、これがどこまで事実であるかはまだ判断がつきません。

ガンジーの生地西部グジャラート州ではこの本の販売を禁止し、その動きは他の州にも広がる気配があります。ガンジー翁がこんな話を聞いたら「何もことを荒げることはない」とおっしゃるでしょう。少なくも「良心なき快楽」ではなかったと思われます。ともかく、ガンジー翁の歴史上の功績をなんら退色させることはないでしょう。

 

カンジー翁の銅像は世界各地にありますが、デリーの大統領府の裏手(こちら側が表なのかもしれませんが)に「塩の行進」の十数人の人物像があります。その先頭に立って運動を引っ張っているガンジー翁は片手に棒杖を持ち、大股で歩いています。それは老年にさしかかったカンジー翁の活力あふれる姿を現しており、今も彼の精神がインドを引っ張っていることを象徴しているようです。

(歴山)