yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

遠いいこえ 8

2007-07-07 12:17:35 | 創作の小部屋
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遠いいこえ
8

 逢沢は、対面の山の中腹にある女子短大に週に四日講義をしに通っていた。その外の日は、民話の研究に没頭した。育子は毎日、主婦としての雑用が済むと庭に面した部屋で原稿用紙を広げ童話を書くのが日課になっていた。
 房江を引き取っても、二人の日課に大きな変化は見られなかったのだが、時折房江の奇行にてんてこ舞をすることがあった。時折、「沖へ行くにはどう行けばええんですかのう」
 と言って山を下りたが、嘗て住んでいた所へ行きじっと佇んでいるのだった。そこはもう広い道路の一部になっていたのだった。
 一度、房江を留守番にして採話旅行に二人で出掛けたのだが帰って見ると、房江は台所の冷蔵庫の中のものを引っ張り出して総て腐らし、何も食べてなく空腹のためにひっくり返っていたのだった。「これでは二人で出掛けることも出来なくなるね」
 と逢沢が言うと、
「御免なさい。もう少し非度くなったら特別養護老人施設へ入って貰うことにしょうと思うの」
育子は逢沢に気が引けるのか声を落として言った。言葉はフロァーにべったりとひっついたようだった。
「馬鹿なことを言うなょ。そんなことを考える時間があったら、義母さんの心の中に引っ掛かっている問題を原稿に書けよ。私は義母さんのこと何とも思っていないし、出来ることがあったら何でもするから、娘として二度とそんな下らない言葉を口にしてはいけないんだから・・・。それに、義母さんとはおまえさんを貰いに行った時にはっきり約束をしたのだから。老後は面倒を見ますってね。約束をしたからって言うんじゃないんだ。私には年寄りがいないから、義母さんのことは実の母のように思えるから。おまえさんの母親なら私にも母親なんだからな」
 逢沢は少しむっとして言った。逢沢は四十二の厄年で、育子は三十九の厄年であった。結婚して十五年が経とうとしていたが、子宝には恵まれず、今に至っていた。子供でもいれば、また変わった風景が見られたであろうが、ただ平穏と言う事が幸せと言う毎日を繰り返していたのだった。まあ、二人に取って、原稿を書き、本を出版することが子供を産み育てると言うことに置き換えることが出来るのかも知れないが。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
恵 香乙さん

山口小夜子さん

環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~
別の角度から環境問題を・・・。
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遠いいこえ 7

2007-07-07 00:49:56 | 創作の小部屋
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遠いいこえ
7
 逢沢の住む高台の住宅地には十家が様々の造りをして建っていた。O市とK市のほぼ中間にあって、交通の便は良かった。それに最近出来た空港へも三十分もあれば行けた。逢沢がここを買った時には隣に平屋が一軒建っていて、老夫婦が慎ましい生活を営んでいた。ブロック塀を造らなくて、腰の辺りに成長した柘の木がアトランダムに植えられていて、後は梅、柿、密柑、枇杷、夏目、花梨の木が南に面した部屋への日差しを遮らないように植えられていた。アロエ、毒だみ、忍辱、雪の下、せんぶりが植えられていると聞いた。それらは、みんな民間薬草として夫婦が焼酎に漬けたり、果実酒にしたり、乾かして煎じて飲んだりするのだと言うことだった。
「私が民間薬草に興味を覚えたのは、会社を退職してからなんです。それまで何の趣味もなくこつこつとただ働くことしか能がなくて、会社を辞めてからはただ呆然として一日を過ごしていたのです。それから、胃の調子が悪くなり、血圧が上がり、神経痛が出て、今まで構ってやらなかった身体が次々と文句を言うようになりましてね。それと言うのも、働いているときには心が張り詰めていたのでしょう少々ことはほったらかしていても自然に治癒していたんですがね。やはり病は気からと言うのは本当なんですかね。なにもしなくなると・・・。それからですよ、防御より先手を打って病気にならないように気を付け始めたのは。私は手近に出来る薬草に興味を見付け、それらを自分で作り飲むようになったのです。今では老人会の皆様に薬草のことを話したりしているのです」
 安木老人は血色の良い赤ら顔を逢沢に向けて言ったのだった。薬草のことは逢沢も多少知っていた。民話の中に出てくるからだった。安木老人一家はそのためにわざわざ住馴れた家を処分してここに引っ越して来たのだと言うことだった。


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遠いいこえ 6

2007-07-06 12:31:56 | 創作の小部屋
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遠いいこえ
6

 夏の日、真昼の余熱がまだ漂い淀んでいる時、房江が突然に逢沢の家から姿を消した。
 逢沢と育子は、慌てて走った。房江の嫌いな逢魔が時が近づいていたからだ。気付くのが遅かったと逢沢は後悔した。二人で今度出版する「民話における男と女」のゲラ稿に朱を入れていたのだった。房江は自分の部屋で昼寝をしていたのを育子が確認していた。その時刻が三時頃であった。校正が一段落付いたので、お茶でもと台所へ立った時に房江の部屋を育子が覗き声を掛けようとしたが良く眠っていたので踵を返したのだった。それから四時間、二人は仕事に夢中になっていたのだった。房江のことが心配になって声を掛けると居なかったのだ。庭に飛びだし、家の周りを探し回った。育子は、
「おかあさん!」
 と息をきらして汗を拭き拭き房江の名を呼んだ。声が薄暮の空に吸い込まれていた。
「どうしたのです?」
 二人の慌ただしい姿に隣に住む安木老人が声を掛けた「おばあちゃんがいないのです」育子が口をとがらせて言葉を蹴飛ばしたのだった。
「ああ、おばあちゃんなら、沖に行くのはどちらですかいのう、と言って山を下りましたよ」
「何時のことでしょうか?」
 育子が咳込んで問った。
「あれは私が洗濯物をしまっていた時でしたから・・・。五時頃でしょうか」
「育子、今日は何日だ」
 逢沢は育子に日時を確認するように問った。
「ああ、今日はあの家を解体する日・・・」
「そうなんだ・・・」
 逢沢は車庫へ走った。
「皆様御心配をお掛けしまして、すいません」
 と言いながら育子も逢沢の後を追った。
 車のエンジンを掛けるのももどかしく、二人は山を下りたのだった。
 房江は、逢沢と育子が考えていたように、綺麗になくなった家の後に呆然と立ち尽くしていたのだった。家の残材は一かけらもなかった。その跡に山土が敷き詰められ、整地されていた。房江は、仏間があった辺りに立ち尽くしていたのだった。房江の頬を沈みかけた太陽が赤く染めていた。正に房江の怖がる逢魔が時が来ようとしていた。房江の顔は謡曲の「藤戸」の老婆、怨念を秘めて踊る痩せ女の面のように見えた。
「おかあさん」
 育子が小さく言葉を落とした。
「やめておこう。そっと見ていてあげよう」
 逢沢は育子を制した。房江の長い影が山土の上に伸びていた。その影が時折風に吹かれるように揺れた。だが、影も段々と暗やみに呑み込まれていった。それは、逢魔が時に人が消えていなくなると言う言い伝えを肯定しているようだった。


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遠いいこえ 5

2007-07-06 00:06:09 | 創作の小部屋
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遠いいこえ
5

 引っ越しが決まって房江を車に乗せようとすると、房江は観念していた心を翻し家の中に駆けり込んだのだった。そして、仏間であった部屋に入って床の間の壁が白くなった辺りをじっと凝視していたのだった。そこには白井家の先祖代々の位牌を並べた仏段があったところであった。無論、房江の夫の位牌も祭られていた。夫の死の時も涙を流すことを許さなかった房江の自責への戒めは、そのとき外されかかっていた。逢沢と育子が部屋を覗くと房江は肩を奮わせていたのだった。
「おかあさん!」
 育子が曇った声を房江の背に投げた。
 そのとき房江は、
「もう許されてもええじゃろう。もう許してもろうてもええじゃろう。・・・辛いわねぇ、泣きたいときにも泣けんなんて。あんときに、長太君の遺髪の入った骨箱を見たときに、私は誓ったんよ、決してこれからの人生でどんなに嬉しいことも、悲しいことでも涙を流さないって・・・。それが、それだけが、私にすることが出来た償いのように思えて・・・」
 房江は畳に両手をついて泣きながら言った。
「お母さん・・・もういいって。お母さんの今までの生き様は・・・なんの楽しみもない、喜びのない、ただ子供達の幸せを第一に考えての人生だったことは、この私が一番良く知っているわ。だからお母さん・・・」
 育子は房江の肩に手を置いてしゃくりながら言った。「お前は、私になんの相談もなくさっさと教壇を下りてしもうてからに・・・。私の苦しい苦い体験を・・・いいや、子供等を誰が守ってくれると言うんね」
「判っているってお母さん、私は私なりに子供達の幸せのためにペンを握る決心をしたんだもの。現場ではどうしても、言いたいことも言えないし、やりたいことも出来ないから。今の私なら自由に何でも言えるし書けるんだから・・・」
「だけど、あの時だって、知識人達は自分の考えを見失って、女子師範しか出とらん年端もない私等に本当のことを教えてくれなんだし・・・」
「お母さん、あの頃と今は違うわ」
 育子は逢沢を見上げて言った。
「いいや、違うように思えん。本当に子供等のためを思うとんなら、あんなせせこましい教育はせん筈じゃ。日本語もろくに喋れん書けんそんな教育があるもんかね。あの時にあの頃に返っていくように思われて・・・」
 房江は何もない床の間に涙を流しながら食い入るように見つめて言った。
 逢沢は、房江の考えが確りしていて、間違っていないことに共感し感心したのだった。その通りなのだ、文章を書かせてもまとまりがなく漢字を知らな過ぎると言う現実があった。それも、高校を卒業した短大生がしてそうなのだ。一体何を十二年間勉強したのか疑わしい子が多いいのだ。
「それは・・・」
 育子は答える言葉を失っていた。育子に取っても房江の言い分を否定することは出来なかった。
「日本語を知らんから本を読まん、読まんから日本語が判らん、そんな子供等が果たしておまえの本を読んでくれるんかのう」
 房江は言葉でギューと育子の首を締めた。この場は房江の勝利であった。そんな房江を宥め透かして、逢沢の家に連れてくるのは一苦労でも二苦労でもあった。
 連れてきても、房江と育子はその問題で話し合っていたが、しまいには口論となり限りない平行線の結果、房江の勝利に終わった。育子は逢沢に助勢を求めたが逢沢はそれに取り合わなかった。母と子の、言ってみれば忌憚のない言葉のやりとりが二人の接点のように思われたからであった。逢沢は、そんな経験は全くないから寧ろ羨ましいとさえ感じていたのだった。
「二人に取って良い頭脳の鍛練になると思うがね」
「ええそうでしょうとも」
 育子は頬をふくらましてすねたのだった。
「何でも言い合えるって良い事だょ。母子っていいなーあて思うよ」
逢沢は言葉を宙に泳がせた。
「あなた・・・」
 育子の声が小さく落ちた。逢沢の事が頭を掠めたらしい。それからは、育子は何も言わなくなった。その拘りが房江から消えると同時に、ボケらしい兆候が始まったのだった。


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遠いいこえ 4

2007-07-05 12:15:57 | 創作の小部屋
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遠いいこえ

 房江は童謡唱歌が好きだった。教え子とバラックの校舎で歌った記憶が蘇るのか、調子の良いときには縁側や庭に出て歌っていた。特に「赤とんぼ」が好きなのか一日に何度も歌った。その「赤とんぼ」に思い出があることを逢沢が知ったのは初秋の風が流れようとしている頃だった。黄昏が麓を覆い始めたと言うのに房江は庭から引き上げようとしなかった事があった。何時もなら、逢魔時が怖いと早々に自分の部屋に引き上げて、夕餉を待つのが日課になっていた。その日、育子が夕食を知らせに行くと部屋は空っぽで仏壇に線香が炊かれていたのだった。カーテンを引いて庭を覗くと房江が沈み行く太陽に向かってじっと佇んでいるのが見えた。育子は窓を開けて房江に声を掛けようかと思ったが、嗚咽と共に聞こえてきたのが「赤とんぼ」だったのだった。秋桜の花影に無数の赤とんぼがオレンジ色に燃える太陽に向かって飛んでいくのが育子の網膜に焼き付いたのだった。それはまるで童話の挿絵のようであった。ここに引っ越してきて十年になろうとしているが、このような光景を見たことがなかった事に気が付いた。
 育子は幼い頃、房江に手を引かれ共に歌った事があった。そのときの太陽はとてつもなく大きく見え、夕焼けの鮮やかさに感動した事が心に蘇ったのだ。房江の手は何故か冷たくざらざらしていた。房江の周囲に漂うのはチョークの匂いだった。風の流れが運んできた秋長魚を焼く匂いが幸せな家庭を連想させた。
「育子、かあさんは人殺しかも知れん」
 何を思ったか房江は言葉を石ころだらけの道に落とした。
「どうしたん」と育子は房江を見上げて問った。
「教え子を戦場に送った」
 房江の目は遠く西の空を見つめていた。
「戦死をして遺髪となって帰ってきた」
 赤とんぼが明かりの中で黒く見えていた。
「相談を受けたとき、行くなと言えなんだ」
 赤とんぼが太陽の中に溶け込んで行った。
「あの時、私に勇気があれば、馬鹿なことを考えないで。もっと自分の命を大切にしなさいと言えたのよ」
 房江の影は小さく見えた。そのとき育子は房江が犯した罪がどんな事か理解するには早かったが、自らが教師となって、房江の悔恨が良く分かり、教師の立場の重要性を教えられたのだった。

 あの日、九月二十三日がその子の命日だったのだ。房江は庭に佇み夕日に染まりながら歌った「赤とんぼ」は、戦地に送った子への鎮魂歌であったのだろうか。
 その事を育子から聞いた時に、逢沢は房江の細い肩にのしかかっている負荷の重さを理解できたのだった。人生の入り組んだ露地を見たように思えた。それだけに房江はゆるがない信念を持つことが出来たのかも知れないとも思った。夫との死別にも涙を見せなかった房江の心はその死よりもっと大きく深い悲しみの体験があったことを逢沢は納得したのだった。戦時下とは言え信条と真実を合い入れない教育が多くの子供達を戦地に赴かせた事の責任を房江は感じ、教育の怖さを知ったとき、自責と悔恨が心をじわじわ侵食したに違いない。気が狂わんばかりに放逸し、空虚と寂寥が生きる気力を奪ったのではなかろうか。だが、そんな感傷と休養を世間は許し与えることはなかったのが現状であった。教育の現場に戻され、教科書に墨入をすることから始まった授業、その行為がまた房江を泣かせたのではあるまいか。だけど、房江は子供が好きでおのれを殺してもその子等の幸せを願う事で、過去の過ちを償おうとしたのではあるまいか。「赤とんぼ」を歌う房江の心の中を探り、当時を想像し逢沢は思いを巡らせたのだった。


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遠いいこえ 3

2007-07-05 00:08:36 | 創作の小部屋
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遠いいこえ
3
 育子の父は、五年前に亡くなっていた。酔っぱらって帰りに道端で寝込み車に轢かれたのだった。
「どじなお人じゃ。死ぬときくらい真面目に死ねばええのに」
 とその時、房江は仏壇に向かってぽっりと言ったのだった。その言葉が夫への最大の餞のものであろうと、逢沢は心を振るわせたのだった。帝展に入選をして将来を嘱望された一人の画家の末路が哀れに思えたのだった。この義父も戦争で道を踏み違えていた。戦前戦中には、多くの人達が望む望まないに関わらず戦火へ追いやられ人を殺す道具として使われたのだった。シベリアから帰って来た時には、空っぽの財布のようになっていたと聞いていた。義父はその時から生きる行為を忘れたような毎日を送ったと言うことだった。絵筆を二度と持つこともなかったと聞いたのだった。義父は酒の中で泳いでいたのだった。
「この手は汚れている」
 と真顔の時に一度だけ逢沢は聞いたことがあった。それは逢沢が義父と交わしたただ一つの会話だった。その言葉を残してまもなく亡くなったのだった。まるで重い心の傷を自らが解き放つような行為で。
 房江は戦前戦中の教育を悔いながら戦後の教育をした人であった。
「教え子を再び戦場にやらない」
「教え子を飢えさせない」
「お母さんの身体を大切にしょう」
 そう標榜する「母と女教師の会」の活動を定年退職まで続けたのだった。気丈と言う言葉が房江に誂えたように嵌まっていたのだった。
 その気性は、育子に引き継がれているのだった。母子喧嘩は凄まじいの一言だ。そばで聞いていて、逢沢が身の毛もよだつ事も屡あった。そして、羨ましいとも思った。忌憚なく言葉を機関銃のように撃ちあえるのもやはり母子の絆故であると思ったからだ。逢沢の父は戦争中、内地にあって生物化学兵器の研究を強いられ、戦後C級戦犯として捕らえられ巣鴨で栄養失調のため命尽きたのだった。だから、父とは喧嘩をしたことがなかったのだった。哀れと言わば哀れである父であった。だが、それは逢沢だけでなく総ての人が何らかの悲哀と犠牲を強いられたのが戦争であったのだ。
 逢沢が育子と会ったのは、「モーツアルトを語る会」に出席した時に隣同士になり、互いが気になる存在になり自然と行動を共にするようになったのだった。その頃、逢沢は大学院生で、育子は教壇に立っていた。その頃から育子は教師と言う職業に疑問を感じていて、弱音を吐いたものだった。
「なに、昔から人間は人間を教育出来ないって言うじぁないか。それは、逆に言えば出来るって事なんだよ。もう少し考えてみたら。それに、教師だってなにか他のことを勉強しなくては・・・」
「例えば」
「童話を書くとかさ」
「それに決めた!」
 育子はいとも簡単に目標を決めたのだった。
 逢沢は大学に残り「民俗学」の研究をしようか、野に下りて大学の講師になろうかと迷ったのだった。結局は、自分の好きな民話の研究の時間が自由になる短大へ職を求め、育子と結婚したのだった。


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遠いいこえ 2

2007-07-04 12:34:05 | 創作の小部屋
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遠いいこえ

 それまでは、房江は高台にある娘の家に時折来ては、
「良くもまあこんなところに住むはなえ。便利な家が
あるというのに」 と軽口を叩いては育子の顰蹙を買ったものだった。が、その事件が持ち挙がってからというもの、房江は家を出ようとはしなくなり、
「体が怠いし、足が重たいしな・・・」
 と弱音を吐くようになったのだった。
 房江が訪ねてこなくなると心配になり、頻繁に電話のダイヤルを回す育子の姿があったのだった。口では嫌味の応酬をしていても根の部分ではしっかり結ばれている母と娘の絵図を逢沢はみていて心が和むのだった。

 逢沢も育子も十年前に買った高台の家で終日机に向かうか、採話旅行で集めた民話を分類し、カセットを回しながら原稿に起こすと言う作業をしていたから、房江が来ても一人ぽっちにすることもなく面倒が見られるのだった。
 育子は房江の後を継ぎ女教師になったが、
 「私には、可愛い子供達に序列を付けることは出来ないわ」と言ってさっさと辞め、童話の研究を始め、童話作家になっていた。少し悩んだあと踏切り良く割り切れたのは二人の間に子供がいなかったからだろうかと逢沢は考えたものだった。育子が眉を曇らせながら答案用紙に赤ペンを走らせる育子の顔は、蛍光灯の明かりの下でまるで能の痩せ女の表情だったのだ。
「私は、つくづく思うの。子供達の頭と心に理解させるようには教えることはできないって。つらいわ、どうすればいいと思う」と、育子は湿った言葉を逢沢の方へ鉛筆を転ばすように問ったのだった。
「現今の教育のカリキュラムでは、置いてきぼりになる子がいても仕方がないのではないか。そのように教育しているのだから」
「それが嫌なのよ。それは教育ではないわ。なぜ、なぜなの、どうして理解していない子がいるのに教科書のページを捲らなくてはならないのよ」
「辞めたいのか」
「ええ、辞めたいわ」
「逃げるのかい」
「逃げたいわ」
「じぁや、そうしたらいい」
「ええ、そうするわ」
「何の解決にもならんぞ」
「別の方法を考えるわ」
「別の方法をねえ」  
「あるでしょう、別になにかが」
「うん、あるだろう」
 逢沢は、だんだんと人相の悪くなっていく育子の顔を見るのが辛くなり、育子の行動に任せたのだった。現金なもので教師を降りた育子は溌剌とした身体と精神をと取り戻して年相応の容姿になったのだった。逢沢は近くの短大で日本文学を教えながら、民話の研究をしていた。原稿を書かないときには育子は逢沢の手伝いをした。民話の本を逢沢と育子の共著で何冊か出版していた。それが二人の子供のようなものであった。


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遠いいこえ 1

2007-07-04 00:08:50 | 創作の小部屋
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   遠いいこえ         

「お母さん今、たった今、ご飯を食べたばかりなのょ」 毎朝、逢沢雄吉は、妻の育子の声で目覚めるのだった。育子の声が日増しに甲高くなっていくのを感じていた。井戸に首を突っ込み死んで行く人を呼び戻すと言う風習があったと聞いたことがあるがまさに育子の声はその時に発せられるであろうと思えるものの様だった。
 育子の母の房江を引き取って一年になるが、何度も同じ事を言っていたと思ったら、物忘れがひどくなっり、それに伴い耳が遠くなっていった。最初の頃は耳が遠くなったので聞き取れなくなったことが原因で意思の疎通が旨くいかずに奇行を繰り返すのかと思っていたが、この春の初めの三月に入った日、廊下で日向ぼっこをしていた房江が尿を失禁した。板張りの縁側は水びたしになり、着物の裾は黒く濡れていた。
「まあまあ、お母さん、お茶をこぼして・・・」
 と言った育子の声が途中で強ばって凍りついた。房江の前には茶器らしいものはなかったのに気づいたのだった。それは見事なほどの洪水だった。房江は知らん顔をして庭の桜の木を見つめていたのだった。
「桜の木はパァと咲いてパァと散るからええのう」
 育子の慌てふためく姿が目に入らないのか、ぽっんと言葉を濡れた膝の上に落とした。庭の隅にある桜はまだ裸木に近く蕾のひとつも付けていなかった。
 育子は、何も言う気力もなくなったのか茫然としてその場に座りこんだ。
「きっと、外の暖かさに比べて縁側は寒かったんだろう」 逢沢は肩を落とした育子に言葉を投げて、
「ねえ、そうだったのでしょう」
 と房江に言った。
「暖かい日には、おじいさんと庭の草をよう抜いたわな。おじいさんは葉だけを毟り取る。根を抜いても生える強い雑草じゃと言うのに。おじいさんは一本もよう抜けん人じゃつた。雑草のように生きるより、桜の様に咲いて散るほうがええんかも知れんな」
 そんな日があって、房江は少しずつ坂を下るようにボケのような症状が現われてきたのだった。 房江の長年暮らした家が都市計画にかかって立ち退き勧告を受けたのは引き取る半年前だった。これをいい機会として逢沢は育子と語らって房江を引き取ることにした。逢沢が育子を嫁に貰いたいと申し出たときの条件は老後を看とって欲しいと言うものだったからだ。その話を育子が房江にすると、
「あの話は、雄吉さんの心をはかるために言ったまでのことでな、本気にする人がありますかな」
 と房江は育子を軽くあしらったのだった。
「それより、ここに道がつくことを止めるように言うてくれませんかな、お金なんかいらんから。私はお爺さんが残してくれたこの家には、お爺さんと暮らした思い出が沢山有りましてな、思い出と一緒に残りの人生を過ごしたいのですのじゃ」
 房江の言う分は至極当たり前のことなのだが、行政が決めたからには、いずれ土地収用法の適用に合わないとも限らない、困ったものだと逢沢は房江の心を思い遣り胸が痛くなるのを感じたものだった。
 薄暗い仏間に柱と壁の隙間から一条の光線が差し込んでいて、仏壇の前に黄色い扇状の日溜まりをつくっていた。それは、育子の亡父が黄泉へ空間移動をするステーシュンのように見えたのだった。あまり広くない庭には、軒先に届くどんぐりの木が一本と背丈くらいの千両万両があった。それに楠と檜が成木していた。それだけでも南に面した部屋の日差しを遮るのに、一年前に十二階建てのマンションが建ち、小漏れ日のように届いていた陽を奪ったのだった。その時から、逢沢はそろそろ房江を引き取ろうかなと考えていたのだった。市から都市計画で房江の住む家が、新しい道路の予定地になっている言う報せが入った時には天の啓示かとも思えたのだった。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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倉子城物語 冷や飯

2007-07-03 12:31:43 | 創作の小部屋
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倉子城物語

冷や飯

倉子城村の四十瀬から松山川を少し下った所に葦高という村があった。この地は倉子城代官の直轄地ではなく、備前岡山藩の領地で在った。
この村の庄屋の高倉喜左衛門の次男は槍術に長けていた。永代名字大刀を許されている家柄であった。次男の六三郎は小作が庭に納めた米俵をぴょいぴょいと槍で一カ所に積み上げて遊んでいた。庭の一角には十畳ほどの白砂を敷き詰めた場所があり階段を上がって十二畳の部屋が作られ報告進言をするようになっていた。城のように雨戸障子の上にはいざと言うときの為に大戸がつり上げられそれを落とせば矢も鉄砲の弾も防げる様に創られていた。いわばそこは要塞のようであった。高梁川を挟んで他藩と接しているという事がそんな構えの家を造らせたのだろう。庄屋でありながら当主は小太刀に長けていて次男は槍術を良くこなした。
 六三郎が槍の使い手であると言うことは岡山藩にもきこえていた。
 暦の上では春であるがまだ雪解け水は高梁川の水嵩を増していない頃岡山藩から喜左右衛門のところへ六三郎に槍術の師範の要請が届いた。藩士に教えるのだから今の庄屋の身分では困るというので家老の土倉有喜のところへ養子に入る様にと一方的な下命であった。それは名目だけのもので週に一度岡山まで出向いて藩士に教えるということだった。六三郎は土倉六三郎雅久になった。
 家は高倉のとなりに建てた。馬に乗って出入りが出来るように門も本家より高くしつらえられ屋敷も立派なものを造った。
 六三郎は小者が手綱を引く馬に跨り登城をするようになった。

「おたね、世の中にはいろいろといい話が落ちている物だな」
 嘉平は町周りから帰って一段落をしているおたねに言った。おたねは嘉平のいろいろな話を聞くのが好きだった。
「今日は少し足を伸ばして葦高まで行ってきた・・・」
「あそこは・・・」
「なあに庄屋の高倉さんとは昵懇の間柄・・・そこで、面白い話を聞いたぜ」
「戦でも始まるのかい」
「戦はとっくに始まっているよ・・・長州薩摩が知りていのは岡山藩が幕府につくかどうかということだが・・・。岡山藩はどちらにもつくめえ・・・。藩主は十四代の将軍職を家茂と争った慶喜の弟だが義理や人情で藩政を決める人ではねえ・・・」
 
後にどちらへもつかなかったと言うことで榎本武揚が率いる五稜郭へ出兵をさせられ多数の戦死者を出す羽目になるのだが・・・。

「それが話したいというのかい」
「いやそうじゃあない・・・高倉さんには六三郎という弟がいるのだが槍の使い手で岡山藩から請われ指南に出かけているんだが・・・庄屋の倅に習うと言うことに反対が出て家老の土倉の養子にはいったというわけさ・・・六三郎は槍に自信があるから少しは傲慢なところがあったのだろう・・・。稽古を付けての帰り土倉によってめしを食わして貰って帰るのだがその都度その都度冷や飯ばかり食わせられることに腹が立ったらしい・・・。
「養子だから冷や飯を食べさせられるのだろうか」とそれを兄の喜左右衛門にいったのだ・・・喜左右衛門は養子だから仕方が無いよとがまんするようにとなだめたのだが・・・まあ兄弟の情愛って奴か中に入って養子縁組を取りはからった城代家老にそれとなく言ったらしい・・・そのことが城代家老から土倉へというわけさ・・・」
 嘉平はそこで一息入れた。
「それからどうなつたのさ」
 おたねは先が聞きたいとせがんだ。
 いつものように小者に馬のたずな取らせながら岡山城へ・・・藩士に稽古を付け帰りに養子先の土倉へ立ち寄り夕餉を馳走になり帰りを急いだが・・・庭瀬あたりを通りかかると腹がぐうぐう鳴って困ったらしい・・・」
「わかった、温かいご飯を頂いたのでしょう」
 おたねは笑いながら言った
「なぜそれが・・・」
「庄屋のぼんぼんにはその意味がわからなかったでしょうね」
「おたねにはわかるのけえ」
「ええ、あなたが遠出をするときに私があなたに温かいご飯を食べさせたことがありますか・・・」
「そうか・・・」
「そうよ・・・」
「六三郎もそれに気づいて人間の思いを知ったといったらしいよ」
「本当の愛情は目に見えないところでするもの・・・温かいご飯では早くお腹が空くから、わざと冷や飯を作って・・・それが親心てもんだわよ」
 嘉平はおたねをまじまじと見詰めた。
「いい女になった」と心の中で呟き「ありがとうよ」と心に言葉を落とした。

この話は六三郎の家に伝わる言い伝えとして残っている。


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立石孫一郎 急の急の1 最終回

2007-07-03 00:30:58 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
        急の急

 多度津に着きやして隊士達を待ち舟に乗りやした。半数近くしか集まりやせんでやした。その者達の安否を気ずかいやしたが、どうか達者で生きてくれと想うしか出来やせんでやした。舟に乗ったのは殆ど周防辺りの出身者ばかりでやした。その者の心には望郷の念が飽沸と湧きい出ていやしたが、長州はもう彼らを受け入れてくれる所ではありやせんでやした。その事を知ってみんな愕然としやした。彼らは孫一郎に盲従したとは言え軍規を犯し、隊則を破っているのでやす。そして、私党となって備中に地に殺到し逆賊となったのでやすから。その行動がいくら國を憂いてのこととは言え、長州藩が短慮を許す筈はありやせん。長州藩は元奇兵隊の出過ぎた行動に対して、脱藩逆賊であるから領内に帰ったら斬り殺せと言うお触れを出していやした。隊士達も、恐らく故郷に帰ることは自の死を早める結果になることを察知していやした。
 孫一郎は船の帆先に立ちやして静寂で穏やかな瀬戸内の海を眺めていやした。兵介が近寄って来やして、
「隊長、このまま北海道へ行きましょぅ」と泪声で言いやした。
「うん」
「そうしましょう。私が船頭に理を話、お願いしますから」
「他の者のことは兵介に任せようかのう」
「それで、隊長は・・・」 
「私には責任がある。長州に帰って裁きを受けなければならない」
「それならば、私もお供を致します」
「兵介はまだ若い、皆を連れて北海道へ行ってくれ」
「いいえ私には出来ません。隊長のそばを離れません」
「馬鹿なことを言うな、私は責任を取りに行くのだぞ。それがどのような事か・・・」
 その時、坂太郎が近寄りやして、
「心配はいりません。みんなで周防へ帰りましょう。私らの胆を高杉先生は分かってくれる筈です。わたしが・・・」そこまで言って潮風に噎びやした。口から血が吹き飛やした。
「坂太郎、人のことはいい。己の身を安じよ」
「小隊長大丈夫ですか、休まれていたほうが・・・」
「兵介の言う通りだ。兵介、船頭を呼んでくれ、私からお願いしよう」
「なりません。隊長の心は良く分かりますが、他に逃げてもどうにもなりません・・・。ここは私に任せて、とにかく周防へ上陸を・・・」喘ぎながら必死で言いやした。
 他の隊士達も北海道行きを望んでやした。が、船頭と口論になり均衡の無い苛立つ心が先に立ち、船頭を斬ってしまいやした。孫一郎はそれを聞き、ここは坂太郎を信用してみょうと思いやした。隊士達の行動に任せよう。生するも、また死するも、生まれた古里がいいのかも知れない。この流れを止めるのはそこしかないのかも知れないと思いやした。討幕の一端を担ったと言う義士の心で死を迎えるのも、義を成し遂げやした者の運命ではなかろうかと思いやした。
「隊長、そう心配なさいますな。高杉先生は私達の行動を分かつてくれる筈です。そのよようにはな・・・」
「言うな、身を安じよ」大きく咳込みやした坂太郎の肩を抱きやして、
「これから先は、定めに任せよう」孫一郎は坂太郎を哀れに思いやした。
 孫一郎は島田川の河口浅江の船を着けやした。兵介が寄り添うようについていやした。 浅江には清水美作の菩堤寺清鏡寺がありやした。その寺を通して総督に逢い、備中の政情を報告し、藩の正式な処置を仰ごうと孫一郎は思ったのでやした。
 清鏡寺の僧は孫一郎を見て驚きやした。脱藩者が備中へ雪崩込み、目的を遂げられず放虎となっていることは知っていやしたから、その者達がまさかここえ来るとは考えてはいなかつたのでやした。
「どうか、総督に逢わせていただき、身の振り方を指示願いたいのです」孫一郎は平伏して言いやした。暫くの間待たされやした。僧が現れやして、
「この度のことは、藩にとって大変有益なことであったと申しておられ、その労を労う意味で、今夜島田においてゆっくり致すようとの総督の言葉であります」と言いやした。
「隊長!」兵介が満面笑みを浮かべて叫びやした・孫一郎は微かな笑いを返しやした。どちらに転んでもいい、だが、兵介だけは助けてやらなければならないと思いやした。
 浅江から島田に行くには千歳橋を渡らなくてはなりやせん。島田川の両岸は密生した竹藪で覆われていやした。前を行く寺僧の堤灯が何故か小刻みに揺れていやした。橋の袂まで来た時、  
「橋を渡りますと、案内の者が待っております。私は今夜通夜が一つ在りますのでここで」とくるりと踵を返しやした。
「隊長」兵介が心配そうに言いやした。
「構わん、計る者には計られよ」孫一郎はそう言って橋を渡りやした。
「たいちょう・・・」兵介の声は濡れていやした。
「兵介、今まで色々と世話になったのう、例を言うぞ。私の代わりに生きてくれ、世の移り変わりを確りお前の眼で見てくれ」後を付いてくる兵介に言いやした。
 何故か、おけいと三人の子供の事が脳裏に浮かんでいやした。
「たいちょう・・・」兵介は泣きながら孫一郎に武者振り付きやした。
「人生は川ぞ。人はその上を流れる一つの泡ぞ。私は今ようやくそのことに気付いた。どのように流れに逆らっても、所詮弄ばれるだけだと言うことが。流れに逆らうには、私のような弱い心では駄目だと言うことが・・・。けれど、流れに身を任せることがこれまたどれほどの勇気がいることかも知った。兵介、生きてくれ、生きて生きて、その私の流れがどのように世の中を変えたか見定めてくれ。頼む」ゆっくりと言いやした。
「隊長」
 その時、対岸の竹藪の中がパァと明るくなり、銃声がしやした。
「うらをみせおもてをみせてちるおちば」孫一郎の心に浮かんだ歌でやした。

 てなわけで、夜長の暇潰しになりやしたでやしょうか。
 同じ事をした天誅組は維新後贈位されやしたが、立石孫一郎以下の元奇兵隊士にはなんの沙汰もありやん。寧ろ、歴史の中で忘れられつつありやすよ。
 なぁに、通り雨、夕立のようなものでござんしたよ。

                                 終わり
     読んでいただきありがとうございました・・・。
          作者註  「倉敷浅尾騒動」角田直一 著 を参考資料
               郷土史家 井上賢一氏に多くの資料を頂きました。

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立石孫一郎 急の破の1 

2007-07-02 12:47:41 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
        急の破

 蒔田浅尾陣屋は、宝福寺の東半里の所に有りやした。宝福寺に洋式に軍装した元奇兵隊に居座られていて、いつ襲われるか分からない状態ではおちおち眠ることもかなわなかったでやしょう。
 隊士達は出発つの準備に忙殺されていやした。未だ、十四・五歳の若者が大半で有りやしたから、孫一郎は若者の姿に子供の千之輔の面影を重ねて見ていやした。
「隊長!」坂太郎が駆けて来やした。
「うん」振り向いた孫一郎の声は力の無いものでやした。
「やるだけの事はやりましょう。とにかく松山を攻めましょう。この者達に死に場所を与えてやらねばもう帰るところは無いのですから」坂太郎は興奮していやした。
「死に場所をのう。出来れば、否絶対に生きる場所を与えてやらぬばならん」孫一郎ははっきりと言いきりやした。
「その隊長の気持ちが隊士達を元気付るのです」
「そうでのうては・・・」孫一郎は隊士達の方を見やした。
 これからどのような運命が前に立ちはだかつているか分からぬと言うのに、無邪気に昼飯を食べ明るい笑い声を挙げていやした。その姿を見て孫一郎の心また揺れやした。が、己の命を引き換えにしても守ってやらなければならないと言う思いが沸いてきていやした。
 引頭兵介は消えていやした。坂太郎が五十名を率いて裏街道を松山へ向けて発ちやした。後に残った百名余りを連れて孫一郎が松山へ向けて出発つしやしたのは、四月十二日の午後三時を過ぎていやした。
 権観岳は、生繁った槙と赤松の梢が、切り立った岳から高梁川の流れに垂れていやした。その下に岩を削り取った三尺ほどの山道が松山への街道でやした。険しい絶壁にへばりついたような坂道が一里ほど続いていやした。目の下に高梁川の清流を眺めながら緩やかな行軍が続いていやした。
 その少し前、宝福寺の北一里半の谷田部に陣を牽いていやした松山勢に、物見から隊士達が松山へ向けて発つたとの知らせが入りやした。松山勢は慌てやした。三百の兵を繰り出していやすから城内には僅かな兵しか残してないのでやすから、それは当然でやしょう。物頭野村新兵衛が急いで兵を松山へ引き返させたのは、孫一郎一行が出発つした一時間の後でやした。  
 孫一郎率いる隊は、ゆつくりとゆっくりとまるで牛歩のようでやした。孫一郎の迷いと同じのように隊士達の歩幅も緩やかでやした。権観岳を越えた頃にはもう夕暮れが迫っていやした。西の空に赤く燃える夕陽が高梁川に映えていやした。木の根と、花崗岩の破片が草鞋に喰い込んで、足の裏は熱くなり腫れあがっていやした。その足を隊士達は高梁川の流れに浸しながら、無邪気に戯れていやした。。近くの酒屋で買入やした菰被りの四斗樽の鑑が抜かれやした。隊士達は交互に柄杓で煽りやした。その味が隊士達に取ってどのような味かと孫一郎は考えやした。その思いを忘れようと柄杓を何度も重ねやした。
 松山を隊士達の死に場所にしても良いのか、兵介の言う様に北海道という生きる場所を与えてやることが本当なのかも知れない。それが無心に信じてついて来た者への労りではなかろうか。孫一郎は未だ迷い道にいやした。
 孫一郎は人夫達にも酒を飲ませて帰しやした。
 隊士達は一向に動こうとせず、暮れなずむ高梁川の流れを見詰めていやした。孫一郎はその流れを、己の流れのように眺めていやした。
 その時「ズシーン」という重い音が宝福寺の方向から響いてきやした。隊士達は一斉に今までの戯心を止め身を引き締めやした。孫一郎は何が起こったのかと東の方を遠眺しやした。兵介のことが頭を掠めやした。兵介が見つかったと思いやした。孫一郎はもう躊躇していやんでやした。兵介を死なせてはならないと心の中で叫びやした。
「宝福寺へ引き返す」孫一郎は紅白の旗を右手に高々と上げ振り下ろしやした。そして、先頭に立って走りだしやした。その後を追う隊士達の動きも素早かったでやす。まるで眠っていた獅が腹をすかして起き獲物を追い掛ける時のようでやした。権観岳の凸凹山道を一気に走り抜け宝福寺の裏山秋葉山井山へと入りやした。井山から宝福寺の三重の塔が見えやした。二十日月が昇り始めた穏やかな春の宴でやしたが、その下にある浅尾の陣屋から火の手が挙がっていやした。その浅尾に向かって隊士達は雪崩込むように突撃を致しやした。坂太郎も引き返している筈でやした。浅尾は倉敷代官所のように無抵抗ではなかろうと、孫一郎は走りながら思いやした。孫一郎と隊士達が着いたときには、浅尾と坂太郎率いる隊士達が斬り結んでやした。大砲が火を吹き陣内で炸裂して炎を挙げ、ケペール銃の弾丸が赤い糸を引くように流れていやした。
「逃げる者には手を出してはならん。女子供を殺すな」孫一郎は右手に刀を持ち、走りながら叫びやした。浅尾の剛の者が孫一郎の前に立ちはだかりやした。二合三合と刀を合わせやしたが孫一郎の敵ではありやせんでやした。隊士達は一升徳利に火薬を詰め陣屋内に投げ込みやす。それを狙ってケペール銃が撃たれやした。そこに新しい炎がめらめらと上がりやした。陣屋は天ぷら鍋に火が点いたように燃え盛りやした。その明かりは半里先を流れる高梁川の川面を赤く染めていやした。
 浅尾陣屋での戦はおよそ二時間で終わりやした。
 陣屋では、宝福寺から隊士達が発つた事を知り、ほっとしたところを衝かれたのでやした。心の準備を解き、酒を食らっていた陣やの者が数倍のそれも洋式訓練をつんだ隊士達にどのような応戦が、抵抗が出来たでやしょう。手向かう者は数名、その後の者は尻に帆掛けて逃げやした。
 孫一郎一行が浅尾陣屋を占領しやしたのは、四月十三日の夜明けやらぬ朝でやした。
 孫一郎にとりやして浅尾取りは予定の外でやした。隊士も十数名死傷いたしやした。浅尾の死傷者は三十数名、武士は逃げ、足軽、下働きの小者達が哀れな屍を晒していやした。その者達を丁重に葬るよう孫一郎は命じやした。
 宝福寺で代わる代わる朝食をとりやした。戦が済んで残ったのは、心の虚しさと空腹だけでやした。
「隊長すいません。途中で松山の軍に出会い後退して浅尾に入ろうとしたのですが・・・。戦になりました」坂太郎は平然と言いやした。
「仕方が無かろう」孫一郎は小さく頷き、遠くへ視線を投げやした。兵介がじーとその姿を見詰めていやした。何か言いたそうで有りやしたが、坂太郎の顔を見て黙り込みやした。
「これからどのように、もう松山へは行けません」坂太郎がくぐもった声で言いやした。「もはや、備中の放虎となってしまった。流れに身を委ねるより外に手立てはあるまい」「松山勢も間もなく引き返してきましょう。ここに立て籠もり応戦いたしますか」
「いや、それは出来ぬ。これ以上隊士を失いたくないし、傷つけたくもない」
「では・・・」
「少し休んで海へ出よう。金子を皆に分けてやってくれ。これから生きていくには必要なものだ。・・・浅尾を襲ったとなると松山勢より、今度は岡山藩がだまっていまい。それだけは絶体に避けなければならぬ」
「我々をどのように扱うかで岡山藩は・・・」
「そういうことだな」
「では、隊士達にその準備をさせましょう」
「讃岐の多度津で会おう、そう伝えてくれ」
「はい」坂太郎は細い目をしばつかせながら去りやした。その後ろ姿を孫一郎は思案げに見送りやした。
「隊長!」兵介が躙り寄りやした。
「言うな」孫一郎は大きく首を振りやした。
「済んだことだ。もう元の盆には帰らん。坂太郎には坂太郎の考えもあろう。浅尾の蒔田は蛤ご門の相手その仇を・・・」孫一郎の言葉に兵助は泣いていやした。
 孫一郎は坂太郎の出過ぎた行動を責める気持ちは有りやせんでやした。寧ろ決断を早めてくれたことに感謝する心が動いていやした。例え坂太郎の考えがどうであれ、これから先は逃げて生き延びる道を見付けなければならない事を知っていやした。兵介の言った通り海へ出て新しい天地を捜してやらなくてはならないと思いやした。この浅尾に残って賊軍となって逃げ惑うことだけは避けなくてはならないとも思いやした。
 隊士達は最小限の武器を持って吉備の里を後にいたしやした。高梁川に出やして高瀬舟に乗り下りやした。岡山藩は隊士達に早く逃げてくれと言わんばかりに堤の上からじっと眺めるだけでやした。隊士達の乗った舟が五軒屋の渡しの辺りにさしかかつた時、丁度潮が満ちて来やしてそれ以上は下れやせんでやした。そこで舟を捨てやして別々の行動を取ることになりやした。
 倉敷代官桜井久之助が芸州から急遽引き返し、援軍を率いて連島で待ちうけていやした。
「無駄死にするな、生き延びよ」と隊士達に孫一郎は告げやした。隊士は三人、四人と組になって高梁川を下って行きやした。下津井、呼松、塩生、通生、連島、大畠、味野、田ノ口と港に向けての行動が始まりやした。岡山藩は領内を隊士達に合わせて兵を動かせていやした。
 隊士達には五十両近い金子が渡されていやしたから、その金子で各々舟を雇い海を渡りやした。中には万悪く捕らえられた者もおりやした。
 孫一郎は、坂太郎、兵介を伴って通生の三輪を頼りやした。
「同士は事前に殆ど捕らえられました。津山の井汲先生は牢死なさいましたそうで・・」「なに、先生が」三輪の言葉に孫一郎は絶句いたしやした。
 何と言うことを、私は先生を殺したと言うのか。こんな無謀な事をしてあたら有為な人を・・・。と悔やみやした。もっとはっきり心を定め計画を練り、己の考えで、意志で行動すべきであった。曖昧さが、優しさが多くの人を迷わせてしまったと、孫一郎は思いやした。
「三輪さん、舟を用意してください」
 三輪が舟の手配をしている間、通生院で暫しの休息を取りやした。坂太郎が吐血しやしたのはその時でやした。
「坂太郎、大丈夫か」
「はい」坂太郎は手で口を押さえて苦しい息の下から応えやした
「医者を呼ぼう」孫一郎は背を擦りながら言いやした。
「構わんで下さい」そう言って坂太郎は厠の方へ駆けり込みやした。
 通生の港から小舟が仕立てられ、瀬戸内の凪いだ海を島から島へと渡りながら多度津に向かいやした。空には低く真っ黒な雲が広がろうとしていやした。


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立石孫一郎 急の序の3 

2007-07-02 00:04:41 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
          急の序

 井山に連らなって東に一里の所に桃太郎伝説で有名な鬼の城がありやす。つまり、この地方を統持した温羅一族が居た所でやすが、今では城跡を忍ぶ石垣と一枚の大岩しか残っていやせんが、当時を偲ぶ縁にはなりやすよ。その嘗ての吉備大国の地は朝が来ようとしていやした。
 孫一郎は講堂で坐禅を組んでいやした。書院で少し横になりやしたが、眠れないままここに来たのでやした。孫一郎は懸命に雑念を払おうとしていやした。それは蠅のように追っても追っても直ぐ瞼の裏に止まりやした。
ー一体なにがどのように変わると言うのか。己は無謀な事を、無意味な事をしているの
ではないか、それも、純粋な若者を道ずれにして、心を弄んで。だがもう後には引けぬ。信じて付いて来てくれる隊士達の事を思えば、今、迷いの道を彷徨ていてはいけないのだ。もう同士は当てにはならない。所詮人間流れの中で生きるだけなのかも知れない。その流れはもう流れ始め、その渦の中に身を置いているのだ。逆らえないほどの大きな流れにしてしまったのは自分自身なのだ。なるようになる、自然の摂理と、淘汰に委ねるしかないと言うのか。おのが短慮が・・・。否、これで良いのだ。これから松山城を攻め落とすことが最善なのだ、そうせいでは隊士達の前途はないのだー
 孫一郎は輪廻のようにめくりめく想いに翻され、それと闘っていやした。
「隊長!」兵介が真っ赤な眼をして叫びやした。 
「うん」孫一郎は躰一つ動かさず応えやした。眸は確りと瞠っていやした。
「松山を落とせるとお思いですか」
「いや、分からん」
「では・・・」兵介は縋るような眼の輝きで言いやした。
「兵介、そうせかすな。・・・駄目だと分かっていても、筋目を通さなくてはならん時があるものだ。命をも落とさなくてはならん時もある」そう言って兵介の方に向いた孫一郎の眸は弱々しく光、額に落ちたほつれ毛が白く見えやした。
「それは分かりやすが・・・」
「兵介、私は隊士百数十名の命を預かる者として、生きる場所か、死に場所を与えてやらなくてはならぬ立場に居るのだ」
「隊長、ここを引き払い、瀬戸内海に出て北海道へ行きましょう。隊長、もうこれ以上の命のやりとりは・・・。倉敷だけで十分です」
 兵介は、長州がもう帰るべき古里ではないことを知っていやした。
「兵介、・・・決めた事なのだ」孫一郎の声は飽くまでも静でやした。
「いいえ、松山を落とすことは至難の技です。それは即ち死です」
「・・・どちらも辛い、生きることも死ぬことも」
「その内、時代も変わりましょうから・・・」
「そうだなぁ、私達はただの捨て石になるかも知れんのう」
「はい、だから、北海道でその時を待ちましょう」
「お前も大きくなったのう。だがのう、兵介の思いを踏み躙るようだが、もう動きだしておる」孫一郎は、兵介の真剣な眸差しに見詰められやして眩しくなり、天井を眺めやした。
「兵介、私は今まで流れに逆らわぬ生き方をして来たが、いつの間にかその流れに逆らっているらしい」
「隊長は人を信じ過ぎます。やさし過ぎます」
「やさしいか、優しさでは人は救えんか、溺れてしまってのう。だがのう、信じることと優しさがいつの日にか必要な日が来ると思いたいのう」孫一郎は自嘲しやした。


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恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

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立石孫一郎 急の序の2

2007-07-01 12:06:53 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
         急の序

 孫一郎は、このような高札を倉敷村の要所に立てやした。義士と称しやしたのは若い隊士達がこれから歩む前途への配慮でありやした。孫一郎は何故か空しい心に包まれていやした。だが、そのような感傷に浸っている暇はありやせんでやした。孫一郎は、隊士達が束の間の夢を貪っている間に、巻き添えを喰った村人達の死への喪弔をしに出向かなくてはなりやせんでやした。 孫一郎は下津井屋を襲ったのは私ではないと村人に叫びたい心で一杯でありやしたが、現に代官所を襲った後のこと、誰も耳を傾けては呉ぬだろうと思いやした。
 代官所を焼き討ちにし、村人を縮み上がらせ軍用金を徴収する、それが最初からの計画でありやしたから、中島屋五千両、浜田屋一千両、児島屋五百両と徴発しやした。米、味噌、醤油、漬物等を集めると、もう倉敷には用はありやせんでやした。
 林孚一は孫一郎に笑顔を向けやしたが、それに孫一郎は応えやせんでやした。林を騒動の中に入れてはならない。林にはあくまで、妻と三人の子供達の行く末を見守って貰わなくてはならなかつたからでやした。
 新介が二頭の馬をどこからか調達して来やして、
「立石さんよ、後は巧くやんなよ。敵は外ばかりではありやせんぜ。・・・世話になったが、此の辺りが俺の引き際と言うもんでさぁ」と笑いながら言いやしたが、眼は真剣その物でやした。何かを語り掛けているようでやした。
「新介!」じっと眼を見て言いやした・
「これからの立石さんの動きで、幕府も長州も見え無かった物が見えやすよ。その見えなかった物がどちらに味方するか、それが見物ですがね。俺はそれを今度は外から確りと見させて頂きやすよ」
「新介、お前は何が言いたいのだ」
「俺にはあなたを取り巻く周囲と、日本の揺れている波のうねりが良く分かるんでさぁ。ただそれだけでやすよ。立石さんよ、ここまでくりゃもう後には引けねえ、やるしかねえんですよ」新介は意味ありげな言葉を遺して消えやした。その後ろ姿を喰い入るように孫一郎は見詰めていやした。燕が羽を閉じて急降下をし餌を啄んで消えて行きやした。
 孫一郎と坂太郎は馬上の人になりやした。坂太郎は先頭に立ち紅白の旗を前後に振りやして隊の指揮を取りやした。孫一郎は列の後尾に付いていやしたが、何度も何度も倉敷の方を振り返っていやした。未練と思っても妻子の顔が頭の隅を過ぎりやした。せめて人間として生きたい、それが孫一郎の信念でありやした。この戦は、國民の為のものなのだ。隊士達の行く末を考えてのものなのだと呟き続けていやした。
 隊士達の打ち鳴らす四拍子の洋式太鼓に合わせ、ケペール銃を肩にしやした隊士達の整然とした洋式行軍が続きやした。その後に大砲一門、ケペール銃数十挺、弾薬食料を積んだ荷駄が延々と従っていやした。
 孫一郎が背後に視線を感じやしたのは、浜の茶屋の辺りでやした。孫一郎は振り返りやした。田地の畔の上で、姥のお照に連れられやした三人の子供達がじっと熱い視線を投げかけていやした。孫一郎は馬より下りやしてその方に歩みよりやした。兵介は馬の手綱を取り孫一郎の行動を眼で追いやした。孫一郎は、三人の子供達の瞳に光る涙を見やして、不覚にも泪がこぼれ言葉が喉に詰まりやした。蛙が畝で跳ねやした。孫一郎は一言も言わずに馬に飛乗り、先頭を行く坂太郎の方へ急ぎやした。
 四月十一日の夜、備中井山宝福寺の書院で孫一郎と坂太郎が対座していやした。 
「これから直ぐにでも松山へ向けて進みますか」
「うん」孫一郎は気のない返事をしやした。
「蒔田藩の浅尾陣屋から早く出て行けとの要請を隊長はどのように・・・」
「うん」
「とにかく明日にでも松山へ向けて発ちましょう。岡山藩がどう動くか分かりませんが、松山勢との挟み討ちにされたのでは叶いません」
 孫一郎の煮え切らない返事に、苦り切ったような顔の坂太郎が次々と言葉をぶつけやした。何を言っても「うん」としか返らないのでやすから、豆腐に釘、頼り無いったら有りゃしやせん。その上、何を考えていやすのか、
「静かだなあ」との言葉を落とすのでやすから、坂太郎がカッカと来るのも当たり前でやしょう。
「隊長、隊士達の滾っている血を冷ませてはなりません。もう同士等当てにはなりません。ここらで決断を。足守、庭瀬がどのように動こうが問題ではありませんが、岡山藩が・・・」
「その、岡山藩がどらように動くか知りたいのう」ぽっりと孫一郎が言いやした。
「はぁ・・・」坂太郎は一瞬孫一郎の顔を見やしたが、直ぐに視線を伏せやした。
 岡山藩は幕府の下命によりやして三千の兵を領界線の山手から総社に懸けて出していやしたが、立石達に対しては無視を決めこんでやした。
「その岡山藩が・・・。ですから、一刻も早くこの宝福寺を出て松山へ向かいましょう」坂太郎が心の波を押さえるように言いやした。
 孫一郎はすっくと立つて障子を開けやした。樹齢何百年と言う大木が何本と夜空を突いていやした。篝火が境内を照らし、しじまを警護の隊士達の足音が振るわせおりやした。「よし!明日出発う」孫一郎は振り向かずに静かに言葉を吐きやした。
 孫一郎にとっては宝福寺の静寂が不気味でやした。それはこれから先を暗示したいるかのように思えやした。本当にこれで良いのか。倉敷代官所襲撃により初期の目的は達したが、意地は通せたが、隊士達に取っては果たして良かったのか。己は三十五歳、何時死んでも構わぬが、若い者にはやりたい事、遺したい事、があるだろう。その道を開いてやらねばならない。それにはここ迄来た以上、松山城を攻め落とすしか残されてはいない。この二日間、同士を待ったが立ち挙がっては呉ない。孫一郎は色々の迷いの道に入っていたのでやした。
 庭の鹿脅し音が静謐の空気を破り「カン」と鳴りやした。その音で、孫一郎は振り向き「松山へ向かおう」と力強く言いやした。
 孫一郎の長考に業を煮やしていやした坂太郎はその声にほっといたしやした。
「では、後の指示は私めが」
「うん。疲れた、少し眠る」孫一郎はその場にごろんと横になりやした。
 坂太郎は障子の外に声を掛けやした。兵介の声が障子を振るわせやした。そして、
「失礼いたしまし」と言い開けて入って来やした。横になる孫一郎の大きな背を喰い入るように眺めやした。
「隊は明日出発つする。そちは五名の部下を連れここに残れ。同士を待って松山へ来い。隊長は高梁川ぞいを、私は裏街道を抜け松山へ向かう」
「私も隊長と御一緒させて下さい」
「同士を待って案内をせい。隊長の檄だ」
「は!」兵介は平服しやしたが、眼は孫一郎の姿を捕らえていやした。一体隊長はどうしたんだろうか。今の隊長は気が抜けたようだ。最初から乗り気ではなかったのではなかろうかと思いやした。
「兵介、このことは他言は無用。人選は私がする。少し休め、私も休む」
「は・・・」兵介は頭を下げて書院を出、音を発てないように閉めようとした障子がカタンと鳴りやした。
  隊士達は安息を貪っていやした。夢の中で古里のことどもを想い起こしているだろうと、孫一郎はそのあどけない寝顔から想像していやした。


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立石孫一郎 急の序の1

2007-07-01 00:05:30 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
        急の序

 成羽藩の港、連島西之浦角浜に着きやしたのは四月九日の午後四時頃でやした。孫一郎の双眸は眠そうでやした。心配そうに見守る兵助の優しい瞳もありやした。新介はここぞとばかりやたら張り切っていやした。角浜には遊廓があり、新介の馴染みの妓女が何人もおりやして地の利を得た所だけに、食事の手配、戦の準備、荷駄を引っ張り押し担ぐ人夫の調達やら、その他細々とした雑用を手際よくこなしていやした。白木綿を買って来てそれを適当に切り、目印の鉢巻きにと隊士達に渡していやした。
 孫一郎は隊士達を分散させて船旅の疲れを癒させるために休息を与えやした。それに、昼間から軍備を整えた百数十名が一緒にいては目立ち過ぎると言う懸念があってのことでやした。夜を待とうと言う考えでやした。
「新介、代官が下津井屋をやったと言うのは本当か」孫一郎は念を押すように言いやした。新介は曖昧に笑いを殺しやして、
「そんな怖い顔をしなさんな、もう済んだ事ではねえですかい・・・今では。俺も、桜井に倉敷を追われ、立石さんと同じ憎い相手でさぁ」と眼を輝かせて言いやした。
「そうだ済んだことだった。そして、始まる事かもしれんな」と言いやした。
 人夫達に荷を担がせ、荷車を引っ張らせ押させて、隊士達が一団となって行動を開始しやしたのは真夜中でやした。先頭に立つ新介の提灯の明かりが左右に揺れていやした。隊士達は黙々とその後に続きやした。江長から天井川の東高梁川を渡りやすと、五軒屋の土手に出やす。土手を登りやすとそこからこんもりと黒ずんだ足高山が見え、その向こうに目標の鶴形山の麓にありやす代官所が漆黒の中に見えやした。孫一郎は懐かしさの為に目頭が熱くなり、胸が締め付けられるようでありやした。あの倉敷にはけいがいる、そして、可愛い三人の子供達がいる。代官所を襲撃するとどうなる。だが、もう後には引けぬのだ、桜井を討つより手はないのだと自らに言い聞かせやした。孫一郎のそばに兵助が従い見守っていやした。大きな肩が小刻みに揺れ心の有様を物語っているようでやした。
 四月十日、午前三時。孫一郎率いる元第二奇兵隊士達は備中倉敷代官所に雪崩込みやした。俗に言うところの倉敷騒動でありやすよ。代官所は北を鶴形山、東を向山にし、南を船頭町、西を倉敷川で守り。周囲を二間の内堀で囲み。南と西に大門、東と北に通用門を設けていやした。向山から大砲を撃ち込み先制攻撃をし、塀を越え大戸を開けケペール銃を撃ちまくりながら突っ込みやした。
「女、子供に構うな。手向かわぬ者、逃げる者は斬ってはならん」孫一郎はそう叫びながら走りやした。           
「火を放って焼き払え」坂太郎が号令を掛けやした。新介はここは俺の領分とばかり、あっちこっちへと火を点けて回りやした。
 代官桜井久之助は芸州広島へ出張中で留守、手向かう者は一人もおらず、ただただ逃げ惑っていやした。
 戦はすぐに終わりやした。
 紅蓮の炎は、未だ明けやらぬ夜空を焦がし、白壁と土蔵の倉敷を真昼のように照らしていやした。
 新介は汗を拭きながら孫一郎のそばに近寄り、   
「よく燃えますぜ。桜井がおらぬのがなんとも残念、きゃつに一泡吹かせてやりたかつたぜ。あの金の盲者め。なんとも悪運の強い奴ですよね」と舌打ちを致しやした。
  「運ですか・・・」孫一郎は頬を少し歪めていいやした。それは、己の運のなさを計りに掛け、運のないおのれを嘲笑しているようでやした。
「ここで桜井をやってねえと後々面倒な事になりやせんかね。芸州から帰って立石さんの後を追いやすよ。あの野郎、蛇のように執念深い奴でやすから」口を歪めて新介が言いやした。
「うん」と頷き、ぬかったと孫一郎は思いやした。主犯者としては桜井の行動を事前に調 べなくてはならなかったと後悔の念が心に拡がって行きやした。しゃにむに突き進んだ己の短慮を責めやした。
「そう考えなさんな。優しさから出る後悔は今はご破度ですよ。ここまで仕掛けちゃあやるしかありやせんょ。とことん前に進むしかありやせんよ」
「うん」
 孫一郎は隊士達を、鶴形山の中腹にありやす観竜寺で休ませやした。酒の用意を手際良くするのは新介でありやした。庫裡や書院で、また縁側に身を横たえる隊士達のあどけない寝顔を見るにつけ、孫一郎は自分の私恨の為に使ったのではないかと心に問い掛けやした。
「隊長!良かったんですよ。士気を高めるには丁度良かったんですよ。これで、この意気で一気に松山城を攻めましょう。血が沸騰しているときに・・・」坂太郎は孫一郎の顔色が冴えぬのを感じて言いやした。ぼーとしていやした孫一郎は、坂太郎の声で現実に返りやした。そして、次にやらねばならぬことを思い出しやした。孫一郎は気にしていやした。後の人人はこの襲撃を私恨と判断するだろうか。否、断じてそうであっては困る、その為にはこれからの行動が慎重でなくてはならないと思いやした。
「櫛部、高札の用意をしてくれ」
「では、この襲撃の主旨を・・・」
「そうでなくては、隊士達の将来の礎が・・・。万一事が成就せなんだら無頼の徒として葬られることになろう。そして、十五年間過ごした私の・・・」
「分かります。では早速手配いたします」坂太郎は一礼して観竜寺の石段を身軽に駆け下りやした。
 孫一郎は鐘楼に立ち、倉敷村を一望しやした。低い商家のたたずまいがびっしり軒を並べ、倉敷川沿いには緑に揺れる柳が川面に影を落とし、川草が流れに弄れ、四十瀬の土手には葉桜が風に揺れ、遥か彼方の景色の中では白い煙が細く立ち登り、長閑かで当たり前の春の様相を呈していやした。

    倉敷代官  桜井久之助
  右ノ者兼兼奸従ニ同盟シ國害ヲ醸候条下埓ノ至ニ付可加誅
  戮候処此節出陣中ニ付余党ノ者加誅戮仍而本陣今放火者也
            四月    元奇兵隊義士

    倉敷村役人ヘ
  当節ノ形勢ヲモ不顧倫安姑息ノ説ヲ唱ヘ小民困苦ヲ不厭段
  不届ノ至ニ付自今己後屹度戒心申付ケ尚村方規律節整候様
  可仕候事万一等閑致スニ於テ厳科ニ処スベキ者也
            四月    元奇兵隊義士


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