よのなか研究所

多価値共存世界を考える

海から考える「軍縮」

2011-07-12 00:00:08 | 島嶼

                                                                                      photo 那覇市の對馬丸記念館

夏がやってきて〈海〉を想い浮かべているひとも多いと思いますが、今年はすんなりと海に入るのがはばかられますね。海で遊ぶということはまた事故と隣り合わせでもあります。特に子供、幼児には細心の注意が必要です。水の事故は海だけではなく、川や湖で発生します。特に夜は禁物です。この時期はテレビニュースで水の事故が伝えられます。そのたびに胸が締め付けられる思いに襲われます。 

 

海難の事故といえば映画にもなった「タイタニック号」が有名ですが、百年前の1912年のできごとです。また第一次大戦時中の船舶襲撃事件としては「ルシタニア号」が知られています。これらに並べられる悲劇に見舞われた日本の船もたくさんありました。その代表格が「對馬丸(つしままる)」です。

 

この三隻を一覧比較するのも不謹慎かもしれませんが、以下の通りです。

           (船籍)   (建造年) (総トン数) (事故年月日) (犠牲者数

タイタニック号    (米国)     (1911)  46,328)    1912.4.15   1,513

ルシタニア号   (英国)    (1906   31,550    1915. 5. 7)    1,198

對馬丸      (日本)     (1914   6,754     1944.8.22)    1,476

 

對馬丸(対馬丸とも記す)は日本郵船保有の貨物船でした。英国で建造され、貨物船のプロトタイプとして導入され、1916年にはパナマ運河経由の横浜―ニューヨーク航路、その後横浜―ハンブルグ航路に就航していた輝かしい時代がありました。しかし、第二次大戦時にはすでに老朽船となっていました。

1944(昭和19年)822日、政府命令による沖縄から疎開輸送の任に就き、鹿児島県吐喝喇列島を航行中、悪石島と諏訪之瀬島の間あたりで夜間にアメリカ海軍潜水艦の攻撃を受けて大破、沈没しました。当時数隻の船団で移動していましたが、僚船に比べて大型船で船速の遅い對馬丸は狙い撃ちされたのでしょうか。遺体は吐喝喇列島の島々、さらには奄美大島まで流れついたことが伝えられています。悪石島の港から集落へと上る長い坂道の中間点付近に遭難慰霊塔が建てられてあり、毎月小中学生が献花しています。

犠牲者数は、氏名が判明している人が1,418名、全体で1,476名とされています。その総数も大きいのですが、より重要なことは、その半数以上の775名が学童疎開の児童生徒であったこと、29名がその引率者で、569名は一般疎開者であったという事実です。

魚雷攻撃を仕掛けた米海軍潜水艦ボーフィン号は、對馬丸が疎開船であることを知らなかった、とされています。ちなみに、この艦は今もハワイの真珠湾に係留展示されています。この悲劇は日本国内では緘口令が引かれ、終戦もしばらく発表されることはありませんでした。いかに大きな事故であったかが推測されます。

沖縄・奄美海域には戦時中に撃沈された多くの船が眠っています。大阪―沖縄航路の定期貨客船嘉義丸、横浜―那覇―台湾を航行していた湖南丸なども大きな犠牲を出しました。その中でも最大の犠牲者を出したのが對馬丸だったのです。

夜の海に放り出された学童たちの目に映ったのはどんな景観であったのか、夜の海を知る者なら、いたたまれない気持ちになるはずです。これに砲弾や魚雷や航空機からの爆弾が加わるとその恐怖は底知れません。

〈戦争をしない国家〉が増えていくことを望む声は大きくなってきています。何より、世界の大半の国家は国家財政が赤字であり、国防費の削減が最大の課題となっています。現在の偵察・分析技術をもってすれば、すべての国家の兵器・兵員を把握することはそれほど困難なことではありません。開発中の施設や兵器も把握が可能です。今こそ「軍縮disarmament」を唱える政治家が登場し、その声が広がっていくことを期待したいものです。

 

時代は下って、19971212日、對馬丸の船体が悪石島沖合で発見されました。船体に書かれた「對馬丸」の文字の写真が新聞に掲載され、また動画がテレビで流されました。しかし、水深871メートルにあるため、その引き上げは技術的に困難、との専門委員会の見解が出され、遺族会もこれを断念しました。

その後、「對馬丸記念館」が那覇市に建てられました。天然の良港であった那覇港を見下ろす波之上宮に隣接する緑の旭ケ丘公園の一画に立っています。沖縄を訪ねる機会があれば、一度は立ち寄ることをお勧めします。

(歴山)