よのなか研究所

多価値共存世界を考える

「控えめ」から転じる中国とインド

2011-07-17 15:19:45 | 戦略

                                 photo (万里の長城の一部)

中国という国は革命を経て多くの伝統的習慣を失った、あるいは捨て去ったと言われています。たしかに現代中国人には「惻隠の情」などはなく、「デマンディング(要求が多い)」と感じるところがあります。国家主権を前面に立てての主張や他国への要求を見たり聞いたりします。特に中国指導者たちは、われわれの年代が学んだ漢詩や中国古典に登場する人びとの行動とは大いに違うものを感じさせられます。タゴールが東洋と西洋を対比し、その優位性を称えた「東洋的美徳」(この評価は分かれますが)は失われて久しいと感じます。

ところが、これまで中国は国際政治・経済の中枢の場においては意外とおとなしかったのです。そうではない、という人も多いでしょうが、彼にとしては控えめだったのです。軍事力も経済力も小さかったから当然といえばそれまでですが、「とう偏は三に棒、つくりは稲の旧字体光び(羊の下に介)晦政策」(後ろに下がって目立たないように行動する)を大方針としてきました。欧米主導の金融秩序や国際法適用や地域紛争処理方法などに真っ向から反対することはあまりしませんでした。

しかし、様子が変わってきています。徐々にではありますが、世界の経済システムに直接関与して、発言力を高めるべく動いています。

その一つの表れが、国際通貨基金(IMF)への出資比率の引き上げです。出資比率はそのまま議決権に反映します。75日のIMF理事会で中国の出資比率はこれまでの4%から6.39%へと引き上げられ、順位は六位から三位へと上昇しました。一位の米国の17.41%、二位の日本の6.46%に続いて第三位となりました。日本との差はわずかであり、いずれナンバー2の地位を確保することになるでしょう。残念ながら勢いにはかないません。

同時にIMF特別顧問で元中国人民銀行副総裁の朱民氏が中国人として初めて副専務理事に就任することが決まりました。専務理事には先ごろのスキャンダル事件(真相はいまだ不明ながら)で失脚した前任者に代わり同じフランスからラガルド氏が就任し、これを支える副専務理事は四人で出身国は米国、英国、日本、中国ということになりました。出資比率では、中国、ロシアに加え、インド、ブラジルも上位10カ国に入り、ここでもBRICsの動きが注目されます。

中国は長年国際機関での議決に途上国の意見をもっと反映させるように動いてきました。これからは、途上国の発言権確保もさることながら、自国の主張をより鮮明にしてくるでしょう。

中国はこれまでも英米の格付け機関に異議を唱え、自前の格付け機関を設立したりしました。政府系のファンドが、欧米系のファンドに対抗して各国で活動しています。人間も大量に動いています。これまではそれほど目立つことなくやってきたのですが、最近目立っています。

すでにGDPで日本を抜いて世界第二位となり、そのまま進展すればやがて米国をも抜くことになります。中国人民銀行貨幣政策委員会李稲葵委員の発言は、これからの十年以内に人民元を「完全な国際通貨」として国際的に認知させ、自国のドルへの依存度を低下させることと、もう一つの国際通貨を誕生させることで国際通貨体制を安定させる目標について触れています64日)。

 

従来の米国一極支配から異なる価値観の登場、異なるシステムの共存ということになれば、日本はどうなるでしょうか。経済的な利益、不利益は置いておいて、国際的な発権力の低下は避けられません。それでいいという人もいます。そもそも、これまで長年にわたる第二位の経済力を維持してきながら、第一位の主張にほとんど反論することなく、「もの言わぬ日本」と揶揄されてきたのですから。

中国がナンバー2として本格的に自己主張を唱え始めると、通貨のみならず、貿易、金融、経済全般に大きな変革をもたらすことになりそうです。それが世界全体の経済活動によい結果をもたらすのかどうかが注目されます。

これに拮抗し得る国が出てくるとしたらインドでしょうか。国土、人口、兵力に経済成長と、中国にひけをとりません。この国も産業が急拡大しています。とはいうものの、GDPではまだ中国の三分の一ほどの規模でしかありません。経済規模で米・中・日に並ぶにはまだ時間がかかりますが、PPP(購買力平価)ではすでに遜色ないところまで来ています。ドル建て名目GDPだけの比較だけでは実態を見失うことがあります。少なくとも、エネルギー消費という点では中国とインドが二大国となる日が近づいています。

この国は国際舞台での主張、会議の場での論舌という点ではどこにも負けません。国際機関の職員にイント人が多いことは知られています。しかし、本領を発揮するのはこれからでしょう。

インドでは「ローカーヤタ(Rokaayata)という論争術、論法が発達していました。村々ではそのコンペティションが開かれていたほどです。彼らにいわせると、インド人の主張は自分のためだけではなく、世界全体の安定、平和のための主張である、ということになります。

アジア的な「精神性」を重んじ、「韜晦」の性向を持つ人たちが強い自己主張をするようになるには、それ以上に自己主張をする人種の登場が必要だったということでしょうか。少なくとも、ナンバーはナンバー1に対してものをいう勇気が求められます。ナンバー1が間違った行為をとる時にはナンバー2が正さねばなりません。いまや科学の世界でもセカンド・オピニオンが求められる時代です。中国、そしてそれに続くインドはその能力を持っています。

中国とインドはいろんな意味でこれから目が離せません。

 (歴山)