yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

演劇公演

2011-02-02 20:00:38 | 独り言
三谷幸喜・ビートたけし「大家族主義(2)」1/6

 演劇公演

 幕開けと幕締めで演劇の善し悪しは決まるという。
三十分前から客入れをし、開幕五分前に予ベルを鳴らし、五分後に本ベルを1分間鳴らす。鳴り終わると客殿の明かりが落ち、緞帳が上がり舞台が始まる。
 幕が上がる瞬間が一番緊張しますと役者ではなく舞台監督が言った。舞監は舞台の袖で舞台の動きと台本を見比べながら明かりと音の指示を出すのだ。作者の私が私の舞台を客殿から一度も見たことがない。楽屋のモニターで見るのだ。それが習慣になってしまった。
 役者が舞台に入っていく前に、
「楽しんでやってこい」
 と声をかけるのも習慣になっている。演出は客殿から全体の舞台を見詰め客殿の反応を確かめ反省をし次へのステップにするのだ。私はモニターを見ながら台本を書いている最中のことや、演劇を立ち上げる段階を思い出している。全体の本読み、台本をもっての半立ち稽古、本を離しての立ち稽古、その様を思い出しながら次の台本の準備にはいる。モニターの映像は過去の物で新しい台本が頭の中に作られていく。台本が演出の手に渡った瞬間から次の台本にかかっている。幕が上がると全責任と全権が舞監の腕にかかるのだ。幕がおりカーテンコールが終わるまで舞監の緊張は解かれない。作者や演出は唯見ているだけの存在になる。自作を演出していたときにも観客にはならなかった。幕が上がってしまってどうしょうというのだ、「花も嵐も踏み越えて、ままよ三度笠」と開き直るしかなかったのだ。
 私は演劇青年ではなかった。映画少年だったから芝居とか演劇は見たことがなかった。小さな頃母に連れられて女剣劇を見たのが最初であり、その後は見たことがない。東京にいたときには浅草のストリップ劇場の前で呼び込みの口上を真剣に聞いていた。入場する金など持ち合わせていなかったからだ。客の心を惹き見たいと思わせる巧みさに酔いしれていた。それだけで満足であった。
「お兄さんは入らないのかい。口上だけで満足しそんなに真剣に聞いてくれてもこちとら一銭にもなりぁしねえのよ。今日のところは木戸銭はいらねえから見ていきな。何人見るのも一緒てもんだ」
そう言って中へ連れて行ってくれた。スポットライトに照らし出された女の裸体が音楽に乗せられて踊っていた。
「木戸銭を払おうが払うまいが入ったら客だ。真剣に拝みな。観音様は浅草寺だけではねえよ。ここでは生きた観音様が見られるぜ」
後ろで呼び込みのおっさんが言った。観音様に魅せられて信心が芽生え拝みに通った。というのは呼び込みのおっさんの手前のことで、私が好きだったのは踊り子お姉さんと踊り子のお姉さんの出番の間のコントだった。
 コントを見たことが勉強になった。コメディアンさんの真剣さに心うたれ、その人達の悲喜こもごもを知ることになる。楽屋に出入りが出来るようになり、座付き作家さんに台本の書き方を教えて貰い、踊り子のお姉さん達にセロテープで皺を隠す方法を学び、コメディアンさん達に生き方を学んだ。そのコントが演劇青年になるきっかけであった。何処をどう間違ったのか新派の北条秀司さんの雑誌に参加していた。
 新派の劇作をする人を育てるのが目的で作られた雑誌だった。その中にテレビドラマ「判決」を書いていた高橋玄洋さんがいた。彼は北条秀司さん弟子だった。私の台本に泣きが必ず入るのは新派を勉強したからかも知れない。笑いと泣きを学んで泣きが残ったのである。笑いを書くのはむずかしいが泣きは意外と優しいと言うのも原因かも知れない。
 この歳になってその人達を思うと今どうしているのだろうかと。鬼籍の人になっている人が殆どだろうと思う。人前で笑い一人になって泣くそんな人間らしい人生を見事送って終わったとしたら幸せだったと言えよう。明日のことなど考えず今日を今を木戸銭を払って入ってきた客に腹わたまで魅せていた踊り子のお姉さん達、緊張しているお客さんを引っ繰り返りながら腹を抱えて笑わしたコメディアンさん達、煙草を吸い鉛筆を舐めながら藁半紙に文字を綴っていた座付き作家さん、名調子の少しびっこの呼び込みのおっさん、浅草の夜の星を眺めていた人たちであった。
 モニターからは声が届かない。舞台に聞こえるから音を絞っているのだ。舞台からの声が僅かに聞こえてきて進行状態が読み取れる。頭では次の台本を書いているのだが目と耳は舞台へ張り付いていた。
 公演の成功の基準は客の数と拍手の大きさなのだ。
 その拍手をじっと待つ。
「何をもたもたしとんねん。演出の言うた通りにせんかい」
「よっしゃ、そこで決めてくれ。そうやそれでええのや」
「忘れ取るやないか、はよ袖から台詞を入れたれ」
 無関心を装っているがモニターに叫んでいる。
 幕の下りる音がしている。拍手が大きい。
「ええど、幕あげてカーテンコールや。ぎょうさん拍手をもらえ。ここでは目一杯に笑って」

「ガキがないとるさかい、はよ乳のましてえな」ヒモのよっちゃんが踊り子のお姉さんに叫んでいる。
「あほ、あんたがやってえな。今、忙しいいんや、それもでけん甲斐性なしか」踊り子のお姉さんが叫び返している。
 私の頭の中には交錯する二つの演劇があるのか。私には同じに見えた。