yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

2011-02-08 19:17:45 | 独り言
春よ、来い(歌詞付き)



 二月に入ってようやく寒波はひいたようだ。少し気温が上がり過ごしやすくなった。梅の便りも届くようになっている。寒いが風が心地良い。剪定した薔薇の幹から新芽が伸び始めている。春が来ることを感じた草花が春の準備を始めている。寒さに耐えて物だけが感じる息吹なのだろう。冬芽は春になると綺麗な花を咲かすという。そう言えば鳥たちの囀りが春を運んでくるのだろう。
 ようやく冬の寒さに慣れたというのに春を迎えようとしている。
 私に取っては春は頭の回転を鈍くする物だ。春と限定する必要もなくなっている。年中なのかもしれない。人間の体に丁度良い気温は私の様に鬱を持ち合わせている物にとっては辛い時期になる。春の天気にはほとほと嫌気がさすことがある。気圧が安定していないから耳がつんとして中々戻らない。春眠暁を覚えずではないが眠くてしょうがないという弊害がある。頭はボーとしていて思考力低下する。今まで春に書いた作品はないと言っていい。それは秋にも言える。
 鬱で苦しんでいるときに同じ症状の焼き肉屋のてっちゃんが川崎医大の心療内科へ連れて行ってくれた。てっちゃんは私のところからニ百米ほど行ったところの魚屋に良く来ていた。たばこ屋のまきちゃんも同じような病気で魚屋へ良く来ていた。二人とも魚が目的ではなく父の魚屋を手伝う恵子さんが目当てで毎日のように通っていたのだ。三人は同じ高校の同窓で仲が良かった。店の前の縁台に刺身や干物を焼いた物を置き二人で食べながら美しい恵子さんを見てはため息をついていたのだ。二人は盛んに煙草をくゆらせていたが、目は恵子さんに貼り付けていた。恵子さんは高峯秀子さんばりの可愛い人であった。
三人の三角関係というのであれば話は面白くなるのだが恵子さんは相手にしていなかった。男として見ていないと言うことなのだ。てっちゃんもまきちゃんも大柄であったが気持ちは優しくて温厚な人だった。恋をしていても口に出す程の勇気は持ち合わせていなかった。二人とも美しい片思いをしていたのだ。てっちやんは入院して治療中に酒を飲んで二つの大きな病院を強制退院させられるという猛者なのであったが恵子さんには弱かった。焼き肉屋は嫁さんに任せて魚屋と病院へ通よう日々を送っていたのだ。色の白い艶福な顔立ちの青年であった。北朝鮮の在日三世であった。
 そんなてっちゃんに連れられて病院通いをし出して鬱の症状はだんだん軽くなっていった。薬が効いたのであった。夜眠られるようになった。鉛をかぶったような頭が軽くなっていた。
 そのころ倉敷演劇研究会の土倉さんが、
「おい、生きとるかや」と久しぶりに覗いた。
 演劇の台本を頼み練習を見てくれと泣きついてきた。基礎訓練を見て書いても良いと思った。
 台本を一晩で書いて渡した。その練習にも立ち会った。
 鬱の症状はなくなったが、時に不安発作が襲い何度救急車に乗ったであろうか。それは決まって春と秋に出た。もう死んでも良いと破れかぶれになるしかなかった。開き直ったら意外と楽になっていた。それまで乗れなかった車も「死ぬときはしぬ」と念仏のように唱えながら運転した。
 辻邦生さんや南木佳士さんや五木寛之さんの本が読めるようになった。むずかしい本は理解できないという後遺症は残っているのだが。
 私の演劇の歴史は鬱の歴史なのである。
 青年達と少年達に支えられながら演劇の公演を六十回こなした。家の隣にスタジオ件練習場を創り毎日その階段を上がっていく度に鬱との別れ話が進んでいったことになる。
 日本劇作家協会、財団法人舞台芸術財団演劇人会議、篠田正浩監督作品への出演らの関わりも鬱の何かでのことなのである。
 今はそのすべてを止めのんびりゆったり自分流に暮らしている。なぜか今昔の文学青年に返りつつあるのだ。演劇よりしきりに小説が書きたくなっている。
 若かったころ同人誌を創ってはやめ創ってはやめしたころを懐かしんでいるのだ。そのころの同人は今何をしているのだろうかと想う日々が繰り返されている。皆、才能を持った人たちであった。家庭を守らなければならなくなって止めていったのだ。時折電話がかかってきたり年賀状が転がり込んで元気にしていることを知り我がことの様にうれしくなるのだ。
 心臓病を抱えて何時死んでも良いと言っていたキリスト教徒の丘ちゃん、土地が売れて何億もの金が転がり込んで書けなくなった杉さん、
「女流文学賞」をとり今は踊りの流派を立ち上げ弟子を育てている梅さん、嫁さんがいながら何度も女と駆け落ちをした大さん、全共闘上がりで理屈屋で脳梗塞の後遺症に悩むすーさん、大手新聞の取締役になったますさん、それぞれが自分の人生を生き抜いたのだ。それがまさに小説のようにである。
 寒さに耐えて春を迎えようとしているがその人生に春があって欲しいと祈っている。
 そう言えば焼き肉屋のてっちゃんは夭折したと聞いた。
 春になろうとしている今、そんな感慨にとらわれている。
 地球が温暖化する寒冷化する、そんな事はもう考えなくして、ひたすら書きたい物を書くことにする。
 春から新しい作品を書き始めることにしたのだ。
 今は安定剤を飲むだけになっている。