yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

遠いいこえ 2

2007-07-04 12:34:05 | 創作の小部屋
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遠いいこえ

 それまでは、房江は高台にある娘の家に時折来ては、
「良くもまあこんなところに住むはなえ。便利な家が
あるというのに」 と軽口を叩いては育子の顰蹙を買ったものだった。が、その事件が持ち挙がってからというもの、房江は家を出ようとはしなくなり、
「体が怠いし、足が重たいしな・・・」
 と弱音を吐くようになったのだった。
 房江が訪ねてこなくなると心配になり、頻繁に電話のダイヤルを回す育子の姿があったのだった。口では嫌味の応酬をしていても根の部分ではしっかり結ばれている母と娘の絵図を逢沢はみていて心が和むのだった。

 逢沢も育子も十年前に買った高台の家で終日机に向かうか、採話旅行で集めた民話を分類し、カセットを回しながら原稿に起こすと言う作業をしていたから、房江が来ても一人ぽっちにすることもなく面倒が見られるのだった。
 育子は房江の後を継ぎ女教師になったが、
 「私には、可愛い子供達に序列を付けることは出来ないわ」と言ってさっさと辞め、童話の研究を始め、童話作家になっていた。少し悩んだあと踏切り良く割り切れたのは二人の間に子供がいなかったからだろうかと逢沢は考えたものだった。育子が眉を曇らせながら答案用紙に赤ペンを走らせる育子の顔は、蛍光灯の明かりの下でまるで能の痩せ女の表情だったのだ。
「私は、つくづく思うの。子供達の頭と心に理解させるようには教えることはできないって。つらいわ、どうすればいいと思う」と、育子は湿った言葉を逢沢の方へ鉛筆を転ばすように問ったのだった。
「現今の教育のカリキュラムでは、置いてきぼりになる子がいても仕方がないのではないか。そのように教育しているのだから」
「それが嫌なのよ。それは教育ではないわ。なぜ、なぜなの、どうして理解していない子がいるのに教科書のページを捲らなくてはならないのよ」
「辞めたいのか」
「ええ、辞めたいわ」
「逃げるのかい」
「逃げたいわ」
「じぁや、そうしたらいい」
「ええ、そうするわ」
「何の解決にもならんぞ」
「別の方法を考えるわ」
「別の方法をねえ」  
「あるでしょう、別になにかが」
「うん、あるだろう」
 逢沢は、だんだんと人相の悪くなっていく育子の顔を見るのが辛くなり、育子の行動に任せたのだった。現金なもので教師を降りた育子は溌剌とした身体と精神をと取り戻して年相応の容姿になったのだった。逢沢は近くの短大で日本文学を教えながら、民話の研究をしていた。原稿を書かないときには育子は逢沢の手伝いをした。民話の本を逢沢と育子の共著で何冊か出版していた。それが二人の子供のようなものであった。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
恵 香乙さん

山口小夜子さん

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遠いいこえ 1

2007-07-04 00:08:50 | 創作の小部屋
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   遠いいこえ         

「お母さん今、たった今、ご飯を食べたばかりなのょ」 毎朝、逢沢雄吉は、妻の育子の声で目覚めるのだった。育子の声が日増しに甲高くなっていくのを感じていた。井戸に首を突っ込み死んで行く人を呼び戻すと言う風習があったと聞いたことがあるがまさに育子の声はその時に発せられるであろうと思えるものの様だった。
 育子の母の房江を引き取って一年になるが、何度も同じ事を言っていたと思ったら、物忘れがひどくなっり、それに伴い耳が遠くなっていった。最初の頃は耳が遠くなったので聞き取れなくなったことが原因で意思の疎通が旨くいかずに奇行を繰り返すのかと思っていたが、この春の初めの三月に入った日、廊下で日向ぼっこをしていた房江が尿を失禁した。板張りの縁側は水びたしになり、着物の裾は黒く濡れていた。
「まあまあ、お母さん、お茶をこぼして・・・」
 と言った育子の声が途中で強ばって凍りついた。房江の前には茶器らしいものはなかったのに気づいたのだった。それは見事なほどの洪水だった。房江は知らん顔をして庭の桜の木を見つめていたのだった。
「桜の木はパァと咲いてパァと散るからええのう」
 育子の慌てふためく姿が目に入らないのか、ぽっんと言葉を濡れた膝の上に落とした。庭の隅にある桜はまだ裸木に近く蕾のひとつも付けていなかった。
 育子は、何も言う気力もなくなったのか茫然としてその場に座りこんだ。
「きっと、外の暖かさに比べて縁側は寒かったんだろう」 逢沢は肩を落とした育子に言葉を投げて、
「ねえ、そうだったのでしょう」
 と房江に言った。
「暖かい日には、おじいさんと庭の草をよう抜いたわな。おじいさんは葉だけを毟り取る。根を抜いても生える強い雑草じゃと言うのに。おじいさんは一本もよう抜けん人じゃつた。雑草のように生きるより、桜の様に咲いて散るほうがええんかも知れんな」
 そんな日があって、房江は少しずつ坂を下るようにボケのような症状が現われてきたのだった。 房江の長年暮らした家が都市計画にかかって立ち退き勧告を受けたのは引き取る半年前だった。これをいい機会として逢沢は育子と語らって房江を引き取ることにした。逢沢が育子を嫁に貰いたいと申し出たときの条件は老後を看とって欲しいと言うものだったからだ。その話を育子が房江にすると、
「あの話は、雄吉さんの心をはかるために言ったまでのことでな、本気にする人がありますかな」
 と房江は育子を軽くあしらったのだった。
「それより、ここに道がつくことを止めるように言うてくれませんかな、お金なんかいらんから。私はお爺さんが残してくれたこの家には、お爺さんと暮らした思い出が沢山有りましてな、思い出と一緒に残りの人生を過ごしたいのですのじゃ」
 房江の言う分は至極当たり前のことなのだが、行政が決めたからには、いずれ土地収用法の適用に合わないとも限らない、困ったものだと逢沢は房江の心を思い遣り胸が痛くなるのを感じたものだった。
 薄暗い仏間に柱と壁の隙間から一条の光線が差し込んでいて、仏壇の前に黄色い扇状の日溜まりをつくっていた。それは、育子の亡父が黄泉へ空間移動をするステーシュンのように見えたのだった。あまり広くない庭には、軒先に届くどんぐりの木が一本と背丈くらいの千両万両があった。それに楠と檜が成木していた。それだけでも南に面した部屋の日差しを遮るのに、一年前に十二階建てのマンションが建ち、小漏れ日のように届いていた陽を奪ったのだった。その時から、逢沢はそろそろ房江を引き取ろうかなと考えていたのだった。市から都市計画で房江の住む家が、新しい道路の予定地になっている言う報せが入った時には天の啓示かとも思えたのだった。


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恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

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