ご先祖さまは呑気なモンキー(2011立春大コラボ企画・original)by mimu1225231
秋
秋は冬と違った静けさがある。そう感じたのはやはりこの歳になってからである。緑なした葉は紅葉してやがて落葉し地面を覆う。一面に枯れ葉を敷き詰めたような佇まいになる。人通りがあっても静けさを感じる。わびさびの世界へ誘ってくれ静寂を肌に感じることが出来る。その少し肌寒い澄んだ空気が心まで引き締めてくれるよう。
春と秋のどちらが良いかと問われたら秋ですよと答えるだろう。春は心浮き立ち多感でもないのに何も手に付かなく、秋は心を安らかにしてくれ何事にも集中させてくれる。
若い頃は春も秋もあまり好きではなかった。寧ろ厳しい夏と冬の方が好きで創作に向いていた。汗だくになり、重ね着をする現実の方が私の性に合っていたのだ。
還暦を迎えた頃から夏と冬があまり好きではなくなった。それは暑さと寒さに弱くなった所為かも知れない。春のけだるさが、ひなたぼっこが出来る丁度良い温かさが体に合ってきたのかも知れない。秋の少し涼しい風が緊張感を持たせてくれ考える時間を提供してくれるのが体に合ってきた。
春と秋のどちらが好きかと問われたら秋ですよと答えるだろう。
歳ともに自然の中に同居する自分を感じている。思えばそれが佇む秋なのかも知れない。蕭々とふく風と一体となって空を飛んでいるような感覚にとらわれるのは秋なのである。想像力が、集中力が増すのはやはり秋なのである。歳とともにその感は深くなっている。
月の満ち干きにも、満点の輝く星にも心が動き下手な詩を口ずさんでしまう。秋はいかほどの人をもロマンチィクにする。無粋な私に何か考えなくてはならない様な感覚にさせる。佇む人にしてくれる。
秋の空気を吸うのも好きです。肺堂に新鮮な空気を一杯吸いたいと思わせる。
こんな感慨を持つようになったのは還暦が過ぎた頃からだった。
私の場合は特殊なのかも知れない。今まで秋を蔑ろにしていたから余計に感ずるのかも知れない。秋は私を哲学者にしてくれる、思想家にしてくれる、詩人にも・・・。
歳をとると現実家になると言うが、今更ロマンもないが何かが叶い出来そうな予感を持つことが出来る。秋は夢を実現してくれる時に変わる。厳しい冬にむかわせる秋のひとときはそれを乗り越える力をくれる。
人恋しくなって訪ねたくなるのも秋、自然の景観を楽しむのも秋、
佇む秋なのだ。
私の好きな童謡に、「赤とんぼ」「里の秋」がある。舞台でよく使うのは「赤とんぼ」である。子供達に舞台で歌って貰う。効果として流す。ホリゾントを夕焼けに染めて歌い、流すのだ。最近は特によく使う。それが私の郷愁であり心のふるさとのように。
私のふるさとは何処なのだろうと思う。父と母の墓があるのは讃岐平野の飯山の南にある市街化された真ん中に残されている里山の中なのである法軍寺。私が産まれたのは疎開をしていたいまの岡山の市街地になっている東畦というところ。育ったのは岡山市内の東古松、今住んでいるのは倉敷水島。それぞれがふるさとだと言う思いはある。だが、父と母の眠るぽつんと残された里山が一番ふるさとにふさわしいと思っている。秋を感じることの出来る場所であるからなのだろうか。父はその里山で生まれ里山で眠っている。
父が老いてからの口癖は産まれた場所に帰りたいというものであった。歳を取って思うに多少無理をしてもその願いを叶えてやらなかったかと言うことだ。私も帰るふるさとがあればそう言うだろうと思うからだ。ふるさとという言葉に秋を感じるのは私一人であろうか。
四季のある日本では秋は神仏の行事が多い気がする。秋は神事、仏事をするのに最適な季節なのだろう。手を合わせたくなり、祈りたくなり、自らを振り返るのには秋の静かな佇まいがあう。季語も有り余るほどある。それは秋をこよなく愛した人たちが沢山いたという事か。
これは直接関係ないが、
小説家の南木佳士さんは芥川の作品の中でどれが秀作かを問われ「秋」と答えている。芥川が男と女の別れを書いたものの題名がなぜ秋なのか、ものの哀れを秋に喩えたのか・・・。
秋の佇まいにものの哀れを感じるから日本人は秋が好きなのだろう。
これからも佇む秋を感じ考えながら生きていかなければならない。
静まり返り物音一つしない空間の中に老いた身を置いて何かを感じるために・・・。
若かった頃のことども思い出ししばし遊ぶために・・・。そして、考えてもどうしょうもないこれからの道のりのために・・・。
秋はそんな感慨をもたらしてくれる。
秋は老いてゆく孤独を優しく包んでくれる、孤独の中でつぶやくと秋の景色は大らかに受け止めてくれ中へとけ込むような気がする。
四季の中でそんな秋が好きになっている。
秋
秋は冬と違った静けさがある。そう感じたのはやはりこの歳になってからである。緑なした葉は紅葉してやがて落葉し地面を覆う。一面に枯れ葉を敷き詰めたような佇まいになる。人通りがあっても静けさを感じる。わびさびの世界へ誘ってくれ静寂を肌に感じることが出来る。その少し肌寒い澄んだ空気が心まで引き締めてくれるよう。
春と秋のどちらが良いかと問われたら秋ですよと答えるだろう。春は心浮き立ち多感でもないのに何も手に付かなく、秋は心を安らかにしてくれ何事にも集中させてくれる。
若い頃は春も秋もあまり好きではなかった。寧ろ厳しい夏と冬の方が好きで創作に向いていた。汗だくになり、重ね着をする現実の方が私の性に合っていたのだ。
還暦を迎えた頃から夏と冬があまり好きではなくなった。それは暑さと寒さに弱くなった所為かも知れない。春のけだるさが、ひなたぼっこが出来る丁度良い温かさが体に合ってきたのかも知れない。秋の少し涼しい風が緊張感を持たせてくれ考える時間を提供してくれるのが体に合ってきた。
春と秋のどちらが好きかと問われたら秋ですよと答えるだろう。
歳ともに自然の中に同居する自分を感じている。思えばそれが佇む秋なのかも知れない。蕭々とふく風と一体となって空を飛んでいるような感覚にとらわれるのは秋なのである。想像力が、集中力が増すのはやはり秋なのである。歳とともにその感は深くなっている。
月の満ち干きにも、満点の輝く星にも心が動き下手な詩を口ずさんでしまう。秋はいかほどの人をもロマンチィクにする。無粋な私に何か考えなくてはならない様な感覚にさせる。佇む人にしてくれる。
秋の空気を吸うのも好きです。肺堂に新鮮な空気を一杯吸いたいと思わせる。
こんな感慨を持つようになったのは還暦が過ぎた頃からだった。
私の場合は特殊なのかも知れない。今まで秋を蔑ろにしていたから余計に感ずるのかも知れない。秋は私を哲学者にしてくれる、思想家にしてくれる、詩人にも・・・。
歳をとると現実家になると言うが、今更ロマンもないが何かが叶い出来そうな予感を持つことが出来る。秋は夢を実現してくれる時に変わる。厳しい冬にむかわせる秋のひとときはそれを乗り越える力をくれる。
人恋しくなって訪ねたくなるのも秋、自然の景観を楽しむのも秋、
佇む秋なのだ。
私の好きな童謡に、「赤とんぼ」「里の秋」がある。舞台でよく使うのは「赤とんぼ」である。子供達に舞台で歌って貰う。効果として流す。ホリゾントを夕焼けに染めて歌い、流すのだ。最近は特によく使う。それが私の郷愁であり心のふるさとのように。
私のふるさとは何処なのだろうと思う。父と母の墓があるのは讃岐平野の飯山の南にある市街化された真ん中に残されている里山の中なのである法軍寺。私が産まれたのは疎開をしていたいまの岡山の市街地になっている東畦というところ。育ったのは岡山市内の東古松、今住んでいるのは倉敷水島。それぞれがふるさとだと言う思いはある。だが、父と母の眠るぽつんと残された里山が一番ふるさとにふさわしいと思っている。秋を感じることの出来る場所であるからなのだろうか。父はその里山で生まれ里山で眠っている。
父が老いてからの口癖は産まれた場所に帰りたいというものであった。歳を取って思うに多少無理をしてもその願いを叶えてやらなかったかと言うことだ。私も帰るふるさとがあればそう言うだろうと思うからだ。ふるさとという言葉に秋を感じるのは私一人であろうか。
四季のある日本では秋は神仏の行事が多い気がする。秋は神事、仏事をするのに最適な季節なのだろう。手を合わせたくなり、祈りたくなり、自らを振り返るのには秋の静かな佇まいがあう。季語も有り余るほどある。それは秋をこよなく愛した人たちが沢山いたという事か。
これは直接関係ないが、
小説家の南木佳士さんは芥川の作品の中でどれが秀作かを問われ「秋」と答えている。芥川が男と女の別れを書いたものの題名がなぜ秋なのか、ものの哀れを秋に喩えたのか・・・。
秋の佇まいにものの哀れを感じるから日本人は秋が好きなのだろう。
これからも佇む秋を感じ考えながら生きていかなければならない。
静まり返り物音一つしない空間の中に老いた身を置いて何かを感じるために・・・。
若かった頃のことども思い出ししばし遊ぶために・・・。そして、考えてもどうしょうもないこれからの道のりのために・・・。
秋はそんな感慨をもたらしてくれる。
秋は老いてゆく孤独を優しく包んでくれる、孤独の中でつぶやくと秋の景色は大らかに受け止めてくれ中へとけ込むような気がする。
四季の中でそんな秋が好きになっている。