yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

遠いいこえ 10

2007-07-08 12:05:30 | 創作の小部屋
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遠いいこえ
10

「それより、義母さんの部屋に何か手掛かりになるようなものがあるのではないのか」
 逢沢は電話で話した言葉を繰り返した。
「それは・・・一応捜したんですけれど・・・」
「気丈な人だから、何も目的がなくてと言うことは考えられないのだ」
「すっかりぼけてしまって・・・」
「何を言うのだ。言って良いことと悪い事があるんだぞ。義母さんは決してボケてはいないんだ。こちらのぼけたと思う気持ちが義母さんをボケさせてしまうってことがあるんだから」
「有り難いわ、そんなに言ってくれて・・・」
「義母さんが、住んでいた家を引き払うとき教え子への戒めを解こうとしていたが、まだ拘っているのは確かだ。義母さんは一生懸命にその自責から逃れようとしているのも確かだ。が、その戒めを解いたら何もなくなって今度は本当うにボケてしまうことになるかもしれないんだよ。それが心配なんだ」
 逢沢は心療内科の友人がボケになるパタンを語ってくれたことを思い出して言った。安心と平穏、拘りと自責がボケの治療には必要だと言うことを聞いていた。つまり適当に喜怒哀楽を繰り返すことがボケを防ぐと言うことなのだ。だけど、使命に対する責任が明確に生きる上にある以上まずボケることはあり得ないと言う事だった。それは、未来に希望のない人には難しいことであろう。
 友人はある高名な精神医の言葉として語ったのだった。
ー老人性痴呆疾患つまりボケを中心とする精神症状が始まる前段階として『抑制が外れる』ことがある。つまり心理的ブレーキが外れて、我慢の力が低下して抑えつけていたものがどっと噴き出して思っていた通りしゃべり、思っていた通りの行動するようになる。 抑制が外れたときになにをさすべきか、取り巻く家庭の人達は一早く症状に気づかなくてはならないと言うのだったー
「義母さんは、教職を退いても戦争反対、憲法擁護の立場を貫き、教え子を戦場に送ったと言う体験をもとに日教のOBとして活躍してこられたんだ。それが言ってみれば義母さんの心の支えでもあったのだ。その支えがなくなったら心の中は空っぽになり、生きる意味が、目的がなくなって何も考えなくなってしまうんだ。それが怖いのだ。義母さんはタイムスリップをして昭和十八年の冬の終わりに帰り、長太君に合い『行くな』と言いたいのだ。そして、そのことで辛かった苦るしかった過去を葬りたいと考えているのだろう。が・・・」
「判ったわ。・・・一度だけかあさんと県北の学校へ行ったことがあるわ。そこはかあさんが女子師範を卒業して最初に赴任した学校だったのよ。あれは、私が教育学部を卒業して県職に受かり教師として出発が決まったときの春だったのよ。その時、かあさんは定年を三年繰り上げて、私と交替のように退いた年だったわ。墓参りがしたいと言うかあさんを軽四の助手席に乗せて川ぞいを北に向かったの。幾つも山を越え、雪解け水が岩に砕けて白く砕ける細流を眺めながら、その流れに冬芽をはじかせた木々の枝葉が覆いかぶさるように垂れているのを見ながら、山と小川の細い径を進んだわ。小さな集落が幾つもあって山裾の辺りに校舎を見付けた時には、なんだか胸が熱くなっていたの。かあさんは目をつむって何かに耐えているようだったわ。山の頂きには残雪が白く光っていたの。校庭は雑草が生え方題、校舎はセピア色に変わっていて荒れ朽ち、かあさんは二宮尊徳の像のそばにある大きな楠を見上げていたわ。手の入っていない楠は枝が折れ傷ついていても新芽を吹き上げようとしていたの。かあさんが教え子達とその木を囲んで写真に収まっているのを見たことがあったわ。長い髪を編んで背に垂らし、白いブラウスの胸の辺りが窮屈そうに張り、真っ黒な顔をした子供達がまちまちな服を着て写っていたの。可笑しかった、かあさんまるで聖職を絵に描いたような顔をしていたんだもの。玄関戸は板でふさがれていたけれど、校庭に面した一つの教室を硝子の割れ目からじっと見つめていたわ。かあさん、なにかに一所懸命耐えているようだった。そこから、少し山に入った共同墓地にかあさんの教え子が眠っている墓があったの。かあさんはその前に額づいて立ち上がろうとはしなかった。話かけていた。色々なことを様々なことを話していたんでしょう。それは長い間だったわ。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
恵 香乙さん

山口小夜子さん

環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~
別の角度から環境問題を・・・。
らくちんランプ
K.t1579の雑記帳さん
ちぎれ雲さん

遠いいこえ 9

2007-07-08 00:10:30 | 創作の小部屋
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遠いいこえ
9

「育子さん、私の下着はどこにしまいましたかのう」
 と房江は、持ってきた箪笥をひっくり返しながら大きな声で言った。育子は丁度物語の一番大切な所を書いていたのだ。
「下着なら、二番目の柚き出しの中にあるでしょう」
 育子が少々ヒステリックに叫んだ
「ああ、ありましたありました」
 と言う房江の声が逢沢のところ迄響いて来た。
 逢沢は書斎で民話の分類をしていた。窓の外を何かがすーうと通り過ぎたのを見たように思ったのだが、この数日根を詰めて少々疲れていたのではっきりと確認できなかった。外は木立が風に煽られて泣いていた。
 その日、房江はまるで神隠しにあったように姿を消したのだった。
 下着は、新品を出して付けたらしい。包装していた紙が散乱する部屋の中から見っかった。着物もよそ行きを着て出ていた。高台に住む住人の中には房江を見掛けた人はいなかった。
 逢沢と育子は、房江がいなくなったことを知っても、今は道路になっている元住んでいたところに行ったくらいにしか考えなかった。それは房江の何時ものパターンであったからであった。切りがついたら迎えに行けばいい、そう逢沢も育子も忙しいと言うことを口実にして、直ちに行動に移る事を躊躇したのだった。一段落して逢沢が駆けつけてみるとそこには房江はいなかった。その辺りの人に尋ねてみても房江を見掛けた人はいなかった。戦前から一年前まで住んでいたのだからここは房江に取ってホームグランドのようなものだったが、北風に乗って飛び発った落ち葉のように消息がなくなったのだった。辺りはすっかり夜の帖をおろし、空には存在を誇示するライトアップが放たれ、路線をヘッドライトの帯が交錯しながら流れていた。
 逢沢は呆然と立ちつくしていた。善後策を考える余裕がなかった。頭の中は全くの白紙のようになっていた。その白紙の上に点が落ちて動き始め線となり形を作り始めた。それは段々と形を作り一つの抽象画を描いた。その絵が左右に震動し止まると、それは房江の顔になっていた。角ばった顎の線がまさに房江のものだった。
「いないんだ。どこを捜しても見つからないのだ。なにか、義母さんの部屋に手掛かりになるような物が残っていないか捜してくれないか」 
 逢沢は近くの公衆電話のボックスから育江に連絡を入れた。
「何を慌てているの。いない所にじっといても仕方がないでしょう。こちらに帰って来て頂戴。相談しましょう」
 育子の落ち着いた声が受話器の中から沸いてきた。それは、妙に乾いた声だった。
「おまえさんは・・・」
「言いたい事はわかるは。それは後で聞きますからとにかく帰ってください」
 ボックスの硝子が曇って辺りの風景を遮りヘッドライトの明かりだけが僅かに突き抜けてきた。
「あなたが帰ってくるまでにかあさんの知り合いの方達に連絡をして聞いてみたんだけど、心当たりがないって言っていたわ」
 育子は心なしか落ち着いた声で言った。逢沢は自分が一人で空回りをしているような感覚を持った。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

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