今日も・・・。
今日も一日が過ぎようとしている。何もしない一日。何もなかった 一日。それを無難と喜ぶべきなのか。感謝をしなくてはいけないのか。
夜に近づいて寒くなった。足下から寒さがあがってくる。こんなに寒くなるのだったら草木に水などやらなかった方がよいと今思う。水仙がようやく花を付けた。何か悪いことをしたのか頭をたれているのがおかしい。今頃は梅の花が咲いているかも知れないと思うが、邪魔になって切った。実のなる木々を家には植えないものと言うこともある。昔精舎には花の開く木々は植えなかったのだ。仏に仕える者の心に色が付くのを避けるためであったらしい。今、家の庭に花を咲かす事が多いがそれならば心を惑わす人が沢山出ても良いものだがとも思う。戒めであったのかも知れない。花は誇らしげに咲いてやがてしなびて終わる、その姿を己に当て嵌めて考えてしまうのだろうか。ものの哀れを感じるようになるのか。花の中には開いて直ぐあとに落ちる花もある。何と潔いものかと感心するが人はそうはいかないらしい。何時までも命長らえて権力しがみついていたいものらしい。
「ぱぁと咲いてぱぁと散るそれが男の生き方というもの」と思って見たりする。人とはそうありたい、人の価値は咲いたときではなく散るときに決まると思う。老いて名誉を欲しがるのはどうか、権力にすがるのはどうか、老いていく中でその思いを浄化させていくものではないかと思う。欲心を薄めていく生き方が欲しいと思う。今何と欲に振り回されている人の多いことかと嘆いています。何で保身のバリヤーを築かなくてはならないのか不思議なのです。利害があるからなのでしょうか。何もかも棄てればもっと愉しく楽になり身が軽くなるのにと思うのです。
どんな人も必ず亡くなります。これだけは平等なのです。
人生の長短はないと言います。どのように生きたかなのだと言います。損得はないのです。寿命と言い、定めというのかも知れません。
西行は定めに流されるのではなく定めを流れる生きかたをしたと言います。若くして妻子を棄てて出家したのは定めを流れる第一歩だったのかも知れません。共の急逝、そこにものの哀れを感じたのか、想い人の待賢門院への思いを断ち切るためなのか、定かではありませんがしがらみを解いての判断であったことでしょう。つまり、それが本能であったのでしょう。定めを流れるとは本能で生きると言うことなのだと想うのです。理性ではひそうは行かなかったことでしょう。その自由な生き方は異性に慕われました。明恵上人も西行に優とも劣らない慕われ方だったと言います。西行は本能のままに接しています。明恵は毅然と本能を断ち切るため相手にはしなかったのです。そこに本能と理性の違いがあらわになるのです。円位という法名を持っている西行は破戒僧であったのです。その点明恵は僧の掟や戒めを守っています。破戒僧でなかったら色々な和歌を詠めなかったでしょう。
「歌詠みはうたを詠むことで仏を創造しているのだ」
西行はそんな言葉を語っています。
西行のようには生きられません。
私は「のんびりゆったり自分流」な生き方でこれからも生きていくつもりです。これは一軒風流なように思えますが、中々むずかしい、自由に生きるのがどんなに辛いものか、不自由なものか・・・。だが、その中で生きていきたいのです。
今日も一日が過ぎようとしている。何もしない一日。何もなかった 一日。それを無難と喜ぶべきなのか。感謝をしなくてはいけないのか。
夜に近づいて寒くなった。足下から寒さがあがってくる。こんなに寒くなるのだったら草木に水などやらなかった方がよいと今思う。水仙がようやく花を付けた。何か悪いことをしたのか頭をたれているのがおかしい。今頃は梅の花が咲いているかも知れないと思うが、邪魔になって切った。実のなる木々を家には植えないものと言うこともある。昔精舎には花の開く木々は植えなかったのだ。仏に仕える者の心に色が付くのを避けるためであったらしい。今、家の庭に花を咲かす事が多いがそれならば心を惑わす人が沢山出ても良いものだがとも思う。戒めであったのかも知れない。花は誇らしげに咲いてやがてしなびて終わる、その姿を己に当て嵌めて考えてしまうのだろうか。ものの哀れを感じるようになるのか。花の中には開いて直ぐあとに落ちる花もある。何と潔いものかと感心するが人はそうはいかないらしい。何時までも命長らえて権力しがみついていたいものらしい。
「ぱぁと咲いてぱぁと散るそれが男の生き方というもの」と思って見たりする。人とはそうありたい、人の価値は咲いたときではなく散るときに決まると思う。老いて名誉を欲しがるのはどうか、権力にすがるのはどうか、老いていく中でその思いを浄化させていくものではないかと思う。欲心を薄めていく生き方が欲しいと思う。今何と欲に振り回されている人の多いことかと嘆いています。何で保身のバリヤーを築かなくてはならないのか不思議なのです。利害があるからなのでしょうか。何もかも棄てればもっと愉しく楽になり身が軽くなるのにと思うのです。
どんな人も必ず亡くなります。これだけは平等なのです。
人生の長短はないと言います。どのように生きたかなのだと言います。損得はないのです。寿命と言い、定めというのかも知れません。
西行は定めに流されるのではなく定めを流れる生きかたをしたと言います。若くして妻子を棄てて出家したのは定めを流れる第一歩だったのかも知れません。共の急逝、そこにものの哀れを感じたのか、想い人の待賢門院への思いを断ち切るためなのか、定かではありませんがしがらみを解いての判断であったことでしょう。つまり、それが本能であったのでしょう。定めを流れるとは本能で生きると言うことなのだと想うのです。理性ではひそうは行かなかったことでしょう。その自由な生き方は異性に慕われました。明恵上人も西行に優とも劣らない慕われ方だったと言います。西行は本能のままに接しています。明恵は毅然と本能を断ち切るため相手にはしなかったのです。そこに本能と理性の違いがあらわになるのです。円位という法名を持っている西行は破戒僧であったのです。その点明恵は僧の掟や戒めを守っています。破戒僧でなかったら色々な和歌を詠めなかったでしょう。
「歌詠みはうたを詠むことで仏を創造しているのだ」
西行はそんな言葉を語っています。
西行のようには生きられません。
私は「のんびりゆったり自分流」な生き方でこれからも生きていくつもりです。これは一軒風流なように思えますが、中々むずかしい、自由に生きるのがどんなに辛いものか、不自由なものか・・・。だが、その中で生きていきたいのです。